後編
光が消えた体育館に静寂が戻る。同時に意識を回復させた未来がゆっくりと身を起こした。頭がくらくらするが意識ははっきりとしている。学校に来てからの記憶はないが、なにかひどく疲れているのは間違いない。そんな未来はふとそこにある制服に気づいた。それを拾い上げて広げる。そのままきょろきょろとすれば、体育館の中に人影があった。
「未生先輩?」
よろめきながらも体育館に入れば、倒れている人物に近づく来武がいた。
「神手」
その言葉に倒れているのが司だと判断する。しかもシャツ姿からして、自分が持っている上着は司のものだろう。ゆっくりと近づくと、青ざめた顔をした来武が司の胸に耳をつけていた。
「くそ!」
舌打ちしながらそう吐き捨て、慌てて心臓マッサージを開始する。そんな状況をぼけっと見ていた未来はようやくこれが現実だと認識し、上着を落として司の横に座り込んだ。
「司!司ぁ!」
来武は未来が落とした上着を司の首の後ろに当てて顔を起こし、気道を確保する。そのまま人工呼吸をしつつ心臓マッサージを続けた。
「嘘でしょ?なんで?」
「邪悪な思念体・・・俺の前世を倒したんだ・・・命と引き換えに」
そう言い、懸命に心臓マッサージをする。前世の思念体と一体化したことで来武にも霊圧と霊力が備わっているが、その両方とも司からは感じられなかった。勿論、命の息吹も。
「死ぬな!やっと出会えたんだろ?また2千年も待たせるのか!」
必死でマッサージを続けるが、司は目を閉じたままだ。ぎゅっと司の手を握る未来にもその温もりが失われていくのがわかる。
「戻ってこい!」
汗をかきながら必死の蘇生処置を行う来武の顔に焦りが出ていた。そんな来武は入り口に人の気配を感じてそっちを向けば、息を切らせて立っている凛がいた。
「未生・・・・司君?」
来武のしている処置を見た凛が青ざめる。
「凛さん・・・どうしよう・・・司が!」
未来がぽろぽろと涙を流すのを見た凛はあわてて司に駆け寄った。目を閉じて動かない司を見た凛は顔を真っ青にして目に涙を浮かべた。
「嘘・・・だよね?司君!」
反射的に来武を押しのけて心臓マッサージをした。人工呼吸もするが、一向に効果は無い。ただ力なく横たわったままだった。
「司君!約束したじゃない!死なないって言ったじゃない!」
大粒の涙を流しつつ懸命の処置が続く。未来もただ司の手を握ることしか出来ず、泣いていた。
「私、まだちゃんと好きだって言ってないんだよ?」
涙が司の顔に、胸に落ちていく。
「もう1人にしないでよぉ!家族、やっと家族をみつけたのにぃ!」
絶叫しつつ胸を押し続けた。来武は立ち上がって絶望感溢れる顔をするしかない。携帯で救急車を呼ぶが、おそらくは間に合わないだろう。蘇生するには時間が経ちすぎている。それでも凛は懸命に心臓マッサージを続けた。
「旅行に行くんでしょ?一緒に寝るって・・・司君!」
ドンと司の胸を拳が打つ。震える手の上に涙が落ちた。
「まだなんにも返せてないよ?いっぱい助けてもらったのに・・・なにも・・・・・全然・・・・」
もう一度胸を打つが司は動かない。
「ちゃんとありがとうも・・・言えてないのに・・・・・・・・死んじゃ・・・・やだよぉ・・・・」
凛は再度胸を叩き、そのまま司の胸に顔を埋めた。未来ももう嗚咽を堪えきれずにわんわんと泣いていた。
「死なないって・・・・・言ったのに・・・・約束、したのに・・・・・」
司の死を予言したあの老人が憎い。死なないといった約束を破った司が憎い。何よりこんな目に遭わせた何かが憎い。でも、一番自分が憎かった。
「守るって・・・・何を?何を守るの?守れないじゃない!最低じゃない!」
凛は司の頭を抱きしめて泣いた。結局自分が守られてばかりだった。人の悪意から守ると決めながら何も実行できなかった。司はいつも笑っていた。どんなときも。その笑顔に救われていた。守ると決めながらいつも守られてたのだ。
「大丈夫なんだよ?もう怖いもの、いないんだよ・・・司君・・・・」
いつも司が言うその言葉ももう虚しいだけだった。
「大丈夫・・・・もう、怖いものは・・・・・・・・いない、のに・・・」
