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42・怒りに任せた結果

「元カノって奴ですよ。私の知る限り、それから特定の人はのりちゃん先輩以外にはいなかったはずです」


 夜の食堂。灯りは廊下から届くほのかな白い光と、非常口の緑の光だけ。秘密の話をするには持ってこいの場所だ。


 説明会が終わった後、私は森さんに「コーヒー奢る」と言ってここへ連れ出した。そして胸につっかえて苦しいこの疑問を投げかけてみたのだ。私はまだ五年目なので、竹村係長と越智さんのことはリアルタイムで知らない。ランチも一人きりなので、こういった昔話にも疎いのだ。


「のりちゃん先輩。今自分がやってること、分かってます?」


 私は食堂の机に突っ伏した。その勢いで、空になった紙コップがコロコロ転がり床へ落ちる。森さんはそれを拾いながら、ため息をついた。


「今なら、まだ戻れると思いますよ」

「どこに?」

「のりちゃん先輩は知らないかもしれませんけど、社内の認識としては、二人は付き合ってるっていう印象だったんです」

「そんな、まさか……」

「たぶん、竹村係長ものりちゃん先輩のことを既に特別扱いしてましたし、半分そのつもりだったんじゃないですかね」

「……ありえない」


 もしそうなのだったら、竹村係長までよそよそしくなるはずがない。一方的に私だけが彼を避けている状態になっていたはずだ。


「そんなことないですよ。あぁいう年上の男性って、こういう裏切りで酷く傷つくものなんです。早めに癒してあげてください。私には長瀬くんがいるから、もうその役目を負えませんし」


 裏切りか。私にはそんなつもりは毛頭なかった。ただ人使いの荒すぎる上司にそれ相応の対応をしたつもり。それだけ。でも、森さんにここまで言われてしまえば、少しは態度を軟化させてみようか。


 そう思った私は、翌朝竹村係長から呼び出された打ち合わせに、いつもより機嫌良く見えるように気を遣いながら向かったのだった。









 なのに。それなのに。


「納期は明日と指定したはずなのに、なんでまだ報告に来ない?」


 竹村係長はおかんむりだったのだ。

 この仕事、既存機種の搭載機能や特徴の比較表作成について指示が出たのは先週末。勉強も兼ねて、森さん中心に取り組んでいた案件だった。元の依頼元である営業部にも内容確認を重ね、デザイン面は白岡さんのチェックも通してほぼ完成してある。ちょうど今日午前中には竹村係長に完成データを提出する予定だったのだ。


 私は必死に事情を説明したけれど、竹村係長の怒りは収まらない。


「仕事を指示したのは僕だ。もちろん、元の依頼元への確認まで進めてくれていたのは悪くない。でも、先にこちらを通すべきじゃないか?進捗が分からず困らせているとは思わなかったのか?!」


 以前ならば、こんなことで叱られることは起こらなかった。もっと密に連携できていたし、どんなことも気軽に相談ができていた。でも今はなるべく接触しなくて良いように仕事しているので、こんなことが起こってしまったのだ。


 竹村係長が話すことは一理も二理もある。会社は組織だ。こういう最低限のお作法を守らなかった私が悪い。でも! 竹村係長だって以前のように話しかけてくれないことも事実だ。最近では挨拶すら返ってこないこともある。そんな人に、上司顔されても納得できない!


「こんな簡単な業務もまともにできないなんてな」

「部下の育て方が下手なんじゃないですか?」

「部下の出来が悪すぎるんだ。これだけ時間を割いて、気持ちを割いて、心配して、倒れないかって不安になって……」


 竹村係長の声に熱が籠る。でも、私にだって言いたいことはある。


「私だって、来る日も来る日も仕事ばっかりやらされて、もうヘトヘトなんですよ。そんなに私が悪いなら、別の人を部下につけてもらったらどうですか?」


 本当に仕事ばっかりなんて、もう嫌だ。仕事するのはは、好きな方かもしれない。でも、でも、目を閉じればあの時幸せ真っ只中だった千尋さんの顔が浮かんでくる。私だって、仕事もそれなりにした上で、別の幸せたって掴んでみたいのだ。


「竹村係長。女は、仕事だけじゃ幸せなれないんです!」


 気づいたら、私は肩で息を切らせていた。竹村係長はすっと表情を消してこちらを睨む。


「……お前、あまり部屋の大掃除とかしないだろ?」

「掃除ぐらいやってますよ! そんな心配、余計なお世話です!」


 人を馬鹿にするのもいい加減にしてほしい。突然掃除の話題になるなんて意味が分からない。







 私は怒りに任せてその日を過ごした。妙な緊張感で(みなぎ)っていて、仕事の精度はいつもより高かったかもしれない。でも、前の席に座る坂田さんには「大丈夫?」と言われたし、白岡さんには「今日はハリネズミみたいだね」と言われた。



 そして、帰宅。乱暴に靴を脱いで部屋に上がり、エアコンのリモコンを握る。押す。押す。何度も、押す。







 エアコンが、つかない。







 私は慌てて家に唯一の椅子をエアコン下に運んでくると、そこに乗ってエアコンに手を伸ばした。昭和生まれの実家の母親がするように、エアコンのサイドを手で何度も叩く。リモコンのボタンを押す。それを繰り返す。




 エアコンは、つかない。











 小百合に、会えなくなった。







 今日は、特に小百合と話がしたい日だった。ついに、正面切って竹村係長と喧嘩してしまったのだ。しまったと思った時にはもう遅かった。私には友達が小百合しかいなくて、日々の生活は仕事しかない。仕事ができない私なんて、なんで生きているのか分からない。そして、ずっとお世話になってきた上司に怒りの末、あんな呆れた顔で見放されるなんて、もうどうしたらいいのか分からない。



 小百合に会いたい。



 私、また一人ぼっちになっちゃったんだ。











 それから、どれだけの時間ぼんやりしていたのかは分からない。そっと目を閉じた。浮かんでくるのは、あの顔。



 矛盾している。でも、部屋は寒くて寒くて、足がかじかんでほとんどまともに動けなくなっていた。背に腹は変えられない。




 私は制服のまま、再びコートを羽織ると家の外へ飛び出した。駅へつくと、最終電車の扉が今にも閉まるところ。ギリギリセーフで滑り込む。電車は会社方面へ向かってゆっくりと動き始めた。



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