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第34話 服部茶房

 2019年(平成31年)4月13日

 ~東京~


 明治通りが目白通りの立体交差の下を潜り抜け、池袋方面に北上すると、右手に鬼子母神西参道の狭い道路と合流する。

 一方通行の狭い鬼子母神西通りに面し、鬼子母神堂を側面から眺める位置に、エイジングを感じさせる(おもむき)深い茶房が店を構えていた。


 朝の9時。


 朝食を終え、開店の準備に忙しい店内では、30代中盤の背の高いがっしりした体格の主人がショーケースの中の商品を、几帳面な程丁寧に整えている。

 鼻の下に髭を生やしているが、丸メガネの下の瞳は温和な色を備えて優しい。

 右手には手首まで隠れる白い手袋をしている。


「半次郎さん、これはどうするの。」

 店の奥のイートコーナーから、20代中盤の女性が、ガラスの小瓶三つを手に持って男の元に歩いてくる。


「菜々さん、それは左側の棚の下から三段目の手前に置いといて。」

「あら? 新商品をそんな目立たない所に置くの?」

 菜々と呼ばれた女性は柔和な笑みを浮かべて問いかける。


「うーん、そうだね、じゃあ、ここに置こうか。」

 半次郎は小瓶を受け取ると、正面のレジカウンター横、特等席に置いた。


「うん、素敵!」

 菜々は、半次郎の肩に手を置き、頬に軽いキスをする。


「君には敵わないさ。」

 イートインコーナーに戻ろうとする菜々を後ろから優しく抱きしめる。


「もうっ、お客さん来ちゃうわよ。」

「大丈夫、まだ札は<()()>のままだよ。」

 菜々は半次郎の方に向きを変えると上目遣いに笑った。

「もうっ、しょうがないなぁ!」


<ドンドンドン!>


 ソノ気になった二人を、店のドアを激しくノックする音が襲う。


「おいおい、<()()>の札が見えないのか?」

 半次郎はグチりながらも、菜々を抱きしめる手を緩めない。


「仕方ないわよ。」

 菜々は口惜しそうな素振りを見せながら、半次郎の手を優しく解いて諦めの笑顔を見せる。

「急ぎの用かもしれないわ。」


<ドンドンドン!>


 その間も、急かすようにノックは続いている。


半次郎は、いら立ちを押し殺しながらドアを開けた。

「おい、<()()>の札が見えないのか? 開店は9時半だ…」

 店の前に居る人物を見て目を丸くする。


「翔か?」

「おじさん、ご無沙汰してます。」

「おぉ、何年ぶりだ?」

 再会の喜びを笑顔に込めた翔に、半次郎は大げさなハグで答える。


「まぁ、入ってくれ、えっと、後ろの方々は?」

「話せば長くなるんだけど…。」

「お、おう、そうか、まぁとにかく入ってくれ、()()でも出そう。」


 半次郎は四人をイートインコーナーに促すと、飛び切りの笑顔で言った。

「ウチの()()は美味いぞ。」


 <服部茶房>は、お茶はもちろん、紅茶や漢方薬まで、薬草・香草・茶葉などを取り扱っている。

 そこの主人<服部半次郎>が、雑司ヶ谷に店を開いたのは8年前。


 服部の名前から分かるように、彼も()()だ。

 いや、正確には忍者とは呼べないかもしれない、なにしろ、忍術の才能に恵まれなかった彼は、忍術を使()()()()のだ。


 だがしかし、彼はそれを補って余りあるほどの才能を、薬草学の方に発揮した。

 彼の調合する薬草は、あらゆる毒を無効化する()となり、また、あらゆる薬も無効化する()となる…。

 彼の両親は息子の才能を喜んだが、自分の才能を恐れた彼は、大学を卒業すると、軍閥系の製薬会社への就職を勧める両親と距離を置き、世界中を放浪した挙句、この雑司ヶ谷に、普通の人の普通の健康をサポートするための店を開いた。


