前編
年も明け、新学期が始まって既に4日が経過していた。この時期、3年生は授業があれど、そのほとんどが自習のような状態にあった。まだ受験を控えた者や、凛たちのようにすでに合格を決めた者など様々な環境に身を置いた生徒がいるためである。登校すらもまちまちな生徒がいるが、まだ進路も決まっていない受験生である世良みのりは新学期になって以来ずっと学校を休んでいた。年末に男女6人で卒業旅行として上海に行き、帰ってきてから様子がおかしいとの噂も立つほどである。それにみのりだけでなく、旅行に行った6人全員が登校をしていなかったこともあって、その噂はかなりの信憑性を持っているのだ。現に表情もなく、まるでさまようように夜の街を歩いていたという目撃情報もあって、昨年秋のイジメによる殺人事件も重なって色々な噂が立つのも当然であった。そんな6人が登校してきたのは3学期が始まってちょうど10日目のことだった。
*
その前日の夜、来武は黒いコートを羽織って繁華街を歩いていた。その目はどこか虚ろであり、それでいて禍々しい光をたたえているように見える。そんな来武が地下にある古びたライブハウスへと入っていった。来武をよく知る人間であればまず間違いなくこの行動に疑問を持っただろう。彼は論理的な行動しかせず、非現実的な事象は決して認めない男であった。だが、司との肝試し、そして中国で発掘された黒い箱の事件を通してそういう事象もあるのだといった考えを持ったことは数人しか知らないことだ。そんな来武が好む音楽はクラシックであり、こういったライブハウスで演奏するような音楽を聴くはずもない。来武は狭い階段を下りた先にいる同じ学校で隣のクラスにいるみのりに頷いた。みのりはぼーっとした目をしていたが、来武の目を見るなりニタリと妖艶に微笑んでみせる。そうして後ろのドアを開いて先に来武を招き入れ、自分は後から入って鍵をかけた。中は綺麗な状態であったが人はほとんどいない。いや、いるのはあの上海旅行に行ったメンバーだけだった。みのりを含めた男女6人がまばらに座り込んでいる。来武はそんな6人を見て満足そうに微笑むと、ステージの上に描かれた奇妙な模様、魔方陣やら、そういったものに近いその模様の中心に置かれた黒い箱へと顔を向けた。コートを脱いで近くの椅子にかけた来武が箱へと近づく。
「時は満ちた・・・前回は不完全な形で開放したが、今度は違う。かつての能力を全て得た状態で、私は蘇る」
仰々しく両手を天井に挙げながら口を歪ませた来武が箱を手にする。手のひらにちょうど乗るその複雑な形状をした箱が黒く輝くと、組み合わさった木が1つずつ外れては床に落ちていく。落ちた木はすぐ砂のようになって、やがてその砂も消えた。金属の棒もまた同じように消滅し、中から姿を現した小さな白い石をそっとつまむと、来武はそれを口の中に入れて飲み込んだ。だが何の変化もなく、ただそこに立っている。
「これでこの体は私のものだ・・・かつてのものより貧弱だが、それは霊圧で補填しよう」
そう言ってニヤついた顔をみのりへと向けると、みのりは全裸になって来武の足元で膝を着く。
「お前たち全員が私の下僕だ・・・決行は明日、いよいよ復讐の時は来た」
高らかにそう宣言した来武もまた服を脱ぎ捨ててみのりに覆いかぶさった。残った男女5人も全裸になると椅子に腰掛ける。
「霊圧は体内で押し殺している・・・アマツも気づくまい」
来武はそう呟くと醜悪な顔つきになってみのりとの行為に及んだ。みのりはただ恍惚の表情を浮かべてあえぐばかりだ。この世のものではない快楽を得つつ、その命を削っている。削られた命は来武の、いや、その中にいる邪悪なものの力となり、さらなる霊圧と還元されるのだ。
「光天翼を持たずに転生したアマツなど雑魚だが・・・問題はあの太陽剣もどきか」
来武はみのりを抱きかかえたままで椅子に腰掛ける。
「学校に超住結界を張って出入りを禁ずれば、いい・・・か」
そこで不意に眩暈に襲われた。まだ過去の、前世の魂の受け入れを拒否しているというのか。それとも、転生した来武そのものの魂が自分を拒んでいるのか。来武、いや、カグラはその強大で邪悪な思念で完全に来武の自意識を心の奥底に封じ込めた。明日の朝には完全にこの身体を自分のものにする必要がある。どんな小さな隙も見せてはならない。かつての力が無くても、あの男はアマツなのだから。暗い顔をしたカグラは自ら体をくねらせているみのりとの行為に集中した。この女を含めた6人の魂と命をエネルギーに変えれば確実にアマツに勝てる。気の遠くなるほどの時間、暗い闇の中で夢見た瞬間は明日ようやく訪れるのだ。最早どれだけの時が経ったのかもわからない。その長い間溜め込んだ憎悪はもはや邪神とも言えるほどに肥大し、来武の体を内側からぶち破ろうとするように鼓動を早めていくのだった。
*
相変わらずの出だしの遅さで家を出る。家族全員が鍵を持っているとはいえ、いつも家の鍵を閉めるのは司だった。どんなに早く起きようとも、どんなに凛に急かされようとも決まった時間になるまでは家を出ないのが司だ。そんな司が鍵を閉めた瞬間、ほんの少しの違和感を学校から感じる。かといって何が変だとははっきりせず、霊圧やそういった類の乱れも感じなかった。気のせいかと思い歩き出す司だが、頭の片隅でその違和感は常に持っていた。みんな連れ立って登校する中、司はいつも1人だ。時々凛と一緒に登校はすれど、それは月に1度か2度のことである。そこまで親しい友人などいないこともあるが、1人の方が何かと気楽な司にしてみれば気にするべきことではなかった。そんな司は無意識的に校門の前で立ち止まる。やはり何かがおかしいと勘が告げている。かといって注意深く周囲を見渡すが何の変化もなく、瞳を金色に変えようとも何も感じず、何も見えない。だが何かが頭の中で警鐘を鳴らしているのだ。しばらくじっとその場で立ち尽くす。そんな司を追い抜いて校門をくぐる生徒の数が少なくなり、予鈴が鳴り響いた。小さなため息をついた司が校門をくぐり、完全に校門の内側に入った瞬間だった。司はその違和感の正体を知った。積み重なる魔方陣が縦横無尽に形成されていく。
「積層形立体魔方陣!?」