目を閉じればそこに司がいる。いつも腹が立つぐらいに笑っている司が。凛は司を離し、再度胸に手を置いた。涙がいくつも司の顔に落ちていく。ぎゅっと目を閉じてその胸を押した。何度も、何度も。そしてその手が止まった。そっと冷たい手が頬に当てられる。
「・・・・どんだけ泣き虫なんだ、凛は」
その言葉に目を開けた。涙で霞む目の先にあるのは口の端を少し吊り上げた司の顔だった。青ざめた唇が笑みを形取っている。それを見た凛はただ呆然とし、声を聞いた未来も顔を上げた。来武は驚愕の表情を浮かべている。一瞬、ほんの一瞬だけ優しい風のような霊圧を感じた矢先、司が目を開いたのだ。彼を助けたのは凛でもなく、自分でもなく、未来でもない。別の何かが司の魂を肉体へと戻したのだ。
「約束、破ってゴメン」
「絶対に許さない!」
そう言ったくしゃくしゃの顔をした凛が司の頭を抱きしめた。
*
学校にいた人間全てが意識を失ったことで大騒ぎになった。この間の殺人事件もあったということで警察も動いたが、何か分かるはずもなかった。結局、事件の真相を知るのは司と来武の2人しかいない。しかも前世の因縁だとは説明もできず、2人もまた被害者だということにしていた。倒れていた大半の人間に問題はなかったが、上海旅行に行ったみのりを含めた6人はかなり重篤な状態にあった。脈も弱く、呼吸も浅い。すぐに病院に運ばれたが10日ほど生死の境をさまよい、その後に生還して無事回復するのは少し先の話になる。来武はカグラの邪念、そしてカグラの良心とシンクロしたことで霊力と霊圧に目覚め、その上で前世の記憶の全てを持っていた。方や司は一度死んだことで蘇った前世とその記憶も失い、また長谷川望の除霊に関する記憶も曖昧なままに戻っていた。その上、何故か光天翼もまた失っているのだった。病院に搬送された司は数分間仮死状態にあったことで、精密検査を受けるために入院を余儀なくされた。凛もまた気を失っている間に前世の記憶を全て失っており、結局来武だけが全てを知る人間として存在することになったのだった。そんな学校の裏にある壁の上に立つ黒いスーツ姿の老人、ミュンヒハウゼンは苦い顔をしつつ前を向いていた。
「予想外の結果、でしたか?」
背後からそう声をかけられたミュンヒハウゼンだが、振り向くことはしなかった。それに、その声の主が誰かは理解している。
「お前はこれを知っていたのだな・・・」
「約束でしたからね」
「約束?」
ここでようやく振り返ったミュンヒハウゼンはコートを着てマフラーをしたその男、かつての弟子である上坂刃に鋭い目を向けた。刃は小さな笑みを浮かべたままコートのポケットに手を入れたまま少し前に出た。
「司は前世の因縁を断ち切って死ぬ。でも、必ず助けるとね。本当かと聞けば、約束すると」
「誰が?」
「さぁ」
現在過去未来を見通せる人間が自分の他にいたとは思えない。いや、この星に男女で存在するため、もう1人の女性かと思うが違うらしい。それに、他にそういう能力者がいれば気づいていたという自負あって、ミュンヒハウゼンは釈然としない表情を刃へと向けていた。
「死は新生の始まり。欠けた心が新生されたかどうかまでは知りませんが、ま、約束は守られた」
刃はそう言うとミュンヒハウゼンに背を向けた。
「では、もう会うこともないでしょう」
「そうだな」
「2度もさよならは言いませんよ?」
「ああ」
そう言い、ミュンヒハウゼンは笑った。自分が死んだ際にその言葉は聞いている。刃もまた小さく微笑んでから歩き始めた。
「弟子に会っていかんのか?」
その言葉に歩みを止めたが、振り向くことはなかった。
「約束を確かめに来ただけです」
そう言い、刃は去っていった。そんな刃を見たミュンヒハウゼンは空を見上げる。暗い雪雲が空を覆っているが、霊体が故に寒さも感じなかった。
「さて、ならば往くか」
この世に未練はもうなかった。結局アマツではなく、神手司が勝ったのだ。伝承など無意味なことだ。彼らは前世の因縁など関係なく生きている。ミュンヒハウゼンはにっこりと満足げに微笑み、そして消えた。その霊圧は完全に消失し、老人は今度こそ天に召されたのだった。
*
