第52話 蘇る力
~東京・日枝神社~
翔と崇継は、山王稲荷神社の本殿で、ラーメン屋で出会った男と対峙していた。
案内してきた巫女は無言のまま立ちすくんでいる。
「気づいたか?」
「ラーメン屋で会ったナンパ野郎だな?」
「その通り。 お前が泣いてる女を見捨てたあのラーメン屋だ。」
「見捨てた?」
「そうだ、あの時そこの女は救いを求めていた。」
翔は後ろを振り返って巫女の顔を見る。
確かにあの時泣いていた女だ。 しかし、青白い顔に怯えたような表情を浮かべている。
「救いだと?」
「そうだ、だが、お前は救わなかった。」
「じゃあ、お前が救ったとでも言うのか?」
「あぁ、俺が救った!」
「ヤリ捨てただけだろう?」
「それが救いだ! お前には分かるだろう? 伊賀のスケコマシ。」
「なんだと?」
「人は寂しさには耐えられん、誰もが欲しがられているんだよ、自分を認めて欲しくて仕方ない。だから、人前で泣いて弱みを見せる。例えそれが一瞬だけの刹那的な満足だとわかっていてもな。
なぁ、人間とは浅ましい生き物だとは思わんか?」
「それに付け込んで女と寝てるお前は浅ましくないのか?」
「それはお前も同じだろう? 伊賀のスケコマシ。」
男はニヤけた顔であざ笑うように続ける。
「俺たちは、そんな女の心を埋めてやってるんだよ、魂の救済だ。これこそが神の所業だ!」
「くだらない。」
「ほう?」
「セックスはただのセックスだ、お互いが求めるから、求め合うからする、それが結果的に救う事になったとしても、それはただの結果だ。」
「それではただの動物だ、ただの獣だ。」
「そうさ、俺たちはただの獣なんだよ、風魔の女たらし。
セックスに付く理由なんて全て後付けだ、自分を獣だと思いたくない愚かな獣の言い訳なんだよ。」
「伊賀は随分と原始的と見える。」
「セックス自体が原始から続く営みだ。」
「ふん、見解の相違だな。」
「あぁ、そのようだ。」
翔は静かに抜刀する。
「だから犬とも寝た…か?」
「何の事だ?」
「ふっ、知らんか、それならそれでいい。」
男は優雅にコートの裾を翻すと、懐からジグ・ザウエルを取り出した。
「ひっ!」
巫女が、短く悲鳴を漏らす。
「危ない、下がって!」
翔は前を向いたまま、後ろの巫女を手で制した。
「危ない!」
崇継の声と同時に首筋にチクッとした痛みが走る。
翔が慌てて飛びのくと、注射器を持った巫女は向きを変えて崇継に襲い掛かり、揉み合いになった崇継は音を立てて崩れ落ちた。
「さすがに伊賀モノは、その坊ちゃんみたいにはいかないか。」
「申し訳ありません咲山様。」
「この役立たずが!」
頭を垂れて許しを請う巫女を、咲山は平手で殴りつけた。
「だが、本当のお前はちゃんとできる娘だろう?」
横倒れに倒れた巫女を優しく起こすと、とろけるような笑顔と甘い声で囁く。
「は、はい、咲山様。」
巫女はトロンとした目を咲山に向けて服従の意を示した。
「お前…、この巫女は…。」
「そうさ、俺が救ってやった、生きる意味を与えたんだ、俺の兵隊としてな!」
全身を脱力感が襲うのを感じながら咲山と巫女のやり取りを見ていた翔だが、ついに抵抗できずに柱にもたれ掛かる。
「掠っただけだが、効いてきたようだな。」
咲山が浮かべた笑顔は、とろけるように嫌らしかった。
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~東京・南光院邸~
警護隊の休憩室では、外部への通路の扉を背にした知佐が、銃口を父親の九条晃に向けている。
「そこをどけ、九条警部補。」
「いやです、本部長。」
「どかんか、知佐!」
「いやよ、お父さんっ!」
九条晃は悲しげに首を振ると、紗織と奈々が逃げて行った方を指さす。
「その先には7班と8班を待機させてある。」
はっとして紗織たちの後を追おうと振り返った知佐の背中に、九条晃の冷たい声が浴びせられた。
「動くな!」
ゆっくりと首を回して父親を見る知佐の額には、無機質な赤いレーザーが死刑を宣告するかのように張り付いていた。
「お父さん…。」
「知佐、大事の前の小事だ。」
「人の命は小事じゃないわ。」
知佐が振り向いて銃口を父親に向ける。
「お前は優しい娘だ、お前には撃てん。」
九条晃は優しい口調で諭すように語り掛ける。
「いいえ、撃ちます。あなたは間違っています、お父さんっ!」
知佐は目に涙を溜めて叫んだ。
短い銃声が一発、部屋に響くと、胸に穴を開けた九条晃が糸の切れた人形のように崩れ落ちる。
知佐は、わずかに煙を上げる自分の銃を呆然と見ていた。
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~東京・日枝神社~
「おい、タカ、大丈夫か!」
翔はふらつく足取りで崇継の元に転がり込む。
浅い呼吸だが崇継の意識はあるようだ。
「凄いな君い、掠っただけとは言え、まだそれだけ動けるとは、さすが伊賀の元忍者、いや、スケコマシで鍛えた体力なのかな?」
咲山の嘲笑が翔を襲う。
「ふふふ、俺とお前、同じく女を飯のタネにしている者同士で、こうも違いが出るものだなぁ。俺は救った女に助けられてお前を討ち果たす。」
「救っただと?更なる地獄に引きずり落としただけじゃないか!」
「惨めだな、伊賀のスケコマシ。頼みの綱の宮司は既にみかど様の手のうち、そしてお前はここで死ぬ。」
「そうはさせ…、うっ、うあぁっ!」
突如激しい頭痛が翔を襲った。
(くそっ、こんな時に)
「断末魔というやつか、見苦しいな。」
咲山はニヤニヤと笑いながら、苦しむ翔を眺めている。
「くっ、はぁ、はぁ。」
しばらくすると頭痛は治まったが、頭の中にはモヤが掛かったような鈍い感覚が残っている。
咲山の嘲笑もはるか遠くから聞こえてくるようだ。
「さて、そろそろ行くか、そこの坊ちゃんももう用済みだ、二人仲良くあの世に送ってやる。」
咲山は、ジグ・ザウエルの銃口を翔に向ける。
「あの世へのお供が男のガキとは、出来損ないのスケコマシには丁度いい。」
引き金を引く指に力を込めようとしたその時、咲山が見たのはオレンジ色に光る翔の瞳であった。
「破刻の瞳。」
翔の声が、動けない咲山の耳の奥に響いた。




