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閑話・私の先輩

今回は、結恵の後輩である森雪乃ちゃん視点で語るお話です。

 お局様というには顔や言動が幼すぎるし、姉御と呼ぶにはカリスマ性が少なく頼りない。だけど、女でしかも年下の私でも守ってあげたくなるような可愛さをもっているのが私の先輩、紀川結恵さんである。


 本人は全く自覚がないようだが、私からすると本当に可愛らしい人だ。童顔な上に背も小柄。長めのボブとも言える髪は、申し訳程度に薄らと焦げ茶色に染めていて、どことなく小中学生的な雰囲気だ。初めてできた後輩には良い顔をしたいらしく、私と接する時には常に気合が入っている。だからと言って偉そうにはしないし、くるくる変わる表情は愛らしくて見ていて飽きない。そんなことから、私なりの敬意を込めて『のりちゃん先輩』と呼ばせてもらっている。


 私がのりちゃん先輩と出会うまでのことを少しお話しよう。


 私が経営企画部への異動を知ったのは、異動する三日前のことだった。光一くんがいる部署だ!と文字通り飛び跳ねて、頭の中には花畑が広がった。辞令の紙をうっかりグシャグシャにしそうになる程強く握りしめて、一人喜びを噛み締めていたのも束の間。これでも、一工程のチームリーダーを担っていた私は早速引継ぎ業務に奔走することになった。


 私が元々いたのは製造部。製造部は二階建ての巨大な工場内にあって、本社ビルとは全く異なる環境だ。工場特有の臭いが立ち込めて、低周波を伴う騒音は常時耳障り。夏は機械の熱が酷いからとても暑い。5Sとか言う安全管理の標語が壁の高い位置にポスターとして貼られていて、毎日定時前に一斉に掃除が行われている。だけど、どこからともなく日々土埃が舞い上がり、ここが決して心地よい空間ではないことを身をもって感じさせてくれる。給湯室なんて無いし、昼休みにゆっくりと座る椅子も無い。基本、仕事は全て立ち仕事だからだ。仕方が無いから、隅にあったゴミ箱や部材が入っていた空箱を椅子代わりにして、自宅から持ち込んだ水筒でお茶を飲む。仕事が終わると、汚れた長ズボンと爪先に金属の板が入った重い安全靴を脱ぎ、足を引き摺るようにして帰宅するのだ。


 製造部には誇りがある。


 本社にいる人達があんなに恵まれた環境で優雅に仕事ができているのは自分たちのお陰なのだと信じて疑わない。何しろ、自分たちがきちんとお客様に納める機械を製造しない限り、商売は成り立たないのだから。こんな悪質な環境に押し込められているけれど、会社で一番苦労し、一番偉いのは製造部だと私も周囲も思い込んでいた。


 そんな私が異動。それはそれは、カルチャーショックというレベルではない衝撃を受けた。


 まずは整然と並ぶたくさんのパソコンに、電話が鳴る音とそれに応対する人の声以外は静寂に包まれている広いフロア。恐れ多くも社長の席がとても近いし、もちろん自分専用の席まで用意されている。製造部の時なんてボールペン一本に至るまで誰かと共用していたけれど、経営企画部では私専用のハサミや定規、バインダーまで支給された。噂で聞いていた以上の待遇の差に、口が開いて塞がらない。


 けれど、何よりも驚いたのは仕事の種類と分量だった。私はのりちゃん先輩の下についてサポートすることになったのだけれど、覚えることが多すぎて頭の中の処理が追いつかない。


 それだけではない。かなり専門的な知識が要求されるのだ。私はのりちゃん先輩に教えてもらったサイトでグラフィックソフトの使い方について自習した。分からないところばかりで、のりちゃん先輩に質問ばかりする私。なのに先輩は嫌な顔一つせずに、全て丁寧に答えてくれるのだ。


 中でもウェブに関する仕事は難しい。のりちゃん先輩は学生時代にプログラミングの勉強もしていたのでとっつきが良かったらしいけれど、私には全て読解不可能な暗号配列にしか見えない。そんな技術的にも高い能力が求められているわけだけれど、正確さも同じぐらい重要だ。


 広報は、会社の窓口にあたる。発信する内容を少しでも間違えると、会社にとって商売における機会ロスに繋がったり、お客様の信頼を失ったりする。


 もっと華やかで気楽な仕事だと思っていた私は、本当に馬鹿だった。この経営企画部は製造部とは違って人が少なく、それぞれが別の仕事を専任していて、まさにその道のプロという風格がある。私もこれまでやっていた仕事には自信があるけれど、それよりもさらに一段階上の領域に彼らは立っているのだ。


 なんだ。偉いのは製造部だけじゃないんだ。


 難解な仕事をするからこそ、本社の人達はこれだけの恵まれた労働環境が与えられているにちがいない。そして、この環境の良さに甘んじず、常にスピーディーでハイクオリティな仕事の成果を残していかないと、ここでは生き残っていけないのだ。


 つまり、ここ本社二階フロアは静かなる戦場。そんな中、自分に自信がなくて、いつもどこか控えめなのりちゃん先輩は必死に持てる武器を磨き、駆使しながらたくさんの仕事(てき)に立ち向かう戦乙女。あらゆるところに地雷や核弾頭が埋まっているけれど、それを地道に処理しながら前へ前へと進む小さな後ろ姿は、たくましくて勇ましい。


 それに気づいてしまった瞬間、私は急に焦り始めた。


 まず、のりちゃん先輩に謝らなければいけない。私自身入社二年目の時に早速自分の下に後輩が入ってきて、何かと手を焼いた覚えがある。おそらく、私の態度には問題がある。何かの機会にちゃんと謝らないと……


 けれど、私はなかなか一歩が踏み出せなかった。光一くんのこともあったからだ。私はのりちゃん先輩のことを敵対視していた。でも忘年会を機に、私は全てを理解してしまった。光一くんとのりちゃん先輩。誰が見たって二人はお似合いだ。特に光一くんは、これまで私が見た事のないような柔らかな視線で、常にのりちゃん先輩を見守っている。私が入る隙なんて、一ミリたりも残されていなかった。


 まさか、長年の片思いがこんな形で散ってしまうなんて。でも、相手がのりちゃん先輩だからこそ、私はすぐに吹っ切れたのだと思う。私は、いつか光一くんを呼び込もうと企んで住み始めた一人暮らしのアパートを早速引き払い、実家へ戻った。そして、たまたま遊びにきていたお兄ちゃんの友達でもある営業の長瀬課長に愚痴を聞いてもらって……。その後は、まぁ、いろいろありまして。えへへ。一言だけ言わせてもらうと、この年の差は背徳感がたまりません。


 そんな何だかんだの末に、ようやくのりちゃん先輩の家へ押しかけることを決意したのだ。


 お正月は、予定よりも大人数で訪問してしまったけれど、ちゃんと光一くんは連れていくことに成功した。最後は部屋で二人きりにさせてあげたのに、どうやら何も起こらなかった様子。おかしいな。あの二人、枯れてるのかしら。少なくとも光一くんは、まだまだいけると思うのだけれど。


 やはり、見た目が問題なのだろうか。のりちゃん先輩はいつも俯きがちだし、とにかく地味。よくあのほぼスッピンの状態で毎日出勤できるものだ。だけど、磨けば光るタイプだと思う。けっこう化粧映えする整った顔だと思うんだけどな。



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