 おじさんらしいな。


 忍術を使えなくても、その知識を生かして世の為人の為に働くことはできる。

 だが、自分はどうだ、忍術を使えても出来る事は人殺し、しかも今ではその忍術さえ使えない…。


「どうぞ。」


 朗らかな声に我に返ると、菜々が、センスの良いガラスの湯飲みを四人の前に並べて、急須からお茶を注いでいる。

 透明感のある鮮やかな萌葱色(もえぎいろ)の液体から心地よい香りが立ち上り、飲む前から心を満たす。


「いただきます。」

 四人はガラスの湯飲みを手に取り、お茶を口にする。

「ムゥッ!」

「こりゃ、うまかバイ。」


「あら、嬉しい、おかわりもありますよ。」

 外国人に日本の伝統的な喫茶を褒められて、菜々も嬉しさひとしおといった感じだ。


「これは本当においしいですね。」

「あらあら、もうお茶の味が分かるのね。」

 崇継は、年上のお姉さんといった感じの女性に子ども扱いされて、照れたようにはにかんでいる。


 半次郎はそんな様子を穏やかな笑顔で見つめながら、翔に切り出した。

「いや~、急に博多で探偵始めるって言いだした時は驚いたけど、どうだ?元気にやってるのか?」

 翔と半次郎は、何故か妙にウマが合ったようで、開店当時大学生だった翔は、授業をサボっては店に入り浸っていた。

 そんな彼に迷惑をかける事になるかもしれない…


「おじさん、実は協力して欲しい事があるんだ。」

「なんだよ改まって、俺と翔の仲だろ、何でも言ってみろ!」

 翔たちは話し始めた。


 影の天皇の事。

 崇継の事。

 第四の神器の事。

 甲賀の襲撃の事。

 そして、紗織と知佐の事。


「おいおい、ちょっと待て! これは大変な事だぞ。」

 半次郎も菜々も目を見開いて驚愕の色を隠し切れない。


「つまり、簡単に言うと、その子が次の()()()()()()で、命と秘宝を狙われてて、幼い妹は囚われの身って訳なのか?」

「そんな危ない目に会って…。」

 半次郎はワナワナと震え、菜々は絶句している。


 当然だ、普通に暮らしていればこんな血なまぐさい話に巻き込まれる事はない。

「今、俺達には助けが居るんだ。だけど、それには危険も伴う。

 俺たちは、おじさんと菜々さんの普通の暮らしを奪いたくはない。

 だから、もし迷惑なら…。」


 ガバッ!


 半次郎が崇継を抱きしめ、菜々もその二人を抱きかかえた。


「???」

 抱きしめられた崇継は、苦しそうに目をパチクリさせている。


「辛かっただろう、もう大丈夫だ、おじさんが何とかしてやる!」

「絶対に妹さんを助け出すわ!」


「お、おじさん!? 菜々さん!?」

 翔が慌てた様子で声を掛けた。


「翔、お前なんでもっと早く連絡しないだ!」

「ほんとよ! こんな子がそんなひどい目に会って、しかも幼い妹さんを誘拐するなんて、ほんっとに許せないわ!」


「じゃあ、協力してくれるのか?」

「当たり前だろ! 何をすればいい、作って欲しい薬があったら何でも言え!」

「ありがとう、おじさん。」

 四人は安どのため息を漏らした。


「まず、俺たちは泊まる所がないんだ、だからベースとなる場所が欲しい。」

「オーケー、この店の地下倉庫が、在庫処分したばっかりだから空いてるぞ。」


「一応、三階には客間も一部屋あるわよ。」

「そこは崇継に使って貰おう。」

 崇継は少し不満の色を浮かべたが、

「そうね、未来の裏の天皇陛下に、カビ臭い倉庫に寝泊まりさせる訳にはいかないわ。」

 菜々にそう言われると逆らえない。


「なんね、カビ臭いとね~。」

 ダニエルの軽口で、皆に笑顔が漏れる。


「それと、お願いしたいのがあと一つ。」

「なんだ? 美味しい飯なら、菜々の腕は超一流だぞ。」


「俺の()()()()()させてほしい。」



 **********

 参拝客もまばらな鬼子母神堂の裏手に、黒いレザーのパンツと黒い革ジャンを着た女が立っている。

 俊敏そうに引き締まったスリムな体型だが、メロン大に膨らんだ胸は薄手の革ジャンでは隠し切れない。

 ミディアムロングの黒髪をアップにまとめて、綺麗なアーモンド形の目を<服部茶房>に向ける。


 蜂谷薫だ。


 その整った横顔には落胆の色が浮かび、アーモンド形の目には以前の様なギラギラとした生気は見られない。

 薫は、スマホを取り出してどこかの番号をタップしようとしたが、ため息と共にスマホを仕舞った。

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