それはかつて上野由梨と北野信也が作り上げたものだ。しかし彼らがいない以上、それが発動することなどありえない。だが自分が校内に入った絶妙のタイミングで発動したのだ、間違いなく狙いは自分だと思えた。しかもその魔方陣に込められた霊圧は由梨や信也のものとは桁違いに大きい。最早簡単に被れることは出来ないほどの巨大な霊圧は以前感じたことのあるものだ。
「まさか・・・・あの箱の?」
そう呟いた瞬間だった。校舎の中から現れた6人の男女へと目をやる。異様なまでの邪気を身に纏ったその男女は無表情のままで司のすぐ目の前に立った。明らかに分かる憑かれているというその顔を見た司の表情が曇った。憑かれている、ではない。もう生きているのか死んでいるのかさえ判別できない生命力。微弱なその生命力とは裏腹に巨大な邪気が彼らを覆いつくしているのだ。これほどまで巨大な邪気を感じたのはあの黒い箱の一件で戦ったあの邪念体しかない。箱は2つ、ならば、そう考えた司は両手の数珠を外してポケットに入れた。6人は司を取り囲むようにし、そして男子2人が司の両脇に立つ。
「来いってんなら自分で行くけど?」
その言葉を聞いても無表情な6人のうち、2人の男子生徒に両脇を抱えられるようにして連行されていく。されるがままになりながらもどうするかを考えるが、今はこのまま状況に流されようと腹を決めた。6人は校舎へとは向かわずに体育館の方へと移動していく。校舎の中の様子は分からず、魔方陣の影響か霊圧もまともに感じられなかった。そのまま体育館の入り口まで来たところで男子が司を解放した。今更ながらによく見れば全員が3年生であることがわかる。表情もなく、そのまま1人の女子が体育館の入り口の扉に右手を置けば、扉が自動的に開いていくではないか。
「便利だな、それ」
司がそう言い、表情を緩める。口元に笑みを浮かべつつ開ききった扉を見た司を振り返ったその女、世良みのりは無表情のままで口元の端だけを小さく吊り上げた。
「可愛い顔も台無しってやつだな」
その不気味な笑顔を鼻で笑い、促されるままに土足のまま体育館へと足を踏み入れる。広い体育館の中にいたのは2人の人物だ。しかもよく見慣れたその顔を見た司の表情が引き締まる。司はその男女のいる体育館の中央まで歩き、立ち止まった。司を連行してきた6人は足音もなくそのまま歩いてその男女、来武と未来の後ろに並んだ。司は険しい顔のままニヤついた顔をしている来武を見やる。その全身から溢れる邪気は霊圧という次元を超えたものだとわかった。
「もしかして、インテリじゃなくってあんときの箱の中身のヤツ?」
「そうだ、久しいな、アマツ」
「あー、またその名前か」
表情のないままそう言うが、全身を嫌な汗が伝っていく。こいつには絶対に勝てないという圧倒的な邪気。それに押されているのがはっきりと自覚できていた。
「あんたは?」
「やはり記憶は継がないのだな・・・私はカグラ。かつてお前と友であった男だ」
「かつてっても前世だろ?」
「理解が早いのは変わらずか」
「他にない」
司は笑おうとしたが笑えなかった。逆にカグラの顔が薄い笑みを浮かべている。来武でありながらまるで別人のような雰囲気、それが司の中から来武のイメージを消し去っていた。そのまま横に立ってニヤニヤとした顔をしている未来を見やった。
「未来に何したの?」
「何も・・・まだ、な」
おそらくは巨大な霊圧で未来の霊圧とシンクロさせているのだろう。まるで催眠術のようにして。とにかく今は無事だと確信し、未来から来武、いや、カグラへと視線を戻した。
「で、インテリがあんたの生まれ変わった姿ってことでいい?」
「そうだ」
「前世と現世の魂を同居させて肉体を手に入れたのか」
「そうなるな・・・つまり、前世の私が現世に降臨した、そう考えてもらっていい」
「なるほど」
司はそう言いつつもどうやってこの邪念を打ち砕くかを考える。今の自分の霊圧を遥かに超えた相手に封神十七式の術式は一切通じないないだろう。勝てる可能性はゼロではないが、ゼロに限りなく近いのはまず間違いない。逆転するには魔封剣の力が必要なのだが、カグラの邪念が込められた魔方陣は突破するだけで力を使い果たすほどに強大なのだ。打つ手がないことに心の中で舌打ちをする。前回の戦いで学習したのだろう、由梨たちの残した魔方陣を利用し、自分を学校に封じ込める。事前に察知されないよう万全を期して箱を開封し、そして取り込んだ肉体を結界として霊圧と邪念を察知されないようにしていたのだ。おそらく、結界の中に箱を入れることで司に察知されないようにしていたのだろう。確実に自分を殺すために。恐るべき用意周到さに頭が下がる思いだ。
「で、俺を殺すの?」
「殺すために蘇ったのだからな・・・」
「未来はどうするの?」
「ゲームのプレイヤーになる」
「ゲーム?」
司の表情がますます険しくなるが、対照的にカグラの表情は緩んだ。
「校内のどこかにミコト、いや、桜園凛がいる・・・そいつを探し出すゲームだ」
「なら凛は無事ってことでいい?」
「ああ、無事だ」
邪念の塊が言うことを鵜呑みにはできないが今はそれを信じるしかなかった。司はカグラを睨むようにしつつ一歩踏み出す未来を目の端に捉えていた。
「ゲームの内容は簡単だ。お前がここを出た瞬間、この蓬莱がお前を追う。お前を殺すためにな。さらに一般の生徒たちがお前の邪魔をする。その邪魔をかいくぐり、蓬莱から逃げ、凛を探せばいい」
「探したら俺の勝ち?」
「無事探し出せればな」
つまり探し出すのは不可能だということか。それは未来に殺されるからなのか、邪魔が多いからなのか。それとも、全てが罠なのか。それに背後の6人の存在も気になる。
「全ての力を持って生まれ変わらなかった己の身を呪え、アマツ」
「全ての力?」
「ではスタートだ」
司の疑問を無視してそう言い、カグラは右手を挙げた。その瞬間、未来の両手に黒い剣が出現し、それを構える。恐るべき高さを持った霊圧の剣だ。それで斬りつけられれば確実に魂を消されてしまうだろう。司は苦渋に満ちた顔を未来に向けるが、もう未来の自意識は心の奥底に封じられてしまっている。今はカグラの操り人形にすぎないのだ。
「さぁ、逃げろ!」
そう言って右手を振り下ろした。その瞬間、司は全力で体育館を出る。背後に迫る未来の気配を感じつつまずは体育館の裏を経由してプールへと向かった。未来との距離を稼ぐために大きく迂回して校舎に向かうのだ。目指すのは凛の教室。邪念が強すぎて凛はおろか他の生徒を感じることも出来ない。舌打ちしか出ないが、そのまま昇降口へと向かって走り、校舎の中に入ったときだった。
