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第01話 影の始まり

◆現在まで続く影の歴史、その事の起こりは南北朝時代に遡る。


1392年(元中9年/明徳3年)12月下旬

~吉野山(現在の奈良県)~


 昨晩から降り続く真っ白な雪が、すべての音を吸いとる静寂(せいじゃく)の夜に、2人の男が庵の縁側で降り積もる雪を、(うつむ)き加減に眺めている。


「この地方にこんなに雪が降るとは、珍しい事もあるものよ。」

 鼻の下から(あご)にかけて立派な(ひげ)を蓄えた40半ばの中年の男が、その髭を撫でつけながら呟いた。

 その琥珀(こはく)色の瞳は、不思議な事に見る人の心の中まで見通しているような澄んだ光を、薄暗い闇の中に浮かべている。


「南北の合一が成ったとはいえ、これではのぅ・・・。」

 深いため息とともに落とした視線の先には、枯山水(かれさんすい)の庭が雪に埋もれている。


「あ奴めの好きにさせては、日ノ本の民もこの枯山水の石の様に埋もれてしまうのだ、幹仁(もとひと)よ。」


 そう言われてもう一人の男が顔を上げた。

 面長できめ細かな肌をしたその男はまだ10代半ばであろうか、どことなく品の良さを感じさせる優雅な雰囲気を漂わせているが、狼狽(ろうばい)は隠せない。


「それはそうではありますが、熙成(ひろなり)様は、いえ、南朝方はそれでよいのでございますか?」

「よい。」


 間髪入れずに答えた。

「よいのだ、幹仁。それが日ノ本のため、そしてそれこそが天の皇子たる我らの役目。」


 庭木に降り積もった雪が塊りとなって庭に落ち、木々に留まるカラス達の双眸(そうぼう)が鈍く青い光を放つ。

 熙成様と呼ばれた男が、懐から螺鈿(らでん)のあしらわれた包みを取り出した。


「それは…まさか?」

「これが(降天菊花(こうてんきくか))だ。」

 熙成は、包みの中から夜目にも鮮やかな深緑(しんりょく)の半円形の翡翠(ひすい)を取り出して、幹仁に手渡した。

 どういう細工が施してあるのか、翡翠の中には菊の花が浮かんでいる。

 少しの間、幹仁は息を飲んでその美しさに見とれていたが、ようやく我に返り尋ねた。


「な、なぜこれを?・・・しかも、何も起こりませぬ。」

 熙成は、興奮と落胆がごちゃ混ぜになった瞳を向ける幹仁の手から(降天菊花)を取り上げる。


「もしや今こそと思うたが、まだその時ではないという事か。」

 熙成の声のトーンには、わずかに失望したような響きが混ざっていた。

 それを悟られまいとしてか、努めて明るい口調で幹仁に語り掛ける。


「天皇家は三種の神器を皇位継承の証としてきたため、あ奴めは真の天皇家の秘宝を知らぬ。よいか、この事は漏らさぬよう・・」


 その時、けたたましい鳴き声と共に庭木に留まっていたカラス達が一斉に羽ばたくと、かがり火を焚いた黒ずくめの一群が、静寂を破り二人の前に乱入してきた。

 美しかった枯山水を覆い隠していた雪は、踏み荒らされて見る影もない。


「何やつじゃ!」

 熙成は、幹仁を匿うように半身を前に出し、賊の侵入におびえる様子もなく一喝した。


()()()殿()

