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童貞厨の侯爵令嬢は蟄居して美少年を侍らせたい!



 私、ベルーシェ・ミラ・シュルツヘンには前世の記憶がある。ニホンという国の取るに足らない女だった頃の記憶が。

 侯爵家の令嬢として恥ずかしくないよう教育を受けていた十歳のある日、我が国のとある風習に触れた瞬間に記憶が蘇ったのだ。


 その風習というのが、『貴族家子息は将来の妻を悦ばせるために、精通を迎えたら性教育(実践形式)を受ける』というもの。


 知った瞬間、私の魂に刻まれた本能が「んなこと許されるかー!!!!!」と叫んだ。

 非常に穴があったら入りたい思いではあるが、恥を忍んで告白すると前世の私……そしてそれに引きずられた今の私も、アグレッシブな童貞厨なのである。


 かつての友人は言った。「男の人にはリードしてもらいたいから、経験豊富とは言わなくても慣れている人が良い」と。それに対して私は童貞の初々しさや自分しか知らないという優越感を熱弁したが、なんと他の友人達も非童貞派ばかりだった。私に同意する人もいるにはいたが、あくまでどちらかと言えばの話で、好きな人だったらどっちでもいいと消極的だった。

 まあね。私も何が何でも童貞がいいとは言わないよ? でも、できることなら私が初めての相手がいいし、さらに言えば一生で私だけしか知らなければ最高だ。前世でお付き合いした男性(二次元三次元問わず)は、やはり童貞ばかりだった。


 それがこの国はどうだ?

 貴族子息は結婚する頃にはみんな遊びまくったヤリ◯ンと化しているのに、その結婚相手となる貴族令嬢は初夜まで純潔でいることを求められる。

 今まで男女平等を掲げたことなどなかったが、これだけは納得できない。

 男も! 初夜まで純潔を守れよ!!


 そしてその知識を身につけた私は、暇さえあればいかにして理想の男性と幸せになるかを考えるようになった。




 やがて十六歳を迎えると、侯爵令嬢である私にも婚約者があてがわれた。

 一つ年上で、伯爵家のオズワルド。目に痛いほど眩しい麦色の髪をしている我が婚約者様は、なんと女嫌いで有名な人物だった。

 その噂を耳にした私は飛び上がるほど喜んだ。女嫌い! それが本当なら、結婚するまで童貞のままでいてくれるかもしれない!

 童貞に飢えすぎていた私は、たったそれだけで彼に夢中になった。オズワルドのお母様がお茶会を開くといえば他の予定を全て蹴ってでも参加したり、柄にもなく可愛らしい便箋に香を焚き込めて手紙をかいたりもした。時間が空いたら積極的に屋敷に遊びに行った。



 しかし、ある日。

 いつものようにるんるんとオズワルドの家を訪ねると、使用人に申し訳なさそうに彼の不在を告げられた。これに関してはアポイントメントを取らなかった私が完全に悪い。よろしければお茶を飲んで行かれますかという言葉を丁重に断り、しょんぼりと馬車に乗り込むと、私の乗った馬車と入れちがう形で伯爵家の紋章が刻まれた馬車が門の前に到着した。

 もしかしてオズワルドが帰ってきたのか? それならば引き返そうと身を乗り出して様子を伺うと、思った通りオズワルドが降りてきた。喜んで声をかけようとした、その瞬間。

 見知らぬ巻き毛の女性が、彼に手を取られて馬車を降りた。

 心臓が止まるかと思った。その女性はオズワルドに腰を引き寄せられて、幸せそうに笑っている。彼女に向き合うオズワルドの表情は遠くてよく見えなかったが、口元が微笑んでいるのを確かに見た。

 婚約者である私と会うときですら、仏頂面のオズワルドが――。

 遠ざかる馬車から呆然と二人の逢瀬を眺めていると、確かに彼らがキスを交わすのが、私の目に映った。



 自分の屋敷に帰ると、無言のまま自室にこもり、枕に顔を埋めた。

 そのまま涙を零――さない。

 私は柔らかい枕に全力で拳を叩き込みながら、獣のような唸り声を上げた。


 女嫌いって、好きな女以外に限った話やったんか~い!

