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ひとでなし≒かみさま  作者: 夏みかん
第5話 邪神降臨
9/20

前編

日本企業の中国進出により新たに工場が建てられた。町というにはかなり寂れた場所に建てられたこともあって、周りには大した設備もなければ住宅地らしきものもない。ただ、この近辺の開発のさきがけとして作られただけのことだ。大きめの社員寮や社宅も建てられることになっており、ほとんどこの企業の工場しかない状態から開発はスタートする運びになっていた。広大な工場の敷地には4階建ての建物が6つ並び、さらには巨大な倉庫のような施設も4つあった。そして『それ』はその倉庫を建てる際に掘り起こした土の中から発見されたものだという。それは手のひらに収まるほどの小さな黒い箱、それもただの箱ではない。複雑に絡み合った木の棒と金属を組み合わせて作られた箱だった。誰がどうやっても箱は開かず、そもそもどうやって開けるものかもわからない。ただ、パズルのようなその箱は開けようとした者に災いをもたらした。1人は建設途中の建屋から落ちて両足を折り、1人は倒れてきた足場の下敷きになって大怪我を負った。とにかく、大小様々な災いが降りかかるその箱はいつしか呪いの箱と呼ばれるようになった。工事の責任者が箱の存在を日本の本社に連絡したところ、それに興味を抱いた社長の指示で箱は日本に持ち込まれることとなった。そんな社長も夢中になって箱を開けようとした結果、交通事故に巻き込まれて下半身不随の身になり、車椅子の生活を余儀なくされたのだった。呪いの箱の力をまざまざと見せつけられた社長は古い知人である科学者にその箱の解明を依頼した。科学者の名は未生零次みしょうれいじ、日本でも有数の物理学者である。零次はあらゆる科学力を使って箱の中身を見ようとしたがことごとく失敗し、また、人間だけでなく機材にも影響を及ぼすその呪いの力に驚愕した。仲間も大小あれど怪我をする者が続出し、本気でお祓いをしようかと悩んでいたときに息子が肝試しで不思議な体験をしたことを知る。それと同時に霊的な力を持った少年の存在も。一切の超常現象を信じない息子とは違い、零次はそれらもまた確かに存在するといった考えの持ち主だった。科学がダメならば霊的な力をもって解明する。そう考えた零次は息子を使ってその霊能少年にコンタクトを取るように告げた。この箱を開く、ただその思いだけを胸に。



今日の夕食はすき焼きである。夏のど真ん中、8月の頭に何故こんな熱いものをと思う司だったが、信司が奮発した高級な牛肉は実に魅力的であり、文句など言えない。ただ、同じ食卓を囲むメンバーにかなりの不満はあったが、それもあえて口にはしなかった。


「いやぁ、こんないいお肉、いいんですかぁ?」


普段では絶対に聞くことが出来ないような甘えた声だが、そんなことなど知らない信司は満面の笑みを返した。


「いいよいいよ!いやぁ、女の子が多いと華やかでいいねぇ!」


そう言って両脇に座る裕子と万里子に満足そうな顔をする信司を冷たい目で見る司は鍋へと視線を戻した。


「そうですか?」

「そんなことないですよ」


裕子と万里子の猫撫で声にさすがの凛も苦笑する。今朝、凛に泊まりに行くと告げた裕子は万里子も誘い、信司の許可を得てこの神手家に来ていたのだ。総勢6人で大きな鍋を囲む。しかも周りは年頃の女の子となれば信司のテンションも最高潮に達していた。


「はい、できた」


凛が鍋を確認してそう言い、みんなが一斉に箸を伸ばす。真っ先に牛肉に手を伸ばそうとした司の手を押さえた信司は裕子と万里子に先にそれを取らせた。


「親父!」

「お客第一!」

「ってか、それなら俺のタイミングも凛や美咲と同じにしろよ!」


結局裕子たちが牛肉を取れば、凛と美咲も同じようにする。裕子はそんな司をよそに信司の器にも肉を運び、完全に営業スマイルを振りまいた。


「お、すまないね」

「いえ」

「お前、そんな性格じゃなかったろ?」


ようやく開放された司がほとんどなくなった牛肉を取りつつ裕子にそう毒づく。


「そこいらにいる犬の霊に憑かれたくせに」

「えー?わかんない・・・覚えてないし、でも怖かったしぃ」


とぼける裕子に眉をぴくぴくさせた司は野菜も取ると、ほとんど一口分しかない肉を食べた。さすがの凛も裕子のぶりっ子にはうんざりしつつ万理子を見れば、こちらも牛肉を食べて満足そうな顔をしている。


「凛、肉足して!」

「はい」


司の言葉に凛が肉を足していく。やりとりからしてまるで夫婦のようにしか見えない。


「完全に夫婦だね」


そう思う裕子とは裏腹に、実にストレートな言葉を発する万理子に凛があたふたするが、司はふくれっ面をしたままだ。


「ところでさ、裕子さんたち、どこで寝るの?」


美咲が口をもごもごさせながらそう聞くと、鍋に具を足した凛がそれに答える。


「私の部屋だよ」

「えー、もう一個空いてる部屋でみんなで寝ようよ」

「でもあそこ、クーラーないでしょ?」

「玄関で寝ろ、玄関で!」


悪態をつく司は完全に無視され、美咲は何かを考えるようにしてみせた。


「リビングなら、テーブルとソファをどけたら4人で寝られるよ」

「あー、それはいいんじゃないか?あとで俺がセッティングしてあげるよ」


美咲の提案を受けた信司の言葉に微笑む裕子と万理子をよそに、凛は嫌な予感がして仕方がなかった。4人が一緒となれば、大抵する話は自分と司のことに関してだろう。身近にいる美咲の言葉も裕子にすれば大きな収穫になるのは間違いない。そしてそれは凛にとっては大きなダメージになりかねない。


「アホくさ」


司はそう言うと立ち上がり、ご飯をおかわりするために移動した。


「凛、お茶入れといて」

「あ、はい」


いつもの会話なのだが、家族というよりはもう完全に夫婦だ。万理子と裕子は目で会話をするとニヤリと笑った。そんな2人を見た美咲も小さく微笑む。今夜は美咲にとっても楽しい夜になるのは間違いない。


「ところで明日、どこに行けばいいわけ?」


ご飯を入れた司が凛の置いたお茶のコップを見つつそう聞いた。そう、明日は来武らいむの父親がいる研究室に出かけることになっている。呪いの箱について調べるのに付き合うのだ。昼間凛がその話をしたところ、予想通り司は食いついてきた。面白そうだと言う司をよそに、凛の不安は大きかった。また司が危険な目に遭うのではないかという不安。何より、昼間に出会った不思議で不気味な老人の言葉も気になる。司が死ぬと言った予言のような不吉な言葉は凛の中にずっと残っているのだ。もちろんそれを司に話したが気にすることもなく、あっそで終わっている。


