その12
おばあちゃんから「お墓の近くで蛍を捕まえちゃならん」と言われていたYさんだったが、友達がいっぱい虫かごに蛍を入れているのをみて我慢できなくなり、つい、家のそばの田んぼの近くにある墓地で見つけた蛍まで捕まえてしまった。他の場所で捕まえた蛍より大きくて、赤っぽい光を出すそれは、とても綺麗だった。
枕元に虫かごを置いて、にこにこしながら眠りについたYさんは、夜、不思議なものをみた。目を覚ましたとき、ホタルの放つ淡い光の中に、人影を見たのだ。うろうろ、うろうろ、迷子のようにその人影は揺れていた。
翌日、Yさんはその蛍を墓地に返しに行ったのだが、虫かごを開けたときには既に死んでいた。悪いことをしたと、今でも罪悪感にかられることがあるのだとか。
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居酒屋の店員のUさんは、その日、閉店前の掃除をしていた後輩から、「まだトイレに篭っているお客がいる」と報告を受けた。シフトリーダーのUさんは、後輩を伴ってトイレに向かった。たしかに、トイレは鍵がかかっていて開かなくなっている。ちらりと下を見ると、黒い革靴が見えた。店側で、トイレ内で使うようにスリッパを置いているのだが、それは使わなかったらしい。靴は男物だ。
Uさんは声を掛けてみたが、返答はない。たまに酔いつぶれてしまう客がいるのだが、一番怖いのは、体調が悪くて意識がなかったりするパターンだ。何度か声を掛け、ドアを叩いたが反応はなかった。
仕方なしに、手洗い用のシンクによじ登って、個室を上から見下ろした。ズボンは上げててくれよと思いながら。しかし、狭いその空間には、誰もいなかった。蓋が閉まった便器があるだけ。
目を白黒させるUさんと後輩の前で、ゆっくりとドアが開いた。たびたび、二人で呑むとあのときを話題にするのだが、やっぱりあれは見間違い、ではなかったのかもしれないという結論に行き着くのだとか。
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Fさんがお父さんと一緒に、近所のお祭りに出かけたときだった。人混みではぐれないように、お父さんと手を繋いで歩いていたのに、いつの間にか一人になってしまった。しかも、どこをどうやって歩いてきたのか、会場から随分離れてしまったらしい。遠くから聞こえてくる祭り囃子を頼りに、一生懸命お父さんを呼びながら歩いていたFさんだが、祭り会場に到着して愕然とした。音楽こそ楽しげに流れているが、屋台にはお客さんどころか売り子もいないし、提灯風の明かりの下を歩く人は誰もいなかった。広い境内で、Fさんは一人、浴衣を来てぽつんと立ちすくんでいたのだ。
どうしていいかわからず、とりあえず高いところから見下ろしたら、お父さんが歩いているのを見付けられるかもしれないと考えて、鳥居の向こうの、石段の上にあるお社まで歩くことにした。本当は、今すぐ家に帰りたかったが、お父さんを見付けなければいけない気がしていたのだという。
鳥居をくぐった途端、ふっと喧騒が戻ってきて、振り返ると、当たり前のように食べ物やおもちゃを持って行き交うお客さんや、声を張り上げる屋台の売り子の姿があった。きょろきょろしながら歩いてくるお父さんと、間もなく合流できて、Fさんはろくにおもちゃもお菓子も買わずに家に帰りたいと言ったのだ。
あとからお父さんにその話をしたところ、あの時間、お父さんも気付いたら隣にFさんがいなくて、大層慌てて探し回ったそうだ。もしかすると、ごく短い時間だったが、神隠しにあっていたのかもしれないなとお父さんが言ったのを、Fさんは笑い飛ばそうとして、できなかった。お父さんが真剣な顔をしていたので。以来、Fさんはあまり祭りが好きではないそうだ。
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飼い猫が小さな白い骨を持ってくるようになったのは、いつ頃からだったろう。Eさんは思い返す。
