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ひとでなし≒かみさま  作者: 夏みかん
第2話 多重攻防
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後編

人形の動きは素早く、あらゆる術をかわしては攻撃を仕掛けてきた。ただ、さっきまでは違い、司が左手を振るえば黒い霧は消えてなくなる。


「こいつ!」


司はそう言うと人形に向かって走った。そして左手を伸ばす。一瞬その姿が揺らいだ人形だったが、間一髪のところでその髪を掴んだ。その瞬間、人形は力が抜けたかのように重力によってぽとりと地面に落ちる。髪を持ったままぶら下がった人形を見た司はそのまま人形を殴りつけた。


「お前、卑怯だぞ!出て来い!」


そう言ってガンガンと人形を叩く。


「きったねー!引きこもりかよ!」


今度は人形を地面に叩きつけるとそれをガシガシと踏みつける。


「こんにゃろ!出て来いっての!」


端から見ている未来みくたちにすればただ単に人形を殴る蹴るしているだけにしか見えない。司は右手で人形の顔を鷲掴みにするとそれを上へと持ち上げた。


たち!」


叫ぶが、何も起こらない。


「マジかよ・・・」


そう吐き捨てるようにつぶやいた刹那、司の右腕を覆っているシャツが弾けるように破れてしまった。その反動を受けて弾かれるように人形を離し、右腕をさする。人形は宙に浮いたまま口から黒い霧を吐き出すと司を覆いつくした。


「司っ!」


黒い霧が渦を巻く。その中心にいる司は苦しそうにしながらも小さな笑みを浮かべていた。


「所詮は霊だな・・・知能が足りない」


そう言う司が右手で霧を掴むと、渦は消え失せた。そのまま拳の中に吸い込まれるようにして全てが消えていく。


「全部出て来て呪い殺そうってか?そりゃこっちだ!封神十七式、十三、むなし!」


そう叫んで拳を開けば、そこには小さな黒い渦巻きが存在していた。


「天と地と火と水のことわりに・・・・」


祝詞を唱えると渦巻きは徐々に小さくなり、やがて完全に消滅をした。空間の裂け目に霊を放出し、2度とこの世に戻れなくする術、それが虚だ。多くの霊圧を消費するが、手っ取り早く消滅させることが出来る術だった。肩で大きく息を切らす司が未来に近づいた。その足取りは重く、疲労感もありありと出ていた。


「バリケードの外は別の土地・・・安全だ。さっさと出てろ」


そう言うと汗だくの司は奥へ行こうとする。


「ちょっと、大丈夫なの?」


心配そうにする未来に微笑んだ司は大丈夫と言い残し、森の奥へと走った。大丈夫ではないことは一目瞭然だ。それでも司は行く。凛たちを救う為に。もはや目の前で繰り広げられた光景すら把握できずに呆然とする3人を促してバリケードの外に出た未来だったが、不安は消えるどころか大きくなっていくのだった。



来武らいむの右手が凛の左手にはめられたブレスレットを掴む。苦悶の表情を浮かべつつ、来武はそれを外すとどういう力か、それを握りつぶした。呆気なくひしゃがったブレスレットをポトリと落とし、そのまま裕子に右手をかざせば、裕子は目に見えない力で地面に抑え込まれていた。凛は目に涙を浮かべて地面に転がるブレスレットを見た。司がくれたもの、ずっと大切にしようと思っていたそれを壊された。自分の想いを汚されたことが悔しい。キッと来武を睨むが、その顔はますます人ではなくなってきていた。大きくくぼんだ黒目だけの目、歪む口元。来武の身体は完全に悪霊に憑かれてしまっている。そんな来武の手が胸に伸びてきた。その瞬間、来武の体が左へ大きく傾いた。途端に自由になる体を動かして来武から離れ、壊れたブレスレットを手に距離を置いた。裕子も身体の自由が戻り、這うようにして凛のそばに近づく。


「悪い、遅れた」


右手を挙げつつそう微笑む司を見た凛は安堵と、そして驚きの表情を見せていた。見るからに疲労感を漂わせ、肩で息もしている。司はそれでも小さく微笑みながら凛のそばに近づいた。


「それ・・・」


そう言って右腕を指差す。シャツが引き裂かれたようにして右腕の部分だけがなくなっていた。


「気に入ってたんだけどな」


司は苦笑すると来武を正面に見据える。背中越しでもわかるつらそうな姿。


「未来ちゃんたちは?」

「片付いた・・・手間かかったけどな」


その言葉が嘘でないことは明白だ。肩で息をし、右腕の袖はない。なによりこの間のような余裕がないのだ。


「とりあえず、インテリから追い出さねぇと」


そう言う司が駆けるが、動きが鈍い。それでも来武の胸に右手を当てた司は首を絞められながらも叫んだ。


たち!」


その瞬間、来武の身体が崩れ落ちる。それを支えつつ地面に寝かせた司だったが、片膝をついて大きく肩で息をしていた。そのかなりつらそうな様子に凛も不安になってしまった。