 こんな綺麗な寝取られ、あります~!?


 あの二人の間に漂っていたただならぬ雰囲気、あれは絶対そういう行為を知っているやつだった。おい。百歩譲って男であるオズワルドはまあ仕方ないが、あの誰だかもわからない女。お前は貞操を守れよ! 性教育係の高級娼婦じゃないんだから!


 私はその日、失恋の痛みよりもオズワルドが童貞ではなかった事実への怒りから発熱し、しっかり三日三晩寝込んだ。

 そして寝込みながら、今後の身の振り方について悩んでいた。

 例えオズワルドが理想とはかけ離れていたとしても、親に決められた結婚を台無しにするわけにはいかない。どうせ、オズワルドとの婚約を蹴ったところで、他の貴族令息もみんな非童貞だ。それなら変に騒ぎ立てて立場をなくすより、政略結婚なのだからと割り切って、黙って親に従う方がいいだろう。

 あーあ、どうせなら、オズワルドから婚約破棄してくれればな〜。愛する人は私以外にいるわけだし、案外ありえない話でもないんじゃない? オズワルドが幻滅する程度のヘマをわざとやらかして、婚約破棄の流れに持っていっちゃうとか、どうかな?

 まあ婚約破棄をされたからといって、自分で言うのもなんだが私の家柄はちょっとしたものだから、多少傷がついても他の貴族に嫁がされるのがオチだ。

 どちらにせよ貴族に嫁いでしまったら、まさか男のように愛人を囲うというわけにもいかないし、恋愛をしないまま一生を終えることになるのだろう。愛妾を持つことが暗黙の了解として許されている男性貴族が少し羨ましい。

 本当はシュルツヘン侯爵領のどっかの片田舎に引っ込んで、逆光源氏計画でもしたいものだ。


 結局現状維持という結論に至り、はあとため息をつきながら身を起こすと、変則的なノックの音が響いた。こんなリズムで叩く相手は一人しかいない。


「義姉さん、具合はどうですか?」

「ジェレミア! もう大丈夫だから、早く入っておいで!」


 大喜びで入室を許可すると、「すっかり元気そうですね」と苦笑しながら入ってきたのは、予想通り私の義弟のジェレミアだった。


 ジェレミアはお母様のお兄さんの息子……つまりは私の従兄弟にあたるのだけど、生まれたばかりの頃に両親を事故で亡くしてしまい、我が家の養子になった。その折にジェレミアが本来継ぐはずだった爵位は彼の叔父に譲り渡されてしまったが、私の実の兄がちゃらんぽらんなこともあり、お父様はジェレミアにシュルツヘン侯爵位を継がせるつもりみたいだ。

 お父様に似てパッとしない容姿の私と兄さんとは違い、ジェレミアは中性的でとても綺麗な顔立ちをしている。艶のある藍色の髪の毛も琥珀のような色合いの瞳もとても素敵で、すでに令嬢の間では人気が高い。

 それに何より私にとって重要なことに、ジェレミアはなんと十五歳である今も純潔を守っているのだ!

 私は記憶を取り戻してからというもの、ジェレミアに貞操を守ることの素晴らしさ、性病の恐ろしさをひたすら説いた。兄の洗の……説得は間に合わなかったが、そのせいで兄が性に奔放なアホになってくれたおかげで、反面教師にしたジェレミアは性行為は心に決めた人以外とはしたくないと言うようになってくれた。出来のいいジェレミアに甘い両親は、首を傾げつつも彼の意思を尊重し、性教育係をつけないでくれている。


 そういう経緯があり、さらにそもそも賢くも年相応な面もあるジェレミアと話すのが楽しくて、私はこの義弟をとっても可愛がっている。義弟でもあり、観賞用の美少年でもあり、また気の置けない親友のようにも感じていた。

