第05話 忍術・破刻の瞳
青のザ・ビートル・カブリオレでホテルを後にする頃にはすっかり夜も更けていた。
住吉公園の手前で依頼主の女を降ろすと、事務所の駐車場に車を戻して、いつものように屋台「ダっちゃん」に向かう。
普段なら自分とレオナルドくらいしか客は居ないのに、本日は盛況のようだ。
「いらっしゃーい、スケコマシご来店~。」
ダニエルの明るい冗談も、今日は何故だか胸に刺さった。
「今日はもやしラーメンにしてくれ。」
「はいよ!」
「固めな」
いつもの様に念を押すと、観光客と思われる女子大生グループとレオナルドの間に空いている席に座った。
「珍しくイラついテルナ。」
レオナルドはコンピューターオタクのくせに、人の感情を読み取るのに長けている。
「まぁな。」
「言ってミロヨ。」
「具体的にどうって訳じゃないんだ、漠然とした不安というか。」
我ながら下手な説明だ。
「どうせ、コマシた女になんか言われたっちゃろ!」
ダニエルはダニエルで勘がいい。
「うるせぇな、麺が伸びるだろ!」
こいつらと話していると、日常の悩みがバカバカしく思えてくる。
「ヘイ、お待ち。」
湯気を立てるラーメンを啜りながら、店の隅に置いてあるテレビに目をやると、相変わらず人の良さそうな老人が「令和」と書かれた額を誇らしげに掲げるシーンが流れていた。
新時代の始まりを、世の中が歓迎している。
新時代はきっと良い時代になるだろう。
テレビからはそんなムードばかりが伝わってくる。
(果たして本当にそうだろうか?)
「(令和)って意外とかわいくていいよね~。」
「なんとか天満宮がゆかりの神社らしいよ~。」
隣の女子大生達も浮かれた様子で浅薄な知識をひけらかしている、ゆかりの神社は坂本八幡宮だ。
「なんか新しい時代になるってワクワクするね!」
(果たして本当にそうだろうか?)
とめどなく湧いてくる漠然とした不安を振り払うように麺をかき込んだ所で、レオナルドがカウンターの端に座っている男に不審の目を向けているのに気付いた。
「レオ、どうした?」
「アイツ、ちょっとおかシイ。」
レオナルドの視線の先に居る若い男が口から涎をたらして虚ろな目をしている。
「クスリか、ちょっとヤバそうだな。」
翔が席を立とうとした瞬間、男が動いた。
「せからしか!、何が新時代や、にやがんな!」
隣に居た若い女性の首に手を掛け、引き起こすように立ち上がると、懐から取り出した銃を女性の頭に突きつける。
太く強い鼻息から、男が極度の興奮状態なのが見て取れた。
「きゃあー。」
女性たちが悲鳴を上げてコップやイスを倒しながらよろけ、それが更に男を興奮状態へと導く。
手に持った銃はいつ火を噴いてもおかしくない。
「お、お客さん、そげん興奮せんとよ。」
ダニエルも相手を刺激しないようになだめようとするが、男に通じているのかどうか分からない。
男の目は瞳孔が開ききって異様な光を帯び、全身は小刻みに震えている。
「令和になったら俺も用無しや、そん前にお前ら全員殺しちゃる!」
女の首に掛けた腕に、更に力をかけて自分の方へ引き寄せる。
首が締まっているので、銃で撃たれる前に窒息してしまいそうだ。
(待ったなしか。)
「おい、お前!」
翔は座ったままゆっくりと男の方に体ごと向き直る。
男は瞳孔の開いた目を翔に向け、翔もまた男の目を見ることで2人の視線が交錯した。
「かっ」
男は小さく息を漏らしたかと思えば、そのまま体の動きを停止した。
体の震えも鼻息もすでに止まっている。
大きく見開いたままの視線の先には、オレンジ色に鋭く光る翔の瞳があった。
「破刻の瞳。」
小声で呟くと、視線は動かさずに男に近づいていく。
