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第50話 戦場へ

2019年(平成31年)4月18日

~東京・赤坂~


 各国の大使館や政府施設が林立する一角を一望するようにそびえるTheOkuraTokyoの最上階の一室で、男は深いため息を漏らした。

「この国の安寧(あんねい)は守らねばならんが…。」

(一介の宮司に過ぎぬ自分には荷が勝ち過ぎている。)

 男はもう一度深いため息を漏らす。


 日枝神社の宮司・藤原(ふじわら)久則(ひさのり)

 真面目を絵に書いたような彼は、重責から逃げ出したい気持ちを抑えようと、ウイスキーのボトルに口を付け、そのままラッパ飲みにする。

 その時、部屋にノックの音が響いた。

 藤原は足音を立てない様ドアに近づき、のぞき穴から外の様子を伺うと、慎重にチェーンを掛けてからわずかにドアを開く。


()()()()の者です。」

 わずかに空いた隙間から、スーツ姿の女性が顔を覗かせる。

 藤原は安心したようにドアを閉め、チェーンを外してから再びドアを開けると、その女を中に招き入れた。


「神社本庁にはご迷惑をおかけします。」

 藤原は女性にソファーを勧める。


「いえ、わたくし共も、()()()()()ですから。」

 女性はソファーに浅く腰掛けた。


「ええ、事の重大性をご理解いただいてありがたいです、どうですか?」

 藤原は、さっき飲んでいたのとは別のウイスキーボトルを取り出して、女に勧める。


「いえ、結構です。()()ですから。」

 藤原は落胆したような表情を浮かべて、女の対面のソファーに深く腰掛ける。


「では、申し訳ないが、私は頂きますよ。」

 空いているグラスにウイスキーを注ぐと、グラスを2、3度回して薄い琥珀色の液体が波打つのを眺める。


「で、藤原さん、あなたがご覧になったご神託というのは?」

「申し訳ないが、それは言えません、ただ、保護を頼みたいのです。」


「保護とは…、神器の?」

「いえ、私の。」


 突如、ドアの開く音が響き、十数人の黒いスーツの一団がなだれ込んできた。

 全員手には銃を構えている。


「な、なんだ、お前たちは!」


「藤原!」

 問いには答えず、地を這う様な低い声がその集団の奥から鈍く響く。


 それを合図に黒スーツの一団が左右に広がると、中央に開いた道の奥から歩み出た人物を見て、藤原は絶望の喘ぎを漏らす。

「な、南光院…さま?」


「みかど様、こちらへ。」

 神社本庁の女は立ち上がり、ソファーを南光院に譲る。


「お、お前は?」

 藤原は神社本庁の女性を疑念の目で見つめる。


「私は、みかど様麾下の風魔一族だ。」

 神社本庁の女は冷たい声で答えた。


「そ、そんな。」

 恐怖と絶望に青ざめた顔で茫然と震える藤原を余所に、南光院が女に問いかける。


「吐いたか?」

「いえ、まだ。」


「では、やれ。」

「はっ!」

 訳も分からず固まっている藤原の前に女が立ちはだかる。


「風魔流・回顧録(かいころく)