 だから、今回私が熱を出した経緯についても、ジェレミアにだけはこっそり打ち明けてある。


「うん。もうすっかり回復したよ。身も心もね」

「でも、義姉さんはオズワルド様のことが大好きだったじゃないですか。そんなことを言っても、心の傷は癒えていないでしょう」

「うーん……。確かに、オズワルド様のお気持ちが他の方にあって、私のために純潔を守ってくれさえしなかったというのは、少し悲しいけど……」


 主に後者がね。

 オズワルドが童貞じゃなかった時点でもう気持ちは冷めているから、彼が誰を想ってようが、今は別にどうでもいいし。……傷つかなかったといえば、嘘になるけれど。

 優しいジェレミアは気遣わしげに眉を下げながら、「僕ならそんな思いはさせないのに」と甘い声で囁いた。そうだね、私の言葉を素直に聞き入れて貞操を守っているジェレミアなら、そんな不義は起こさないでしょうね。


「義姉さん、明日のお茶会は出席するんですか? オズワルド様のお母様が主催の」

「え? あ、ええ、うん。ずっと前に参加のお返事出しちゃったし、熱も下がっちゃったし」


 正直全く忘れてたけど、そういえばあったなそんなの。

 今まではオズワルドに会えるから喜び勇んで参加していたけど、さすがに今回はあまり気分が乗らない。かと言って、いずれ義母となる人の機嫌を損ねる勇気もないから、参加しないわけにもいかないだろう。

 気乗りのしない私の様子を察したのか、「明日は僕も一緒に行きますから」とジェレミアが安心させるように微笑んだ。

 うん。かわいい義弟が励ましてくれてるんだから、私がうじうじしてるわけにはいかないよね。

 私はジェレミアに向けて、「ありがとう!」と渾身の笑顔を返した。



*****



 そうして気合を入れてきたというのに、何がどうしてこうなったのか。


 もう来慣れた伯爵家の中庭で、オズワルドがこの前の女性を抱きしめて私を睨みつけている。息子が婚約者以外を抱きしめているのを目にした伯爵夫人は今にも気を失って倒れそうだ。伯爵夫人が招待したのだろう、数人の顔見知りの令嬢・令息方も突然の出来事に硬直している。そして私も御多分に洩れず、あまりの展開に唖然としていた。


「――あの、オズワルド様、今なんと?」

「とぼけるな! ベルーシェ、お前がアンナ嬢に度重なる嫌がらせをしていたのはわかっている!」

「ええええ……」


 わ、わかってるのかあ。それなら仕方ないなあ。

 冗談で場を和ませようにも、オズワルドの剣幕がそれを許してくれそうもない。

 嫌がらせも何も、私は彼女を四、五日前に初めて目にしたのだし、そもそもアンナという名前は初めて聞いた。服装からしてどこかのご令嬢であることは間違いなさそうだが、今まで私がお話ししたことは絶対にない、これは断言できる。

 それにアンナ嬢、オズワルドの腕の中で震えながら怯えて見せているけれど、目が爛々と光ってるから演技であることが丸わかりだ。


 必死に頭を働かせると、どうやら私は見ず知らずのアンナ嬢に嵌められようとしているらしい。

 らしい、が、婚約者のいる男性の腕に抱かれている恥知らずさとか、知り合いですらない私の犯行にするにはでっち上げるにしても無理がないかとか、色々と杜撰にもほどがあるだろう。それにオズワルドよりも私の方が家柄が上なのだから、私が本当にアンナ嬢をいじめてたとしても、私という婚約者がいながら他の女に手を出したオズワルドの方が明らかに責が重いのだ。私が憎むあの慣習は、別に浮気を推奨するものではない。だからこそ伯爵夫人もああして泡を食っているわけで。

 普段だったら真っ先に私を庇ってくれるであろうジェレミアも、呆れているのか背後で無言を貫いている。

 どう返せば穏便に収められるか悩みながら口元が引きつるのを感じていると、オズワルドは勝ち誇ったように私にビシ! と指を突きつけた。


「もちろん、俺とベルーシェ、お前の婚約は破棄させてもらう!