 地獄の底から湧いて出たようなよく通る低い声が、その一群の後ろから響く。

 それを合図に人波が左右に広がると、中央に開いた道の奥から歩み出た人物を見て、二人は幽霊でも見る様に立ちすくんだ。


義満(よしみつ)、そなた何故ここに?」

 呻く様に声を絞り出した熙成に


「これは、()()()みかど殿。」

 嘲笑を含んだ声で将軍・足利義満が答える。


「みかど殿の御身をお守りするのも我が将軍家の務め、若きみかど殿の身を案じ参上仕ったとしても、不思議はござりますまい。」

 義満は幹仁の方を向くと、目を細めながら言葉を続けた。


「もっとも、我が将軍家がお守りするのは、()()()みかど殿ではござらぬがのう。」

 今度は熙成の方を向き直り、唇の端をいびつに吊り上げる。


 その視線の先で、熙成は先ほどカラスが羽ばたいた庭木の方を茫と見つめていた。

「そうか、やはりこうなってしまうか…。」

 その呟きは、かがり火の弾ける音に紛れて、義満には聞こえない。


「とは言え、()()()みかど殿にも今しばらくは生きておいていただきたいが…

さて、その手の内に何やら面白そうなものをお持ちですな。」

 義満の目が怪しい光を帯びた。


「何のことはない、()()()翡翠じゃ。」

 熙成はそう言って義満の目の前に(降天菊花)を差しだして見せる。

 驚いたことに、その翡翠の中に菊の花びらは浮かんでいない。

 義満は舐めるようにその翡翠を眺めまわしているが、判断が付きかねるようだ。


「なるほど、()()()翡翠の様だが…。

 何にせよ、天皇家の財は本物のみかど殿にお渡しいただく!」


「たわけが!お前如き下賤(げせん)の物が触れてよいものではないわ!」

 (降天菊花)を奪い取ろうと伸ばした義満の手を払って、熙成は半歩下がり、気死したように立ちすくむ幹仁の隣に立つ。

 義満は、気色ばむ黒ずくめの一群を諌める様に一瞥をくれると、アゴに手をやり満足そうな笑みを浮かべた。


「ほう、()()()翡翠ではござらぬようだな。わざわざこんな辺境の地まで出張って来た甲斐があったというものか。」

 今一度値踏みするような視線を(降天菊花)に向ける。


「どうやらお命よりも大事なご様子…、であれば是非もない、奪え!

 だが、殺すなよ!」

 黒ずくめの一群が一斉に抜刀する。

 義満は視線を(降天菊花)から熙成に移すと、歯を剥いて凄惨な笑顔を浮かべた。

「ただし、殺さずは()()()みかど殿だけだ。」

「御意!」

 黒ずくめの一群が、熙成の眼前で扇の様に展開し、ジリジリと距離を詰める。


「さ、()()()みかど殿、こちらへ。」

 義満は手を差し伸べるが、幹仁は相変わらず立ち尽くしたままだ。


 そんな幹仁の様子を横目に見ながら、熙成は耳元で囁く。

「幹仁よ、日ノ本のためじゃ、我が南朝は日ノ本の影となる。」

「ひ、熙成様!?」

 唖然として見返す幹仁の腕を取り、体ごと前に突き飛ばす。


 黒ずくめの数人が、素早く前に出て幹仁を抱え起こして後ろに下がると、義満が抜刀し正眼の構えをとった。

「万事休す、でございますな、()()()みかど殿。」


「そうかな?そう思うか、義満よ。」

 熙成は(降天菊花)を高々と天にかざした。


 すると、義満の頭上、降り続く雪で真っ白に染まった空の一部に漆黒の影が現れ、それが見る間に大きくなってくる。

「ガアァッ」

 異様な鳴き声に恐れを感じた義満が身を屈めると、その影は目にも留まらぬ速度で義満の頭上で身を翻し、庵の屋根を吹き飛ばして地上に降りた。

 唖然(あぜん)とする義満らの前に表れたのは、漆黒の羽を持つ巨大な四つ目のカラスであった。


「義満よ、天の血筋を制したつもりであろうが、お前如きでは天の(ことわり)は変えられぬ。」

 熙成は、悠然とカラスに飛び乗ると、カラスはふわりと宙に浮いた。


「ま、待て!」

 呆気にとられていた黒ずくめの一群が猛然と追いすがるも、カラスは既に手の届かない高さに上昇していた。


「天下の大将軍か知らぬが、お前の様な者を<()()()()>というのじゃ、覚えておけ。」

 はるか、天の上から降りてくるような嘲りの言葉を聞いて、全身を怒りに震わせながらも、飛び去って行くカラスを追う事もできず、義満は怒りの咆哮(ほうこう)をあげた。


この間、わずか半刻ばかり。

その出来事を覆いつくすように、雪はしんしんと降り積もり、物語は現代へと繋がる。


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