第31話 旅立ちの朝
2019年(平成31年)4月12日
~東京・南光院邸~
白のジャガード織の上品なテ-ブルクロスの上に、美しい模様の描かれたマイセンの陶器が並んでいる。
瀟洒な食卓の上には、朝だというのにレアに焼かれたステーキが載っていた。
その男は、500グラムはあろうかというその肉の塊に、丁寧にナイフを入れては黙々と口に運んでいる。
旺盛な食欲であっという間にその肉の塊を平らげると、傍らの執事がグラスに注いだ赤ワインを優雅に嗜んだ。
その様子を、正面の席に座り、一人の男がじっと待っている。
年のころ五十を少し超えるくらいだろうか、警察官のような制服を身に纏っているが、右肩に付けられた赤い飾緒は、<赤心>を意味する皇宮警護官の証だ。
<赤心>
うそ偽りのないありのままの心。
皇宮警護官に植え付けられた、絶対的な皇族への信頼の証。
彼らはその心に殉じて職務を全うする。
その言葉通りの混じりけのない信頼を示し、男の食事が終わるのを待っている。
食事を終えた男は、麻のナプキンで口を拭うと、食事の後片付けをしようとする執事を手で制し、部屋の外へ下がらせた。
「待たせたな、九条。」
「いえ、南光院様、、いや、みかど様。」
皇宮警察本部長である九条晃は、慌てて言い間違いを訂正した。
南光院典明は、気にせずに続ける。
「若い頃は、肉といえばウェルダンだったが、年を取ってくると不思議とレアが美味しくなって来てな。」
「私などは、もう肉そのものをあまり受け付けません。」
「はっはっは、まだ、老け込むような年ではあるまい!」
南光院典明は、九条晃の自虐を豪快に笑い飛ばすと、一拍の間を置いて訪ねた。
「時に九条よ。」
「はっ。」
「お前の娘だが…。」
「はい…。」
九条晃は沈鬱な表情を浮かべた。
「愚か者の蜂谷のせいで、余計な苦労をかけるな。」
「いえ、苦労などと滅相もない。」
「で、どうだ?」
「それがまだ、手こずっておるようで…。」
九条晃は困ったような表情で、無意識に両手を揉むしぐさを表す。
「そうか、紗織も難しい年頃ゆえ、一筋縄ではいかぬか。」
どこか楽しげな様子で笑みを浮かべる。
「まぁ、急がずともよい、じっくりと時間を掛けて料理するのだ、肉と同じでじっくり火を通した方が味わいが深くなる。」
「はっ!」
九条晃は踵を鳴らして敬礼し、部屋を後にする。
(さて、知佐に何と言い訳したものか・・・)
部屋の外に出た九条晃は、大きなため息を吐いた。
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まぶしい朝日に包まれながら、翔は退院のための荷造りをしていた。
本来入院患者のいる病室は南北方向に向けて配置するべきだと翔は思う。
この病室が東向きという事は、廊下を挟んだ反対側の病室は西向きだ。
温度の問題だけならエアコンでどうにでもなるが、西日が眩しいのだけは我慢ならない。
カーテンを閉めろという輩もいるが、何の楽しみもない病室で唯一の癒しとなる外の景観まで奪われたら、入院生活はそれこそ地獄だ。
その地獄の入院生活者に申し訳なさを感じながらも、朝の活力あふれる太陽を満喫していると、爽やかな朝に似つかわしくない声が飛んできた。
「なんや、自分、もう退院するんか?」
谷本早耶香が入り口のドアからこちらを覗いている。
「お前はもういいのか?」
「はんっ!軟弱な伊賀モンと一緒にすんなや。」
見ると手に数本の花を持っている。
「なんだ、見舞いに来てくれたのか。」
花に視線を向け、微笑みで入室を促す。
「ア、アホか! これはウチのや、ウチは花好きなお嬢様なんや!」
言いながらも、谷本は部屋に入ってきた。
「せやけど、そない言うなら、自分にやるわ。」
「ありがとう…。」
「かまへん…。」
気まずい沈黙を破るように、ダニエルたちがやってきた。
「翔、起きとるね?」
部屋に入るなり、谷本の姿を見つけて仰天する。
「どうしたんですか?ダニエ!?」
「コ、コノオンナ!?」
崇継とレオナルドも同様だ。
「そないビビんなや、うっとぉしい! もう何もしぃひんわ!」
ダニエルたちは半信半疑で翔の方に視線を向ける。
「どうやら、そうみたいだ。」
翔は笑って答えた。
「はんっ!」
谷本は鼻を鳴らすとパイプいすを自分の方に引き寄せてドカッと腰を落とした。
ダニエルたちは、呆気にとられた様に翔と谷本を交互に見ていたが、思い出したように話を続ける。
「そうそう、翔! 準備はもうできとるバイ。」
「あとは翔さんだけです。」
「自分ら、東京行くつもりなんか?」
やりとりを聞いていた谷本が尋ねた。
「あぁ。…ところで、お前らの仲間について教えてくれないか?」
「はあぁっ? アホちゃう? なんでそんなん教えなアカンの?」
「伊賀の手品見せてやったろ?」
「あんなんで銭取られへんで!」
谷本はそう言って、プイッと窓の外を向いた。
(ダメか…。)
「みかど様については、ほんまに何も知らんのや。」
「えっ?」
「ウチら下っ端にはそんな情報降りてけぇへん。」
谷本は、窓の外を向いたままぶっきらぼうに答え始める。
「甲賀はお前以外は全滅したのか?」
「犬山の一派はな、あと残っとるのは落ちぶれの蜂谷姉弟だけや。」
「どんな奴らだ?」
「蜂みたいにうっとぉしい奴らや、せいぜい刺されんように気ぃつけとき。」
「甲賀のほかにも忍者が居るんだろ?」
「あぁ、風魔の事かいな、七人居るで。」
「ヤツらの忍術は知ってるのか?」
「それは知らん。」
谷本は何か思い出すようなしぐさをしている。
「ただ、一人には会うた事あるけどな。」
「どんなヤツだった?」
谷本はニヤリと笑うと、こう答えた。
「自分によう似たイケ好かんヤツやったで。」