「千葉の大学の研究室だよ」

「でも呪いって・・・怖いよね」


万理子の言葉に凛も頷いた。司はそんな万理子を見つつご飯を食べている。


「呪いって?」


信司の言葉に裕子がそっちを見た。信司にはまだそのことを話していなかったことを思い出し、裕子は簡単ながら箱のことについて説明を始めた。中国で発掘された木と金属を複雑に絡み合わせた箱を開けようとした者がみんな怪我をしているということを。そしてそれを同級生の父親が科学の力を駆使して開けようとしていることも話して聞かせた。司を必要とする理由もそこから推測される。


「箱を開けようとすれば怪我を、ね」


信司はそう呟くと缶ビールを口にする。珍しくどこか苦い感じの信司の表情が気になった凛が司を見るが、司は万理子と肉の奪い合いをしていた。


「箱の中の呪い、ですかね?」


裕子はネットで見た怖い話の中にそういう箱の話があったことを思い出していた。呪いを込めた箱を相手に送るだけで死をもたらす箱。そういう話は日本のあちこちで囁かれている伝説でもある。


「今でそうなら、開けたらどうなるんでしょう?」


美咲の援護を得て司から肉を勝ち取った万理子の言葉に、信司は再度ビールを口にしてから言葉を発した。


「呪いが箱の中にある場合、開けようとすればその中の呪いが漏れて災いが降りかかるというのはあるね」

「だが、逆に開けさせないために災いを呼ぶってこともあるんだろうさ」


信司の言葉が終わるや否や、司はそう口にした。豆腐を食べつつ鍋を見れば、全員が自分に注目している。


「開けさせないためにって?」


凛の言葉はどこか震えていた。中の呪いが開けようとした者に被害をもたらすのはわかる。呪いとは本来そういうものだからだ。だが、開けさせないためにその相手に危害を与えるとなれば、その中身は宝か、それともそうまでして開けさせないほどの災いか。


「開けたら大変なことになるから、災いを与えてそれを阻止する。人が呪いで死んでいないのなら、その可能性もあるってこった」


そう、箱を開けようとした者に降りかかる災いはその人の命まで奪っていない。箱に執着した人が半身不随になったとは聞いているが、それ以外は骨折がほとんどだ。


「ま、明日が楽しみだ」


そう言ってにんまり笑った司は全員の動きが止まっている今がチャンスとばかりに肉を確保する。


「あんた!それが狙いか!」


本性を見せた裕子が司を睨むが、あわててしおらしい笑みを浮かべる。酔っている信司はそんな裕子にも笑顔を振りまき、万理子はご飯を食べる。凛は不安そうな顔を司に向けるが、司は満足そうに肉を食べるのだった。



トイレから出た司は風呂場へと向かう裕子と凛を見やった。どうやらこのコンビの後で万理子と美咲が一緒に入るようだ。普段から長風呂である凛と美咲に加え、この2人も一緒となれば自分の番は随分先になるだろう。夏場は大抵シャワーで済ませる司は先に入っておけば良かったと思いつつ階段へ向かえば、裕子に呼び止められて立ち止まった。振り返ると裕子が近づいてきた。


「一緒に入る?」

「俺はいいけど、狭くなるぞ」

「ちょ、ちょっと裕子!」


突然何を言い出すんだとばかりにあわてて近づく。そんな凛を見た裕子はニヤッと嫌な笑みを浮かべた。


「いいじゃん、もう裸は見られたも同然だし」


肝試しでの浄霊のことを言っているのだと分かるが、それとこれでは意味が違う。


「なんなら洗ってもらおうかな・・・素手でさ」


その言葉に凛は冷たい目で裕子を睨み、司は首を傾げた。


「素手?なんで?」

「あー、もう!司君は部屋へ行く!」

「え?でもさ、一緒に・・・」

「入らない!」


グッと顔を近づけた低い声にさすがの司も少したじろいだ。こういう時の凛は恐ろしい。悪霊よりも恐ろしく、そしてたちが悪いのを知っている。以前こういう感じになった時には自分の嫌いなものばかりを夕食のメニューに出されている。


「わかった」


司はそう言うと不満そうに階段を上がった。


「誘ってきたのはそっちなのになぁ」


ぶつくさ言いながら部屋に入った司を確認した凛はへらへら笑う裕子を睨みつけた。


「もう!何考えてるんだか!」

「あいつは私の胸を見たからさ、だからこっちも見てやろうかなって、アレをさ」


その言葉に凛は赤面し、裕子の腕を引っ張って風呂場に向かう。


「あんたは当然見たことあるんでしょ?」

「なっ!あるわけないでょう!」


ますます赤くなる凛を見るのが楽しくて仕方がない。


「まったく、純情すぎんのよ、あんたは」

「そう言う裕子が擦れすぎなの!」

「あー、ま、私はあんたと違って経験済みだしね」

「関係ないっ!」


脱衣所に入って鍵を閉め、今夜のことを思った凛は外まで聞こえる大きなため息をつくのだった。



司がシャワーだけの風呂から上がったのは午後10時を回っていた。予想よりは早かったとはいえ、いつもに比べれば相当遅い時間だった。風呂上りにジュースでもとキッチンに向かえば、頭の中というか、部屋の中に美咲の声が響いた。


『みんなの分も持ってきて』

「あぁ?自分で来いよ!」

『まってまーす』


霊力をまるで携帯電話のように使いこなす美咲に感心する裕子たち。司は悩んだが、持って行かないとずっと霊力を使って頭の中に文句を言ってきそうだと思ってため息をついた。美咲の能力に関する話題で盛り上がるリビングの女子たちにペットボトルのオレンジとコップを運んだ司は冷たい目を4人に浴びせるとさっさと行ってしまった。


「なんだかんだで優しいんだね?」


それを部屋の真ん中に運ぶ万理子の言葉に凛は頷き、美咲はにんまりと笑った。


「凛が惚れるわけだ!」

「わけだね!」


裕子の言葉に追従する形で美咲がそう言った。ため息をつく凛が懸念したとおり既に美咲は裕子に汚染されつつある。すっかり意気投合していることもあって今日の夜は長そうだと覚悟を決めた。


「でもさ、美咲ちゃんも凄いよね。肝試しの時も助けられたし」


裕子の言葉に胸を張り、得意げな顔をしてみせる。


「ふっふーん!これはお兄ちゃんにもない力だからね!」

「でもさ、それってそういう力がある人にしか声は届かないの?」

「んー、私がよく知ってる人ならOKだよ。今じゃお姉ちゃんにも出来るね」


そう言う美咲に驚いた顔をする凛だが、美咲はにんまりと笑うだけだった。だがその笑顔はすぐに消え、真剣な顔に変わった。


「でもさ、お姉ちゃんも本当は凄い力を持ってるのかもしんないけどね」

「え?」


そう言われてもピンともこない。霊感というものもなければ霊圧も霊力もない。勘が鋭いこともなければ危険を察知することもない。そんな風に思っていると美咲がじっと凛を見つめた。