この貸家に引っ越してから三週間。外から帰った飼い猫は、たまにお土産を持参している。最初、それは小鳥やネズミの骨かと思っていた。小さくて白い、小石のようなもの。気にせず捨てていたのだが、ある日ふと、「これは人間の子供の手の骨ではないか」と思ったのだ。
貸家はぼろぼろで、築四十年、いわゆる古民家だ。中をリノベーションしてカフェを作るため、格安で借りた。
作業も自分でやるつもりだった。その夢の一ページに染みを作るようなものは排除しておきたい。自分の考えを否定したくて、Eさんはある日、作業の手を止め、猫の動きを観察することにした。猫はしばらくだらだらしていたが、ふと思い出したように軒下に入り、その下の地面を爪で掘り返すような仕草を見せた。そして、口にはあの小骨だ。これまで持ってきた骨の大きさはどれも同じようなもので、四本目になる。
念の為、また念の為。そう思いながら、邪険にされるのを覚悟で警察にその骨を持っていった。
赤ん坊の骨だった。人間の。小指の骨だという。
警察が来て、家の下を掘り返したが、それ以上の骨は出てこなかった。
貸主が家賃を下げようかと言ってくれたが、Eさんは不気味さが拭えず、すぐにその貸家を引き払った。参ってしまったのか、その骨の鑑定結果を聞いてからずっと、夜になると赤ん坊の泣き声が聞こえるような気がしていたのだ。
Eさんが出ていってからすぐ、その貸家は取り壊された。塗り直しをしていた壁の中から、赤ん坊の白骨が見つかったという。右手の骨だけは、なかった。猫が銜えてきたものを除いて。
赤ん坊の泣き声は、引っ越したあと、半年して猫が病気で死ぬまで続いた。もしかすると、遊び相手がほしかったのかな、とEさんは思う。飼い猫には可哀想なことをしてしまったと悔やみながらも、自分が助かったことにホッとしてしまったらしい。
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Mさんは、息子の妻、つまり義理の娘と折り合いが悪かった。よくある話だが、互いに噛み合わず、彼女が入籍して以来、なにかと衝突を繰り返してきたのだ。義理の娘――Sさんは、結婚三年目で男の子を授かった。Mさんは当然、自分と自分の夫にも、その子の名前の候補を上げる権利があると思っていたのだが、Sさんは夫と予め名前を決めているからと言い、案を聞こうともしなかった。
初孫の名前を考えるくらいさせて欲しかったと、友人たちに愚痴を言いながら、Mさんはこっそり、孫と二人きりのときだけ――あるいは義理の娘のいないときだけ、自分でつけたかった名前で呼ぶことにした。それは、Mさんの初恋の相手の名前だ。とてもいい名前だと思うが、理由を話せば夫も渋い顔をするのがわかっていたので、候補を上げたときも画数のよい名前だからとだけ告げていたものだ。
ところで、Mさんの家には、雌の柴犬のハナがいる。Mさんが娘時代に飼っていた雑種犬と同じ名前だ。ハナは、穏やかな犬で、愛想がいいかといえばそういうわけではないが、幼児が近付いても怒ったりはしなかった。Mさんの孫息子が興味津々でしっぽを掴んでも、じっと耐えていた。
ある日、三歳になった孫息子が遊びに来て、庭先で何かをしていた。処分しようと軒下に出しておいたダンボールを引っ張り出してきて、一生懸命ひとりで喋っている。
ハナを抱っこして、ダンボールに入れようとしているようだった。ハナは迷惑そうだったが、されるがままになっていた。孫は、十キロある犬を抱っこするには腕力が足りず、四苦八苦していた。
Mさんは、苦笑して孫に呼びかけた。もちろん、初恋の人の名前で。何をしているの、と問う。
「ハナ、みっけたの」
「ハナはそこにいるでしょう?」
「ハナ、ここから、みっけたの」
たどたどしい言葉で、状況を説明しようとしているようだった。ダンボールを指さして、ハナを引きずり込もうとする。流石に付き合いきれないと、犬はしっぽを丸めて、部屋の中に退散した。孫が泣き出し、ハナを追いかけようとした。靴で部屋にあがらないよう注意しなければいけないのに、Mさんは動けなかった。