男の目を見たままで、首に巻き付いている左腕をほどき優しく女性を解放すると、男の右手から銃を奪い、後ろ手に締め上げる。
すると、ようやく男の身体に自由が戻ったのか再び暴れ出したが、翔は後ろから羽交い絞めに頸動脈を絞めて静かにさせた。
「レオ、警察呼んでくれ。」
「もう呼んでるヨ。」
その言葉通り、サイレンの音が聞こえて来た。
ダニエルは、倒れ込んだ女性客を介抱しながら、割れたコップや食器の片づけを始めている。
その傍らで男に囚われていた女性は、目の前で起きた出来事を呑み込めないように茫然とたちすくんでいた。
何かスポーツをやっているのだろう、水銀灯に照らされたショートカットの健康的な肢体が凄惨な現場とやけに不釣り合いに見える。
「もう大丈夫だよ。」
翔が優しく肩を抱くと一瞬緊張で筋肉が固くなったが、甘い微笑みを投げかけると、すぐに弛緩したのが分かった。
1時間後、翔とレオナルドは通常営業に戻った「ダっちゃん」で餃子をつまんでいた。
「ナンカ引っかかるヨナ。」
警察は薬物常用者の突発的な犯行と考えているようだが、レオナルドは違和感を持っているようだ。
「俺もだ、後でおじさんに聞いてみるよ。」
「ソレハソウト、あれも忍術カ?」
「あれ?」
「相手の動きば止めたやつたい!」
「あぁ、そうだよ、あれは忍術だ。」
「ウソツキ!」
レオナルドが翔に糾弾の言葉を投げつけた。
「は??なんでだよ。」
「ニンジャは魔法使いじゃナイって言ったじゃナイカ。」
「そうや、あげんかと意味分からん、訓練したっちゃできる訳なか!説明せんか!」
ダニエルも加勢する。
「あれは(破刻の術)って言って、魔法をかけた訳じゃなくて、相手の体感時間を止めただけだよ。」
「止めたダケダト?」
「どげんして止めるとね?」
「いや、お前らも衝撃的な事があったりすると、一瞬、時間が止まった様に思う事あるだろ?原理はそれと同じだよ。」
「ハァ?」
「なんや、それ。」
レオナルド達の嘆きも分かる。
全く説明になっていないが、本人にもそれ以上は分からないし、実際に出来るのだから仕方ない。
「俺の場合は、その衝撃を与えるのが目力だから(破刻の瞳)って言ってるけど、薬草使う人も居るらしいよ。」
「メヂカラネ…。」
「…お前、バカにしてるだろ。」
「ウン。」
「ふざけんなー!」
じゃれ合っている所に、来客が来た。
「あのー、すみません。」
振り返ると、先ほどのショートカットの女性が一人で立っていた。
他の友人たちは一足早くホテルに帰っていたが、彼女だけは当事者として一人残って警察の事情徴収を受けていたのだ。
「先ほどは助けていただいて、ほんっとうにありがとうございました。」
礼儀正しく深いお辞儀をする姿からも、スポーツをやってる娘だと想像できる。
「いや、こちらこそ、大変でしたね、えーっと…。」
翔は、助けた時と同じ甘い微笑みを投げてみせる。
「あ、ミコトです、司ミコト。」
微笑みを受けて、俯き加減に体を揺らすしぐさに翔もスイッチが入る。
「ご飯の途中だったしお腹も空いてるんじゃない?」
「えぇ、少し。」
「スイーツビュッフェのお店があるんだけど、どうかな?」
「こんな遅くに、そんなのやってるお店があるんですか?」
やはり、女性は甘いモノには目がない。
「うん、車で10分かかんない位だよ。」
「でも、助けていただいた上に、申し訳ないです。」
「何言ってんの、せっかくの福岡旅行を台無しにしてしまったんじゃ、福岡県民として恥ずかしいから、罪滅ぼしさせてよ!」
<罪滅ぼし>の言葉が効いたのか、彼女に笑顔が戻ってきた。
「じゃあ、せっかくだから連れてってもらおっかな。」
翔は彼女の肩を抱くと、右手を上げてレオナルド達に別れを告げ、駐車場に向かって歩き出す。
今度は、彼女の肩は弛緩したままだった。