「今はないんだけどさ、時々すごい、なんていうか虹色みたいな綺麗なオーラが見えるんだよね」


その言葉に昨日出会ったあの黒いスーツの老人の言葉を思い出した。あの不思議な老人も同じようなことを言っていた。そして不吉な言葉も。凛は少し難しい顔をしながら俯き加減になる。司が死ぬと予言したあの老人は一体なんだったのか。死神か、あるいは霊的なものか。


「お姉ちゃんはお兄ちゃんが好き」


美咲の突然の言葉に凄まじい速さで顔を挙げると、突然何を言い出すんだという表情で美咲を睨んだ。


「あ、出た」

「な、何が?」

「七色オーラ」


美咲は凛を指差すが、裕子にも万理子にもそれは見えない。


「今みたいにお姉ちゃんがお兄ちゃんを意識したときにだけ出るんだよね」

「フー!」


美咲がそう言った瞬間、裕子と万理子が冷やかしの声をあげた。一気に赤面し、じとっと美咲を睨む凛。


「でもなんでかな?他の人にはないんだよ。多分、前世の因縁かなとか思ったり」


美咲は腕組みをするとあぐらをかくようにしてみせた。前世の因縁と聞いた裕子はますますニヤニヤし、万理子は興味津々の顔をする。凛はまだ顔を赤くしたままだが、それに関しては興味が沸いてきていた。


「前世って?」


裕子の質問に美咲は3人を見渡してから説明を開始した。


「声が届けられるぐらいの関係になったらさ、イメージとして伝わってくるんだよ。その人の前世とか、そういうものが」


相手から送られてくる映像のようなものが頭に浮かび、美咲はそれが前世だと認識する。それは意図的には出来ずに突然頭の中に浮かんでくるのだと美咲は言った。ただ、ずっと仲のいい友達の中でも見える子と見えない子がいるらしく、どういう理由でそれが見えるのかは本人にも分かっていない。司によれば、極限まで高い状態である美咲の霊力が相手の霊力を最大に感じた時に同調されたイメージとして浮かぶのではないかと言っていた。


「で、前世の因縁って?」


最早興味はそこにしかない裕子が美咲に絡むようにして引っ付いた。凛はそんな裕子をじとっと睨むものの、自分としても興味は尽きない。


「お兄ちゃんの前世は今と同じなんだよね。凄い力を持った祭司なんだ」


つまり、前世の力をそのままに生まれ変わったのか。そう考える凛だが、もちろん答えなど誰にも出せない。


「んで、お姉ちゃんは巫女さんなんだよ。今みたいななんちゃって巫女さんじゃなくて、本物の、占いしたりお祓いしたりする力を持った」

「要するに、神手が祭司でその補佐をしていた巫女が凛ってこと?」

「んー・・・繋がりまでは見えないけど、これは私の勝手な考えだけどね・・・お兄ちゃんとお姉ちゃんは前世の恋人同士で、結ばれずに終わったんだと思う」


繋がりが見えないというわりには妄想が過ぎる。そう思う凛だったが、前世からの因縁で結ばれたと言われて悪い気はしない。ただ、結ばれなかったというのが気になる。


「なんていうか、両方の共通イメージが似てるんだよね。2人とも何かを封じた。んで、それが原因で死んだ」


その言葉に万理子はゴクリと唾を飲み、凛は難しい顔をする。裕子は何かを考えるように腕を組んだ。


「その封じたものに殺されたってこと?」

「んー・・・そこまでは・・・でも、お姉ちゃんのオーラはお兄ちゃん好き好きオーラってわけじゃないんだよね・・・お兄ちゃんを想うと出るんだけど、守ろうとしているっていうか・・・上手く言えないなぁ」


腕組みをして困り顔をする美咲を見るが、自分ではそういう記憶もなければ夢でも見たことはない。司と出会ったことは偶然だが、それが運命だとは思っている。だからといってそれが前世からの運命かと言われても、それは違うと言える。司に出会って恋をしたのではない。司の人柄に触れて好きになったのだから。


「でも、なんかいいなぁ」


万理子はどことなくうっとりした顔で凛を見つめていた。


「前世での悲恋を生まれ変わって、なんて・・・」

「でも今でも悲恋街道まっしぐらじゃん」


裕子の辛らつな言葉に夢を壊された万理子は不満そうにし、凛は苦い顔をする。そう、美咲の言うことが本当で前世で自分たちは結ばれず、生まれ変わって再び出会った。だが、出会った時には司の心は壊れている。愛という感情を失って。つまり、2人は永遠に結ばれることのない運命なのかもしれないのだ。それにあの老人の言葉もある。凛の不安は尽きなかった。


「しっかし前世の因縁か知らないけど、神手を想うと出るオーラか・・・」

「な、なによ・・・」

「あんたが神手を想って夜な夜な悶々としてたら、美咲ちゃんにはバレバレなんだ?」


嫌な笑みを浮かべる裕子の顔はまるで悪霊にしか見えない。凛はそんな裕子を無視してジュースを飲み、万理子もまた同じようにコップを手にする。


「でも時々あるよ・・・もうね、明るくて目が覚めるぐらいの時が」


その言葉にジュースを吹きそうになった凛は咽たせいもあって顔を真っ赤にしてコップでそれを隠そうとする。万理子はそんな凛を見てニヤニヤし、裕子は悪魔のような笑顔を浮かべていた。


「ほう・・・そんなになるほど何してんだかね」


裕子の言葉にそっぽを向けば、そっち側にいた万理子もニヤリとしている。凛はもう開き直り、コップを置くと知らん顔をしてみせた。


「要するに、凛は相当エロいってことね」

「ですね」

「だね」


3人の視線を一身に浴びた凛は全身を赤くしながら背を向けた。そんな背中に飛び掛った裕子の攻撃によって体を触られ、万理子と美咲もそれに加わった結果、凛はほとんど裸に近い状態で息も絶え絶えになるのだった。



結局夜中まで騒いでいた4人だったが、目覚ましの音でしっかりと起きていた。司も既に起きていて、今日の当番ということで朝食の準備を進めている。この大人数の時に当番になった身を呪いつつもパンを焼き、卵を焼いた。その手際の良さに珍しく裕子が素直に褒め、万理子の印象も上がっている。そうしてわいわい騒ぎつつ朝食を取り、出かける準備をした。裕子は美咲も誘ったが、嫌なものが見える場所には行きたくないと拒否をする。凛は未来にも声をかけようと提案するも、家族旅行中だということでそれも断念となった。そうして駅で来武と待ち合わせをしている時間も迫る中、背中に長細い物を持った司が靴を履く。3人ともそれに目が行くが、凛はそれが魔封剣だと認識して驚きの顔をしてみせた。それを持ち出さなければならないほどのものならば、その呪いの箱はかなり危険なものということになる。