「司君・・・」


ぎゅっと壊れたブレスレットを握り締める。裕子は泣きながらも来武を見ていた。


「まったく・・・欲望に憑かれやがって」


そう言った司が左手を来武の胸に当てて軽く押し、右手で背中を押した。


「霊圧がもったいないけど」


呟いた瞬間、来武は目を開けて恐怖に駆られた目をしつつ司にしがみつくようにしてみせる。そんな来武の胸に手を当てつつ、司は小さく微笑んでみせた。


「大丈夫だ。もう怖くない」


そう言われた来武は怯えた目をしながら周囲を見た。凛を見つけ、無意識的にそこへと向かう。


「り、凛・・・無事か?」

「あんたのせいで無事じゃなくなるとこだった」

「え?じゃ、じゃぁ・・・あれは夢じゃ・・・」

「現実。未生は憑かれてたんだよ、あいつに」


そう言って指を差す方を見れば黒いゼリーのようなものが地面から人型をなしてグニグニと蠢いていた。ヒッと悲鳴を上げた裕子をかばいつつ、呆然としている来武を見た。


「なんだ・・・あれは・・・」

「あれもここの地縛霊じゃない。何か強烈なものに引かれてやってきたものだ」

「強烈なもの?」


凛の言葉に司が頷く。


「多分、この集落のどこかに封印でもされていたんだろう。そいつの封印がここの再開発で壊されたのか、外に出た。事故も、呪いも、そいつのせいだ」

「封印って・・・ばかばかしい」

「じゃぁ、お前、あいつに触れて来い」

「嫌だ」

「怖いんだろう?」

「違う。あんな非現実的なもの、信じないだけだ」

「憑かれても、見えてもそう言うんだな。本当に解明したいなら全部を受け入れろ、それから考えて、答えを出せ」


司にそう言われた来武は怒りに満ちた顔をするが、それ以上言い返すことはなかった。悔しいが、言われたとおりだ。霊など信じていない。だが、起きたことは現実として受け止める必要がある。自分はあいつに憑かれて凛を襲った。その記憶はかすかに残っている。


「じゃ、みんな逃げてくれ」

「つ、司君も・・・」

「そうしたいけど、無理だ。逃げてもあいつは俺たち全員を殺しに来る。ヘタをすればこいつを呼んだヤツも一緒にな」

「呼んだやつ?」

「今はまだこっちに気づいていない・・・テリトリー外なのかもな」


司はそう言うと大きく深呼吸をした。


「逃げろ。なんとかするからさ」

「でも・・・」

「ここにいても守れないって言ってんの。霊圧をほとんどさっきの人形に使っちまったからな」


凛の言葉に微笑みながらそう言う司。ここで逃げたらもう生きている司に会えない、そんな気がした凛は首を横に振った。


「勝つなら、ここにいてもいいよね?」

「邪魔なの」

「それでもいたいの!」


その言葉に裕子は凛の想いを知った。それは来武も同じだ。悔しいという想いと嫉妬が湧き上がるが、ここは司の言うことが正しい。ここにいても邪魔になるだけだ。来武は凛の腕を取り、裕子も立たせる。


「手遅れ、かな?」


そう言った司が左手をかざすと、いつの間にか飛来したゼリー状のものが左手の手前で渦を巻く。進めないならこじあけようという風な意志が感じられた。司が苦悶の表情を浮かべて片膝をつくのを見る凛は信じられないといった表情を浮かべている。何せ司のあの左手が押され気味だからだ。


「くそ・・・この程度も防げない!」


右手も添えた司は歯を食いしばった。


「た、たち!」


言葉と同時にゼリーが後方へはじけ飛んだが、それはすぐに人型を成した。さらに疲れたようにうなだれる司ははあはあと大きく息をしつつ、霞む目でゼリーを睨む。


「ガス欠寸前か」


苦笑するが、策は浮かばない。自分に残された霊圧ではこの程度の相手すらも倒せない。普段であれば指1本で倒せるような相手だが、正直、今の残された少ない霊圧はこのゼリー体とそう変わらない。