「うへぇ・・・」
目の前には数人の生徒たち。男女入り混じった数十人の集団がそこにいた。全員から放たれている同じ邪気。彼らもまたカグラの霊圧を受けた人形になっていたのだ。司はそのまま右側を駆けた。こっちは音楽室やらがあって人気は少ない、はずだった。だがそこにも多くの生徒がいたのだ。
「まるでゾンビのゲームだな」
少々息を切らせながらもそのまま走った。襲い掛かってくる生徒たちをかわし、間をすり抜けるようにして走る。だがもう少しで階段というところで1人の生徒に腕を掴まれた。途端に全身を走る痛み。強烈な霊圧が司の魂に直接痛みを与えているのだ。防の術すら完全に無効化され、苦痛に片膝を着く。わらわらと集まってくる生徒たちに押し倒されればそれだけで命の危険にさらされるだろう。司は強引に腕を掴んでいる生徒を振りほどき、近づく生徒を蹴り倒す。
「やばっ!」
ふと廊下の向こうを見れば悪魔の笑みを浮かべた未来が近づいてくる姿が見えた。司は舌打ちをして階段を駆け上がる。そこにもわらわらと沸いて出る生徒を避けつつ一気に3階まで駆け上がった。凛のいるであろう教室に向かって駆けるが、そこにいたのは無表情で腕組みをしている裕子と万理子のコンビだった。
「ったく・・・中ボスか?」
その言葉をを吐いた瞬間、裕子と万理子の右手に黒い剣が出現する。他の生徒は立ち止まり、攻撃の様子は見せなかった。
「前には中ボス、背後に大ボスかよ・・・・」
仕方なく司は前に向かって駆けた。今は凛の安否確認が最優先だ。そう、未来や裕子たちのことなどどうでもよかった。今司の頭の中にあるのは凛の無事、ただそれだけだった。万理子が横なぎに剣を振るうが、スライディングをしてそれをかわす。途端に裕子が剣を振り下ろすが、体を回転させてそれをかわした。
「やっかいな」
そう言いながらさらに振り下ろす右手を受け止め、念を込めた。
「絶!」
その途端、大きくその腕が跳ね上がるが、直にそれは振り下ろされた。
「術が一瞬しか効かないってか・・・」
再度右腕を押さえる司に万理子の剣が突き出された。それを裕子の腕を使って剣で受け止めるが、その力に司は膝を着く。女子の力ではありえないそのパワーに押されていた司の腹部から黒い剣が生えてきた。
「ぐふっ!」
血など出ないが、その痛みは全身を駆け巡る。後ろを振り返れば笑っている未来が背中から剣を突き立てているのだ。重い体をなんとか前にやって剣を引き抜くがそのままよろめき、倒れこむ。そんな司に向かって3人の剣が振り下ろされた。それらをかわすように廊下を転がり、教室のドアの前に出る。咄嗟にドアを開けて中に入ると、教室の隅でうずくまって震えている凛がいた。
「凛!」
司はフラフラとしながら凛へと歩み寄る。凛は怯えた目をしたまま司を見上げるとぽろぽろと涙を流しつつ司に抱きついた。
「司君!」
「悪い、遅れた」
「ホントにね、遅いよ」
その声は暗く、低く、そして殺意がこもっていた。その声に思わずハッとなった司だが、抱きついていた凛が司の唇をふさぐように自分の唇を重ねた。そこから自分の中に何かが染み込んでくるような気配がし、身をよじろうとするが離れない。そのまま司は意識を失い、冷たい床に倒れこんだ。
「馬鹿な男だ・・・愛を失ったままならこうはならなかっただろうに」
凛であって凛ではない声でそう言い、可愛い顔とは裏腹な醜い笑みが浮かぶのだった。
*
深い闇の中にいた。全裸でいるせいか、かなり寒い。震えながら歩こうとする司は自分の周囲を囲んでいる気配に足を止めた。目の前に現れたのは全裸の少女だ。その顔に覚えがある。
「長谷川望」
つぶやく司を見て微笑んだ望の横にも知った顔が立っていた。
「未来・・・」
こちらも全裸の未来が薄い笑みを浮かべている。そのさらに隣にも自分が一番よく知る顔があり、司は困惑した顔を浮かべるしかなかった。
「凛」
その声に反応したのか、全裸の凛が小さく微笑んだ。そんな3人の背後には全裸の来武もいる。不敵な笑みを浮かべた来武にゆっくりと凛が近づくと、そのまま濃厚なキスをし始める。
「な、なんで・・・・」
今までにない感情が司の中を支配していく。それを嫌だと思う自分がいるのだ。何故来武とそんなことをするのか、そういう想いが司の胸を締め付ける。そのまま2人はお互いの身体をまさぐりあい、横になった。
「やめろ・・・」
怒りに顔を歪めた司が一歩踏み出すが、その前に望が立ちはだかった。
「あんたに止める権利はないよね?」
「なんだと!」
怒りのままに望の肩を掴もうとしたその腕を未来が掴んだ。
「大丈夫だよ・・・私がついてるから」
そう言い、そっとその両手を司の首にかけた。とんでもない力で自分の前に引き寄せた未来はそのまま司にキスをした。
「ずっとこうしたかったんだよ」
未来はそう言うと司の口の中に舌を入れてきた。そのあまりに不快な感覚に身をよじろうともがくが首を絞められているために動けない。苦痛と不快感に吐きそうになりつつ、薄い目で凛を見やった。2人は1つになっていやらしく蠢いている。快感にあえぐ凛、恍惚の表情を浮かべる来武。
「やめろぉ!」
激しい感情が司の中にあった。それが嫉妬だと理解できず、司は凛と来武を引き剥がそうとするが未来が首を絞める力をこめるために身動きがとれなかった。
「好きだったんだね、凛さんを・・・・私じゃなくって!」
そう言った未来の顔が怒りに変わり、さらなる力が喉をしめつける。薄れいく意識が右側から近づく人影を認識した刹那、鋭い痛みが左胸を走った。望が手にしていたナイフがそこに突き刺さったのだ。真っ赤な血が流れ、返り血を浴びた未来の手に更なる力がこもった。
「さよなら司君」
来武の愛撫を受けつつ、ニタニタした顔の凛がそう言った。
「じゃぁね、司」
首を絞める未来の顔にとびっきりの笑みが浮かんだ。
「死んでね、神手君」
ナイフをさらに深く突き刺す望が嬉しそうに笑っている。
「そうか・・・・みんな、俺を嫌いだったんだ・・・・・・・」
もうどうでもいいと思ってしまった。傍にいて欲しいと願った凛を取られ、未来に裏切られ、望に誤解された。司の目から涙が溢れた。それは凛を来武に取られたことが悲しくて流す涙だった。それほどまでに大事な存在だった。好きという感情を失くしていたが、それが好きだと気づいた時にはもう遅い。