「つ、司君・・・それ・・・」


どこか震える声を出す凛を見た裕子と万理子もその異様なものに注目するが、司は涼しい顔をしていた。


「あー、これ?最悪さ、箱が開かないならぶった切ってやろうと思ってね」


そう言ってにんまりと笑う。肝試しの時は持って行くことを渋ったというのに、どれだけ箱に興味があるのかと閉口してしまう。とりあえず家を出た4人は裕子のその剣に関する質問を話題にしながら駅へと向かった。


「おはよう。時間どおりだな」


時計を見ながらそう言う来武を来武らしいと思う面々。来武は凛を見て少し表情を曇らせるが、凛は普通に振舞った。あのキャンプ以来、どこか気まずいのも仕方がない。凛は来武を振り、来武はそれでもまだ凛を好きでいる。裕子はそんな2人の様子からそれを一瞬で見抜く。凛からは何の報告も受けていないが、それは2人の問題であることからして当然だとも思う。そうしながらもそれぞれが切符を買って電車に乗り込んだ。凛と裕子が並んで座り、万理子と来武がその前に座る。司は魔封剣を携えたままドアのところに立ってぼうっと外の景色を眺めていた。


「なんなんだ、あの荷物は?」


座っていながら場所的に司が見える来武は司とは一切口を聞いていない。そんな気にならないのも無理はないが、せめてそこは男らしく常識的であって欲しいと凛は思う。そういう部分も好きになれないのだ。


「魔封剣っていって、悪いものを斬れるみたいよ」

「うさんくさい」


吐き捨てるようにそう言うと凛を見つめる。凛はそんな来武から視線を外した。どうしてだろうか。中学の頃から仲はいいが、好きにはなれない。恋愛感情もなく、友達として深い関係にもなれない。本能的に何かがブロックしている、そんな感じがしていた。昨日の話もあって前世で何か因縁でもあったのかと思うが、それはさすがに昨夜の美咲の話の影響を受けすぎていると思う。実際、そんなことを感じたこともないのだから。ただ、本当に自分と司はそういう因縁で結ばれているのだろうか。前世で叶わなかった想いを生まれ変わって添い遂げる。けれど司の心は壊れていて、それもまた叶いそうにはない。凛はため息をついて窓の外へと顔を向けた。


「オーラ、出てまっせ」


耳元で囁く裕子の声に驚いた顔を向ける。少々赤い顔が図星だと証明し、裕子は小さく微笑んだ。


「嫌な言い方」

「でも大当たり!」


その言葉に苦笑する凛を見つめる来武は司へとそれを向ける。湧き上がる憎悪のような嫉妬。初めて会った時から気に入らない存在だった。超常現象を否定する自分の信念を打ち砕き、自分の恋心さえも打ち砕いた憎むべき存在。そんな司に一泡拭かせるチャンスが今日だと思っている。開けない呪いの箱を自分の父親が開く。いや、自分が開いてやるのだ。科学の力を論理的に駆使して箱を開き、司の力を否定する。来武はそれを想像してニヤつき、裕子はその笑みを見て気持ちが悪くなるのだった。そうして2時間、千葉につけば来武の父親がいる大学は駅のすぐ近くだった。まずは大学の構内で軽く昼食を食べる。約束の時間は1時であり、まだ時間的に余裕があるからだ。結局来武と司は会話をせず、凛と来武はそこそこの会話をした。時々司はぼーっとしていたが、だからといって何かを言ったりしたりすることもない。凛にしてみればそれこそどこか不気味に感じられていた。そうして時間になり、5人は研究室に向かう。7階建ての5階の奥に位置するそのドアの前に立った時、司と来武が同時に表情を曇らせるのを見た凛は自分の中の不安が一気に大きくなるのを感じた。来武がノックをすれば、少しの間を置いて中からドアが開いた。


「よく来たね」


そう言って迎え入れてくれたのはスタッフの1人である山本だった。5人は山本に促されて部屋に入り、その施設の凄さに目を丸くした。奥のテーブルの上には複雑な機械がいくつも置かれている。周囲にも大きな機械があって黒いコードが縦横無尽に走っている。その機械の向こうから背の高い男性がにこやかな笑みを浮かべて近づいてきた。


「こんにちは、皆さん。未生です。来武がお世話になっています」


そう言って微笑んだ来武の父、零次に全員が挨拶をした。来武の父親ながら穏やかな空気を持っている。そんな零次は部屋を見渡すようにしている司の前に立った。司も零次を見上げるようにしてみせる。


「君が噂の霊能少年ですかね?」

「そう。神手司」

「ふむ。聞いていた印象とは随分違うね」


そう言って来武を見る零次だが、来武はすでに箱のある方しか見ていない。そんな来武に苦笑する零次は全員をそこへと案内した。


「これが問題の箱だよ」


白い機械の台に置かれた黒い箱。それはいくつもの木の棒と金属が複雑に絡み合ったようなパズルで出来た箱だ。裕子はネットなどでよく見る呪いの箱の話に出てくるものと似ていると思う。全員がまじまじとそれを見つめる中、司は箱ではなく来武を見つめていた。今日会った時から気になっていることがある。それは以前にはなかったごく僅かな霊圧の乱れ。今までの来武には無いはずのその乱れがどうにも気になっていた。だが、それが悪いものかと言えばそうではない。乱れは気になるが、霊圧自体に問題はないのだ。ただ、それが違和感を植えつけていた。


「何か見えますか?」


零次の言葉にそっちを見て、それから箱を見た。


「俺の言うことを真に受けるんですか?」


司にしては珍しく敬語を使う。


「どのような意見もみな真実だよ。それらを総合し、よりよい結果を導く。論理的且つ合理的に」

「へぇ・・・誰かとは違って共感できるね」


そう言って来武を見れば、来武は殺意のこもった目で司を見やった。そんな来武の腕を掴んだ凛にそちらへと目をやった来武は自分を咎めるようなその視線に苛立ちつつもここは堪えた。司は箱に近づくとそっと目を閉じる。そしてそれを開ければ、瞳は金色の輝きを持っていた。それを見た零次も驚くが、何も言わない。全てを記録し、ビデオに収めてした山本もまた驚いた顔をしていた。