「しゃーねぇな」


そう言うとゆっくり息を吐いた司は目を閉じた。するとゼリー状の黒い物体がすっと消え失せる。


「え?」

「終わったのか?」

「いや、霊力も霊圧に変換した。これで浄化か消滅はできるだろうけど・・・」


霊力とは霊を見る力。相手の霊圧を感知する力だ。それを霊圧に変換したせいで相手の位置が把握できない。司の霊力と悪霊の霊圧の同調で凛たちにも見えていたその霊体は完全にその姿を消していた。凛はきょろきょろするが何も見えず、何も感じない。ただ暗闇の中に浮かびあがる廃墟が不気味なだけだ。


「攻撃も一回が限度かな・・・」


呟く声を聞いたのは来武だけだ。そんな来武を見て微笑む司は右手を差し出した。


「数珠よこせ」

「は?」

「それ」


そう言って来武の左手にはめられた数珠を指差した。凛のキスと引き換えに着けた数珠を見た来武はあんなことを言った自分に後悔しつつそれを外し、司に渡す。


「凛、それも全部貸せ」


握っている壊れたブレスレットを見た司の言葉にためらいつつもそれを手渡す。裕子に渡していた数珠も司に渡すと、司はそれを右手で握り締めた。


「霊圧は少しでも多い方が有利だからな」


汗だくの司はそう言うと凛たちに背を向けた。疲労感は増すばかりだ。司は右手をいつでも突き出せるような体勢を取りながら虚空を見つめる。


「美咲!」

『分かってる!』

「女の子の・・・・声?」


空間に響いているのか、直接頭に響いてくるのか、その声に来武は驚きを隠せない。非科学的な現象の連続にパニックになりつつあった。それでもこれが現実だと受け止めている。今まで信じてきたものが足元から崩された気分だが、それもまた現実だと思うしかない。


「美咲ちゃん・・・」

『お姉ちゃん、大丈夫!私がついてるよ!』

「お願いね!」

『プリン2個だよ!』


その言葉に凛は小さく笑い、来武は声の主のあまりに緊張感の無さが気になった。裕子はもうこれは夢だと現実逃避を始めている。司は小さく微笑み、目を閉じた。相手の気配は全く読めない。どの方向から来るのかも、どのように仕掛けてくるのかも。だが司は構えたまま動かない。汗を拭うこともなくただじっとしていた。


「美咲って、妹?」

司を気遣ってか、来武が小声で凛にそう聞いた。


「司君のね」

「でも、お前のことをお姉ちゃんって」

「将来の、って意味」

「あー、なるほど・・・・・って、マジ!?」


大きな声を上げた来武にしーっと言うと指を立てる。来武は憮然としながらも司を見やった。家族も公認でそういう仲なのかと落胆しつつ。


「冗談だよ・・・司君は、そういう感情ないから」

「そうなのか」


ほっとした来武を見ず、凛は司だけを見ていた。悲しい表情をする凛に来武はそれが気になって質問を投げた。


「片想いか?」


その言葉を聞いた凛は小さく微笑んだ。それは微笑みであり、悲しみでもあった。


「永遠のね」


凛の言葉の意味がわからない来武が何かを言いかけた時だった。


『正面すぐそこ!』


美咲の声が響き渡る。それと同時に正面に向かって右手を突き出す司。何もない空中を掴んだ司の口元に笑みが浮かんだ。


「ビンゴ」

『ガッツリだよ!』


兄妹の声が暗闇に響く。司は掴んだ右手の人差し指と中指を立てると目の前を睨みつけた。


「絶っ!」


その瞬間、大きな叫び声が闇の中にこだました。高い女性の悲鳴のようなものに凛は体を強張らせ、裕子は耳を塞ぐ。来武は引きつった顔を見せていた。司はがくんと崩れるように膝をつくと地面に手をついて大きく息を切らせていた。流れる汗も半端ではない。近づく凛に小さく大丈夫と告げるとよろよろと立ち上がり、来武の前に立った。


「シャツめくれ・・・・胸見せろ」

「お前・・・噂通りだが、男も?」


うろたえる来武に呆れた顔をした司は強引にシャツをめくろうとするが来武は後ずさる。


「疲れてるんだよ、俺は・・・さっさとしろって」

「何故だ!」

「一度憑かれた人間は、肉体に霊の通り道ができるんだよ。それを切らないと、何度でも憑かれてしまうぞ」


凛は司が麻美にもそうしていたことを思い出した。そのために来武に近づくと両手を合わせた。


「お願い、未生」


凛にそう言われては断ることもできず、来武は渋々ながらシャツを脱いだ。ジムに通って鍛えているだけあって、なかなかの肉体が姿を現す。そんな胸に左手を添えると祝詞を唱えだす。そうしながら今度は右手を置くと何かを握るようにしてみせた。最後にそれをぎゅっと握り締め、ゆっくりと開いていった。


