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第49話 過ち(あやまち)

 翔は力ない足取りで地下室から出て来ると、半次郎からダニエルの病院を聞き、見舞いに行くと告げて、店を出た。


「夕飯までには帰るのよ!」

 菜々の呼びかけにも答えない。


「大丈夫かしら?」

「信じるしかないよ、信じて待とう。」

「今回ばかりはアカンかもしれんなぁ。」

 帰らずに残っていた谷本が残念そうに呟いた。


 目白駅から山手線で高田馬場に出て、地下鉄東西線に乗り換えて西葛西で降りる。

 親水公園の中をフラフラと二十分程歩いて江東臨海病院に着くと、ダニエルはICUに入っていた。

 意識を失い人工呼吸器に繋がれたダニエルの巨体を、言葉もなく十数分見つめていたが、たまらず病院を飛び出す。


 どこをどう帰ったのか分からないが、気が付くと、<法明寺>の山門の階段に腰かけていた。

 いつの間にか降り出した雨にも気づかずにぼうっとしていると、いつもの猫が膝の下に入ってきて雨宿りを始める。

 翔はそれにさえ気づかずに、ただ、雨に濡れる参道を眺めていた。


「ショウさん?」

 不意に声を掛けられて見上げると、そこには傘を差し掛ける薫の心配そうな笑顔があった。

 翔は衝動に駆られて立ち上がると、薫を抱きしめて激しい口づけを交わす。


 最初はびっくりして傘を落とし体を固くした薫だったが、すぐに硬直は消え、雨に濡れるのも構わずに、片手を腰に廻すともう片方の手で翔の頭を撫でる。

 猫はそんな二人をちらっと見上げると、観念した様に山門の庇の下へと掛けて行った。

 翔は心がほだされていく感覚に、我に返って唇を離す。


「ごめんなさい、カオルさん、俺…。」

「い、いえ。」

 薫も動揺を隠し切れない様子で、慌てて傘を拾って差し直す。


「あの、何かあったんですか?」

 今朝、襲撃があった事は薫も知っている。その件で、巨漢の男が重傷だとも聞いていた。

 それを自分のせいだと思い悩んでいるのだろうか?


「信じてもらえないと思うけど、実は俺…。」

 話し出そうとした翔を、激しい頭痛が襲う。


「うあぁっ。」

「ど、どうしたんですか。」

 薫は、頭を抱えてうずくまる翔を、慌てて介抱する。


「あ、頭が…。」

「私の部屋、こっちですから、頭痛薬、市販のしかありませんけど。」

 薫は、翔を引きずるようにして自分の部屋へ連れて行く。


 薫の部屋は生活感の無いガランとした無機質なワンルームだった。

 簡易なベッドに腰を下ろすと、薫から渡された市販の頭痛薬の錠剤を水道水で流し込む。


「落ち着きましたか?」

 薬が効いた訳ではないだろうが、頭痛はだいぶ治まって来た。


「すみません、こんな夜遅くに部屋に上がり込んじゃって。」

「ほんとですよ!」

「ほんとごめんなさい!」

 薫はふふっと笑うと、無言で窓の外を眺めた。


 ごみごみとした下町の風景が眼下に広がっている。


「さっき言いかけた事…教えて下さい。」

 アーモンド形の綺麗な目がこちらを見据えている。


「信じてもらえないかもしれないけど…。」

 そう前置きをすると、翔は意を決したように話し始めた。


 ・自分が忍者である事。

 ・ある陰謀に巻き込まれて、幼い兄妹を保護した事。

 ・その妹がさらわれた際に自分も力を失った事。

 ・そのせいで仲間の命を危険に晒した事。

 ・力を取り戻す最後の手段が失敗に終わった事。

 ・明日、その妹を救出に行く事。

 ・明日、自分は別な用で別な場所に行く事。


 頭がおかしくなったんじゃないかと思われそうで怖かったが、薫は翔の目を見て時折ウンウンと頷きながら真剣に聞いてくれている。


「多分、明日は戦闘になる…、その時こそ、俺は死ぬかもしれない。」

 最後にそう付け加えると、翔は乾いた笑いを浮かべた。


「カオルさんと初めて会ったのは、忍術を無くした直後だったんです。」

 翔はとめどなく溢れてくる想いを話し始める。


「喪失感と虚無感で、自分が何者でもなくなってしまったような感じがして押しつぶれそうな時に、木漏れ日の中で薫さんを見かけて、その姿がなんだかとても綺麗で…。

 その姿を見て、どうしてか分からないけど、忍術が無くても戦っていけるかもしれないって思ったんです。

 新緑と自分を重ね合わせたのかもしれない…、今年の桜は散ってしまったけど、また来年花を咲かせることが出来るかもしれないって。」

 翔の瞳から涙が溢れてくる。


「でも、幻想でした…、もう俺は何者でもない。服部翔はもう終わりです。」

「そんな事言うな!」

 薫の平手が翔の頬を打ち、翔は頬に広がる熱い痛みにハッとして薫に視線を向ける。


「カオルさん?」

「ショウさんがそんな事言ったら、忍術を無くした何者でもないあなたを好きになった私はどうなるんですか!」

 薫は燃える様な瞳に、涙を浮かべて翔を見つめている。


 二人はゆっくりと唇を重ねた。


**********

 薄手のカーテンから差し込む朝の光に、薫は目を覚ました。

 まだ眠っている翔の頬に軽く口づけし、はだけた胸に顔を埋める。

 薄い布団の下はお互いに何も身に着けていない。

 軽い寝息を立てている翔の体温を感じながら、薫は決意した。


(翔は死なせない。)

 二人で新しい人生を歩むのだ。


 翔がムニャムニャと寝言を言っている。

「もうっ、なんて言ってるの?」

 眠っている翔に問いかけると、寝ぼけた声で答えが返る。

「知佐…。」


 一瞬で目の前が暗くなり、しばらくそのまま目を閉じて、絶望に顔を歪ませていたが、ゆっくり目を開けると妖艶な笑みを浮かべて決意した。


(殺してやる。)



 翔は目を覚ますと、薫が自分の胸に頭を乗せている。

 頭を優しく撫でると、薫は眠そうな目をこちらに向けた。


「薫?」

「うん?」

「俺、行くよ。」

 短い言葉に強い決意が滲む。


「ねぇ、翔、帰ってきたら話したい事があるの。」

「うん。」

「だから、絶対帰ってきて。」


 上目遣いに懇願するような眼差しを向ける薫に、翔は力強い笑顔を返した。

「あぁ、絶対帰ってくるよ。」

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