第45話 希望の光
2019年(平成31年)4月17日
~東京・雑司ヶ谷~
翔が早朝ランニングを終えて、<法明寺>の参道でストレッチをしていると、いつものように猫が寄って来た。
ストレッチをしながら猫のするがままに任せていると、背中にのって頭にちょっかいを出してくる。
「邪魔しちゃダメよ。」
いつの間にか来ていた薫が、猫を抱きかかえて前に廻る。
「大人しく待ってましょう。」
ストレッチする翔の傍らで、猫の相手をする薫に木漏れ日が降り注いでいる。
翔は早めに切り上げると、薫の隣に座った。
「ショウさん、何かいい事あったんですか?」
「え?どうしてです?」
「何となく、そんな風に見えたから。」
「いや、いい事ってほどではないんですけど…。」
翔は前置きして話し始めた。
「この前、失ったって話したでしょ?」
「もしかして…、取り戻せそうなんですか?」
薫は恐る恐る尋ねる。
「いや、違くて、それは全然なんですけど、でも、失ったままでもいいかなって。」
「え?」
「僕にとっては一種の呪縛みたいなものだったし、それが無いなら新しい人生もあるのかも知れないって思ったんです。」
薫は光が差したように感じた。
伊賀と甲賀は不倶戴天の敵同士だ。
でも、翔がその呪縛から解き放たれれば、もはや憎しみ合う理由もない。
今の自分は仕えていたみかど様からの信頼も失い、宙ぶらりんの状態だ、いっそ自分も甲賀の呪縛を解けば、翔が歩く新しい人生に自分の居場所もあるのだろうか…。
「カオルさん?」
「は、はい?」
「どうしたんです?ボーッとしちゃって、お腹でも空いてるんですか?」
「違いますよっ!!」
薫はふくれっ面を作ってみせる。
「ハーゲンダッツ!」
「はい?」
「今度一緒に食べましょう! 薫さんは何味が好きですか?」
薫はしばらく考え込んだ後、真剣な表情で答えた。
「クリスピーサンド!」
「僕もです!」
「コイツにはチュールでいいよね?」
翔が猫を抱き上げ、薫は笑顔で答えた。
「はい!」
**********
~東京・皇宮警察本部長室~
品の良い調度品が揃えられた執務室に、一組の男女が向かい合っていた。
知佐は悲しげな瞳に落胆の色を浮かべて、目の前の男に視線を預けている。
「なぜ分からんのだ?」
目の前の男、九条晃はイラだった様子で頭を振る。
「お父さんはこれでいいと思ってるの?」
「本部長だ! 九条警部補!」
二人の間に気まずい沈黙が流れる。
「本部長は、これでいいとお思いですか?」
「紗織様の事か?」
「全部よ!」
「納得して計画に加わったのではなかったのか?」
「では、何故殿下を殺めたの?」
「あれは事故だ、仕方なかった。」
「他にもたくさんの人が死んだわ、被害も甚大よ!」
「大事の前の小事だ。」
「私は人の命を守る警察官よ!」
「警官は警官でもお前は皇宮護衛官だ!
お前が守るのは人ではない、神の子孫である皇族だ。
それは、この国そのものだ!」
「お父さんっ!」
知佐は言葉に拒絶の意志を込める。
「いいか、知佐、国の為に人があるのだ。」
「違うわ、お父さん、人あっての国よ。」
「知佐、日本が単一国家として世界最古の歴史を誇っているのは、天皇陛下を中心とした統治の賜物だ。」
「それは分かってるわ。」
「では、何故その皇室が今危機を迎えているのが分からんのだ!
北朝の皇統は今や風前の灯ではないか!
このままではいずれ、男系継続のらせんは途切れ、どこの馬の骨とも分からん借金まみれの男の血族が日本を統治する未来がやってくる。
その前に本来の正統である南朝方に皇位を取り戻さねばならんのだ。」
「では、何故殿下を殺めたの?
(降天菊花)と引き換えに、北朝方に(三種の神器)と皇位を譲位させるはずじゃなかったの?」
「あの方々はお分かりになっておられぬ、正当な皇統は南朝だというのに、欲がお無さ過ぎるのだ。」
「それで南光院様が皇位を簒奪するつもりなの? それこそ男系継続じゃないの!」
「知佐、正統は南朝だ。」
「どうしてそんなに頑ななの? そんなだからお母さんは…。」
「アレの事は言うな!」
九条晃は娘の頬を叩いた。
しばしの沈黙の後、知佐が口を開く。
「私はそんな事のためにこれ以上人の血が流れるのは見たくないわ、紗織様は私が必ずお守りする。」
そう言い残すと後ろを向いて、部屋を後にする。
後ろ手にドアを閉じようとした知佐の背中に、冷酷な声が響いた。
「知佐、大事の前の小事だ、お前も例外ではないぞ。」
**********
~東京・雑司ヶ谷~
翔が<服部茶房>に戻ると、なにやらイートインコーナーが騒がしい。
「せやろ、せやからウチ言うたったんや!『頭パッカーン割って、脳みそストローでチューチューしたろか!』て。」
(谷本だ…。)
「まぁ、おもしろい、それで?」
菜々が本当に面白そうに合いの手を入れる。
谷本と菜々の様なタイプの組み合わせは、周囲の人間にとっては最悪の相性と言える。
谷本が調子に乗ってしまう前になんとかしないと被害は拡大するばかりだ。
「お前、朝っぱらから、またタダお茶飲みに来たのかよ。」
「なんや翔か、相変わらず失礼なやっちゃな、そういや自分、また風魔モン倒したらしいな。」
いつの間にか名前呼びになっている。
「まぁな。」
失礼はお前だろと思いながら、翔は自慢げに胸を張った。
「威張んなや、この坊ちゃんの手柄なんやろ。」
見ると、崇継は谷本の横で、借りて来た猫のように大人しく縮こまって抹茶オレを飲んでいる。
(既に被害に遭ってたか…)
「でも、崇継君は強いわね。」
「せやな、風魔モン倒すとは大したモンや。」
「妹さんの事も心配でしょうに…。」
菜々が涙ぐむ。
「い、いえ、紗織は南光院に居れば、とりあえず手荒なマネはされてないと思いますから。」
女の涙に弱いのは崇継も同じらしい。
「なんや、坊ちゃんの妹は南光院トコに捕まっとんのかい。」
谷本が、みたらし団子を頬張りながら崇継に声を掛ける。
「はい、そうですが…。」
崇継の返答を、口をモグモグさせながら聞いていた谷本だったが、ほうじ茶で団子を流し込むと、事も無げに言い放った。
「せやったら、ウチがちょっと様子見て来たるわ。」




