第2章-3 世界の為の犠牲
「んっふぁぁぁー」
小鳥のさえずりとカーテンの隙間から降り注ぐ木漏れ日でハールは目を覚ました。
「やっぱここが一番だな」
昨日は悪い夢を見た。ハールは、いや友晴は実の父親に会ったことをそのように捉えた。自分のいるべき世界はここだ。そして、
「ハールさん。起きてますか?」
ここには守るべき人がいる。
「……」
少しばかしの悪戯心と愛おしさが生まれた。
ハールは再びシーツをかぶり、寝たふりをする。
「ハールさん。――まだ寝てらっしゃるのですか? 朝ご飯が冷めちゃいますよ?」
木製の扉が開く音がして、声の主が近づいているのが分かる。
「……」
聞こえてはいるが、静かに待つ。
声の主の足音がすぐ真横にまで近づいたことが分かった。
「ハールさん、ハールさん。起きてください」
赤子の入った籠を揺らされるような優しい手つき。
閉じた視野では姿は見えないが、甘い香りが開いた鼻孔から脳内に届く。
我慢の限界が訪れ、ゆっくりと、今目覚めたように目を開ける。
「やっと起きてくれましたね」
そこにはいつもと変わらない、世界があった。
自分がこの世界で生きる証が、そこに。
「朝ご飯はもうできていますから、着替えが終わりましたら一階――キャ……」
その姿を見て我慢出来なかった。
ハールはセシリの手を取ると、強引に自身の方へと引っ張った。
人間とAIと言う区分ではなく、戦士と従者と言う区分で計算された腕力に勝ることが出来なかったセシリは足元を掬われ、態勢を崩す。
そんなセシリを、ハールはベッドの上から支えた。
手と、唇で。
柔らかい感触が重ね合わせた唇から伝わる。微かに甘い何かが口の中に入り込んでいる感覚もある。
彼女を抱える手が華奢な腰を抱く。そこに少し力を加えれば、彼女の愛おしい顔がより近くで見れる。
「…………」
数秒。AIで無い、セシリと言う一人の女性を堪能した後、唇を離す。
「ぷはっ。もう、起きていたならすぐに起きてくださいよ! び、びっくりしたじゃないですか……」
赤面しながら二、三歩下がるその仕草を見たら誰もが守りたくなってしまう。その姿に機械的な部分は一つも無かった。
「ごめん、ごめん。ただ、愛おしくなっちゃって」
「はぇっ⁉」
赤くなった顔がオーバーヒートよろしく、更に赤らむ。
「悪い夢を見たんだ。セシリが、或いは俺が遠くに行ってしまう夢を」
「ハールさん……」
NPCは基本的に定期検査などVRから抜けると言う行為を認識していない。それを認識されては世界観が崩れてしまうからだ。
もし、VR外で何か起きたら、セシリの目からしてみればハールが突然世界から跡形もなく消えたように見えるだろう。
マイナス思考になり、俯き気味になるハール。
それを見てセシリが退いた歩数よりも多く前に出る。
唇を重ねることには抵抗があったのか、ハールの頭に右手を添え、優しく撫でることにした。
「大丈夫です。私はいつでもハールさんのお側にいます」
ハールが顔をあげる。そこには微笑んでくれるセシリがいた。
「例え、経済面で拠点が維持出来なくなっても。私はハールさんとなら何処へでも行けますから」
「……急に現実味を帯びさせないでくれよ……」
普段財政難が続くギルドフレンドシップの現在進行形の問題を出汁に、セシリが冗談めかして伝える。
元来のゲームであれば、この拠点を失うと拠点入手の際についてきたセシリも同時にいなくなるのがセオリーだが、VRローファンタジーは現実に忠実であり、例え拠点が無くなったとしてもセシリは自分の意志でどこへ行くか決めることが出来る。その選択の答えについては、とうの昔に出ているようだが。
「そう思うのであれば、今日もお仕事頑張ってくださいね。ミシェルさん。だいぶ張り切ってるみたいですから」
「昨日大損した上に、今日はフルパだかんな。エンドコンテンツ行く気じゃねえだろうな……」
フレンドシップのリーダーはノールだが、彼は基本的にまとめ役。行き先や財政に関しては金にうるさいミシェルと、しっかり者のジョコンドが指揮している。
「はぁ。それじゃ頑張りますか。俺らの未来の為に」
ギルドの皆の未来、そして、セシリとの将来にの為。
ハールは決意を新たにし、ベッドから立ち上がった。