息子が入院したとはいえ、その日は手続きやら何やらで病院に来た信司だったが、あとは凛に全てを任せていた。美咲もちょろっと顔を出したが、意外に元気そうなのもあってさっさと帰っている。自分の家族の温かみを知った司はすることもなくぼけーっとテレビを見ていた。ワイドショーをにぎわす学校での怪事件。真相など掴めず、かといってそれを伝えても誰も信じるはずもなく、司は早々にテレビを消していた。
「暇そうね」
そう言って少し開いたドアから顔を出した凛を見た司の表情が緩む。大部屋は全て埋まっている上に、仮死状態にあったことで脳の精密検査もあって個室に入れられた司は頭の後ろで腕を組んだ。
「暇・・・次来るときはゲーム持ってきてよ」
「そういうのはダメって先生が言ってました」
提案を却下された司は不満げな顔をするが、凛は笑っていた。いつもと変わりのない司がそこにいたからだ。凛はあの日の記憶をほとんど持っていなかった。意識が戻る直前に体育館に司がいるという声を聞いた気がしてそこへ向かったのだ。そしてそこに司がいた。凛は司のベッドの脇にある簡素な椅子に腰掛けた。
「でも、もうダメだと思った」
凛はそう言うが、実際、あの状態で蘇生できたのは奇跡としか言いようが無い。最後は最早蘇生処置も施していなかったのだから。
「母さん、そばにいてくれたよ」
その言葉に凛の表情が変わった。驚きと困惑と、そして小さな疑問を浮かべている。司はそんな凛に微笑むと天井を見上げた。
「暗闇の中でどこに行ったらいいかわかんなくてさ、困ってた」
それが死んでいるときのことだと理解した凛は小さく頷く。
「そしたら、顔は覚えてないけど、女の人が手を引いてくれたんだ・・・そのまま暗い中をずんずん歩くんだよ、まるで行き先がどこか知ってるみたいにさ」
手を繋いでいる自分がひどく幼かったような気がしている。温かいその手のぬくもりに安心しつつ。そんな自分を連れて歩くその女性は小さな光の方へと向かって進んだ。
「その光の中に凛がいた。笑ってた気がする。そしたら、その女の人が言ったんだよね・・・」
『大丈夫・・・もう、大丈夫。彼女といれば、大丈夫だから』
眩しくて目を開けられなかったが、一瞬だけ見上げたそれは確かに母親である由美子の顔だった。何よりその声、その言葉、間違うはずもなかった。
「で、目を開けたら、泣いてる凛がいたんだ」
「そうだったんだ」
「母さん、いつも見てくれたんだな・・・凛のこと、知ってたしさ」
にんまり笑った司に笑みを返す。そんな凛を見た司の顔が少し赤味を帯びていた。
「司君、顔赤いけど・・・熱?」
数分とはいえ死んでいたのだ。心配になった凛が立ち上がってそっと司に近づくと無造作におでこを合わせようとした。
「ちょ!なに!?」
司はひどく動揺し、大きく顔を逸らした。そんな司の動きに対し、凛は不思議そうにして首を傾げるしかない。
「なにって・・・熱、見ようかと」
「近いよ、顔が・・・恥ずかしいじゃん」
「え?」
「え?」
恥ずかしいという言葉に疑問を持った凛。そんな凛に疑問を持った司。凛はそっと司の手に自分の手を重ねた。すると司はあわてた様子でその手を引っ込めた。
「どうしたの?」
「どうしたって・・・・わかんない・・・けど・・・」
「けど?」
「お前に触れられると体が熱くなるっていうか・・・なんか恥ずかしいし・・・ドキドキするし、胸が痛いし、でも、なんか・・・・触られたいけど・・・怖いし」
その言葉を口にしながらも恥ずかしそうにする司を見た凛の目が輝いた。
「んっ!」
そう言って凛は目を閉じて唇を突き出す。それを見た司は顔どころか全身を真っ赤にして硬直してしまった。薄目を開けてその反応を見ていた凛が目を開くと嫌な笑みを浮かべた。
「ギュってしてあげようか?」
「いいって・・・」
「今どんな気持ち?」
「すんげードキドキする・・・なんか、胸がむずがゆいし・・・・でも、なんか嬉しいっていうか苦しいっていうか・・・」
凛はそっと、ゆっくりと司の胸に手を置いた。相変わらず硬直した司の胸の鼓動が信じられない速さで高鳴っていた。
「司君、それが恋、だよ」
「恋?」
「私を好きってこと!」
「これが?」
「そう!」