 ――加えて、立場の弱い者に嫌がらせをするようなお前は、由緒正しいシュルツヘン侯爵家に相応しくない。侯爵領への追放を、シュルツヘン侯爵に申し入れるからな!」


 途端、中庭にいた者たちがざわつき出した。伯爵夫人に至っては、今度こそ気を失って使用人に支えられている。


 領地への追放。それはつまり、王都から田舎への蟄居を意味する。普通だったら、こんな証拠もないようないじめで求刑されるような罰ではない。

 こんな不相応の罰則を求めたとあっては、伯爵家の立場はないだろう。だからこそ、この中庭全体に広がる動揺である。


 しかし、私はオズワルドの発想に深く感銘を受けていた。


 蟄居――なるほど、その手があったか!!


 アンナ嬢が反応を伺うようにこっちを見ていてなんか悔しいだとか、オズワルドは女性経験の少なさが災いして悪女に翻弄されてしまったんだな童貞の弊害悲しいとか、そういった思考は全てぽーんっと飛んでいった。それぐらい衝撃だった。

 諦めていた私の夢、田舎で逆光源氏計画が途端に現実味を帯びて輝き出す。

 私一人じゃこの方法は思いつかなかった、ありがとうオズワルド。この世界での初恋の人。貴方は純潔を失ってしまったけれど、童貞だった頃の貴方は貴族社会において誰よりも輝いていたよ。


 私が顔を上げ、ニヤリと笑みを浮かべると、オズワルドとアンナ嬢はその不気味さに後ずさった。

 息を吸い込み、高飛車に見えるように笑う。


「オワッハッハッハッ! バレてしまっては仕方ありませんなあ!」


 ――違う! これじゃ山賊のお頭だ!

 オホホ笑いの難しさにこっそり冷や汗をかくと、背後で吹き出す声が聞こえた。大根役者っぷりがおもしろかったらしい。ジェレミアが笑ってくれるなら、私も報われるというものだ。

 気を取り直し、無理矢理いわゆる「悪役令嬢」らしく見えるよう演技を続ける。


「確かに、オズワルド様に近づくそこのアンナ様へ嫌がらせをしていたのは私ですわよ。私は婚約者なのだから当然の権利ですわよねえ!?

 まず最初にアンナ様のお家へオズワルド様に近づくなと手紙を送りましたわ。ただの手紙ではありません! おどろおどろしい真っ赤なインクで書いた恐ろしい手紙を何通も送って差し上げましたわ! 後は……後は、うーん、後は……。後はボコボコに殴ってやりましたわ。アンナ様のお腹は私のパンチによって青痣だらけになっているはずよ!」


 ダメだ、私は役者にも悪役令嬢にもなれそうにない。嫌がらせのレパートリーも全然浮かばない。なんだよパンチって。絶対悪役令嬢やらないよそんなの。

 あまりの大根役者っぷりに、前庭は見事にお通夜ムードだ。ジェレミアが笑っている気配だけが私の心を支えてくれている。

 しかし、その下手な演技に騙されてくれる馬鹿がいた。オズワルドだ。オズワルドは顔を真っ青にして、アンナ嬢を抱き寄せる腕に力を込めた。


「なんて卑劣なんだ……、母さんのお茶会で嫌味を言われたとか、陥れられたとか、アンナが俺に訴えてきたことなんかよりよほど酷いじゃないか。そんな、口に出せないような酷いことをされていたのか?」