「そっか・・・俺・・・・凛のこと・・・・好きだったんだ・・・愛していたんだ」
目を閉じた司は絞められる首の痛みや呼吸のできない苦しみではない痛みを心に感じていた。
『見つけました・・ようやく・・・・アマツ様』
聞いたことのない女性の声が聞こえた。いや、その声は知っている。そう、かつて愛した人のもの。優しく、愛を込めたその言葉に目を開いた。光り輝く七色の光が闇を消し去っていく。眩しい光に飲み込まれるように望も、未来も、そして凛も来武も消えていった。
「ミコト」
そこにいるのは優しい笑みを浮かべた髪の長い女性。腰まである長い黒髪を風に揺らし、自分を見つめていた。
「カグラ」
その横にはさわやかな笑みを浮かべた長髪の男が立っていた。切れ長の目をし、鼻筋も通った国中の女性が虜になるほどの美貌をたたえた顔に司もまた笑みを返した。
「見つけると言ったでしょう?」
「見守ると決めていた」
2人がそう言った。司ははにかんだ笑みを見せ、そして2人に近づいた。そしてそのままミコトを抱きしめる。
「全部思い出したよ、ミコト・・・・・・俺はアマツだったんだ・・・・そう、カグラ、お前も・・・」
カグラは困ったような顔をし、司の肩に手を置いて微笑んだ。
「ならば行け、アマツ。お前にしか、私の邪念を倒せない」
「でも・・・俺には・・・・」
「預かっていた力、お返しします」
「力?」
頷くミコトが離れ、そっとその両手を司の胸に置いた。だが何も感じず、何かが戻ってきた気もしない。
「私も手伝う。さぁ、ゆこう!」
カグラが右手を天にかざした。その瞬間、司は目を開いて身を起こした。全身に痛みを感じるが動けないこともない。周囲を見渡せばここが教室だとわかった。未来の姿は無いが、裕子と万理子が入り口付近に倒れており、自分のすぐ横では凛が倒れていた。あわてて抱き起こせば、凛はゆっくりと目を開いた。
「凛!」
「・・・・つか・・・さ・・・くん」
かすれるような声だが、口元に笑みが浮かんでいた。それを見た司はホッとし、その胸に右手を添えた。
「私・・・・ミコトだったんだね・・・・でもね・・・・そんなの関係なしに、司君のこと・・・・」
「分かってる」
そう言い、司はぎゅっと握った右手を離す。これで邪念体のカグラの霊圧をどこまで消せたかはわからないが、何もしなよりはましだと思えた。
「今は寝ていろ・・・終わらせてくるからさ、全部」
そう言い、いつものようににんまりと微笑む。そんな司の頬にそっと触れた凛が不安そうな顔をしてみせた。
「死なない、よね?」
「ああ」
「約束、したもんね?」
「ああ」
かすれる声でそう言う凛に笑みを返す。それでも不安そうな凛をそっと床に寝かせた。
「2千年も待ったんだからね・・・死なないよね?」
ミコトであり、凛がそこにいた。今は前世の記憶も完全にあるせいか、2人は今カグラを封じて死んだ時のことを思い返していた。アマツは死に、箱を封じるために大陸へと渡ったミコトは遠い地に箱を封印して命が尽きた。その際に願ったのはまた必ずアマツを見つけ出すということだ。その願いを霊力に込め、魂となったミコトは時空を超えた。アマツの気配を感じ取り、自分が先に見つけるためにアマツより前に桜園凛としてこの世に生まれ変わる。そうして1年遅れて司が誕生し、2人は運命の導くままにあの日、学校で出会ったのだ。
「あいつは絶対に倒すからな」
司はそう言い、立ち上がった。黒い剣に刺されたことと、意識の中の攻撃で霊圧はもうほとんど残っていない。勝つ可能性は無いと言った方が早いだろう。それでも司は笑っていた。
「行ってくる」
笑顔でそう言い、司は凛を見つめた。凛は頷くとそのまますぐに意識を失ってしまった。そんな凛の脇にしゃがみこんだ司はそっとその頬に手を添えた。
「今度は俺が、先に見つけるからな」
そう呟いて悲しげな顔をしたのも一瞬のことで、司は立ち上がると鋭い目つきになって教室を飛び出した。
*
体育館の真ん中に座り込んでいたカグラは不愉快そうな顔をしていた。何者かの介入によって司の魂を消滅しそこなったのだ。精神的に絶望をさせ、自らの意思で消えたいと願うように仕向けたというのに。それを邪魔した存在、それが誰か分からず苛立つ。おそらくはミコトだと思うのだが、そのミコトの気配も感じなかった。完全に遮断された世界の中で自分の念を撥ね返した存在がいるのもまた事実だ。それがアマツなのかミコトなのかはわからない。ただ、弱々しい霊圧が近づく気配は感じていた。
「お前たち、行け!」
静かに、そしてはっきりとそう言った矢先、6人が一斉に駆け出した。誰の仕業かはわからないがこの6人と未来を覗いた全員とのシンクロが解除されてしまっている。アマツでもなければミコトでもない誰かによる仕業。だが見当もつかない。歯痒い気持ちを抑えつつ立ち上がったカグラはそのまま入り口を睨むようにしていた。司の残り霊圧は微々たるものだ。そんな状態であの6人を倒せるはずが無い。だが、万一の保険として未来を残していた。未来の中にあった凛への嫉妬を増幅させ、司への愛情を裏返して憎しみを植えつけていることもあってそのシンクロは簡単には解除できないだろう。自らの手を下すまでもなく、失意の底に落として殺す。それがカグラの復讐だった。だがその策もさっきの邪魔で台無しになっている。
「何者なんだ・・・」
つぶやくカグラは怒りに満ちた表情のままでじっと入り口を睨みつけるのだった。
*
みのりを先頭に階段を下りた司に襲い掛かる6人。生きていながら死人のようなその存在は司にとって初めての相手だった。おそらく、カグラの邪念によって魂そのものを汚染されているのだろう。肉体内部にも直接的な邪念を送り込んでいる。かつて新興宗教の教祖が仁科優花に行おうとした儀式、それを施したのだろう。カグラの念を込めた体液を男女問わず体内へと入れた結果がこうなのだ。司は相手が手にした黒い剣を振るう6人の攻撃をかわすだけで精一杯だった。剣が触れれば肉体ではなく魂が削られる。かといって術は一瞬しか効果を発揮しない。残り少ない霊圧では打つ手もなく、ただ体力だけを消耗していった。
「くそ、こうなったら、ヤケだ!」
司はみのりの突き出した腕を掴むと横から突き刺しに来た男の方にその腕を向けた。お互いに体を刺しあった2人が絶叫し、白目を剥いて口から泡を吹いたまま倒れこむ。