そう言って司に覆いかぶさるようにして抱きついた。司は表情も身体も硬直させ、真っ赤になってじっとしている。心臓が破裂しそうなほどに早鐘を打っているのが凛の胸を通じて伝わってきていた。
「嬉しい?」
「う、うん」
「好きだよ、司君」
そう言った瞬間、司はますます顔を赤くした。急激に生まれた感情に戸惑いつつも頷く。そうしているとドアがノックされ、凛は司から離れた。それでも真っ赤な司は固まっている。ドアの向こうからやってきた看護士さんはかなり可愛い感じの人だが、これは司の反応を見るチャンスだと思った凛は少し離れた位置に移動した。
「あれ、熱い?」
そう言って看護士がそっと赤い顔をした司のおでこに触れた。だが司は平然としたまま首を横に振っている。
「ちょっと温いかな?」
そう言い、耳に体温計を挿した。ものの数秒で電子音がしてそれを見るが、熱はないようだ。その後いろいろ身体を触れていくが、司に変化は無い。やがて看護士が去っていくと凛は椅子に腰掛けた。そんな凛を見た司の顔が瞬時に赤くなった。
「さっきの人に触れられたとき、何か感じた?」
「な、なにも・・・」
「そうなの?」
司は自分を見つめてそう言う凛から目を逸らして頷いた。
「もしかして、私にだけそういう反応?」
そう言った凛が素早く立ち上がると司の頬にそっとキスをした。司は絶叫しつつベッドからずり落ちそうになり、耳まで真っ赤にしつつ目を大きく見開いていた。
「なんか・・・前の方がいちゃいちゃできた気がする」
自分だけに沸いた好きという愛情が過敏すぎている。失った感情が新しく芽生えたのだ、当然かとも思う。司にしてみれば今までなかった感情が突然沸きあがって来た。本来であれば幼少の頃から芽生える好きという感情が突然この年になって表れたのだ。新生された愛情に戸惑い、抗体も抵抗もないためにこうまで過敏に反応しているのだ。凛にしてみれば自分を好きになってくれたことは嬉しいが、この調子では手を繋いで歩くこともままならないだろう。だが、それでもいい。司が自分を、自分だけを好きになってくれた。それは凄く嬉しく、そして楽しい日々を予感させていた。
*
1日の休校だけで学校は再開されたものの、司と凛、そして来武と未来はその翌日も休んでいた。司はまだ入院中であり、退院は明日を予定されている。そんな司の世話をするために凛も休んでいた。元々授業自体も消化するだけの状態であったし、問題は無い。一方、来武は神咲神社の前に立っていた。思いもよらず得た霊力と霊圧、そして前世の記憶。それに戸惑っているのもまた事実だ。あれほど嫌悪していた非科学的な超常現象が今、目の前に展開されている。かつての自分、前世であるカグラが望んだ結末ではないにしろ、得たものはいい方向に生かしたいとも思う。そう、自分は見守るのだ。司と凛がちゃんと結ばれるその日まで。
「未生先輩?」
その声に振り向けば、そこに立っていたのは未来だ。来武は笑顔を見せて手を挙げ、そんな来武を見た未来は違和感を覚えた。
「蓬莱さん、今日は休んだのかい?」
言葉遣いも雰囲気もどこか今まで違う気がする。なんというか、今まであった尖った部分がなくなった印象を受けた。
「はい・・・なんか、こう、そういう気になれなくて」
「同じだね」
微笑む来武に思わず頬を赤く染めた。そんな未来に近づいた来武は少し何かを考えるような仕草をとった。
「君は神手と幼馴染だったよね?」
「はい、そうです」
「なら彼の能力も熟知してる、ってことか」
その言葉に頷く未来を見た来武はそれならばとお茶に誘った。それを受けた未来も駅前にある大手のコーヒーショップに入った。
「実はね、あの事件以降、俺にもそういう能力が芽生えて、正直困惑してるんだよ」
「そういう、能力?」
「霊力やら霊圧やら、ね」
その言葉に驚いた顔をする未来に対し、来武は正直にあの事件に関することを話した。前世の因縁、そして邪念体のこと。あの時司に何が起こったのかを細かく説明していった。未来ならばそれら全てを受け入れることができると判断してのことだった。現に未来はそれをしっかりと受け止め、理解していく。全てを話し終えた来武にいくつかの質問を投げた未来はその真相に驚きつつもどこか納得した顔をしていた。