「積層形多重結界」

「なに?」


難しい言葉を早口で言った司に怪訝な顔をした来武がそう聞く。そんな来武を見ることなく、司は箱をじっと見つめたまま目を細めるようにしてみせた。


「組み合わせた木が全て結界なんだ・・・金属は・・・それを支える支柱みたいだな」

「どういうこと?」


裕子の言葉に司は箱に顔を近づけながら説明を続ける。


「中に何かを封じた丸い小さな石みたいなのがあるな。それを守るために念を込めた木を組み合わせ、さらに念そのものみたいな金属の棒でそれを支えているんだ」

「ってことは・・・」


裕子は凛を見つめる。昨日司が言った通り、この箱は中に何かを封じ、それを開けようとする者に罰を与えているということか。


「つまり、開けられない、と?」


零次の質問に頷くが、引っかかることもあった。


「中にいるものは人の魂みたいな感じだ・・・それに同調する者なら開けられるかもしれないけど」

「けど?」


そこで言葉を切った司に不安を覚える。凛は本能的にこの箱を開けてはいけないと感じていた。中にいるものを開放していけない、自分の中の何かがそう訴えている。


「けど・・・中身は相当邪悪なものだよ」


そう言った司の瞳が黒くなる。ふうと息を吐いて少し下がると空いている椅子に勝手に座った。零次は腕組みをして箱を見つめ、来武はそんな父親を見る。万理子は裕子の腕にしがみつき、裕子は不安そうに箱を見つめる凛を見ていた。


「箱を開けようとすれば結界がその人に警告を促す。でも伝わらないから実力行使をするんだ」

「開けさせないために?」


零次の言葉に頷いた司は近くにあった難しい本をぺらぺらとめくった。中身はさっぱりわからない。


「そうなると、ますます知りたくなるのが科学者のさがだな」


薄く笑った零次を見やる司だったが、何も言わずに本を置く。椅子から立ち上がり、来武の横に立った。


「開けられるとしたら、あんただけだよ」


その言葉に全員が来武を見やった。来武は怪訝な顔を司に向けるが、司は真剣な目をしている。零次が今の言葉の意味を聞こうとした瞬間、司が箱を見たためにそれを飲み込んだ。


「こいつの波動はあんたの魂にシンクロしてる。あんまりそういうのは信じちゃいないけど、前世の因縁が箱の中身と関係あるんじゃないか?」


前世という言葉に凛たちは顔を見合わせた。昨夜そういう話をしていただけにタイミングが良すぎるとも思う。


「霊能者のくせに前世を信じないとはね」

「あんたもそうだろ?」

「むかつくが、それには同意する」


珍しく意見のあった2人だが笑顔はない。


「つまり、俺の前世は邪悪だったってことか?」

「いや、因縁の話だ・・・美咲なら詳しくわかったんだろうけどな」

「因縁、ね」


そのそも前世など全く信じない。そんなものは占い師や霊能者が都合よく自分を信じさせるために使うまやかしだ。現に箱を見ても懐かしさもなければ気持ちが揺らぐこともない。因縁と言われても何かを感じることもないのだ。


「開け方もわからんがな」


来武はそう言うと零次を見た。零次は頷き、来武は箱を手に取る。思っていたよりもずっと軽く、そしてどこか熱いような気もする。かといって箱を持ってみても何も感じず、来武はそれを軽く振ったり、あちこちを押したりもしてみるが箱が開く気配はなかった。みんなが来武の元に集まる中、司は椅子に座ってその様子を見ていた。そんな司に凛が近づく。


「前世・・・司君、わかるの?」

「いや、わかんねー」

「なのに、箱と未生の関係はわかるの?」

「魂と魂が完全にシンクロしてる。そんなの、他に可能性がないからね」

「じゃぁさ、自分の前世、覚えてる?」

「んなわけないじゃん・・・美咲には祭司だったと言われたけど、ピンとも来ない」

「そっか」


会話の最中も司は凛を見ず、箱を見つめたままだ。


「私、あの箱、どこかで見た気がする」

「え?」


その言葉に珍しく司が驚いた顔を凛に向けた。立ち上がり、凛を見つめる目が鋭くなる。そんな2人の顔が近づくのを見た瞬間、言い知れない嫉妬が来武の心にわきあがった。無意識的に箱を握る手に力がこもる。


『お兄ちゃん!ヤバイ!』


突然美咲の声が部屋に響いた。全員が部屋を見渡した時、来武が力を込めた右手の人差し指が箱の一部を強く押した。その木の棒が力もなくすっと窪み、向こう側の面に突き出た。来武は慌てて箱を見れば、木の棒はそのまま勝手に箱から零れ落ちて、そのまま床に落ちた。


「下がれ!」


司が叫んだ瞬間、箱は勝手に木の棒を分解し始める。金属の棒は折れ、無数の木の棒がバラバラと床に落ちていった。慌てる来武をよそに裕子と万理子も司の元に寄り、撮影していた山本も部屋の隅に移動する。零次はその様子を見たままその場から動けなかった。やがて来武の手の中に、小さな白い石が姿を現した。丸いその石は邪悪とは間逆の白いような光を放っていた。


「これは・・・」


零次が思わずそれに触れようと手を伸ばした。


「よせ!触るな!」


司の絶叫が響くのと零次が石に触れるのは同時だった。指先が石に触れた瞬間、さっきまではなかった黒い光が部屋を満たすように輝いた。光は来武の体を透過し、その影響か来武はその場に倒れこんだ。咄嗟に左手をかざした司だったが、凛や裕子もその黒い光を浴びて床に倒れこむ。振り返れば万理子も倒れ、部屋の隅では山本もまた倒れこんでいた。


「くっ!なんて邪悪な気だ」


吐き捨てるようにそう言い、司は左手の数珠を外してその手に力を込めた。黒い光は左手の手前数センチのところで屈折し、司には届かなかった。


『アマツ・・・よもやこの場に貴様がいようとは』


直接頭に声が響く。そのまま正面を見れば、黒い光は唯一立っている零次の全身から放たれていた。


「取り込んだのか・・・おっさんの体を」


そう呟くと口を使って右手の数珠も外した。


『アマツ・・・待っていたぞ、この時を』


零次の口は動いているが、声は出ていない。その声は思念であり、直接司の頭に響いているのだ。


「アマツ?」

『貴様に封じられたこの私は帰ってきたぞ・・・何千何億の昼と夜を超えて』

「何言ってやがる」

『新たな命に生まれ変わっても、過去の記憶を失ってもなお私の前に現れるか』

「なに?」

『今度こそ貴様を殺し、そこにいるミコトは我が花嫁にしよう』


そう言う零次の目は黒く、赤く、そして白かった。ミコトと言って指を差すその先にいるのは自分の横で倒れている凛だった。


『クックック・・・アマツ・・・残念なことにミコトは意識を失っているぞ・・・今度は貴様1人で私を封じなければならんぞ』


そう言って零次に憑いたものは大きく笑った。声は若い男のような感じだ。その笑い声は建屋全体を揺らし、大地までも揺らすようだ。


「お前は誰だ?」

『言ったところで思い出せまい。それに、死に行く貴様に知る必要はない』


そう言った瞬間、黒い光の矢が司の左肩を貫いた。ふせぎの霊的防御すら簡単に貫通したそれは肉体ではなく、魂にダメージを与えてきた。全身を襲う痛みに絶叫し、片膝を着く。


