第06話 動き出す影
時は戻り三日前。
2019年(平成31年)4月2日
~都内某所~
長く薄暗い廊下には、朱色の絨毯が敷き詰められ、等間隔に並べられた花台の全てに菊の花が活けてある。
船底のような形に折り上げられた天井には、杉板が格子状に組み込まれ、天井と壁の境には、歴代天皇の肖像画が百枚以上掲げられていた。
その廊下に、長く伸びる影が三つ、物憂げに揺れている。
最も大きい影の持ち主が口を開いた。
「いよいよだな。」
声に漂う渋みが持ち主の壮健な意志と年齢を物語っているが、血走った鋭い目が周囲にまき散らしているのは純然たる狂気だ。
「へっ、待ちくたびれたぜ。」
そう答えた声はまだ若く無鉄砲な活きの良さを伺わせる。
「あんた、みかど様の前でそんな口きくんじゃないよ!」
若い男を嗜めるような女の声もまだ若い。
三人は、廊下の突き当りを右に曲がって、正面の扉をノックした。
「入れ。」
地獄の底から響いてきたような低い声が、三人の入室を促す。
「失礼します。」
三人は、部屋に入ると正面を向いて、横に並んで整列した。
正面にはマホガニーの机が無造作に置いてあり、その奥に年の頃五十歳前後の男性が、ハイバックの革張りの椅子に背中を預けて座っている。
そして、更にその奥には、壁一面の大きなモニターが、来訪者を威圧するように備え付けてある。
『新元号は令和です。』
そのモニターが垂れ流しているのは、昨日から全てのテレビ局が繰り返し流している例の映像だ。
「犬山、新元号をどう思う?」
「中国由来からの脱却という意味ではよい事かと。」
渋みのある声で答えた男の名は、犬山現示。
四十歳手前の大柄な体は、スーツに隠れて目立たないが、良く鍛えられていて俊敏そうだ。
髪は短く刈り込まれ、目つきも鋭い。
「ふん、お前らしいな。」
鼻白んだように返されても、犬山は動揺を見せない。
「みかど様はどう思われておいでですか?」
質問をした女の名は、蜂谷薫。
二十代後半のアーモンド形をした目が特徴的な美人だ。
身長はそう高くないが、過酷な訓練を潜り抜けてきた引き締まった身体に、女にとっては最高の武器と言ってもいいメロン大の形の良い乳房が乗っている。
「そうだな・・・」
みかど様と呼ばれた男は、一拍おいて答えた。
「我が世となれば、政府が決めた年号など、どうでもよい。」
答えを聞いて三人は色めき立つ。
「やったな、姉貴。」
隣に立つ蜂谷薫に小声でささやいた男の名は、蜂谷攻。
短髪の優男だが、こちらも過酷な訓練を潜り抜けており、特にその凶暴な性格には目を見張るものがある。
みかど様と呼ばれた男は、目の端に邪悪な笑みを浮かべると、三人に語り掛ける。
「ついにこの時が来た、今が南朝宿願の時だ。」
地の底から這ってくるような、低い声が三人の耳に滑るように入り込む。
「はい、みかど様」
「この時の為に、お前たち甲賀者を庇護してきたのだ、存分に働いてくれるか?」
声自体に生命があるかのように、耳から脳髄に染み入るような悪魔のささやきだ。
「はい、なんなりと、お申し付けください!」
「では、行け!(降天菊花)を奪ってくるのだ、犠牲はいとわん!」
「はっ!!」
三人は踵を返すと部屋を後にした。