「じゃぁ、司と凛さんは前世からの因縁があったんだ」
「ああ。でもね、そんなの関係なく2人は出会い、凛は彼に恋をした。それだけは確かだよ」
「勝てないわけです」
「お互いにね」
そう言って微笑みあった。確かにそうだと思う。未来は司をあきらめ、来武は凛に振られた。それは前世など関係ない。今の2人がそうなっただけのことだ。
「そこで本題なんだけど、君の持っている知識を俺に教えて欲しい」
「知識っていっても・・・司からの受け売りですよ?」
「それでもいい・・・前世の記憶はあれど、使い方とかさっぱりなんだよ」
苦笑する来武はやはり以前とは違う気がした。それは前世の記憶、カグラだった時の人格が作用しているからかもしれない。それでも以前の刺々しい来武に比べれば高感度は高い。未来は頷き、霊能力に関する家庭教師を承諾したのだった。
*
一面の雪景色がパノラマとして目の前に広がっていた。遠くの山との間にある平野にはのどかな風景が広がっていた。山も白く、野も白い。遠くから聞こえてくる音楽はスキー場にかかる定番の曲であり、凛はサングラスをあげてその景色を直に見つめた。太陽の光を反射する白くまぶしい光に目を細める。吐く息は白く流れるが風はなかった。昨日の午後に到着した長野県のとある有名なスキー場、ここは卒業旅行に選んだ場所だった。胸のポケットに入れた携帯を取り出してカメラモードにし、その景色を写していく。そんな凛の横に息も絶え絶えの裕子が並んだ。
「いいよねぇ、経験者はさぁ・・・」
ほとんど素人に近い裕子にすれば中級者のコースは難易度が高すぎた。何度も転びながらようやくここまで来れたのだった。
「経験っても、そんなにないよ?」
「あたしゃこれが2回目なんだけどね」
サングラスを取ってストックにもたれるようにして疲労を軽減するような態勢を取ったその横に万理子も並んだ。さっき派手に転んだようで、茶色い髪の上に白い雪が乗っている。
「あんたも下手だね・・・」
「ぶつかってこられたんだもん・・・私は下手じゃない」
そんなやりとりを聞いていた凛が2人をカメラに収めた。
「昨日から写真撮りまくっているけど、神手に送るんなら撮ってあげようか?」
その言葉に微笑んだ凛はスマホを裕子に渡した。裕子は雪山をバックに凛を撮影するとそれを返却する。
「しかしあの変わりようには驚かされるね」
撮った写真を確認していた凛の表情が緩んだ。あの事件から5日後、裕子と万理子は司を見舞っていた。その際、凛に対する司の変化を見て驚き、そして冷やかした。裕子が抱きつこうが胸を触らせようがまったく以前と変わらぬ反応を見せる司だったが、凛がじっと見つめただけで目を逸らして顔を真っ赤にする様は新鮮でしかない。司は凛にだけ女性を感じていたのだ。
「しっかし、あれじゃ1歩進んで2歩下がりまくりじゃないの?」
メールにさっきの写真を添付していた凛が裕子を見れば、いつの間にやらその場に座り込んでいた。そんな裕子をストックで突いていた万理子も頷く。
「でも、その1歩は大きいからね。下がっても以前より前にいるよ」
確かに以前の壊れたままの司であれば抱きついたり手を握ったり、キスまでできていた。だが、今の司はその逆だ。手を繋ごうとすれば引っ込め、抱きつけば硬直する。キスしようとすれば気絶されたぐらい重症だった。それでも自分を好きだからこそのその反応が凛にはたまらなく嬉しいのだ。
「突然生まれた感情じゃぁ、仕方ないか」
「うん。でも前進してるわけだし、焦ってないよ」
いつ元に戻せるかといった不安が無い分、凛としては気持ちが楽だ。徐々に、少しずつ慣らしていけばいい。そう考えていた。
「あの状態じゃ、えっちするのに何年かかるのやらね」
裕子の言葉に凛は苦笑した。そんな関係はまだ望んでいない。それに司の男性機能はまだ回復段階ということで、そういう意味でもまだまだ先のことになるだろう。今はただ司が自分を好きになってくれた。ただそれだけが嬉しいのだから。
「5年ぐらい先、かな?」
根拠のないその数字だが、凛の中では確信に近い数字でもあった。何故かはわからない。だが、そんな気がする。そんな凛を見上げた裕子はあきれた顔をしてみせた。