「持ち主にも効果があるのか・・・」
司は勝機を見出し、同じようにして残る4人もお互いに刺し合わせた。なんとか6人を撃退したものの、体力も著しく消費し、息も切れていた。
「くそ・・・」
だからといって弱音を吐いていられない。ふらふらのまま体育館へと足を運ぶが、もうその体力も限界に来ていた。カグラを倒せる霊圧も体力もない。勝つ算段もなければ武器もないのだ。
「とにかく行くしかない、か」
意識の中でカグラが言った言葉を思い出す。自分にしかあの邪念体は倒せないと、そして手伝うといった言葉を。だが、どうやって手伝おうというのか。それでもあのカグラから感じたのはかつての友としての信頼感だ。邪念に取り憑かれる前の、優しく、強く、そして尊敬していたあのカグラだった。
「信じるぞ、友よ」
司はそう言い、走った。アマツとしての記憶は残っている。だからこそ、今のカグラに勝てる見込みがないと分かっていた。
「凛だけは・・・守りたい」
呟きが力になった。世界も、他人もどうでもいい。ただ守りたいのは凛だけなのだ。失った愛を取り戻した自覚などない。ただ純粋に生きていて欲しいと思うだけだった。そう、カグラに勝てるとすれば、命を捨てるしかない。自分が死んでも凛が生きているならそれでよかった。元より死ぬことに対する恐怖もなく、自分の命の重さは考えていない。そんなものは母親を亡くした際に感じなくなっていることだった。死んだらそれで終わり。それだけの話。だが、今の司の中にあるのは死への恐怖。凛に会えなくなるという恐怖があった。いや、自分は霊体になって凛を見守ればいい、だが傍にいるといった母親はその姿すら見せていない。結局、死んだらどうなるかなど、死んでみないとわからないのだから。そう考えながら体育館の前に立った司は二刀流の黒い剣を手にした未来と対峙した。表情のない顔が不気味でしかない。
「未来・・・」
「司・・・・死んでよ」
「なに?」
「私を好きにならないなら、死んで」
そう言い、悪鬼の顔つきになった未来が一気に駆けた。器用に2刀を振るう未来を相手に防戦一方になる司だが、それでも未来を救うべく術を駆使する。刀身が体に触れるその一瞬だけ防で防御し、手を添えて断を喰らわせる。だがその力は断てず、ただ逃げる隙を作ることしかできなかった。そんな司の腹部に蹴りを浴びせ、喰らった司は背中から地面に倒れこんだ。
「死ねぇぇぇぇ!」
未来の絶叫がこだまする中、2本の切っ先が司の胸を狙って迫り来る。咄嗟に左腕をかざして見せるが、一瞬しか効果の無い防御能力では意味はなかった。ほんの一瞬だけ切っ先が止まるが、そのまま胸を貫く勢いで剣が落ちてくる。
「くそ」
呟きと同時に目を閉じるが、何の痛みも感じなかったためにそっとその目を開いた。
「未来?」
切っ先は胸に触れるか触れないかのところで静止していた。誰が押さえているわけでもなく、司が何かをしているわけでもない。それなのに剣は止まり、未来がガクガクと震えていた。その瞳から涙が零れ落ちる。その顔を見た司はそっと右手を未来の胸の上に置いた。
「ごめんな・・・・俺にとっちゃ、お前は幼馴染でしかないんだ」
小さい頃からずっと一緒だった。この能力を知ってもなおずっと一緒にいてくれた。だが、近すぎた関係に恋愛感情が生まれることはなかった。逆に未来は頼れる存在として、そして身近にいる優しい存在として司に恋をしていた。そんな未来がショックを受けたのが中学2年の帰りに言われた一言だった。
「俺、長谷川が好きなんだよね」
てっきり両想いだと思っていた。家を行き来し、時には同じベッドで眠ったこともあった。もちろん何もなかったが期待していたことも事実だ。司の口から出たその言葉にショックを受けつつ、それでも司を想い続けた。そしてあの事件が起こる。司は除霊に成功したが心を壊した。これで完全に自分の恋も終わった、そう思っていた。そう、凛が現れるまでは。司の心を壊した負い目、一方通行の恋に疲れてその気持ちを失っていた。だが凛は違った。それを知ってなお司を想い続けたのだ。負けたとは思いたくない。だが、自分の中の壊れた恋心がまだどこかでくすぶっていたのもまた事実だ。それが凛への嫉妬を芽生えさせていた。かといってどうすることも出来ずにいた。悶々とした日々の中、それでも司を諦めた。自分は司を好きでいる。それは幼馴染として。それが未来の出した結論だった。
「絶」
司が静かにそう言い、未来の手から剣が消えた。そのまま気を失うかのように力なく自分に倒れこんできたためにあわててそれを支えて倒れこむ。
「ごめんね・・・・・・」
抱きしめた瞬間にそう呟いた未来。その謝罪の言葉の意味がわからない司はそのままそっとそこに未来を寝かせた。制服の上着を脱いで枕にしてみせる。
「謝るのは、俺だ・・・」
あの事件のことは半分以上忘れていた。だが、今は全部思い出している。過去の記憶の全て、そして前世の記憶も全て。未来が自分を責める必要などない。実際、欲望に負けかけた自分がいたのだから。望に憑いたものに誘われるままにキスをし、その胸を堪能した。最後まで行為に及ばなかったとはいえ、彼女に責められたことは否定できるはずも無い。そう、自分は彼女の魂と体を汚したのだから。
「ごめんな」
自分への感情を知りながらあえて知らない振りをしていた。はっきりさせることで幼馴染の関係すら壊してしまうことを恐れたからだ。だから遠まわしに望が好きだと言い、未来にそれを理解させた。卑怯な手を使って未来を振ったのだ。愛や恋を失ったのは自業自得のことだと思っている。未来が責任を感じることはない。
「今までありがとう」
司はそっと未来の頬に手を置いてその涙を拭う。最後の一撃を止めたのは紛れも無く未来の自分への愛だった。そんな未来に優しく微笑んだ司はゆっくりと立ち上がると体育館の中へと顔を向けた。赤黒いオーラで満たされたその中心にいる人物を睨みつつ、ゆっくりとそちらへと歩き出すのだった。
*
ゆっくりと立ち上がる司を見たカグラもまたゆっくりと立ち上がった。その表情には怒り、憎悪といった負の感情がありありと出ていた。自分に親しい者による死、それをもって完全に魂を消し去ろうと考えていたのがこのざまだ。体育館の中に入ってきた司を見たカグラはそこにかつての友の姿をダブらせていた。知的で冷静、それでいて明るい性格の男。どんな相手にも親身になり、どんな小さなことでも笑ってやり遂げる優男。アマツという名の友の顔を。
