第19話 怪僧グレゴリウス
「チサモナ、ダッテ。」
(くそっ、こいつも向こうに乗せとけばよかった。)
思い切って苗字呼びから名前呼びに変えてみたのを、一番聞かれたくないヤツに聞かれてしまっていた。
レオナルドの悪ふざけに付き合いながら、二台の車は国道3号線を南下し、鳥栖インターから大分自動車道に合流する。
重厚感のある巨大な函体を唸らせながら、ぴったりと後を付いてくるウニモグを従え、ザ・ビートルは軽快な走りを披露している。
まだ少し肌寒いとは言え、快晴の4月はドライブ日和だ。
隣に乗ってるのが、レオナルドでなく知佐だったら、幌を全開にして開放感満点のドライブを楽しみたい所だった。
「デ、ドウ思ウ?」
「何が?」
「ウサ神宮にあると思ウカ?」
レオナルドは急に真面目な話に戻してきた。
「さぁな、だが、あってもおかしくないよ、アソコなら。」
「ホウ。」
「何かと話題に事欠かない神社なんだよ、昔から。」
<宇佐神宮>
別名・宇佐八幡とも呼ばれるその神社は、全国に4万以上もある八幡宮の総本社である。
そして、皇室の歴史上、最もその皇統が脅かされた事件である<宇佐八幡宮神託事件>の舞台でもある。
「ラス・プーチンって知ってるか?」
「アァ、ロシアの怪僧ダロ。」
「日本にも昔、弓削道鏡っていう怪僧が居たんだよ。」
「ヘェ、ドコにでも悪いボウズはいるもんダナ。」
「で、そいつが起こしたのが<宇佐八幡宮神託事件>。」
「ウサハチ…シンタク…?」
「まぁ、簡単に言うと、一滴も皇室の血が流れてない一介の僧侶が、天皇になろうとした事件さ。」
「ソンナ事出来るノカ?」
「それを実現しかけたのが、宇佐八幡宮が奏上した<神託>…まぁ、神のお告げの事だ。
当時は女性の天皇も珍しくなくて、称徳天皇は女性天皇だったんだよ。
一般には、子供がいなかった称徳天皇を、道鏡がたぶらかして後継の天皇に指名するように仕向けたと言われてる。」
「フム。」
「ただ、いくら天皇と言えど、勝手に一般人を後継の天皇に指名するのは、無理があるし、周囲も許さない。
女系天皇ならまだしも、そもそも皇室の血が一滴も入ってないんだからな。
そこで、道鏡は神のお告げである<ご神託>という形をとって無理を通そうとしたんだ。」
「デモ、そんなインチキ臭いオツゲが出るモノカ?」
「出たんだよ、宇佐八幡から。」
「ヘェ。」
「どんな背景があったか分からんが、とにかく出てしまった。」
「オオ騒動ダロ。」
「だろうな、それでもう一度、確認の為に和気清麻呂という名前の使者を送った所、<皇族じゃないと天皇にはなれない、道鏡なんか早く掃除してしまえ>という神託が下った。」
「それで、メデタシメデタシってワケカ。」
「まぁ、称徳天皇は激怒して、神託を持ってきた<和気《《清》》麻呂>を<和気《《穢》》麻呂>に改名させたなんて話もあるけどな。」
「ナンカ、カワイイ仕返しダナ。」
「ともかく昔の事だし、謎が多い事件だが、宇佐神宮側が一枚咬んで仕組んだのは間違いな…。」
気になることがあったのか、キーボードを弄って何か調べていたレオナルドが、顔を上げてニヤけている。
「ドウキョウは、座るとヒザが、三つデキ。」
道鏡の巨根ぶりを詠った有名な川柳だ。
ラスプーチンといい、怪僧には巨根伝説が付きものらしい。
その川柳を読み上げて、レオナルドはしみじみと呟いた。
「いつのジダイにも、スケコマシはいるんダナァ。」
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二時間後
アマンディの前の筑紫野バイパスに、一人の僧が現れた。
虚無僧の僧衣に身を包んだその男は、優に2mを超える大男だ。
アメフト選手の様に鍛えられたその凶暴な身体は、ゆったりとした僧衣で隠されている。
托鉢の鉢を持ち、錫杖を付いて、お経を唱えながら歩いているが、もちろん托鉢僧ではない。
博多方面からやってきたその僧は、アマンディの前を通過し、九州自動車道の高架の手前までくると、おや?という風に顔を上げ、左手の深い茂みを見ている。
やがて、にぃっと笑うとその茂みに消えていった。
2分程歩いて茂みの奥に行くと、三人の人間が倒れている。
二人はスーツ姿の男性で、一人は半裸の女性。
谷本早耶香だ。
その僧は、錫杖を地面に突き刺すと、三人に喝を入れて目を覚まさせた。
三人は、ぼうっとした様子で辺りを見回したが、谷本がいち早くその僧に気づいた。
「グレゴリウスやないの。」
「逃げられたのか?」
グレゴリウスは流ちょうな日本語で尋ねるが、その眼はスーツの上着を羽織っただけの谷本のふともものラインに留まったままだ。
「もうちょっとやったんや。」
谷本は失敗を恥じているのか、頬を紅潮させて目を背けている。
「で、どこに行ったんだ。」
グレゴリウスは、谷本の首元に手を掛けると、更に質問を続ける。
「た、多分、宇佐神宮や。」
徐々に首を絞め始めた手を、払おうとするがビクともしない。
「相手は何人だ。」
グレゴリウスは、左手で更に谷本の首を絞めながら、右手で無遠慮に胸を手を伸ばした。
「や、やめや!」
抵抗しようとするが、体に力が入らない。
「お、おやめください。」
見かねた二人の男が止めに入ったが、グレゴリウスは左手に谷本の首を絞めたまま、右手に錫杖を取って二度振り下ろすと、二人の頭はかぼちゃのように砕け散った。
「な、何するんや!」
谷本は血色ばんだが、首を絞められて動けない。
「や、やめぇって言うてるやろ。」
谷本の抵抗を無視すると、唯一残っていた青いサテンのショーツを剥ぎ取ると、グレゴリウスは僧衣の裾を開き、自分の巨大な下半身を曝け出した。
それを目にした谷本が、ハッと息を飲むのが聞こえる。
「道教は、座ると膝が、三つでき。」
グレゴリウスは凄惨な笑みを浮かべた。
残酷な行為が終わり、力尽きて地面に放り出された谷本は、放心状態で目に涙を浮かべて空を見ている。
グレゴリウスは満足したように一息吐くと、谷本に向かって言った。
「涙とは…初めてでもあるまいし。それとも、泣くほど良かったか?」
無言のまま、キッと睨みつける谷本に、更に嘲るように嘲笑の言葉を浴びせた。
「そう睨むな、これで我とお前も男女の仲だ、せいぜいお前の敵も討ってやろう。」
谷本は、なぜだかスーツの上着を掛けてくれた翔の事を思い出していた。