「5年も我慢できるんだ?あんた5年後は23だよ?23でまだ処女だよ?」
「忍耐強いんだよ、私・・・それに身持ち固いしちょうどいい。なんなら結婚してからでもいいぐらい」
「どーせ私は我慢弱い女ですぅ」
不貞腐れたようにそう言う裕子を突っつく万理子を見て微笑む。そうして休憩も終わって3人は山を降りた。途中で裕子が何度も転び、それをフォローしたために結構な時間を要したが、おかげでこの1日で裕子はかなり上達したのだった。
*
飲食店の入ったビルを見上げた司は露骨に嫌な顔をしてみせる。それはそこに漂う霊気のせいではなく、横に立つ人物を見ての反応だった。
「いるなぁ・・・確実に2人」
「そうなんですか?」
「ああ。女と、男だね」
そのやりとりを聞いている司は黙ったままだ。明らかに不愉快そうな顔をした司はため息をつくとコートのポケットに手を突っ込んで2人の方へと体を向けた。
「なんでインテリが来てるんだよ・・・未来もだけどさ」
うんざりしたようにそう言う司に対して来武は横目で司を見やる。その横に立つ未来は腕組みをしつつずいと一歩踏み出した。
「未生先輩の研修だって言ったでしょう?」
「受けた覚えはない!」
「おじさんがそう言ったの忘れたの?」
「じゃぁさ、お前らだけで祓えよな」
睨みあう2人を見つつ苦笑した来武は再度ビルを見つめる。神咲神社にお祓いの相談に来たのはこのビルのオーナーだ。地下にある居酒屋の厨房に女の霊が出るとの事で御祓いを依頼してきたのだ。その際、ここ一ヶ月ほど信司のレクチャーを受けて独自の除霊方法を会得しようとしていた来武も同行するように言われ、その来武のアドバイザーになっている未来もまたこうして同行していたのだ。ここ最近はずっと一緒にいることもあって、来武と未来の距離は確実に縮まっていた。
「俺が祓ってもいいのか?」
「霊圧的には可能だろ?」
「・・・・そうか?」
来武に芽生えた霊力と霊圧は共に20程度のものだ。それでもこういった類の霊であれば十分に祓える力を持っている。ただ、来武の除霊方法は相手を体の中に入れて自分の霊圧で浄化するものである。つまり、かつてのカグラと同じ能力だった。取り込んだ完全に霊体を浄化しない限り、またああいう悲劇的なことが起こりうる可能性も秘めていた。だからこそ、その対策も抜かりがない。
「六の術、禊と十の術、抜は教えてやったろ?」
禊は自分の中に霊を取り込み、それを自身の霊圧で除霊する方法だ。それこそカグラが得意とした能力であり、来武が得意とする能力でもある。そして抜は自分の中に取り込んだ霊を抜き取る術。これを駆使すれば体内に邪念が残る可能性はなくなるのだ。信司の依頼でこの2つは教えた司だが、はっきり言って来武は足手まといにしかならない。自分であれば1秒で終わる除霊も来武にさせれば十数分を要するからだ。めんどくさがりの司にすれば、それはただのロスでしかない。
「では行ってくる」
「はいよ」
来武は気合を入れると店の中に入っていった。その後を追って未来もまた入る。そんな2人の背中を気だるそうに見つめていた司の携帯がメールの着信を告げる音を奏で始めた。ポケットから携帯を取り出してそれを見れば、雪山をバックにピースをした凛の写真が添付されていた。思わず赤面しつつちゃんと保存をする。メッセージには壁紙にしてねという文字とハートの絵文字が添えられていたが、恥ずかしくてそんなことなど出来るはずもない。司はまじまじと写真の凛を見つめる。胸がドキドキして体が熱くなる。そして大きなため息をつくと携帯をポケットにしまった。
「明後日まで会えないのかぁ」
ため息交じりにそうつぶやくと、白い息が風に流されて消えた。卒業旅行に出かけた凛が戻るのは明後日の夜になる。会いたい想いが募るが、会えば会ったで気恥ずかしくてまともに話もできない。
「恋ってめんどくさいんだなぁ」
そう呟いた司の耳に来武と未来の悲鳴が聞こえてきた。またかと深いため息をついた司はめんどくさそうに地下への階段を降りつつ両手の数珠を外すのだった。
*
「ただいま!」