『どうしたアマツ?私の魂は半分しかないのだぞ?それでその様か?』

「は、半分?」

『それすらも忘れたのか?貴様とミコトが半分に割いた私を別々に封印した。今の私は、半分だぞ・・・それすら思い出せぬか?』


醜く歪んだ零次の顔に恐怖を感じる。


「くそ」


その恐怖を振り払うようにして右手もかざした。


『ミコトの力なしでは私に傷を負わせることもできぬぞ』


零次の体から黒い光が放たれ、司の右の太ももを貫通した。ズボンにも足にも異常はないがその痛みは全身に響く。転がって震える司はすぐ近くの机の上に置いた魔封剣を取ろうと起き上がるが、すぐさま2本の黒い光が腹部を貫く。吹き飛ばされてドア付近まで転がった司は気を失いそうになるほどの激痛に耐えつつ、それでも起き上がろうとドアに手をついた。


『どうしたアマツ・・・かつての強さは持たずに生まれ変わったか?』


大きな声で笑い、零次は苦しむ司を見ていた。その体は宙に浮き、そのまま倒れこんでいる凛へと迫った。


『貴様よりも先にミコトを愛した・・・だがミコトは貴様を選び・・・そして結ばれることなく死んだ』


零次は凛の首を掴むとそのまま持ち上げる。完全に気を失っている凛はされるがままで力なくブラブラと揺れていた。


『生まれ変わってもなおあいつを愛するか・・・』


不快そうな顔をした零次はなんとか起き上がった司にまたも無数の黒い矢を放つ。肉体ではなく魂にダメージを与え続けるその攻撃に司はなす術がない。霊的防御も全く意味を成さず、ただダメージばかりが蓄積されていった。徐々に意識も奪われていく。


『アマツ・・・友よ・・・貴様の魂はここで消滅させる』


零次は凛を掴んでいない方の手を司に向けた。起き上がることさえできない司は既に意識を半分失っていた。



紫色した不思議な服に身を包んでいるのはこの国の祭司であり、自分の愛する人でもある。彼は生まれながらに類まれない呪力を持ち、悪を祓って人を救う職にあった。自分はそれを補佐し、占いと呪術によって人々に幸せをもたらす巫女だ。同じ師に師事し、幼い頃から共に腕を磨いてきた。成長するにつれて優しい彼に惹かれて恋をし、長い片想いを経てようやく彼もまた自分に好意をもってくれた。そして友であるもう1人の祭司と一緒に3人でこの国を支えているのだ。だが、いつしかその友人は変わってしまった。彼から自分に対する好意を感じるが、自分にその気はない。彼は優秀で、完璧で、そしてどこか冷たかった。論理的で融通の利かない部分もあったが、それが度々自分たちの危機を救うこともあった。そんな友人がプロポーズをしてきたのはよく晴れた満月の夜だった。水浴びをしている自分に近づくと、後ろから抱きしめるようにして愛を口にした。結婚し、ずっと一緒にいて欲しいと求婚をしてきたのだ。だが、自分には嫌悪感しか湧いてこない。自分が好きなのはその友人ではないのだから。きっぱりとそれを断れば、友人は変貌した。そのまま自分を犯し、失意に暮れる自分の手を引いてこの国を出ようとしたのだ。すぐに異変に気づいた彼がそれを追い、2人は砂漠で戦った。もともと持っている力は互角。決着はなかなかつかない。だから自分は力を貸した。愛する人へ出来る罪滅ぼしに。純潔を守れなかった、その無念を込めて。初めてを彼に捧げるはずが、好きでもない相手に奪われた無念さと後悔、そして苦しみを今だけは忘れた。その力を得て、彼はその手にした太陽剣で友人の体と魂を切り裂いたのだった。真っ二つに裂ける体から流れ出る巨大な邪気。彼はそれを念のこめた石に封印した。そして自らの命を削るようにして封印の箱を作り、その石をそこに封じたのだ。自分の呪力を全て込めた2つの結界。すべての仕事を終えた彼は力尽き、そして死んだ。自分はその死を嘆き、自責の念に駆られた。そしてその邪念が2度と復活しないようにと、2つの箱を持って大陸を渡り、遠く離れた場所にそれぞれを埋めたのだ。異国の地、それも距離的にかなり離れた場所に箱は封印された。過酷な旅は女の体にはきつく、2つ目の箱を封印した後で自分も死んだ。ただ望むのは、彼と添い遂げたいと願う心。来世こそ1つになりたいと願い、息を引き取った。その魂は天に昇り、消える。彼の魂を追い、天を駆けるようにして消えたのだ。



これは偶然か必然か、箱の中に封じられた者はかつての友、かつての想い人の前で目覚めた。自分を殺した男と自分を憎んだかつて愛した女、彼らがその生まれ変わりだとすぐに気づいた。忘れようがないその魂を感じ、長い年月の間で蓄積された憎しみがさらに膨れ上がる。自分はまだ半分だけの存在だ。それでも、かつての力を既に超えている。完全に復活するためにはもう半分が必要だが、今乗っ取ったこの体があればそれも可能だろう。ただ、魂が体になじむようでなじまないのが気になる。この体はかつての自分に似ている。いや、限りなく近く、それでいて遠い。そんな違和感があれど、問題はない。目の前の宿敵はいまや虫の息、そしてかつての想い人は既に自分の手の中にある。完全に復活し、転生した肉体を見つければ全ての願いは叶う。もはや神に匹敵する力を得た自分に敵などいない。そう思うそれが黒い剣を作り出した。


『さらばだ友よ』


その剣を振り上げた零次の右手が止まる。自分の手首を握るか細い手があった。ゆっくりとそっちを見れば、凛がその手を掴んでいた。意識は完全に失っている。それなのに掴まれた腕が動かない。


『ミコト・・・・』


恨めしく、悲しい目を凛に向ける。生まれ変わってもなお自分を否定するのか。怒りが湧き上がり、その顔が悪鬼に歪む。その瞬間、凛の手は力なく落ちた。零次は掴んでいた凛の首を離せば、凛の体は床に転がる。それを見た零次は小さく微笑み、司の方を見やった。


