プロローグ
私は、ICレコーダーを止めた。
「おばーちゃん、今日もありがと。また来るね」
「ゆっこちゃん、明日はお菓子がほしいなあ」
にこにこ笑う祖母に手を振って、部屋を出る。ゆっこ、とは裕子、私の母の名前だ。祖母はときどき、私と母の区別がつかなくなる。母は三年前に亡くなっているが、それを忘れているのだろうか。
この老人ホームに、仕事の合間を縫って訪ねては、祖母の知っている不思議な話を聞くのが、最近の私の楽しみだ。元々体が強くなかった祖母だが、今年で九十六になる。そのことについて彼女は「一病息災って言うからねえ。でもゆっこはねえ」と母を引き合いにだして、溜め息をつくのだった。
祖母も亡くなった母も、そして私も、季節の変わり目や急な気圧の変化に影響を受けやすい、センシティブな人間だ。私は子供の頃、喘息を患っていたからかもしれない。そういった環境の変化に敏感に反応し、たとえば雪が降る前日などは、天気予報がたとえ晴れと言っていても、ぐったりしてしまうのだった。
祖母が言うには、「昔はこういう人間が、巫女やらなんやらをやって、天災を予言したりしていたのよね。だからそのときは重宝されたんでしょうけれど、本人は辛いわね」とのこと。彼女はもう、そのことも忘れてしまったかもしれないが。
剥落していく記憶も多いなか、祖母がそれでもよどみなく語るのは、幼い頃から聞き貯めてきた、いわゆる怪談である。老人ホームで、他の入居者に話して気味悪がられると言うので、私が聞き手になっていたのだが、――これがなかなかどうして面白い。いつの間にか私は彼女の語る不思議な話しを集めるようになった。ICレコーダーを持ち込み、彼女の語る話を録音していく。それに満足せず、最近ではそういう話をしてくれる人を見付けて、連絡を取り合い、文字に書き起こし、自分でそれを読み上げて録音することもあった。
いわゆる、怪談コレクター、なのかもしれない。
帰宅後、洗濯機を回しながら、私は今日祖母から聞き取った録音データの不要な部分をカットした。どうしても、興奮して同じことを繰り返したり、途中で別の話になってしまうことがあるので、そういう部分は編集が必要になる。
作業をしながら、録り貯めたデータを再生する。タイミングよく、外は雨。六月の長雨は、ちょっと頭を重たく痺れさせるが、雰囲気は好きだ。怠さをごまかすために、流れる声に耳を澄ませる。窓の外の雨音をBGMとして。