第44話 風魔のスケコマシ
「ただいま~。」
相撲取りとの戦いを終えた翔たち四人が<服部茶房>に戻ったのは、夜の十時を回っていた。
「遅かったな、売り切れてたのか?」
「いや、ちょっと色々あってね。」
「まぁ! 寄り道してたのね!」
「違いますよ、相撲取りに襲われたり、らーめん食べたりしてたんです。」
「なんだそれ?」
半次郎が呆れるのも無理はない、相撲取りの襲撃など完全に予想外だ。
「まぁいい、それより翔、あ~、ちょっと話しておきたい事があるんだ。」
「なに?」
「あぁ、まぁ何だ、ここじゃ何だから地下に行こう。」
半次郎は切り出しにくそうな雰囲気を漂わせている。
「俺たちは? おらん方がいい?」
ダニエルが雰囲気に気づいて気を遣う。
「いや、皆も来てくれ、皆も知っておいた方がいい。」
階段を降りて全員が揃ったが、半次郎は言葉を選びあぐねて落ち着かない様子だ。
「そうだな、何から話そうかな。」
「半次郎さん、落ち着いて。」
菜々は内容を知っているのだろう、半次郎の傍で、彼を落ち着かせようと手を握っている。
「よし、いいか、翔、左回りの気の話だ。」
ドキッとした。
その事ならこちらからも話そうと思っていた所だ、もしかしたら、忍者として復活しなくてもいいのかもしれない…。
だが、翔はひとまず押し黙って話を聞くことにする。
「お前が、左回りの気を大きくしようと頑張ってるのは知ってる。
…だが、それは努力ではどうしようもないんだ、もともと気の大きさは決まってる。」
「やっぱりそうか…。」
薄々は気づいていた、そもそも、これまでだって意識してやっていた事ではない、訓練するにも何をどうすればいいか、全くのお手上げだったのだ。
「おじさん、俺…。」
「まぁ待て、話は最後まで聞くもんだぞ。」
半次郎が翔の言葉を遮り、話を続ける。
「努力ではどうしようもない、でも、お前の右回りの気は大きくなってる。…何故だ?」
「それは、<霊水>を飲んだからでしょう?」
「その通りだ、崇継くん!
つまり、薬物、或いはそれに類するものを摂取することで、気を大きくする事が出来るんだ。」
「ほんなこつね!」
「ソレは朗報ダナ。」
ダニエルとレオナルドは素直に喜んでいるが、翔は浮かない表情を浮かべている。
「おじさんはそれを知ってたんだね?」
「あぁ。」
「その上で黙ってた。」
「あぁ、そうだ。」
「危険なんだね?」
「そうだ、危険な賭けだ。」
(やっぱりか…)
半次郎の態度から、なんとなく想像はついていた。
「これを見ろ。」
半次郎は左手を前に出すと、手のひらを上に向け、目を閉じて集中している。
「梅花の舞。」
そう呟いた半次郎の手のひらに小ぶりの梅の花弁が一枚だけ浮かびあがった。
「お、おじさん、これは!?」
ダニエルたちも梅の花弁に目を見張っている。
「くっ、うぅ…もう無理!」
半次郎が集中を切らすと、その花弁もすぐに消える。
「おじさん、今のは忍術?」
「はぁ、はぁ。」
肩で息をしている半次郎は、返事の代わりにコクリと頷く。
「でも、おじさん、忍術は使えないんじゃ…。」
「だから、危険な賭けをしたんだよ。」
半次郎は右手にいつも付けている手袋を外してみせた。
手首から先が、まるで火傷の跡のようにただれている。
「小指は今でも動かない。」
そう言って手袋をはめると、ポケットから緑色の液体が入った小瓶を取り出した。
「これがその薬。」
ポケットからもう一つ、青色の液体が入った小瓶を取り出して、さっきの小瓶の隣に並べる。
「これが解毒薬。」
「解毒薬もアルノカ。」
「なかったら、僕は全身火傷で死んでただろう。」
地下室を包んだ沈黙を破ったのは半次郎だった。
「いいか、翔、何も俺はこの薬をお前に勧めてる訳じゃない、むしろ逆だ。
こんな危険な賭けに頼らないで済む様な方法を見つけるんだ、いいな。」
「分かってるよ、おじさん、そんな賭けは必要ない。」
翔は爽やかな笑顔で力強く答えた。
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~東京・新宿~
まだ肌寒い深夜の新宿に、女の喘ぎ声が響いている。
新宿・歌舞伎町のラブホテル・グランシャリオのスイートルームで一度に二人を相手にして疲れた表情を浮かべている男は、咲山だ。
咲山が相手にするのは、今月に入って二十人目になる。
間接照明で浮かび上がるFRPの浴槽に浸かって、満足そうに夜空を見上げた。
(この世に俺ほど女に不自由していない男はいないだろう。)
咲山家はもともと彫が深くパッチリとした二重まぶたの家系だ。
しかし、咲山を女に不自由しないと豪語させるに至っているのは、そのルックスだけではない。
咲山家に伝わる忍術のお蔭だ。
<忍術・超被活性>
相手の生理活動に干渉し、特定の行動を喚起するスイッチを強引に押す術。
いわゆるフェロモンを大量に浴びせる術だ。
自分の過去の事を思うと、いつも咲山は苦々しい気持ちになる。
他の風魔の連中からは、女をたらしこむしか能のない奴と、一段低く見られているし、事実過去の咲山一族はそれを武器にした諜報活動位しかしてこなかった。
(要は、俺の先祖は使い方を知らぬバカばっかりだったのだ。)
咲山はぐったりと床に寝そべっている女たちに目を向け、冷徹な笑みを浮かべる。
(俺はバカなご先祖とは違う。)
人格が壊れるまでフェロモンを浴びせ続け、俺の命令なら何でも聞く人形に仕立て上げ、忠実な俺の軍隊をつくるのだ。
風魔の中には傀儡を使う者もいるが、常に操作しないと何もしないバカな人形とは違う、こっちはオートマチックだ。
そして、咲山の軍隊は日々増え続けている。
(そこの二人で二十人目)
唯一の難点は、フェロモンの効き目が薄くなる前に、また浴びせないといけない事だが…。
(さて、あのメス犬の始末をどうするか…。)
咲山は浴槽から上ると、デッキチェアに掛けてあったバスタオルで体を拭く。
間接照明で浮かび上がる通路を歩いてベッドルームに戻ると、備え付けのガウンを羽織って横になる。
<麺創房・無敵家>で出会った翔の事を思い出していた。
(そういえば、伊賀にもスケコマシが居たんだったな。)
咲山はさも楽しそうに呟いた。
「さて、どっちが上か。」




