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その8

 Pさんは、お洗濯物を竿に引っ掛け、嘆息した。ああ、今日もまただわ、と。お向かいさんのベランダにも、風にはためく洗濯物がある。直接竿に掛けられたタオル類と、ピンチハンガーにぶら下げられた下着類や靴下類、それからハンガーで吊るされた上着類。

 ハンガーに掛けられている白いワイシャツの下には、暗い色のスラックスが続いていて、その先に紺の靴下が生えている。首のない、男性の体がぶら下がっているのだ。手首もある。


 マンション四階から見下ろせる、お向かいさんの二階ベランダには、こうしてときどき、干されている男の人がいるのだ。首から上がないので、男の人と断定できないところが悩みだ。



 昔、その峠にはよく追い剥ぎが出て、酷いときには殺されることもあったのだという。その峠を、ある旅人が越えようとしていた。彼は遠方に住む母親の調子が悪いと聞き、とるものもとりあえず、奉公先を飛び出したのだ。

 鬱蒼とした木々の間の道をざくざく大急ぎで進んでいると、やがて、男女の二人連れと合流した。彼らも急ぎ足で、目深に笠を被っていた。男の方が「この先、追い剥ぎがでるから、一人で通っちゃいかん」という。女の方は「わたくしたちも、襲われたことがあるのですよ」という。恐ろしげだったが、旅人は、足を緩めることもできず、せわしなく先を急いだ。

 太い木の根元に、風体の悪い男が一人、目を眇めて座り込んでいた。値踏みするような目で旅人を睨んだが、三人連れだったからか、それとも格好が貧相だったからか、舌打ちひとつしてさっと姿をくらました。錆びついた刀を持っていて、いかにも怪しい男だったので、いなくなったことに旅人はほっとした。


 ぴったりと一緒に歩いてきた二人連れのおかげで難を逃れたのかもしれないと思った旅人は、礼を言おうと思ったのだが、いつの間にか笠を被った男女は姿を消していた。

 


 Nさんには、付き合って半年になる彼女がいる。自分から交際を申し込んだくらいなので、彼女のことが好きで好きで仕方なかったのだが、気になることがひとつだけあった。彼女が泊まりに来たときに、いつも排水口が髪の毛で詰まるのだ。美しい彼女の髪を、Nさんは愛していたけれど、抜け落ちてしまったものを愛でる嗜好はなかった。あくまでも、彼女の体の一部だから好ましいだけなのだ。

 なんとなく、女性にそういうことを指摘することに気後れを感じ、伸び伸びになってしまっていたが、この先も良好な関係を作っていきたいと、思い切って言うことにした。

 

 彼女が泊まりに来た夜、Nさんは切り出した。何気ないふりをして、明るく軽く。そうすれば、お互いダメージにならないだろうと。

 

「あのさ、前から気になってたことがあるんだけど」

「なに?」


 首をかしげた彼女の、つやつやで美しい栗色の髪が揺れる。短く顎のラインでカットされているが、いつか長いのも見てみたいと思う。


「排水口のこと」

「ああー、あれね! 気にしなくていいよ! 気付いたときに、勝手にやってるだけだから」


 どうも話が噛み合わない。Nさんは訝しく思いながら、自分の言いたいことを言った。すると、彼女は驚いた顔をした。


「何言ってるの? 遊びに来るたび詰まってて不衛生だから、勝手に掃除してたんだよ」


 Nさんははっとした。いつも排水口に詰まっている髪の毛は、黒い。そして長いような気がする。癖のある短髪の自分のものでもない。

 小首を傾げる彼女の前で、Nさんは、ざわざわと背中を這う怖気を感じていた。



 Kさんの小学校では、夏に林間学校がある。古い宿舎で虫も出るし、最初は嫌だなと思っていたのだが、行ってみると友達とわいわいするのが楽しくて、あっという間に夜になってしまった。六人部屋の二段ベッドの上の段になったKさんだが、よく確認してみると、毛布が足りない。夏だから掛けなくてもとは思ったが、山の上だからかちょっと肌寒い。報告したところ、先生は倉庫から毛布を一枚とってきてくれた。