「はい、終わり」

「え?」


動揺する来武を無視して今度は裕子に迫った。かなりふらふらした足取りに凛がそっと寄り添う。


「大丈夫?」

「あー、まぁね」


微笑む力もないのか、座り込む裕子の前にしゃがんだ司はかなりつらそうにしていた。


「君も、胸、出して」

「い、いやだよ」


突然そう言われてもこういう反応をするのは当然だ。裕子はあまり本気にしていないが、司の噂は知っている。そんな相手に胸を見せることなどできるはずもない。


「裕子、大丈夫・・・司君は、大丈夫だから」


そう言うが、裕子は首を横に振った。


「早くしてくれ・・・倒れそうだ」


本当に倒れそうな司を見た凛はある決意を固めた。


「未生、あんたはあっち向いてて!絶対に見るな!見たら、訴える!」


何をどう訴えるのかはわからないが、凛には嫌われたくない。来武は凛たちに背を向けるとそのままじっと動かなくなった。


「いいって言うまで動かないで」

「はいはい」


来武の言葉が終わると、凛はボタンが飛んだシャツを脱ぐとTシャツも脱ぎ始めた。裕子はあっけに取られた顔をしつつもその行動の意味が読めずに動揺する。そうしてブラジャーも外した凛の大きな胸があらわになった。司も凛の意図が読めず、疲れた顔をそっちに向けている。


「何してんだ?」

「司君は女性の体も男性と同じ、ただの人の体でしかないの」


そう言いながら司の手を取り、いつかのようにそれを自分の胸に押し当てた。


「それ・・・また泣くなんだろ?わけわかんないし、もういいよ」


困ったようにする司の表情に変化はない。それに凛の胸に手を触れているというのになんの感情も見せていなかった。そんな司を見た裕子は困ったような顔をしている。


「こうされても、男の人にされているのと同じなの」

「当たり前だろ?人間なんだし」


その言葉を聞いた裕子はもう一つの噂を思い出した。神手司の心は壊れている、そういう噂を。これがそうなのかと思い、凛を見た。凛は悲しい目をして頷くだけだ。それを見た裕子はTシャツを脱ぎ、下着も外した。顔を真っ赤にして小ぶりな胸を隠すようにしてみせる裕子を見た凛はありがとうとお礼を言う。


「手をどけて」


司に言われるままゆっくりと手を下ろすと、その胸にそっと左手が添えられる。羞恥で死にそうになるが、そこはぐっと我慢した。司は目を閉じて祝詞を口ずさみ、左手を下ろして右手を添えて拳を握る。そしてそれをぎゅっと握ってからゆっくりと手を開いた。


「終わった」


そう言うとへたり込む司をよそに、2人は服を着た。そうして来武にOKを出し、この場を離れようとしたときだった。どさっという音に振り返れば、司が地面に倒れこんでいるではないか。あわてて近づく凛が司を抱き起こすが、司は全く動かない。泣きそうな顔をした凛の横にしゃがんだ来武が司の首筋に手を当てる。脈はあり、呼吸も安定している。


「気を失ったんだ」


その言葉に安堵しつつ、そうまで壮絶な戦いだったのかと思う。おそらく、来武や裕子に処置をする段階でもう限界だったのだろう。仕方なく来武が司を背負い、森を後にする。全員が疲労で一杯だった。


「神手って、いつもこんなことしてるんだね」


裕子の言葉に凛は少し悲しそうな顔をしながら頷いた。


「噂、嘘と本当のことだったんだ」

「え?」

「レイプが嘘で、心が壊れてるってのが本当のこと」


その言葉に凛は何も言えず、ただ黙って歩くのだった。一度でもこうして司のことを知れば誤解も解ける。けれど、そうしたところで司の心は元には戻らない。


「悲しいね」


呟く凛に何も返せない来武と裕子もまた黙って歩き続けるのだった。



バリケードの向こうには未来たちがいた。みんな無事なようでホッとするする中、4人の後ろに人影を見た裕子の足が止まった。だが凛が微笑みながらその背中に手を置く。


「幽霊じゃないよ」

「その気持ちはわかる」


凛と来武は裕子にそう言うと顔を見合わせて微笑んだ。


「酷いなあ、幽霊と間違うなんて」


そう言って頭を掻いているその人物は司の父であり、神咲神社の宮司、信司だった。美咲の千里眼によって危機的状況を聞いた信司がここまで来ていたのだ。信司のことを説明すれば、裕子はあたふたしつつ顔を赤くして頭を下げた。あれだけの思いをしたのだから無理もないと思う凛も謝るが、信司は全く気にしていないようで来武から司を受け取るとその背に背負った。


