32・夢物語
そう言えば、この手の質感の封筒はつい最近見たことがある。あ、そうだ! 招待状だ! 先日印刷屋さん、うちのイベントの招待状向けに紙の見本台帳を見せてもらって、あれでもないこれでもないと吟味したのだ。私が欲しかった洋系の封筒の種類はあまり多くはなかったが、招待状自体の紙は厚手のものから、透けるように薄いもの、薄らと柄が入ったものまで様々で、決断にはかなり時間を要した。
ということは、もしかしてこの中身って……。
そこへ、竹村係長が席に戻ってきた。連名である以上、私が勝手に開封できないのでちょうど良かった。
「あの、こんなの届いたんですけど」
少し視線を持ち上げて竹村係長を見上げると、それまでは鯵の開き干し並みに味気なかった顔が一瞬のうちにデレた。口元を手で押さえて何かに耐えているご様子。何の変哲も無い白い封筒を見ただけでこんな顔するなんて、本当に変な人。
「のりちゃん先輩! これ、結婚式の招待状みたいですねー! 早く開けてくださいよ! すっごく気になりますぅ」
森さんが急かすものだから、竹村係長に再び視線を送って確認する。すぐに小さく頷き返してくれたので、私はレターオープナーを使ってシュパッと一息に封を切った。
「新年交歓会?!」
それは、フルティアーズ様主催の所謂大規模な新年会への招待状だった。招待状には金色でフルティアーズ様のロゴが箔押しされていて、ヨーロピアンな蔓草模様が端の方に入っていてリッチ感がある。
「これ、連名ですもんね? しかも、個人的にというより会社名を冠してますから、仕事としておいでくださいっていうことですよね? もう、行くっきゃないですよね!!」
まるで自分が招待されたかのようにピョンピョン飛び跳ねて喜ぶ森さん。彼女は何かにつけ私と竹村係長をくっつけたがるのだ。嫌だ、こんなオジサン!でも最近は、あまり隣にいるのが嫌じゃない。これも森さんの思惑に乗せられているのだろうか。
「そうだな。ここからの招待であれば、行ったほうがいいだろうけど……ちょっと上に報告してくる」
竹村係長はすっかりいつも通りの生真面目な顔に戻っていた。さっきのは一体なんだったのだろう。私の手からひょいと招待状を取り上げると、早速高山課長の席へ向かってしまった。その隙を見計らって、森さんが椅子に座ったままニヤニヤした顔でこちらへ身を寄せる。
「のりちゃん先輩」
神妙な声でひそひそと声をかけてくるものだから、私は仕事に戻らずに彼女の方へ向き直った。
「じゃ、しっかり準備をしなきゃいけませんよねー」
「準備って……。あ、そっか。こういうパーティーっていつもの制服じゃ参加できないものね。スーツも学生時代に着ていたいかにもリクルート!って感じのしか持っていないし……」
慌てる私を前に、さもありなんと頷く森さん。休日もスーパーとホームセンターと本屋ぐらいにしか行かない引きこもりの私は、その態度に返す言葉はない。
「今度の金曜日に開催……つまり後数日の猶予があるんですね。だったら、私に任せてください!」
森さんに『任せてください』と言われると不安が募るのはなぜ?! おそらく、先日請求書処理を森さんに頼んだ時に予算実績表を更新してくれたのだけれど、入力ミスが発生し、竹村係長からは森さんではなく私が酷く叱られたのだ。おそらく、その時のトラウマが未だ尾を引いているものだと思われる。
でも、正直「パーティーって何?! それって美味しいの?」みたいな状態の私には、今回の招待はハードルが高すぎる。いっそのこと、森さんに代理出席してもらおうか。なんて考えていたら……
「紀川! 上からの了解とれたぞ。これで堂々と仕事で美味いものが食える。楽しみだな!」
竹村係長が意気揚々と席に帰ってきた。ここで「私、行きません」なんて言えない。鈍い私でも薄々気づいているのだ。心の中では、できるだけ『気のせい』で片付けてきたけれど、そろそろ誤魔化せなくなってきた。
竹村係長は、誰の家にだって勝手に上がり込んで一晩寝るわけでもないし、誰にだってさりげなく手を繋いだりはしない。仕事はできる人だけれど、辛口コメントを連発する名付けて『ハートブレイクマシンガン』だし、見た目だって悪くはないが良くもない。竹村係長に狙いを定めていた人は、後にも先にも森さん以外に私は知らない。男性の友人は社内にもたくさんいるみたいだけれど、女性受けはあまりしない人なのだ。
では、私はどう思っているのか。それがはっきりすれば苦労しないのだけれど。
今の私は暗い森の中を赤い頭巾をかぶって彷徨っているか弱き少女。狼が怖くて仕方がないのだけれど、会ってみたいという気持ちもあるこの矛盾。いっそのこと食べられちゃえばいいのにともう一人の自分が囁くけれど、きっとこれは悪い魔女の陰謀だ。私は本の中の世界に広がるファンタジーで、小人達と共に平和に暮らすのが一番。それなのに、この寒い季節柄がいけないのか。向かい風に逆らいながら夜道を歩く時なんて、キュンと胸が傷んでは頭の中であの顔を思い浮かべてしまうのだ。
そもそもの問題は、竹村係長がオジサンだということではない。私が、あんな『案外イイ人』に釣り合うとは思えないのだ。
私もきれいなお姫様みたいにな女性になれればいいのに。そして、私のもつ複雑さを理解して、本当に大切にしてくれる人の隣に立ってみたい。
でも、
そんな夢物語、
叶うわけないのにね。
「のりちゃん先輩、そんな浮かない顔しないでください。私、金曜は色々と小道具を持って会社に来ますから、昼からは専属でヘアメイクさせてもらいますからね!」
「ヘアメイク?!」
「大丈夫です。私の姉は美容師なんで、ちゃんと適格なアドバイスをもらってから挑みますよ! 私がちょっと失敗したところで、どうせのりちゃん先輩が自力で身支度するよりは絶対にマシな仕上がりになりますから!」
相変わらず失礼な後輩である。だけど、自分でパーティー向けの準備をしなくて良いというのは、心の負担がすっと軽くなる。ここは、森さんにお願いしてみよう。
そして数日後。
招待状が届いて以降、相変わらず多忙な日々を送っていた私は、目の下に薄らとクマができていた。森さんは「れいの準備がありますから、定時で帰ります!」とか言ってすぐに居なくなってしまうし。お陰で、彼女のミスの片付けや展示会DM制作、プレスリリース作成やらにたった一人で追われていたのだ。毎日終電帰りとまではいかなくとも、元々盛り沢山の日常業務にイベント関連の仕事が重なると、体力的にも精神的にもダメージがある。私、なんでこんなに仕事がんばってるんだろう。なんて独り言が出るぐらいにストレスは溜まっていた。
でも、そんな鬱憤が綺麗さっぱり霧散してしまう程の奇跡が起きた。
金曜日の午後三時。場所は女子更衣室。隣に立つはドヤ顔の森さん。私はロッカーの内側についている細長い鏡の向こうを凝視していた。鏡の向こうには異世界が……って、そんなファンタジーが起きるわけがない。でも、でもね……!!
まるで、私じゃないみたい!