 ベッドでその毛布を広げて、Kさんは「うえ」と思った。毛布の真ん中に黒っぽい染みがついていた。何をこぼしたのか知らないが、なんだか不潔な気がして嫌だった。友達に言うと、「でもこれ洗ってあると思うよ、変なにおいしないし」とのことだったので、いやいやながらもそれを掛けて寝たのだ。

 

 気持ち悪いな嫌だなと思いながら寝たのが災いしたのか、寝付きがあまりよくなかった。まわりの友達は、今日一日はしゃぎ回って疲れたようで、皆あっさり寝息を立てているのに。何度も寝返りをうち、ようやくうとうとし始めたとき、ふと、誰かの気配を感じた。

 ぴったりと、背中に張り付くようにして添い寝している。じんわり温かいような。

 思わず振り返ったKさんだったが、もちろん誰もいなかった。疲れているから、なにか勘違いしたに違いないと結論づけたものの、結局その晩は寝付けなかった。

 

 二日目の夜、翌日は下山だとわかっているので、女子たちは騒がしかった。仲のいい子たちでひとつのベッドに集まって、好きな男の子の話をしたり、うわさ話をしてみたり。Kさんも、自分のベッドを離れて、下の段の子と一緒に恋バナをしていた。


 同じ部屋の子がどうしても眠いと言うので、人が集まれないベッドの上段を、Kさんはその子に譲った。

 あまり騒ぐと先生が来てしまうから、電気を消してひそひそ話を続けていたのだが、ふいに、部屋に悲鳴が響き渡った。みんなびっくりして、先生も飛んできた。悲鳴をあげたのはKさんのベッドに寝た子で、泣きながら「誰かが隣に寝てた」と言ったのだった。



 両親が、宇宙人にのっとられちゃったんです、とBさんはにこにこして語る。

 

 彼女のご両親は、難しいひとたちで、お母さんは癇癪持ち、お父さんはギャンブル好きだったそうだ。家の中はいつもぐちゃぐちゃ、ご飯もたまに出てこなくて、通年を着古したTシャツとハーフパンツで過ごさなければならなかった。Bさんは毎日お母さんにつまらない理由で叩かれた。アルバイトできる年齢になったらお父さんにタバコ代をせびられた。辛いし恥ずかしいし、両親が憎くて憎くてたまらなくなるまで、そう時間はかからなかったそうだ。

 

 このままだと、いつかふたりを刺してしまうかもしれないと、切実に悩み始めた高校二年生の夏、世紀の天体ショーなどと謳われた、流星群がやってきた。Bさんにはそんな空のかなたのことなんかより、新学期で使う教材をどうやって購入するかの方が問題で(どうにかこうにか高校は卒業して、就職して家を出るつもりだったから)、アルバイト先の定食屋にあったテレビの中継で小耳に挟んだ程度にしか、流星群には感心がなかった。

 

 まかないでお腹を膨らました後、Bさんがてくてく帰路を歩いていると、自分の住む傾き始めたボロアパートに輝く星が落ちる瞬間を見た。

 びっくりして、家に駆け戻ると、玄関に父が、六畳の和室に母が倒れていた。さっきの光はなんだったのだろう、自分の大事な勉強道具は無事なのか。それだけを心配していたBさんは、目を覚ました両親が、まるで憑き物が落ちたような爽やかな笑顔で「お帰り、Bちゃん」「アルバイトお疲れ様、これからご飯を食べにいこう」と言い出した辺りで、なにかおかしいと違和感を覚えたそうだ。

 

 それからというもの、両親は勤勉で優しくなり、ぼろぼろのアパートを引き払って、中古だけど立地の良いマンションを購入したり、肉体労働も厭わずばりばり働いてBさんを大学に入れてくれたり、成人式には写真を撮らせてくれたりと、まるで幻の「理想の家族」のようになってしまった。

 

 あの流星群の夜、本当の両親は死んでいて、今いるのは彼らの皮を被った別の生き物なのかもしれない、と考えることがあるそうだ。金環日食があったときだったか、窓際に立っていた母の影が、蔦が絡み合ったような異形に見えたことがあったから、あれが正体ではないかと思う。