「珍しくパニくったようだなぁ」


信司の言葉に凛が首を傾げる。そんな風には見えなかったからだ。どちらかというとただ疲れていたようにしか見えない。だが実際は違う。未来たちを襲う人形の霊と凛たちを襲うゼリー状の霊をほぼ同時に相手にしていたのだ。場所も違えば霊圧も違う相手に司はそうとう困り、焦っていたのだ。


「とにかくウチに来なさい。浄霊もしなきゃいかんし」

「それって胸に手をやるやつ、ですか?」


裕子の言葉に信司は微笑みながら首を横に振った。


「それは霊道、肉体と魂を結んだ道を断ち切る儀式だね。浄霊っていうのはね、霊によって影響を受けた魂を元に戻すこと。塩、酢、酒をもって体と魂を洗浄する儀式だよ」


その言葉を聞いた凛は麻美にそうしていた司を思い出していた。おそらく、今日もそれをしようとしたのだろうが、途中で力尽きたのだ。そうこうしていると神社の前を通って司の家にたどり着く。玄関では美咲が出迎えてくれたので凛は美咲にお礼を言った。


「お風呂、順番に入って」

「浄霊した人からね」


美咲の言葉にそう付け加えた信司がリビングのソファに司を寝かせた。そうして順番に浄霊を行い、風呂へと入る。最後に来武が風呂から上がった時には眠いからと美咲の姿はなく、司も自室に寝かされていた。リビングに集まった7人は信司の入れたコーヒーを飲みつつ、今日の説明を受けることになった。まず、あの廃村へは2度と近づかないこと。それに関してはかなりの恐怖体験もあって全員が大きく頷いた。そして軽々しく肝試しなどしないこと。これには裕子も反省をした。肝試しという行為は霊のいる場所を土足で踏みにじる行為だと諭され、全員がそれを約束する。非現実的なことなど信じないと言っていた来武でさえ、実体験として経験したために異論を挟むことはなかった。


「司は大丈夫なの?」


未来の言葉に信司はにこやかに頷く。


「疲労に加えて霊圧を出し切ったからね。明日もずっと寝てると思う」


その言葉に凛も安堵していた。


「まぁ、とにかく無事でよかった」


信司はそう言うと時計を見る。時刻は午前0時になろうという頃だった。


「さて、送って行こう。なに、親御さんたちには上手く説明するよ」


そう言われて全員が立ち上がる。そうして玄関まで来たところで未来が凛に手を振った。


「じゃぁ凛さん、司のことよろしくです」

「うん。また明日来て」

「昼過ぎに来ますね」

「お昼、一緒しよ」

「はぁい」


そう言う未来を見た来武が凛を見れば、凛は外へ出る気配を見せない。何かを言おうとした来武だったが、決定的な一言を聞いてショックを受けた。


「じゃぁ凛ちゃん、あとよろしく。鍵は持って行くから、先に寝てていいよ」

「一応待ってます」


その言葉に来武はおろか、裕子や万里子もあんぐりとした顔をしていた。そんな面々を見てようやく今の状況を理解して困った顔をした凛だったが、信司は苦笑しながら車の中で説明をすると言い、その場は収まった。ただ来武だけはずっと憮然としていたが。そうして信司が出て行き、凛は鍵をかけて2階へと向かう。自室でパジャマに着替えてすぐに部屋を出た。向かった先は司の部屋だ。電気も消えた中、ベッドで規則正しい寝息を立てている司に近づくとベッドの脇に腰を下ろす。そうして寝息を立てる司の頭をそっと撫でた。ぼろぼろになりながらも自分たちを守るために必死に戦った司に感謝する。そして手に持ったひしゃげた形になってしまったブレスレットを見た。司からもらった大切なもの、それを壊されたことはショックだ。来武のせいではない。あのゼリー状の悪霊のせいだ。頭でそれは理解できても、はやり来武にもムカついてしまう。そう、キスを交換条件に出したことも許されないことだった。好きな人とするはずだった初めてのキスをあんな形で、しかも来武にささげたことが心苦しい。だが、だからといってああしなければ司はもっと苦戦しただろう。あれがあったからこそ、動きを封じて時間を稼ぐことができたのだから。納得しているのに涙が溢れてくる。そんな凛は涙を拭うと司の顔を覗き込んだ。寝ている姿は子供っぽく、可愛く見える。凛はそっとその唇に指を沿わせた。それでも司は動かない。深い深い眠りに落ちているようだ。凛は自分の顔を司の顔に近づける。唇が触れそうな距離を置き、そのまま顔を離す。来武にされたキスの消毒のような形で眠っている司と唇を重ねるのは卑怯なことだ。凛は司の額に優しいキスをした。今日も助けてくれたお礼を込めて。