そう言って抱きついてきた凛に対し、司は全身を赤くして固まるだけだった。会えて嬉しいがそれ以上に恥ずかしい。凛はぎゅっと抱きついたまましばらく動かない。司は呼吸すら乱しつつ指先までをピーンと伸ばして完全に固まっていた。
「さびしかった?」
「お、おう」
そう言うのが精一杯だが、その素直な言葉ににんまり笑った凛はより一層強く抱きしめる。
「ちょ、ちょっと・・・も、もういいって・・・」
「ダメ」
自分の匂いを嗅ぐようにする凛にますます赤くなり、体が熱を帯びる。そんな司の反応が嬉しい凛がその頬にそっとキスをした。途端に絶叫し、へたりこんだ司を見た凛は大笑いをしてみせる。
「もう、うるさいしまぶしいし!いい加減にしてよバカップル!」
リビングから顔を出して文句を言う美咲に謝りつつもお土産のクッキーを渡す。司は廊下に倒れこむようにしてぐったりとしたままだが、凛はさっさとリビングへと入っていった。
「く、くそ・・・・いつになったら慣れるんだよ、これ・・・」
はぁはぁ言いながらドキドキする胸を落ち着かせるように胸に手を当てた。ああされるのは嬉しいのだが体がもたないとも思う。そんな司はのっそりと立ち上がるとリビングに入った。途端に手を引っ張られて凛の横に無理矢理座らされ、またも固まる司に体を密着させる凛が微笑んだ。
「これ、司君へのお土産だよ」
そう言って取り出したのはスキーの板を形取ったキーホルダーだった。
「他にもいっぱいあるけど、まずそれね」
凛は微笑み、司はぎこちない笑みを返す。そんな凛を見た美咲はため息をつきつつ手にしたクッキーの箱を開け始めた。
「カップルになったのはいいけど、お姉ちゃんの好き好きオーラが強すぎるよぉ。ずっと霊力カットしないと目が開かないし」
「ゴメンね・・・でも、好きなんだもーん!」
そう言ってまたも司に抱きつくと、司はカチンコチンになってされるがままの状態になる。そんな兄を見た美咲は深々とため息をついた。
「だからまぶしいって・・・」
「ごめーん」
結局、凛の中のオーラ、光天翼は消えることがなかった。よくわからないが司の中に返したはずのものがまた凛に戻っているのだ。一時的に仮死状態になったせいだとは思うが、それでもよく分からない現象に司も首をひねるしかなかった。もっとも、光天翼は命を削って使用するものだけに、凛が預かっている方が無難であるとも思える。今現在、凛の承認なしには使えない禁断の秘技として存在する状態であった。もちろん、どうやってそれを使用可能にするのかなど、その発動の仕方は誰にもわからないのだが。
「霊力にかけるサングラスとかないのかなぁ」
心底困った顔をする美咲に謝りつつも、司に対する過度なスキンシップをやめる気はない凛はピロッと舌を出すのだった。
*
凛の卒業式には信司や麻美など、関係者が多く出席をしていた。元芸能人とあって最後に一緒に写真を撮りたいという同級生も多く、式の後も凛の周囲に人は絶えなかった。そうして長い撮影会も終了し、凛は感慨深げに校舎を振り返る。いろいろな事件もあったが楽しいことも多かった。実際、入学から2年ほどはあまり学校に来なかったイメージがあれど、最後の1年が濃かったこともあって思い出深いことに変わりはなかった。そんな凛の傍にやって来た来武もまた同じように校舎を見つめた。
「楽しかったって、どこか言い難いけど・・・いい経験にはなったと思う」
カグラの邪念に憑かれたこともあっての言葉だが、来武の顔は晴れ渡っていた。そんな来武を見た凛はその顔に満足そうに頷く。
「凛に会えて、良かったよ」
屈託の無い笑顔がそこにあった。前世の因縁など関係なく凛に恋をして振られた。そのことで邪念に憑かれもしたが、それでも凛に対する想いは本物だった。
「蓬莱さんにも、でしょ?」
少し意地悪なその言葉を聞いた来武は苦笑した。この2ヶ月あまり、未来と一緒にいる時間が多かったせいか、来武はほのかな想いを未来に抱いていた。あの邪念体の事件以降、落ち着いた雰囲気を持つ来武はこれまで以上にモテていたが、そんな彼が惹かれたのは未来なのだ。そして未来もまた来武に恋をしていた。それもあってこの後、来武は未来に告白をするつもりでいた。
「1枚、いいかな?」
「いいよ」