 だから、どうということもない。おかげさまで今では快適な生活を送れているのだから、そんなことは些末事ですよ、と彼女はあっけらかんと笑うのだった。

 


 小説家をめざしているEさんには、特に好きな小説雑誌があった。そこのレーベルの新人賞に毎年二回、自分の作品を欠かさず応募してきた。大学在学中からなので、もう八年になる。研究と実益を兼ねて、その新人賞で受賞し刊行された本は必ず購入して、目を通していた。Eさん自身は、二度ほど最終選考に残ったもののまだ受賞には至っていない。いつかは、と思いながらも、年数を重ねても受賞できないのではないかという不安もあった。

 

 その年、上期の大賞受賞作が刊行されたので、Eさんはネット書店で予約をし、発売日に入手した。この作品はとても気になっていたのだ。なにせ、Eさんが今書いている作品と同じジャンルで、同じテーマのものだったから。そのレーベルで求められているものがわかるかもしれないと、期待が膨らんだ。


 読み始めて、Eさんは愕然とした。

 設定から展開まで、全く一緒だった。ちょうどEさんが書いている、次の賞に応募しようとしている作品と。細かい文句こそ違えども、大筋は完全に合致していた。なんと、起承転結の転で用いるトリックまで一緒だったのだ。当然、答えも一緒になり、結末も同じ。

 読み終えたEさんは、震えた。もし今書いている作品を応募したら、盗作扱いされるのは確実に自分だ。書いている作品をお蔵入りさせ、別の作品を手がけることにした。

 

 なんとか、新人賞の締切前に執筆を終えたEさんは、原稿郵送用の封筒を買うため、駅前の書店に寄った。その書店は僅かながら文房具の取扱もあり、封筒もある程度の品揃えがあったのを知っていたからだ。

 目当てのものを手にし会計に向かう途中、何気なく通り過ぎようとした平積みの新刊小説のコーナーで、ふと立ち止まった。あの、ネタの被った大賞受賞者の新作が刊行されていた。新人にしてはペースが速いなあ、と感心しながらそれを手に取り、ぎょっとした。自分が書き上げ、今晩中に封筒に入れようとしていた原稿と同じテーマのものだった。大慌てでその本と封筒を買って帰り、夕食そっちのけで本を読みだした。

 夜が更け、テーブルの上に本を裏返しで置いたとき、Eさんは書き上げた作品を投稿するのは諦めていた。ストーリーも、主人公のバックグラウンドも、世界設定もすべて同じ。結末のシーンまで同じとあれば、投稿するわけにいかなかった。もっと早くにこの新刊のことを知っていれば、別の作品を書き上げたのにと悔やんだが、いまさら遅い。その期はじめて、彼はその賞への応募を逃した。

 

 それからというもの、Eさんはその作家に打ちのめされ続けた。書く作品書く作品、すべて被っているのだ。ストーリー展開も、キャラクターの造形も、オチもなにもかも。まるで、その作家がEさんの原稿を先回りして代筆しているような。いや、印刷して流通するまでの時間的なものを考えると、後追いになるのはEさんの方なのだ。

 

 こんな馬鹿なことがあるのかという思いもあったが、それが四作続くと、もはや乾いた笑いにしかならなかった。小説のような話だと思ったのだ。とても好みも思考も似通ったその作者と、自然と同じものを書いてしまうという、恐ろしい偶然に悩まされる。ウェブ上に掲載していたり、誰かに推敲をお願いしたりしたのなら、そこから情報が漏れたということもあり得るのかもしれないが、Eさんは完全にアナログな環境で、推敲も自分ひとりで行っていたのだ。であれば、まさに偶然としかいいようがなかった。

 

 それでふと思いつき、Eさんはそのことをネタに、小説を書いてみた。何を書いても、同じ作品が先回りで書かれてしまう、不運で不思議な体験をする主人公。

 そしてその話を書き上げたとき、件の作家の初の短編集が発売されたと知り、買い求めた。

 

 Eさんは小説家の夢は捨てたそうだ。そして、件の作家の小説ももう買っていない。どうせ読まなくても、内容は大体わかっているから。

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