リビングでお茶を飲んでいた凛は玄関の鍵が開く音を聞いてそっちに向かった。信司の姿を見ておかえりなさいと言い、先に通す。


「なんか奥さんみたいで照れるね」

「え?」

「おっと、こりゃセクハラかな?」


そう言いながらリビングのソファに座った信司にお茶を入れる凛がその横に座った。信司は礼を言うとそのお茶を飲む。


「大変だったね」

「私より、司君が」

「ま、あいつにしてもいい経験だったんじゃないかな」


にんまり笑った顔は司に似ている。いや、司が信司に似ているのだが、親子なので当たり前だ。


「距離の離れた2つの霊を相手にしたのもいい経験になるさ」

「でも、そのせいで司君が・・・」

「ありがとうね」

「え?」


話の流れ上でも、話題的にもおかしな言葉だ、凛は大きな目をくりっと動かしながら首を傾げた。


「死んだ嫁さんをまだ好きでなかったら襲い掛かってるような可愛い表情だね」


信司はそう言うと笑いつつもお茶を飲んだ。司は別として、凛は信司に対しても警戒心を抱いていなかった。本能的にこの人は大丈夫だと思えたからだ。現にそういうことを言われても警戒することもない。凛は苦笑しつつ自分もお茶を飲んだ。


「お礼の意味は、司を好きでいてくれることに対して」

「う・・・」


途端に顔が赤くなる。そんな凛を見て微笑んだ信司は湯飲みを置くとどこか遠い目をしてみせた。


「あいつの心は多分、もう戻らないだろう。でもね、奇跡って言葉があるよね」


信司は凛を見ずにそう言い、凛はそんな信司の横顔を見つめた。司も年を取ればこういう顔になるのかなとぼんやりと思う。


「神様が人に与えた神に匹敵する、あるいはそれすら超えた力、それが奇跡だと思ってる」

「奇跡・・・」

「これは独り言だけど、桜園凛という人ならば、あるいは司を元に戻せる可能性を秘めているのかもしれない、そう思っている」

「え?」

「それは奇跡を起こすよりもずっと難しいことなのかもしれない・・・でも、可能性とすれば、誰よりも高い、そう思う」


凛は戸惑いの目を向ける。そうなれば嬉しいことこの上ないが、それは奇跡でさえも無理だと思う。


「多分、ううん、絶対に無理だと思います」

「だろうね。でも、それは司次第、誰にも分からないことだよ」


信司はそう言って微笑んだ。凛は困った顔をしつつ顔を伏せる。期待などしてはいない。彼がどれだけ壊れているかを知っているだけに、修復できるとは思えない。ずっと身近にいた未来ですら不可能だったのだ。つい最近身近になった自分に出来るはずもないと思っていた。


「期待もしないし、戻るとも思っていないよ。でもね、願うことは出来る」

「願う?」

「いつか治ればいいなと願う、それはしてもいいんじゃないかな?」


信司はそう言うと湯飲みを持って立ち上がった。凛はただ信司を見上げるだけだ。


「願いはいつか届く、なんかこう、ロマンティックだよね」


そう言って笑い、信司はキッチンへと消えた。残された凛は歪んだブレスレットを取り出すとそれを見つめた。治らないのなら、治すことをせずにただ願う。司の心は司にしか治せない、なら、治ることを願う。期待をすれば裏切られたと思う。期待を外してがっかりもする。だが、願うのは自分の中だけのこと。


「願う」


凛はそう言葉にした。司の心が治る、元に戻ると願って信じる、自分に出来ることはそれだけだ。凛もまた湯のみを持ってキッチンへ向かい、それを片付ける。そして歯磨きをしてベッドに転がれば、疲れのせいかすぐに眠りの中に落ちていった。不安も迷いもない。そう、願うのだ。治ってほしいとただ願う。それが自分に出来る全てだと思いながら。



翌朝、8時に目覚めた凛は朝食の準備をする。信司が起きてきてそれを食べると神社に出勤だ。凛もそれを食べ、洗濯をしにベランダに出る。いい天気に気分も晴れた。10時になると美咲も起きてきた。昨日のお礼を言えば、疲れたよ、とだけ返ってくるだけだった。朝食の準備をして美咲の前に並べれば、美咲は目を輝かせてそれをぱくぱくと勢い欲平らげていった。