『アマツ・・・ミコトを先に殺すことにしたよ』


そう言うと左手を凛にかざせば、凛の体は宙に浮いた。零次の体の前でそれは静止し、司はなんとか立ち上がると机に突っ伏しながらそれを見ていた。


『しょせんは馬鹿な女だ・・・』


そう言って黒い剣の切っ先を左胸に向ける。


「う、うち!」


指先からほとばしる霊圧の弾丸は零次の手前で霧散した。零次はにやりと笑うと凛に向けた剣を引いた。


『己の無力さを呪え』


そう言った剣が凛の胸に迫った。だがその剣は胸の手前数ミリの位置で停止した。司は目を見開き、零次は静かな目を右側に向ける。そこには来武がいた。息を切らせた来武がその腕にしがみついていたのだ。


「り、凛を殺させないぞ」

『ほう・・・・お前がそうか』


その言葉の意味が分からない来武が怪訝な顔をした瞬間、離れた壁にまで吹き飛ばされた。激しく叩きつけられたせいで頭を打ち、再び気を失う。零次が左手を下げれば凛の体はゆっくりと床に落ちていく。そのまま零次が宙に浮いた体を来武の方へと向けた時だった。爆発的な霊圧が部屋の中に吹き荒れる。零次はゆっくりとその霊圧の方へと顔を向ければ、司が立ち上がって自分を見ていた。その右手には一振りの太刀が握られている。銀色の刀身を持つその太刀を見た零次の顔が驚愕を表していた。


『太陽剣!?』

「いや、魔封剣」


そう言った司が剣の切っ先を零次に向けた。


『面白い』


口を歪めて笑う零次から黒い光が舞う。だがその光は剣の手前で方向を変えてしまい。司に当たることはなかった。ここで初めて零次は困惑した顔をしてみせた。


みだし


そう口にして剣を振るえば、醜悪な邪気で満たされた部屋のそれが霧散して消えた。驚愕の顔を強めた零次から無数の黒い矢があらゆる方向より司を射抜こうと放たれた。だがまるで見えない壁がそこにあるようにして全て司の手前で霧散して消えてしまう。


たち


そう言って剣を真横に振るった瞬間、零次の体から矢が消えた。どんなに念じても光は出てこない。


『なんなんだ・・・それは』

「魔を封じ、神を斬る剣」

『・・・・なるほど』


笑う零次が一瞬で移動して司の前に出現し、黒い剣を振るった。真上から振り下ろされるその黒い刃を銀色の刃が迎え撃つ。霊的な念で作られた黒い剣は膨大な邪念そのものであり、肉体ではなく魂を切り裂くものだ。故に、実体の剣で受け止めることなど不可能なはずだった。だが、黒い刃は銀色の刃とぶつかり合い、黒と白の稲妻をそこに発生させているではないか。


『まさか・・・実体と思念体が同居した物質などありえない』

きり


一瞬銀色の刃が輝き、そのまま黒い刃を切り裂いてその半ばから先を消滅させた。激しく動揺する零次の体に向けた切っ先に念を込める。


たち


そのまま剣先を零次の胸に突き刺した。その瞬間、零次の体が床に倒れこみ、剣に刺さっているのは邪悪な思念の塊だけになった。どういうからくりかは分からないが、実体のある剣が肉体を傷つけずに赤いもやのような魂のみを突き刺しているのだ。


『アマツ・・・そうか・・・・・・・そういうことか』


何かに気づき、勝手に納得する。思念体のみとなった赤いもやは自ら無理矢理刺さった剣を引き抜くと壁際まで後退をした。


『アマツ、やはり貴様は殺そう』

「さっきから殺す気まんまんだったくせに」


司は汗にまみれた顔をして微笑んだ。


「それに俺はアマツじゃないし」

『前世の記憶も、力もない貴様が!』


思念体は赤いもやを槍状にして司に投げた。だがやはり司に届く前にそれは霧散して消える。


「無駄だよ。魔封剣に一度込めた術は鞘に収めるまでその効果は消えない。それに俺が使うときの数倍の威力を発揮するしな」

『太陽剣を、あれを模して念者が鍛えた剣なのか?』

「知るかよ!」


司が駆ける。思念体が後退する。


「撃!」


そう言って突きを放てば、その切っ先から飛び出した霊圧の弾丸が赤いもやを撃ち抜いていく。苦しむかのように思念体がぐにゃぐにゃに動き回った。司は剣を横にして目の前に持ってきた。左手に柄を持ち、右手を刃に添える。


「天と地と火と水のことわりにたまえりは、今生の力をを持ちて数多の勇を打ち据えたまえり」


魔封剣が赤く、青く、そして金色に光ると元の銀色に戻った。


「祓い、防ぎ、乱し、返し、穿ち、禊ぎ、断ち、撃ち、斬り、抜き、束み、舞い、虚し、封じ、絶つ、禁ず」


16の術の名前をまるで早口言葉のように言葉にして剣に込め、思念体に向かって駆けた。思念体は言葉でもなく、音でもない言語で何かを叫ぶが、司は止まらない。


「世の理にたまえり、かしこみかしこみももうす」


祝詞と同時に思念体にその剣を突き刺した。絶叫のような悲鳴、いや、獣の咆哮のような声が部屋全体に満ちていく。


ほろび!」


17番目の言葉を口にした瞬間、刀身が黄金に輝いた。そのまま剣を振り上げ、そのまま赤いもやとなった思念体を真っ二つに切り裂き、さらにそのまま剣を真横に振るう。4つに分かれたそれは中心から徐々に光の粒になってゆっくりと消えていった。


『アマツよ・・・私は見つけたよ・・・・・・・・また会おう、じきに』

「会いたくないけどな・・・それとアマツじゃないって」


そう言った瞬間、長い髪をした切れ長の目の男が微笑むのを見た。邪悪に満ちた笑みではなく、それは友に向けられたような優しい笑みだった。


「カグラ・・・」


無意識的にそう呟き、ハッとなる。今自分が口にした言葉が何だったのかももう思い出せない。ただ思い出せるのは思念体が消える瞬間に言った言葉だった。


「見つけた?それってもう片方の箱を?」


大きく肩で息をしつつ片膝を着いた。その言葉の意味が気になるが、今はそれを考えることよりもすべきことがある。魔封剣を真横に振るい、一気に全ての人間を浄霊する。そのままふらふらの足で零次に近づくと。剣をその胸に突き刺した。だが不思議なことに血は一滴たりとも出ていない。そのまま剣に念を込め、司は小さく呟いた。


「絶」


金色の目で零次を見てから部屋を見渡す。もうここにさっきの思念体は微塵も残っていなかった。疲労困憊のまま鞘を拾い、ゆっくりと剣を戻す。そのまま床に倒れこんだ司は完全に意識を失っていた。