「あ、あー、そうですね……。されていたような、されていなかったような……?」


 アンナ嬢もさすがにちょっと引き気味だ。

 と、オズワルドの言葉を聞いて、今まで黙り込んでいた令息が、「あれ?」と声を上げた。


「伯爵夫人のお茶会には、そこのアンナ嬢は招待されたことはないはずでは? お見かけするのはこれが初めてですが……」

「「……!」」

「ヒッ!」


 私とアンナ嬢、二人の鋭い視線を浴びた令息は口を噤んで縮こまった。そう、あなた方はそこで成り行きを静かに見守っていればいいの。

 私は腰に手を当て、やや背を仰け反らせながらオズワルドを見据えた。


「まあ、オズワルド様の罰は甘んじて受けてやりますわ。ですが覚えていなさい。私は必ずこの王都に舞い戻ります。その時が貴様らの破滅の時ですわ! ワッハッハッハ!」


 ヤケクソで山賊笑いを披露しながら、私は踵を返してジェレミアを促した。ジェレミアはまだ口元をヒクヒクさせながらも無表情を取り繕い、立ち尽くしているオズワルドとアンナ嬢に優雅な動作で一礼する。


「義姉が大変ご無礼を致しました。我が侯爵家としての謝罪は、また後日改めてさせていただきます。義姉の処分に関しても厳正に行いますので、どうかご安心ください。それでは、失礼します」


 さすがジェレミア。侯爵家の立場を守るために、奔放な姉と出来た義弟の図を瞬時に作り上げた。まあ、事実もその通りなんだけどね。



 私はジェレミアと共に馬車に飛び乗り、一目散に家へと帰ると、両親に泣きついた。

 ただし、本当のことも先ほどのでっち上げのことも言うわけにはいかない。なので、「オズワルドに懸想する人がいることを知り、嫉妬から嫌がらせをしてしまった。しかしオズワルドにそのことが知られ、また私も罪悪感に耐えられなくなって婚約破棄を受け入れることにした。自分の欲深さに絶望したので、王都を離れ、どこかの領地で様々な人と触れ合うことで自らの性根を叩き直したい」と訴えた。お父様は最後までそこまでする必要はないと渋っていたが、背中を押してくれたのはお母様だった。


「何度言っても、ベルったら令嬢らしい言葉が身につかないんですもの。もしかしたら、この子は堅苦しい王都で華々しく暮らすよりも、もっと幸せになれる場所があるのかもって、ずっと考えていたの」

「お母様……」

「でも、もしこのお家に帰ってきたくなったらいつでもお戻りなさい。貴女が一番幸せになれる道を選ぶのよ」


 侯爵家令嬢という責任ある立場に生まれたというのに、私はなんて恵まれているのだろう。嬉しさと、それなのに私利私欲のために嘘をついてここを離れようとする自分の不義理さに、思わず少し泣いてしまった。お母様は微笑んで、そんな私の頭をずっと撫でていてくれた。



 見送りの日には、お父様とお母様とジェレミア、屋敷の使用人たちと共に、なんといつも女の家に入り浸っている兄さんまで別れの言葉をかけにきてくれた。別に全然嬉しくなんてないけどね? 非童貞の遊び人だし。


「それじゃあ、そろそろ出発しますよ」

「あ、ちょっと待ってください。義姉さん」


 御者の声を制止し、ジェレミアが近づいてくる。

 ジェレミアの綺麗な顔もしばらく見れなくなるかと思うと寂しいなあ。あっちに着いたら、早速逆光源氏計画に取り掛かろう。確か数人、まだ若い男の子の使用人がいるお屋敷みたいだから、さりげなくDTC(童貞チェック)を行わないと。

 なんて考えていることはおくびにも出さず、馬車から少し身を乗り出してジェレミアに顔を近づける。


「どうしたの?」

「しばらく会いには行けないと思いますから、義姉さんともう少しお話ししたくて」

「まあ! いいよいいよ! 少し出発を遅らせるから、馬車の中でお話ししよう」

「いえ、それには及びません」


 提案は柔らかく断られてしまった。少し残念。


「義姉さんには辛い出来事でもあったでしょうが、僕はオズワルド様との婚約破棄、あれでよかったんだと思っています。義姉さんのために操を立てられないような、ましてや他の人に夢中になるような人に義姉さんを渡さずに済んだんですから」