「でも美咲ちゃん、凄かったんだね」

「なにが?」


優雅な手つきで最後のコーヒーを飲む美咲に凛は微笑んだ。


「だって声が聞こえるんだもの」

「あれは超必殺技だけどね」


なにそれといった顔をする凛を見た美咲はにやりとした顔をしつつ、カッコつけるようにあごに手をやった。なんとも漫画的なポーズに若干引きつった笑顔を返す。


「霊感共感応、という技ですねぇ」

「へぇ、そんなのあるんだ?」

「名前は自作だよ」

「あ、そうなの・・・」

「お兄ちゃんとか、お姉ちゃんとか、知った人の霊力に感応させてるだけ」


その説明を聞いてもさっぱりわからない。それに自分には霊力などないはずだ。霊を見たこともない。感じたこともない。司の霊圧によって姿を見せた前回と今回の2回は特別だとも認識している。


「霊力が1でもあればさ、それを同調させれば可能だよ。魂と魂の電話みたいなの、だね」

「すごいね」

「でしょう?これってあのお兄ちゃんにもない技だしねぇ!」


得意げにそう言う美咲を凄いと思う。この兄妹の凄さを見れば、世間一般の霊能者など詐欺師にしか思えない。にししと笑う美咲にいろいろ教わりつつ話をすれば、気がつけば昼時になっていた。インターホンが鳴り、未来が来る。司は寝ているようで顔を見せず、そのまま昼食を取り、3人はわいわいと騒ぐのだった。未来によれば、同級生の子達は今回のことはいろいろショックだったようで、人に話す気はないという。言えば呪われそうだという強迫観念に迫られているようだと未来は笑った。実際、凛の友人たちも同じようなことをメールで告げていた。問題はアドレスも番号も知らない来武だけだが、こちらも大丈夫だと思う。非科学的なことを認めるはずもなく、かといって昨夜の体験は自分の持論を覆すことにもなる。人に言えるような事柄ではないからだ。そうして夕方になり、未来も帰っていった。今日は美咲と2人で夕食の支度をし、まるで姉妹のように楽しみながら準備は進む。そうしていると司がキッチンに顔を出した。


「あ、お兄ちゃん、起きたか」

「大丈夫?」


その言葉に頷くと、キッチンのテーブルに何やら小さな箱を置いた。小首を傾げる凛の横で美咲が歓声をあげていた。


「プリンだプリン!イェイ!」


それはこの間凛が買ってきたあの駅前のケーキ屋のプリンだった。美咲は箱を持ってくるくる回り、凛は驚いた顔を司に向けていた。一体いつの間に家を出て買いに行ったのやら。


「助けてもらったお礼だよ」


まだ気だるいのか、司に笑顔はなかった。そんな司を見た凛は困った顔をする。実際に司を助けた美咲ならばいざ知らず、自分は助けられた方だ。プリンを買って送るのは自分の方なのに、意味がわからない。