なぜ、孫が、ハナをダンボールの中から見つけたことを知っているのだろう。もちろん、今飼っているハナは、拾ったのではなくて、ブリーダーから譲ってもらったのだが、――昔飼っていたハナは、ダンボールの中で鳴いているのを、あの人が見付けてきて、Mさんが飼うことになったのだ。それは、夫だって知らない話だ。自分で孫に話したこともない。
ただの偶然だろうか。
そう思いながらも、Mさんは、孫を例の名前で呼ぶことはやめた。
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中学一年生の秋、Gさんは、女子バレーボール部の折り鶴係をやっていた。秋の大会に出場するレギュラーの先輩たちの健闘を祈って、他の部員全員で千羽鶴を作るのだ。怪我や事故を避けるための願掛けで、鶴の首を折り曲げてはいけないとか、赤、白、黒は血や葬式を想起させるから使ってはいけないとか、そんな細々した決めごとを、去年折り鶴係をした一学年上の先輩から聞いていた。
折り紙を数枚ずつ部員たちに配って、締切までに折ってきてもらう。そして集まったものを糸でつないで、試合の時に持っていく。
期間を長くとったのがよかったのか、折り鶴は予定より早く集まって、連結作業もスムーズに終わった。
試合当日、Gさんは袋に入れた千羽鶴を持ってバスに乗り込み、会場に到着すると二階の応援席の手摺にそれを引っ掛けた。他にも横断幕が掛けられたりして、あっという間に応援の体勢は整った。
試合は最初から、有利な展開に持ち込めた。先輩たちは動きのキレも連携もよく、このままいけば一勝は硬い。自然、応援にも熱が入る。チームメイトたちと声を張り上げ、Gさんは必死に応援した。その声を遮ったのは、甲高いホイッスルの音だ。
会場がざわついた。コートの中で苦しげな顔をして倒れていたのは、Gさんの学校の先輩だった。足首を押さえて、体をくの字にしている。
先輩は、着地したはずみに足をくじいてしまったらしい。靭帯まで損傷して、このあとの試合に出ることは難しくなった。そのときの試合自体もそれで勢いを削がれ、負けてしまった。途中までは勝っていたのに。
悔し泣きをしながら、早すぎる敗退という結果をぶら下げて、帰りのバスに乗り込むために荷物をまとめていると、同じ学年の子がGさんにきつい声で言った。
「ちょっと! 鶴、首折れてるじゃない」
なんのことかわからず、Gさんは目をしばしばさせながら、千羽鶴に歩み寄った。糸で繋がれた鶴たちは、いつの間にか一羽残らず首を折られていた。それも、綺麗に。
Gさんは身に覚えのないことで同学年の子にも先輩にも責められて、結局部活を辞めてしまった。先生は、そんなの偶然だとかばってくれたが、チームメイトの白い目には耐えられなかった。
翌年、同じクラスの元チームメイトがレギュラーで試合に出場すると聞いていたが、冷えた関係になっていたため、頑張ってとも言わなかった。人一倍、勝ちに執着していた熱心な彼女は、先陣きってGさんの鶴の管理の責任を訴えた子だったからだ。彼女とは、教室で毎日顔を合わせるが、口もきかない。
だから、彼女が試合中、足の親指を骨折したと聞いたときも慰めの言葉もかけなかった。その試合の後、後輩がひとり退部したことを、他の友人づてで聞いただけ。
Gさんは、後輩の伝を辿って、その退部した子から鶴の話を聞いた。やはりGさんの予想通り、その子は今年の折り鶴係で、チームにいられなくなってしまったそうだ。そして、その試合でも、折り鶴はいつの間にか、首がすべて綺麗に折られていたらしい。その子は、一年前折り鶴係をしていたGさんの噂も知っていて、戦いていた。――呪われているんじゃないか、と。
Gさんは、ほっとしたそうだ。あのとき、鶴の首を曲げたのがなんであっても、試合にでなければ怪我もしないで済むのだ、辞めてよかった。絶対に鶴の首を折ったのが自分ではないと確信していたので、得体の知れないものがそこにいることもまた、確信していたから。