「カグラ・・・」
「アマツ・・・」
共にそう呼ぶが、そこに昔の関係はない。
「こうなった以上、楽に死ねると思うな」
そう言ったカグラの、いや、来武の身体が中に浮いた。ますます増大する邪念、邪気、霊圧。それはすでに神のそれをも遥かに超えて、最早この世界には存在しえない高次元の存在となっていた。この宇宙の法則すら、今のカグラには全く通用しないだろう。神という存在が見ることも感じることもできないのはその高次元の存在、波動存在といわれるものだからだという。我々が認識しうる3次元の世界を超越した感じることも見ることも出来ないさらに高度な存在だ。肉体も魂も、全てがこの世界で認識できる材料でしかない。
「八の術、撃!」
指先に込めた霊圧の弾丸を飛ばすが、それは来武の肉体に届く前に消滅した。何度撃っても効果は無い。
「もはや次元が違うのだ・・・そんな技が効くはずもない」
そう言ったカグラが同じように指先を光らせた。その瞬間、司の体は入り口付近にまで吹き飛ばされていた。肉体に何のダメージはないが、それが貫通した左肩から白いもやのようなものが立ち上る。それが霊圧の漏れ出すものだとは理解できなかった。肉体と魂を分断する攻撃を受けたせいか、もう左手に力は入らず、感覚も全くなかった。
「断ち切る力・・・・だったな、お前の能力は」
「ほぉ」
アマツが持つ前世の記憶を共有している司には分かる。自分が術式で霊を攻撃するタイプに対し、カグラのそれは自分の中に霊を取り込んでこの世との繋がりを断ち切ることで消滅させる能力を持っていた。だが、それ故に悲劇が起きたのだ。
「取り込んで断ち切る、その断ち切ったはずの邪念が少しずつお前の中に溜まっていった」
「溜めたんだよアマツ、お前を殺すために」
ニヤリと笑うカグラが右手の人差し指を司に向け、光らせる。今度は大きく右側に吹き飛んだ司は右腕の感覚もなくなったことに舌打ちをした。もはや防の術などなんの意味も持たない。すでにカグラのそれは霊圧などといったものではないのだ。いわば理解不能なエネルギーであり、それを防ぐエネルギーはこの世界に存在しない。霊的な力も含めて、全て。
「お前の能力はやっかいだった・・・太陽剣に光天翼・・・・そしてミコトの力」
ミコトの力は対象者の能力を数倍にも跳ね上げるというものだ。強大な相手もミコトのフォローがあれば打ち勝つことができる、それほどまでに特異な能力だった。
「だからお前はミコトの純潔を奪った・・・巫女の力は純潔であればその能力は最大になるからな」
「一石二鳥だったよ・・・好きな女の純潔をいただく快感を得つつ、その能力を落とすこともできた」
それでも自分を倒すほどの能力があったのは誤算だった。だからこそ、ミコトの生まれ変わりの凛に危機感を抱いていたが、彼女もまた司同様その能力を受け継がずに転生していたのだ。いや、それを言うなら来武もか。彼に関しては霊的な力をまったく備えずに生まれ変わり、こともあろうにそれを否定する頭の固さをもっていたのだ。それもあって箱の中の自分がその生まれ変わりに気づかなかった。そう、凛に告白して振られるまでは。あの瞬間、司に対して芽生えた小さな憎悪はかつてアマツに嫉妬したカグラのそれと同じものだった。さらにラッキーだったのは1つ目の箱を開く際にアマツとミコトの転生体がそこにいたことだ。結果、魂の半分を失ったが、警戒すべき相手がすぐ傍にいることを知れたことが大きい。だからこそ、上海で発見した箱を特殊な結界を張って日本へ持ち帰り、すぐにそれを結界内で保管した。何重にも結界を張って自分の物にしつつ来武の肉体の中にいる自分の存在を小さくしつつこの時を待ったのだ。アマツ、すなわち司に気づかれないように。司は両腕を垂れたままなんとか立ち上がるが既に霊圧も底を尽きかけていた。両腕も使えず、術も通じない。
「あぁ、アマツ・・・無残だよ・・・だから、お別れだ・・・お前を見ていられないよ」
馬鹿にした言い方にバカにした笑い声が響いた。
「まだ早いよ」
「早い?」
笑いは止まったが、笑みは消えていない。
「お前を消してない」
その言葉を聞いたカグラは宙に浮いたままで再度大笑いをした。まったく異なる高次元の存在となった自分を倒す術もなく、もう両腕も使えない状態でどうやって消すというのか。腹を抱えて大笑いをし、涙を流すカグラをじっと見据えつつ、司はゆっくりと息を吐いた。
「死んだものにはなくて、生きているものにあるもの、何だと思う?」
その問いかけを聞き、どうにか落ち着いたカグラがゆっくりと司を見下ろした。
「さぁな・・・」
「命だ」
「なるほど」
納得したカグラの顔がバカにしたような笑みを浮かべる。そんなカグラとは対照的に司はにんまりと微笑んだ。
「あの世にあるのが魂、そしてこの世にあるのが肉体。それを繋ぐのが命だ」
「魂と肉体の架け橋、それが命・・・師の言葉だったな」
遠い記憶の中にある言葉を口にしながら心底懐かしそうな顔をしたカグラを見つめる司もまた小さく微笑んだ。命には限りがある分、力は強い。魂をこの世に留めるために、肉体の中に押し込んでいるのが命の力だ。それを消費することが寿命だと師は言っていた。
「命は無限の可能性を生む」
そう言った司の身体がまばゆい光を発し出した。それが命の輝きだと悟ったカグラの表情が変わった。
「貴様・・・命を霊圧に変換しているのか!」
「架け橋をなくし、魂にそのエネルギーを与えれば、どうなる?」
不敵な笑みを浮かべる司の言葉にうろたえるカグラ。
「神をも超える霊圧となる・・・」
爆発的に増えていく霊圧を感じるが、それでもカグラのそれには遠く及ばない。ならば今のうちにさっさと殺すのが適切だ。
「どうせ死ぬなら、俺が殺してやる」
そう言ったカグラが両手を挙げて力を込めれば、そこに黒く光る槍が出現した。
「肉体も魂も命も、全てを消滅させてやる!もう2度と生まれ変わることがないように!ミコトのことは心配するな・・・好きでもない相手の子を何人も何人も産ませてやる!いろんな男に抱かせて、いろんな男の子供を産ませ、その魂を絶望のまま生かしておいてやろう、永遠に!」
邪悪に歪んだ笑みが浮かんだが、それはすぐに消えた。
「そうはせない」
自分の口から発したその言葉に驚き、うろたえる。今、自分はなんと言った?