「美咲には相手の居場所を教えてもらった。凛には、時間を稼いでもらったからな」


そんな凛の表情から心を読んだのか、司はそう口にした。


「でも・・・」

「まぁ、そういうこと」


ここでようやく司はいつものように微笑んだ。そんな司にお礼を言うと、凛は箱を覗き込む美咲と同じように中身を見て微笑んだ。


「プリンは買った帰りに未来にも渡してきたから・・・・それと・・・」


そう言うと司はポケットから金色のブレスレットを取り出す。前回のものとは違い、ねじれが加わったものになっている。凛はそれを受け取ると司を見つめた。


「壊されたんだろ?だから、新しいの」

「わざわざ・・・これを?」

「とりあえず、寝て溜まった分の霊圧を注いだから前と同じで大丈夫なはず。変だと思ったらすぐに言ってくれ、また霊圧込める」


そう言って大きなあくびをした。そんな司を見た凛は少し瞳を潤ませつつ。ブレスレットを左手にはめた。美咲も微笑み、凛も微笑み返した。


「壊れたヤツ、捨てていいよ。もう霊圧もないし」

「捨てないよ」

「でも、役に立たないし、はめられないじゃん」

「いい。持っていたいから」

「あ、そう」


凛の心を理解できない司は不思議そうにそう言うともう少し眠ると言って出て行く。凛はブレスレットを撫でつつ心が温かくなるのを感じていた。


「お姉ちゃんなら、お兄ちゃんを戻せるかもね」


昨日の夜に信司から言われた言葉と同じものが美咲の口から発せられた。


「そうかな?」

「可能性はあると思う。でも、まぁ・・・期待はしないけど」


現実的な美咲に苦笑し、凛はもう一度ブレスレットを見た。


「願うよ、元に戻れるよう、ずっと願う」


美咲は微笑み、凛も笑った。たとえ何年、何十年先になろうとも、司の心が治ることを願う。それが奇跡への道だと思う凛だった。



翌日、裕子の周りには女子が集まっていた。肝試しの結果を知るためだ。


「どうだった廃村、なにかいた?」

「いたっていうか、出たっていうか・・・」

「マジ?写真は?」

「撮る暇もなく逃げたし。あそこは行っちゃダメだよ・・・神社の人も言ってた」

「えー・・・万里子はどうだったの?」

「言いたくない」


素っ気無い言葉の中に思い出したくもないという意志が読み取れた。さすがの女子たちもそれには驚き、黙り込んだ。


「夏の肝試しもなし」

「えー!」


さすがにそれには批難轟々だったが、裕子は頑なにそれを拒否する。もうあんな思いはこりごりなのだ。そうしている中に凛も登校し、来武もやって来た。女子は来武に群がると裕子とは違う感想を求めた。困った顔をした来武はチラッと凛を見るが、凛は裕子たちと話している。


「霊はいない、かもしれない・・・変な現象はあったが、解明するのは難しい」


いつも論理的な来武がはっきりしないこともあって、次々浴びせられる質問をのらりくらりとかわす。そんな来武を見た凛と裕子、万里子は顔を見合わせて微笑んだ。


「ところでさ、噂の霊能力少年と一緒だったんでしょ?」


3人の元へとやって来た東野陽子の言葉に3人は顔を見合わせた。言いたいことはなんとなく分かる。


「変なこと、されなかった?」


ニヤニヤする陽子の言葉に裕子がため息をつき、その返事をした。


「彼の能力は本物、噂は偽者・・・彼がいなければヤバかったんだから」

「ヤバイって?」

「死んでたよ、みんな」


その言葉に万里子も頷き、凛は微笑んだ。陽子は怪訝な顔をするばかりだ。


「とにかく、肝試しはやっちゃダメ!ねー、凛?」

「そうだね」

「えー・・・じゃぁその霊感少年込みでやろうよぉ」

「凛がキレちゃうからダメ」

「なんで凛がキレんの?」

「そりゃ、凛は神手を・・・・」


何かを言いかけた裕子の口を凛があわてて塞ぎ、瞬時に考えた言い訳を口にした。


「何故かこっぴどく私が怒られたの!」

「なんで?」

「知らない」

「なにそれ・・・」


凛は不満そうな陽子に愛想笑いをし、裕子を睨んだ。陽子はこっちでは話にならないとばかりに来武に近づくと他の女子に混ざってわいわい騒いでいる。そんな陽子を見つつ、裕子は腰に手を当てて小さく微笑んだ。


「応援するよ」

「何を?」

「凛の恋をさ」


裕子はそう言うといやな笑みを見せた。凛はそんな裕子にため息をつくが小さく微笑む。ほんの少しでも司のことを理解し、認めてくれる人ができたのは大きい。いつかはそうして全ての誤解が解けるといい、そんな風に思っているとチャイムが鳴った。そうして次の休み時間、2時間目の授業の準備をしていた凛の元へとやってきた来武に気づいて顔を上げる。


「まさか一緒に住んでるとは驚いたよ」


隣の椅子に腰掛けて小さな声でそう言う。凛は苦笑しながらも何も言わずにいる。


「あいつがそういう心を失っているからって安全かどうかと言えば・・・・」

「安全だよ。だってもう何度も裸を見られたし、胸も触ってもらったけど反応なしだったし」


その言葉に激しいショックを受けた来武はその場に崩れ落ちそうになってしまった。胸の件はまだわからないでもない。除霊の際に自分もそうされていたし、裕子もそうだった。だが、裸を見られたとあっては冷静ではいられない。そんな動揺を見せる来武に凛は深いため息をついた。


「はぁ・・・あのね、あんたに心配される覚えもないから」

「突然襲われたらどうするんだ?」

「襲われたいわよ・・・」


つい本音が出た凛が絶望感を漂わせる来武を見て愛想笑いを返した。来武は肩をわなわなと震わせて立ち上がると凛を見つめて指を差した。


「あいつの能力を科学的に解明してやる!そしてお前の心を取り戻すからな!」


そう言って去る来武を教室中の生徒が注目していた。凛は再度大きなため息をつくと肘をついてあごを乗せた。


「一瞬でも未生のものになってた覚えはないけどね」


疲れた顔を見せる凛を見て微笑む裕子はこのちぐはぐな三角関係に当分退屈しなさそうだと思うのだった。

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