「ああ……、うん、そうね。結局はオズワルド様ともアンナ様とも、こうすることで利害が一致したんだし。今はもう綺麗さっぱり、関係ごと水に流せればいいなあと思ってる」


 ただ、今回の婚約破棄によって、浮気していたオズワルドはともかく、幾度となく訪問して世話になった伯爵家に迷惑がかかる可能性を考えると少し心苦しい。あのお茶会にいた人たちには三文芝居がバレているし、その噂が広まって伯爵家が悪く言われるようになってしまったら後味が悪いなあ。

 そう零すと、ジェレミアは安心させるように「僕がうまくとりなしますから任せてください」と微笑んだ。まだ十五歳だというのに、ジェレミアの微笑みを見るとこの義弟に任せれば大丈夫だと思ってしまうのだから、底が知れない。


「でも、ジェレミアは私が本当にアンナ様に意地悪をしていたかもとは疑わないのね」

「義姉さんがそんなことするはずないって、わかってますから。それに義姉さん、手紙を送ろうにも、アンナ様の姓も知らないでしょう?」


 姓どころかあの場まで名前すら知らなかった私としてはぐうの音も出ない。ジェレミアは私の大根芝居を思い出したのか、少し肩を揺らして笑った。

 笑いが収まると、ジェレミアは周囲にさっと目をやり、声を潜めて私に囁きかけた。


「義姉さん。義姉さんの理想の人は、妻のために貞操を守るような一途な人なのでしょう?」

「う、うん。そうね」

「例えば、僕みたいな?」

「そうね。ジェレミアみたいな人と結ばれれば、それはとっても幸せだと思う」


 普段とは違う様子の義弟の雰囲気にドギマギしつつ、動揺を押し隠して答える。

 私の返答を聞いたジェレミアは、安心しきった甘くとろけるような笑顔を浮かべ、私の左手をとった。


「僕、きっと兄さんを侯爵に相応しい人間に更生させて、義姉さんを迎えに行きます。だから義姉さん――浮気しちゃ、嫌ですよ?」


 そう言うと、ジェレミアは私の手の甲に口付けるふりをして、左手の薬指を軽く食んだ。


「っっっ!?」

「それじゃあ義姉さん、時間を作って絶対に会いに行きますから。……パウロ、もう馬車を出して大丈夫!」

「へい!」


 素早く馬車から距離をとったジェレミアの声に応じ、御者のパウロが馬に鞭を入れる。何もなかったかのような笑顔で他の見送りと一緒に手を振るジェレミアを直視できないまま、私はぎこちなく手を振り返した。

 ……顔がひどく熱い。遠ざかっていく私の顔色まではあちらからは見えないだろうけど、なんだかジェレミアに見られている気がして慌てて手で頰を覆う。すると左手の薬指にうっすらと歯型がついているのを見て、またさらに熱が上がった。

 さすがにあんなことをされて、ジェレミアの気持ちに気づかないほど鈍くはない。

 ジェレミアって、もしかして。

 私が思っていたよりずっと、熱烈な(たち)の男の人なんじゃない……?


 ジェレミアが会いに来てくれる日が待ち遠しいような、来ないでほしいような。

 複雑な胸中の私を乗せたまま、馬車は侯爵領を駆け抜けていった。





 やがてたどり着いた屋敷は私にとって宝の山で、調子に乗って逆光源氏計画を押し進めようとしたところを訪ねて来たジェレミアに見つかり、また一波乱起こるのだが……それはまだまだ先の、未来の話。



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― 新着の感想 ―
[一言] すごく面白かったです!
[一言] 面白かったです。
[良い点] 主人公の性格と貴族らしくない掛け声が私のつぼにきました。「オワッハッハッハッ!」と「ヘイッ」に腹がよじれました。 [気になる点] 主人公の逆光源氏計画が気になります。一体何をする気なのか・…
2017/11/09 11:44 退会済み
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