「なんなんだ?誰だ!」
「私はカグラ、私であって貴様、そして未生来武」
同じ顔で会話をしている。司は驚きつつも命の限りを霊圧に変換していった。カグラはゆっくりと床に両足をつけると苦しそうに片膝をついた。
「そ、そうか・・・・・この体・・・・そういうことかぁぁぁぁぁぁ!」
絶叫が体育館にこだました。来武の体から放出されていた邪悪の象徴である赤黒いオーラが、その胸からほとばしる白く神々しい輝きによって追い出されていく。目も開けていられないほどの光が満ち後、司が見たものは自分を見つめる来武の優しい笑顔だった。
「かつての俺の中に残っていた良心、それが生まれ変わったのが俺だ」
そう言った瞬間、司は来武と意識を通じ合わせていた。それはあの双子のエクソシストが見せた魂の同調、シンクロイド・ツインの成せる技と同じものだった。体内に邪悪なものを入れて浄化するカグラは、徐々にその邪念に取り込まれていった。小さな邪念も溜まり溜まれば大きくなる。アマツを愛するミコトを見守ろうと決めていたカグラの心に、それは取り憑いたのだ。ミコトへの密かな想いを利用され、その本当の心は悪に染まっていった。やがて霊圧の全てを裏返して邪念に換えたカグラは残ったわずかな良心を意識の底に封じ込めたのだ。そしてアマツとミコトによってその邪念もろとも消滅させられたが、その一方で残された善なる心はやがて消えるであろうそのミコトを追い、来世で彼らを見守ろうとこの時代に飛んだのだ。そして自分の過去の行いを恥じた結果、全ての能力を捨て、さらには霊的なものに関わることすら拒否をしたのだ。だが、そんな来武が偶然にも先に凛と出会い、恋をしてしまった。やがて導かれるように司と凛が出会うことによって自分もその運命に巻き込まれたのだ。関わるはずのなかった、見守るために生まれ変わりながら凛を愛し、司に嫉妬した。なにも変わらぬ前世の反省だったが、それでもカグラの良心は来武の心を冷静に保っていたのだ。そう、あの箱が現れるまでは。箱に呼応して来武は司への憎悪を募らせた。そしてカグラの良心は悪しき自分の魂の計画を先読みしてじっとこの機会を待っていたのだ。自分の力を最大限に発揮した瞬間こそ肉体から邪念が一番少なくなる機会だと知って表に出てきたのだった。2千年前にはできなかったことを、今ここで成し遂げるために。
『おのれ・・・・・・・おのれ!』
赤黒い邪念体は来武の肉体から弾き飛ばされて体育館のステージの上で燃え盛る炎となってそこにいた。
「半分は返してもらったぞ」
『我が霊圧を・・・貴様!忘れたのか!アマツを憎んだ日々を!ミコトに恋焦がれた日々を!』
「前世でも、そして現世でも振られたしな・・・未練はないよ、貴様と違って」
その言い方はカグラではなく来武のものだった。司は小さく微笑み、来武は険しい顔をしてみせた。
「神手!もういい!俺とお前なら、こいつを倒せるはずだ!」
「いや・・・そうでもない」
『そのとおりだ』
邪念体が無数の槍を来武へと向けて飛ばす。来武は両手で霊圧の壁を作るがいくつかは貫通してその体に突き刺さっていく。苦しみもがきながら床を転がる来武の体からも白いもやが立ち上っていた。霊圧が消失していく感覚に恐怖が芽生える。
『半分は奪われたが、所詮は霊圧・・・もう半分は波動なのだ・・・この世のものではない』
邪念体からニタリと笑う気配がした。来武は身を起こそうとするが痛みで動きがままならない。
「くそ・・・もう前世の俺じゃないってことか・・・・」
『お前はそこで寝ていろ・・・すぐにまた戻るからな』
そう言うと邪念体はゆっくりと司に近づいた。司の肉体は明滅しており、もはや肉体が魂と分離する寸前の状態になっていた。
『確かに凄いが、それでもまだ足りないなぁ』
ケラケラと笑う邪念体に対し、司は歯軋りをした。いささかダメージを負いすぎたのだ。命の輝きに呼応できる霊圧があまりに足りない。
『凛は生かさず殺さず、楽しませてもらう』
その言葉に司は顔を伏せた。それだけは絶対に許さない。凛は守る。命に代えても。
「・・・させない」
『どうやって?お前にそれだけの力は、ない』
馬鹿にした思念体の声を無視して目を閉じた司の脳裏に浮かぶ凛の笑顔、泣き顔。手の温もり、体の温かさ、そのいい香り。柔らかな唇の感触、その声。
司君!