「月の光は癒しをもたらすそうだ」

「はい。見ているだけで、心が洗われます」

「そうだね」

「アマツ様は、私の月であり、太陽です」

「太陽?」

「昼間は私を照らして行く先を示し、夜は疲れた魂を癒してくださる」

「そんないい男ではないよ」

「いいえ」

「なら、ミコトは私の全てだな」

「全て?」

「そう、なくてはならないものだ」

「5年もかかって気づいてくれて、嬉しいですわ」

「そう言うなよ」

「ずっと言い続けます」

「それは困るな」

「なら、5年を忘れるほど幸せにしてください」

「そうしよう」

「約束ですよ?」

「約束だ」



「この2人を見たら、未生は自殺するね」

「・・・・でも、大胆」


裕子と万理子は机に座るようにしてその光景を見ていた。ついさっき意識を取り戻して周りを見れば、みんなが倒れていた。箱はもうなく、木の棒も全て砕け散っていた。零次も来武も倒れこみ、山本は壁にもたれるようにして気絶している。裕子はすぐ横にいた万理子を起こして立ち上がった。石が光ったと思ったら気を失っていた。そして今、石もなければ全員が倒れているではないか。そんな裕子と万理子がふと机の向こうを見れば、司と凛が折り重なるようにして倒れている。いや、司が凛を抱きしめるようにし、凛は司の首に腕を巻いている。まるでキスをした後のような格好で倒れている司の横には綺麗な鞘に収められた剣が転がっていた。


「やっぱ前世の恋人同士なのかな?」

「さぁ、ね」


抱きしめ合う2人を見た裕子はそう言うと小さく微笑んだ。眠っている2人の顔は幸せそうに見える。とにかく無事を確認するために2人を起こそうと揺すれば、凛がゆっくりと起き上がる。司に抱きついていたことなど知らずに頭を振れば、どこかにぶつけたのかあちこちが痛かった。


「大丈夫?」

「あー、うん・・・多分ね」


ぺたんと床に座り込んで何気に横を見れば司が倒れている。状況を把握したせいか、あわてて胸に手を置いた凛は司を揺すった。


「アマツ様!」


その言葉に裕子と万理子は目を点にした。凛もまた自分でそう言っておきながら目を丸くする。


「誰だって?」

「え?私、今なんて言ったっけ?」

「アマツ様」

「・・・誰それ?」

「知るわきゃないって」


裕子にそう言われても何故そんな名前を口にしたかわからない。そんなことよりも司が気になる凛はそっと膝枕をして呼吸を確かめるようにして司の顔に自分の顔を近づけた。


「生きてる」


あの老人の言葉あるためか、どうにも過敏になっている。ホッとした矢先、司がゆっくりと目を開けた。


「凛・・・」

「司君・・・よかったぁ」


凛はそう言うとぎゅっと司を抱きしめる。さすがの裕子と万理子も冷やかすようなことはせず、そのまま来武たちを起こしに向かった。全員すぐに意識を取り戻すが、司を抱きしめる凛を見た来武は苦々しい顔をしたままそっぽを向く。そう、今はまだ好きにさせておく。そんな自分の気持ちにどこか違和感があるが、それ以上気にもしなかった。零次も体に痛みは感じるものの意識ははっきりしており、憑かれていた際の記憶もないようだった。とにかく一旦椅子に座って状況を整理する。司は自力で動けないほど消耗しており、そのまま凛が膝枕をしていた。来武はそんな2人を見て鼻で笑う。そんな幸せもすぐに終わらせてやると思うが、すぐにその考えは記憶から消えた。


「呪いの箱の中身は?」

「かつてこの日本のどこかにあった小国の呪術師、その邪悪な魂ってとこかな」


その言葉に凛はあの石が放った光の後で気を失い、夢を見ていたことを思い出した。はっきりとは思い出せないが、自分は好きな人と共に国のために働いていた。そして自分たちには仲間がいた。強力な力を持った呪術師の仲間が。それ以上は思い出せず、凛は零次を見ている司を見つめた。どんどん湧き上がってくる愛しい気持ち。何故だかわからないが、気を失う前の自分にはない想いがどんどん湧き上がってきているのを感じる。


「邪悪な魂?」


来武は吐き捨てるようにそう言う。そんな邪悪なものと自分が同調していたなどとは失礼な話だ。


「ついでに言うと、その箱はまだどこかにもう1つあるんだとさ」


その言葉に裕子と万理子は顔を見合わせ、凛は身震いをする。


「邪悪な魂を2つに分けて封印した。そう言ってた」

「誰が?」

「箱に封印されてたのが」


司の言葉に来武は黙り込んだ。それがどこにあるかは分かっている。ただ、どうやってここに持ってくるかが問題だ。そう考えていた来武ははっとなる。今考えていたことすら忘れて司を睨んだ。


「封印されていたのものは君が?」

「なんか俺を誰かと勘違いしてたけどね。とりあえず滅した」

「誰と?」


裕子はそう聞きながらさっき凛が咄嗟に口にした名前を思い浮かべていた。


「アマツ?とかなんとか」


その言葉に凛を見るが、凛もまた裕子を見ていた。そしてその首を横に振る。言った記憶はないらしい。だが、凛が口にした名前と封印されていたものが司に向かって呼んだ名前は完全に一致している。そう、これはもう偶然ではないのだ。ならばその封印をしたのは前世の司であり、凛もまたそれに関わっているということになる。祭司と巫女、そしてその悲恋。美咲の推測は当たっているのかもしれないと裕子は考えていた。


「魔封剣で斬ったから、もう完全に消滅したよ」


司の横に置いてある太刀を見た零次はそこに近づいた。


「触ってもいいかな?」

「どうぞ。でも抜けないから」


そう言われれば抜きたくなるのが人間だ。ずっしりした重みを持つその太刀の柄を握ると鞘から引き抜こうとした。だが司の言うとおりびくともしない。


「その剣は自分が認めた人にしか抜けない」

「つまりお前だけってか?」


嫌味な来武の言い方だが、司は黙って頷く。裕子も試すがやはり1ミリたりとも動かない。万理子も試し、やはり抜けずに司に返した。


「ああいう箱は開けてはならんとうことか」


零次の言葉に司は頷いた。だが、最後にあの思念体が残した言葉がどうにも気になる。見つけたという言葉、そしてじきに会おうと言った言葉も。自分をアマツと呼び、凛をミコトと呼んだ。ピンとも来ないが、前世の因縁だということは理解する。かといって今更そんな自分の知らない過去の話をされても困るわけだが。


「アマツだミコトだ・・・なんだってんだ」


その呟きを聞いた凛は首を傾げた。どこかで聞いたことのある言葉に思えたからだ。ただそれをどこで聞いたかは覚えていない。けれどどこか懐かしい、そんな気がするのだった。

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