差し出すカメラを見た凛がそう言い、来武はシャッターを切った。笑顔の凛がそこにいる。高校時代の最後の思い出にふさわしい笑顔がそこにあった。
「撮ってあげるよ」
そう言いながら近づいた信司の言葉に2人が頷き、並ぶ。肩が触れそうで触れない距離感がたまらなく心地よかった。信司はこれこそがこの2人の心の距離だと思い、シャッターを切る。事件を通じて2人はいい友人になっているのだ。
「お前の彼氏にもまだまだ教えてもらうことが多いし、やっかいにもなると思うけど」
「美味しいレモンティー用意しておくから」
その凛の言葉に微笑む来武に、凛もまたとびきりの笑顔を返すのだった。
*
神社の拝殿の前に佇む制服姿の司は賽銭を入れると手を合わせる。きちんとした作法に乗っ取った参拝方法にお参りをしていたおばあさんが感心していたが、司は一心不乱に願いを込める。
「早めにこの体質が改善されますように」
ずっと凛にしてやられている現状を嘆いてのお願い事だった。それに、凛が楽しみにしていたゴールデンウィークの旅行もなくなったことが大きく影響していた。今の精神状態で2人きりで旅行など行けるはずが無い。しかも約束したとはいえ、一緒に裸で寝るなど死んでしまう。凛は約束にこだわったが、司はそれを延期していた。少なくとももう少しこの体質をどうにかしない限り旅行など行けないのだ。
「裸で・・・・寝たかったけど・・・」
男性機能も戻りつつあり、凛に関する妄想だけならそれは完全に回復している。だが実際に抱きつかれたりした際には緊張のせいか、全く機能しなかった。司は凛の裸を想像するだけで真っ赤になり、心臓が早鐘を打った。大きく頭を振ってそれを追い出すが、体の火照りはなかなか収まらない。
「やらしいこと考えてる顔だ」
その声に大きく飛び上がった司は5、6歩後ろへ下がった。横に立つ凛はそんな司を見て苦笑するが、司は顔を真っ赤にしたままそっぽを向いている。そのまま会話もなく拝殿を見つめていた2人が顔を見合わせ、同時に拝殿に背を向けた。並んで歩くが司の動きはどこかぎこちない。
「そ、卒業・・・おめでとう」
「ありがとう」
卒業式には2年生である司も参加したが、終わるとすぐに帰っていたのだ。一緒に写真でもと思っていた凛は不満だったが、めんどくさがりな司らしいとも思っていた。
「あとで、写真撮ろうよ」
「い、いいけど・・・」
「腕ぐらい組んでもいいよね?」
「腕だけなら、な」
「本当はぎゅっとされてるとこがいいけどなぁ」
悪戯っぽくそう言うと、司は顔を真っ赤にしつつそっぽを向く。そんな司を見た凛は微笑んだ。
「なら、なんとか我慢する」
「え?」
意外な言葉に凛は目を丸くしたが、司はそっぽを向いたままだった。
「1枚撮ったら・・・すぐ離れろよ?」
「うん!」
凛は嬉しそうにそう言うと、そっと指を司の指に絡ませた。司は体をビクつかせたが、それでもそれを振り払おうとはしなかった。だが赤い顔は相変わらずそっぽを向いている。
「好きだよ、司君」
絡めた指に力がこもる。そんな凛をチラッと見た司の顔がますます赤くなるが、それでもぎこちのない笑みを返してくれたことが嬉しかった。
「お、お、お、俺も・・・・す、好きだから」
どもりつつそう言う司が愛おしい。この広い世界の中で、いや、宇宙の中で司が好きなのは自分だけなのだ。
「うん!大好き!」
そう言って抱きついた凛に対し、司は体を硬直させた。だが、それでも頑張っておずおずと凛の背中に手を回した。その大きな進歩に凛は微笑み、そのままそっと軽く唇を司の唇に重ねた。鉄より固くなったその体を強く抱きしめる凛は満面の笑みを浮かべて司の胸に顔を埋める。気絶寸前の司だったが、それでも凛を抱くその手に力を込めるのだった。
これにて、この物語は一旦終了です。
一旦というのも、別作品である「いちごいちえ」とクロスオーバーした双方の続編が控えているからでして。
それ以外でも外伝的なものも続けていけたらと考えています。
それはいつになるかわかりませんが、クロスオーバーは来年早々に載せたいと思っています。
最後まで読んで下さった方々に感謝します。
多作品含めてよろしくお願いします。




