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第62話 恨猫再び

 翔が振り返ると、登山の装備に身を包んだ半次郎と菜々がストレッチで体をほぐしていた。


「おおげさだよ、おじさん。」

 苦笑いの翔に、半次郎が大真面目に返す。

「山を舐めるなよ、翔! ()()()()()()()()()()()()()()()!」


「ほな、行こか。」

 谷本の仕切りで一行は登山道に戻った。


 整備された登山道には、そこが何合目かを知らせる石碑が置いてある。

 各石碑には菅原道真が()んだ和歌が刻んであり、疲れた登山者を飽きさせないように工夫されていた。


 比較的緩やかな坂だが、運動不足の体には堪えるのだろう、まだ四合目だと言うのに半次郎と菜々は既に息を切らしている。

「ちょっと休まないか?」

 弱音を漏らす半次郎の腰を、後ろから紗織が両手で押して応援する。


 紗織にそうされては半次郎もヘタっている訳にはいかない。

「おいおい、冗談に決まってるだろ、おじさんはこう見えて若い頃は()()()()()()()()()()だったんだぞ!」

 と変な自慢をして、疲れた体にムチ打って再び登り始めるが、グチがこぼれるのは止められない。

「まだ半分か…。」

「あ、言い忘れてたけど、荒穂神社は6()()()辺りにあるよ。」

「おいおい、それを早く言えよ!」

「そうよ、そうよ!」

 ゴールが急に近くなったので、最後のひと踏ん張りをする気になったのだろう、俄然勢いよく登り出した。


 <荒穂神社>、天拝山の中腹に位置するこの小さな社は、スサノオの子である「五十猛命(いそたけるのみこと)」を祭神として祀る。

 元々は、佐賀県の基山町にあった荒穂明神をこの場所に移した際に、荒穂明神が一夜のうちに空を飛んでこの岩に鎮座されたという言い伝えもある。


 6合目に差し掛かると、左にカーブする登山道から右に分岐して、荒穂神社の鳥居が現れた。


「あれが荒穂神社だ。」

「チイさいナ。」

「巨石は見当たりませんが?」

 崇継の疑問も尤もだ。


「まぁ、近くで見てみろよ。」

 翔は、拝殿で参拝を済ませると、不審の色を浮かべる崇継を連れて横に回る。

「わ、これは…。」

「ホウ、よくコンナ事シタナ。」


 瓦屋根のこじんまりとした拝殿の奥に、通常あるはずの本殿はなく、拝殿から続く廊下状の建屋が巨大な岩にめり込むようにして建てられている。

 苔むしたこの岩そのものがご神体なのだ。

 一行は、しばし感嘆を漏らしながら、自然信仰の権化ともいえる光景を見ていたが、半次郎が思い出したように声を上げる。


「さて、どう探す?」

「中に入るしかないだろう。」

「なんか罰当たりそうやな。」

 谷本が嫌な事を口にする。

「神様も分かってくれるさ、なにしろ自分の遠い子孫のピンチなんだから。」

 翔は自分にも言い聞かせるようすると、拝殿の入口の錠前に針金をねじ込んで手際よく錠を外す。


「さすが()()って感じね!」

 感嘆の声を上げる菜々に谷本が水を差す。

「探偵ちゅうより、()()やな。」

「うるさいな、行くぞ。」

「ウチはパスや、外で見張っとくわ。」

 谷本を見張りに残して翔たちは、拝殿の中に入った。


 廊下状の建屋の奥に進んで、ご神体の岩の前に立つ。

「失礼します。」

 恐る恐る手を伸ばして中を探る。

「祟らないでくださいね~。」

 菜々と半次郎は手を摺合わせて懇願していた。



 **********

「あいつら、怖い者知らずやな~。」

 谷本は外にあるベンチ状の石に腰掛けて、中の様子を薄く目を開けて見ている。

「ウチはようできひんわ。」

 軽く身震いしていると、二匹の猫が春の日差しを全身に受けながら、のんびりと歩いて来た。


 心優しい登山客からエサを貰う事も多いのだろう、人を恐れる事もなく谷本に頭をすり寄せてくる。

 二匹は兄弟猫だろうか、茶虎の模様もふさふさの毛並みも、タヌキの様に立派な尻尾も瓜二つだ。


「堪忍や、自分らのエサは持って来とらんのや。」

 膝の上に登って来た一匹の頭を撫でていると、もう一匹はのんびりと鳥居の方に歩いて行く。


 その鳥居の先に一人の人影が現れた。

 登山にはおよそ不似合いな黒いパンツスーツの女だ。


「翔、お客さんやで!」

 谷本は警戒を呼び掛けると、膝の上の猫を摘まみ上げて体の後ろに回し、ゆっくりと立ち上がる。


「ドウシタ?」

 レオナルドが扉を開けようとした瞬間、女から鋭い声が掛かる。


縛煉(ばくれん)監獄(かんごく)。」


「おい、どうしたんだ?」

 半次郎がレオナルドに声を掛ける。

「アカナイ。」

「何だって!?」

 半次郎は、すぐに壊れそうな扉に体当たりをしたが、外側に透明な壁でもあるかのようにビクともしない。


 その様子を横目に見ながら、谷本が相手を挑発する。

「自分、立石友香梨か? 記憶チューチュー吸うだけやなかったんやな。」

 立石は、谷本の挑発を受け流して薄く笑った。


「谷本早耶香…。」

「そうや。」

「お前は随分と母親に可愛がられていたようだな。」

「当然や、ウチはお嬢様やからな。」


「だが、父親からは嫌われていた、何故か分かるか?」

「はんっ、よう調()()()()やないか、下らん事をペラペラと。」

調()()()だと? バカが! 調べたんじゃない、()()()のよ!」

「知ったやと?」


 谷本は真意を測りかねて、探るように立石を見ていたが、急にハッとして目を見開いた。

「自分、まさか?」

「そうよ、お前の()()()()()()()()()()()()のよ!」

 そう言いながら、立石は足元でエサをねだるように頭を擦り付けている猫の首根っこと掴むと、ゆっくりと持ち上げる。


「お前の母親の記憶は美味かったわ、()()()()()()があるほど、記憶はうまみを増す。」

「秘密やと? 何が言いたいねん。」

「知らないの? お前は、愛人の子どもなのよ、本当の父親は別に居るわ。」

 谷本は愕然として立ちすくむ。


「谷本、しっかりしろ!」

 翔の激に我に返った谷本の目に、猫を頭上に掲げる立石の姿が飛び込む。


「自分何しとんねん!」

 谷本の問いかけに答えず、立石は薄い笑みをこぼし、猫の首に手をかけた。

「そして、この術も()()()!」

「嬢ちゃん、見るんやないっ!」


 谷本の叫びに瞬時に反応して紗織の目を抑えた翔の前で、立石は猫の首を捻り千切り、大量の返り血を浴びている。


恨猫(はんびょう)懺牢(ざんろう)…だったか?」


 唇の端を上げて勝ち誇ったような笑みを浮かべる立石の背中には虎の毛皮の様なものが浮かんでいた。

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