とびきりの笑顔がそこにあった。それを守りたい。好きだから。
『死ね』
邪念体が黒い巨大な槍を出現させ、それを飛ばした。
「神手っ!」
来武の叫びよりも早くの槍は司の体を貫いた、はずだった。突然司の前に現れた七色のカーテンがその槍を消滅させてしまったのだ。その七色の輝き、それに見覚えのあるカグラは驚愕し、そのゆらめきの速度を加速させた。
『それは・・・・あの女の・・・・』
美咲や、霊力のあるものには見えていた凛の司に対する好き好きオーラの輝き。それが何故か司の前に存在していた。呆然とした司がその七色のカーテンへと手を伸ばし、ハッとなる。感覚すら失っていた手が動くのだ。両腕共に完全に感覚が戻っている。
『ばかな・・・・そんな・・・』
そんな邪念体の驚愕の言葉も耳に入らない司は胸のところで熱い感じがしたためにそこに手をやった。服の下からそれを取り出せば、クリスマスイブの夜に凛がくれたペンダントが光を発し、熱く輝いていた。七色のカーテンと同じ光で。
「凛・・・」
その呟きをかき消すかのように無数の黒い槍が飛来する。だがその全ては光のカーテンに遮られていた。
『さぁ、お返しします・・・転生の最中で拾った、あなたが持つ真の能力を!』
一瞬、光のカーテンの中に見えた腰まである長い髪の女性。美しく清らかな顔はどことなく凛に似ていた。
「ミコト・・・」
来武が懐かしそうにそう呟き、邪念体は憎悪を増した黒いオーラを発した。そのオーラが弾丸となって司に降り注ぐ。だが光のカーテンがその全てを消滅させてしまうので司に届くことは無い。
『ばかな!あれもまた高次元の存在だというのか!?』
邪念体の動揺を見て司が小さく微笑んだ。
「そうか・・・・そうだったな」
そっと両腕をその光のカーテンに埋める。その瞬間、ペンダントが眩しく輝いた。すると光のカーテンは上下左右4つに分割され、そのまま翼のような形状をとったかと思うと司の胸を中心として十字を描くような形を成した。上は金色に、下は銀色に、右は赤色に、左は青色に輝いている。
『光天翼!』
驚きと畏怖を込めた感情が込められた言葉だった。これこそがアマツの能力の全てであった。この世のあらゆるものを防ぎあらゆるものを砕く光り輝く天使の翼。命を媒体とした寿命と引き換えの最強の武器。
「凛に買ったペンダント・・・これのイメージがあったからか・・・」
クリスマスイブにプレゼントしたネックレスは天使の翼だった。何故あれを選んだのか、今、司ははっきりと理解していた。無意識のうちに凛を守りたい、そう思ってのことだったのだ。それがあの天使の翼、光天翼の象徴だった。
『おのれ!だからといって、貴様の命もあとわずか!』
命を媒体とするのであれば、その命を霊圧に変換した司の寿命はもうほとんど残っていない。それでも司は笑っていた。
「もともと俺にあった能力だから、俺を思うと凛からそれが溢れていたのか・・・凛の中のミコトがアマツを探していたんだろうけど・・・俺に愛がないから・・・」
元々がアマツの能力であったために司にはその輝きが見えなかったのだ。自分の匂いが自分で分からないように。そう、ずっとミコトは探していたのだ。この力を使って、巡り会うべき運命の人を。だが光天翼の輝きは司の中のアマツに反応こそすれ、司はそれを認識できなかった。ミコトの愛を受け止める愛を知らなかったから。ということは、愛を知らない自分が凛と出会えたのは本当に偶然だったのだ。確かに初めて会った時に運命的なものを感じたかといえば答えはノーだ。アマツもミコトも関係なく出会い、凛は司に恋をした。そして司もまた凛に対して愛を取り戻していた。
「天」
司はそう呟き、金色の翼に触れる。その瞬間、無数の光の雨が邪念体の頭上から降り注いだ。邪念体は絶叫しつつその光の雨をその揺らめく体に浴びていた。突き刺さる金の針は想像を絶する苦痛を与えていた。
「地」
今度は床から伸びる無数の銀の刃が邪念体に突き刺さる。上からは金の雨、下からは銀の刃が突き刺さって邪念体をその場に封じ込めていた。
「火」
次に正面から赤い炎のような霧が出現し、それが炎となって邪念体に浴びせられた。凄まじい熱さが思念体を焼き尽くそうとしている。悶絶し、声すら出ない。
「水」
最後に後方から流れ出た激しい水流が邪念体の背中の部分を押していく。物凄い流れが押すせいで正面からの火に焼かれる痛みが増していた。
「真・光天乱舞」
これぞ封神十七式究極の力だった。十七の力を1つに重ねたあの技はこのコピーでしかない。遥か昔にアマツが編み出した封神十七式の真の能力は今、2千年の時を超えて蘇った。
「天と地と火と水の理に給えりは、大いなる力の刃にて悪しき空間を断ち切るものなり」
それは言葉でも、音でもなかった。思念というべき言葉を紡ぐ司の口は動いているが、来武にも邪念体にもそれを理解することはできなかった。
「水の力は清浄なる流れをもってその道を切り開く」
左に位置していた青色の翼は剣の形になって切っ先を正面にいる邪念体に向けるように折りたたまれていった。その光は青く、見ているだけで心が洗われるようだ。
「火の力は高貴なる熱をもってその邪心を燃やし尽くす」
右側の赤い翼が剣の形になり、青い剣の切っ先とくっ付くようにして折りたたまれていった。その光は赤く、見ているだけで自分の中の邪念が消えていくかのようだ。
「地の力は大らかなる心の豊穣をもたらす」
下に刃を向けるように翼から剣へと形状を変えた銀色の物体は赤と青の切っ先にそれを合わせるように上に折り曲がっていった。その光は銀色で、見ているだけで心が落ち着くような光だ。
「天の力はその魂を見極め、救済と断罪をもたらす裁きの光となる」
残った金色の翼も剣になり、下へ向かって折りたたまれていった。司の胸の前に柄を置いた4色の剣がそこにあった。司はその4つの柄をまとめて握りしめ、自分の前にそれをかざした。4つの光は1つになり、白く輝く剣となった。
『た、太陽剣!』
上下前後からの攻撃が続いているせいか、苦痛に歪んだ声でそう呟く。かつて数々の邪念を斬り裂いた神をも斬る光の剣、それが目の前にあるのだ。そう、魔封剣は霊圧をこめた鍛冶職人がこの力を再現したものにすぎない。真なる太陽剣がこれなのだ。
「忘れたのか、カグラ・・・何故この剣が神をも斬り裂くと言われているのかを」
剣の切っ先を向けられた邪念体は恐怖の絶叫を上げた。そう、思い出したのだ。光天翼もまた高次元の力の結晶だということを。そこから生まれた太陽剣もまた高次元のエネルギー体なのだ。そう、だからこそ、同じ高次元の存在である神をも斬ることができるのだと。司は剣を構え、駆けた。その表情が悲しげなのは何故か。かつての友を消滅させる苦しさからか、それとも・・・
「凛、ゴメンな・・・・・約束、守れないよ」
凛の笑顔と泣き顔が同時に見えた。それをかき消すように表情を引き締めて鋭い目を邪念体に向けた。そのままその剣を邪念体に突き刺す。4方向からの光の奔流がその刺された部分に集中し、凄まじいエネルギーとなって噴出した。そのまま大きく剣を振りかぶった司は自分の持つ全ての霊圧、命をそこに込めた。一片の迷いも無くそれ振り下ろす。切り裂かれた部分が塵となって消滅していく中、断末魔の叫びすら許されず、邪念体は眩しい光の中に消えていったのだった。