 女はにやっと笑うと、腰をかがめて藤原の唇に吸い付いた。

 藤原は咄嗟(とっさ)に女を押しのけようともがいたが、体に力が入らない。


「その女は、人の記憶を吸い取る。」

 南光院の低い声が藤原の耳に滑りこむ。

「記憶を吸われる気分はどうだ? 聞くところによると天にも昇る心地らしいが…どうやらそのようだのぉ。」


 先ほどまでもがいていた藤原は、恍惚の表情で弛緩した手足をだらしなく投げ出している。

 女は唇を話すと、口の中のつばを藤原に吐きつけた。


「俗物が!」

 彼の記憶の何を見たのか、軽蔑の目を藤原に向けている。


「見えたのか?」

 南光院の問いかけに、女は答えた。


「はい。」



**********


2019年(平成31年)4月19日

~東京・雑司ヶ谷~


 翔は、朝もやに霞む雑司ヶ谷<服部茶房>のドアを開いた。


「オカエリ、翔。」

 レオナルドが何も聞かずに肩を叩く。


「はんっ、どこぞに逃げてもうたかと思うとったわ。」

「僕は帰って来るって信じてましたよ。」

 崇継は変わらずに信頼を寄せてくれている。


「谷本、お前何でここに?」

「あのデカい兄ちゃんおらんようになったら、戦力ダウンやろ、しゃーないからウチが加勢したるわ!」

「ありがとう早耶香ちゃん!」

「菜々がおらんくなったら、美味い飯にありつけんからな。」


「谷本、そっちは頼んでいいのか?」

「かまへん。」


 レオナルドと半次郎は武器の準備をしている。

 コンパクトにまとめられた装備を背中のデイパックに詰め、防弾チョッキを着こむ。

 菜々にも念のため銃を渡している。

 不安げに銃を手に取る菜々の肩に、半次郎がそっと手を置く。


「菜々さん、君がこれを使う事はない、僕がその前に敵をやっつけてやる。」

「半次郎さん…。」


 見つめ合う二人を谷本が茶化す。

「おうおう、見せつけてくれるやんか!」


 半次郎は誤魔化すように全員に呼びかけた。

「みんな、準備は出来たか!」

「はい!」


「必ず紗織ちゃんを助け出すぞ!」

「オウ!」

「やったるで!」

 半次郎の激に、各自気合いのこもった返事を返す。


「皆さん、お願いします。」

 崇継は皆に頭を下げた。


「そっちも充分気を付けるんだぞ!」

「はい!」

 翔は、皆を見回して、出陣の号令を掛けた。


「よし、行こう! 集合場所はダニーの病院だ、みんな必ず無事に戻ってきてくれ!」



**********


 日枝神社は、東京・赤坂に鎮座する神社で、江戸三大祭りの一つでもある山王祭(さんのうさい)が行われる神社として、広く都民に親しまれている。

 大山(おおやま)咋神(くいのかみ)を主祭神に祀るこの神社は、江戸城の築城に当たり、鎮守である川越の日枝神社から勧請(かんじょう)されたのが始まりと言われ、その後徳川家康の代に江戸城の鎮守とされた。

 明歴(めいれき)大火(たいか)で焼失した後、江戸城の裏鬼門に当たる現在の場所に遷座し、その後は時代の移り変わりとともに都民の安寧を見守っている。


 翔と崇継は、赤坂見附駅前のコインパーキングに愛車の青のザ・ビートル・カブリオレを停め、外堀通りを首相官邸方面に歩いて日枝神社へ向かう。

 裏側から境内に入り、神門の方へと歩いていると、麗らかな春の日差しが心地よい。

 社務所に半次郎の名前を告げて宮司を呼び出してもらうと、豪勢な社殿を眺める。


 通常ならば、神社には狛犬がいるが、ここの本殿の両側には雌猿と雄猿の像が参拝客に睨みを利かしている。

 サルには魔物が去るという意味と、音読みにしてエンと読むことから縁結びとしても縁起がいいらしい。


(縁結びか…)


 昨晩の事を思い出して片頬に笑みを浮かべていると、社務所とは別の方向から一人の巫女が歩いて来た。


「服部さまですね?」

「はい。」

「宮司がお会いすると申しております、こちらへ。」

 楚々(そそ)とした足取りで、山王稲荷神社の本殿の中へ歩いていく。


 翔はその巫女に見覚えがあるような気がして、必死で記憶の糸を辿っていた。


「お連れしました。」

 巫女が宮司に声を掛ける。


 本殿の奥へ進むと、障子に仕切られた一角がある。

「お通ししろ。」

 奥から聞こえて来た声を合図に、巫女が障子を開けると中に居たのは若い男だった。


「宮司じゃない!」

 崇継が叫ぶ。


 ライトブルーのステンカラーのコートに、ホワイトのカットソーとブラックデニムを合わせて爽やかに笑うその男は、バカにするようにウインクを投げる。

 それを見て、翔の記憶の糸は繋がった。


(あの時のラーメン屋の男…。)

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