後編
食事会は当然中止となり、失神しているナタスを連れたミカエルはそのまま部屋へと戻った。駆けつけた店員によってイングラムは救護室へと運ばれたが怪我はそう大したことはなかった。佐々木もまた救護室に運ばれたために凛は麻美を呼んだ。30分ほどして麻美が到着し、ホテルでの騒動を尻目に3人を車に乗せたのだった。佐々木は意識を取り戻していたが少し錯乱状態にあったためにそのまま救急車で病院へと搬送され、このホテルで起きた不可解な大量昏倒事件はニュースの速報で流れたのだった。満足に食べられなかった3人を連れて自宅近くのラーメン屋に入った麻美は慰労を兼ねて全てを奢った。
「でも、まさかの展開だった」
レオナが天津飯を食べつつそう言えば、凛も頷いた。
「でも本当に数珠以外の力は封じられていたんでしょ?」
「ああ」
ラーメンを食べつつ素っ気無い返事をするが、凛としては司が無事だったことが嬉しい。ただ、その力を失くしたと知った時にも喜んだ自分もいて、それは今となっては嫌悪すべきことになっていた。
「本当に全部失くしていたら・・・そう思うと怖い」
「そうだな。でも無いなら無いでいいかなって感じだけど」
他人事のようにそう言う司に表情を曇らせる凛とレオナは結果オーライとしてもその発言には疑問が生じた。あの時点で本当に全ての力を失っていた場合、ナタスを止めるべき人間はこの世には存在しないのだから。
「でもさ、あんたがそうなってたら、私らもヤバかったんだよ?」
さすがにレオナがそう苦言を呈するが、司はまったく表情を変えずに麺をすすっている。そんな司を見てレオナはイラついた顔をしてみせるが、凛はいたって冷静な顔だ。
「結果としては大丈夫だったろ?そういう意味も込めての数珠なんだし」
「でも、それって制御用だよね?」
元々強すぎる司の霊圧を制御するためのものであったはずだ。だがその一方で今日のような事態に陥った際の保険でもあったことに驚く。こういう事態を見越しての処置だとすれば、確かに切り札にはなるだろう。
「コンデンサみたいなもんだよ・・・余った霊圧を溜め込むためのね。結果制御にもなるって話」
「でも司君、その力、なくなってもいいんだ?」
「めんどくさい除霊とかしなくていいし、うっとーしい声だとか聞こえないでいいからね」
実に司らしい返事に凛は苦笑し、レオナは呆れた顔をしていた。麻美は対照的なその表情を見て微笑み、特殊な能力を持って生まれたが故の苦悩をそこに見ていた。生まれた時から当たり前のように見える死者、聞こえるその声。そんなものがない世界に憧れる気持ちはよくわかる。それ故、司は失くしてもいいと思えたのだろう。無くなる事がないとわかっているからこその願望がそこにあったのだ。
「でも、力を失くしたあいつが辿る末路は悲惨だろうさ」
スープを飲み終えた司が満足そうな顔をしてそう言うと、3人が顔を見合わせた。力を失くせばエクソシストとしては活躍できないだろうが、そこまで悲惨とは思えない。ただ、あの態度からして裏でいろいろとしていたことは想像できても、かといって悲惨かといえばそれは違うだろう。
「どういう意味?」
そう問うレオナを横目で見つつ、司は水の入ったコップを掴んだ。
「多分、あいつは弟に力を貸しつつも裏でいろいろやってたんだよ。呪いの本を送ったりしてね・・・でも、そういうのは関係ない。問題なのはあの弟だよ。コンプレックスの塊みたいだったからな」
そう言われたレオナと凛は顔を見合わせて首をひねった。あの金髪の青年、ミカエルからはそんな様子は感じられなかった。確かに双子でありながらあれほど実力の差が開いていたとしても、表の世界で活躍しているのは彼のはずだ。確かに兄の力を借りていたとしても、それでも名声を得ているのは弟なのだから。
「ま、もう終わったし、いいんじゃない?」
司はそう言うと肘をテーブルに付いて目を閉じる。そんな司を見た凛はもうそれ以上何も言えなくなった。
ホテルの部屋の電気は消えたままだった。椅子に座ったまま呆然としているナタスに近づくミカエルの表情は暗くて見えないでいた。ナタスはといえば、がっくりと頭を垂れて焦点の合わない目を床へと向けている。もはや魂の抜け殻になったナタスの背後に回りこんだミカエルがそっとナタスの耳元にその口元を近づけた。
「本当に全てを失ったんだね」
その言葉にピクリと反応したナタスが恐る恐る顔を上げた。そんなナタスの顔を覗き込むようにしたミカエルの表情はない。だが、ナタスはそこに言い知れない恐怖を感じていた。ミカエルはそっとナタスの肩に手を置いた。その手から温もりが感じられないような気がしたナタスは身を震わせて怯えた目をミカエルへと向ける。
「これで僕はようやく兄さんの上に立った・・・もう兄さんが僕を利用することもなく、僕も兄さんに気を使わなくていいんだよね?」
「ミ、ミカエル・・・・俺を見捨てないでくれ・・・」
「見捨てる?どういう意味だい?」
「お前の力を俺に分けてくれ・・・・できるだろ?俺たちは・・・」
「シンクロイド・ツイン?そうだよ、そう、全て分かち合える」
名前が表すような天使の笑みだが、ナタスにはそれが悪魔の笑みにしか見えない。無意識的に身を縮めて小さく震えるナタスの頬にそっとその手を置くミカエルはそのままナタスの髪の毛を掴んだ。苦痛に顔を歪ませるナタスだが、ミカエルの霊圧を受けて身動きが取れない状態にあった。
「何がシンクロイド・ツインだよ・・・一方的に兄さんだけが僕に介入してただけでしょ?それにあの日本人の技のおかげで兄さんは力を失い、僕は兄さんに取られていた力がそのまま返って来た。もうシンクロイド・ツインなどどこにも存在しない。ただの人間とエクソシスト・・・そういう兄弟なだけだよ」
悪鬼の笑みを浮かべたミカエルは掴んでいた髪を放すと満足そうな笑みを浮かべてみせた。怯えるだけのナタスにはもう何も出来ない。霊力も霊圧も全てを失ったただの人間。その現実に加えて弟に芽生えた優越感。かつて自分が持っていたもの全てが弟にあるのだ。
「双子・・・それすら無意味だよ。でも大丈夫・・・兄さんはずっとあの部屋で暮らすといい。インターネットでもして自分を慰めてね。僕は細々とエクソシストの道を進むよ。このまま名声を欲しいままにね」
ミカエルはそう言い残して部屋を後にした。1人暗闇に残されたナタスはうなだれるように椅子にもたれたまま、焦点の合わない目を空中にさまよわせるのだった。
ホテルでの事件は細々とニュースで報道された程度で終わっていた。ミカエルとイングラムは翌日も悪魔祓いのロケに出て、順調に番組作りは進んでいた。ナタスは部屋で抜け殻のようにするのみで、飲まず食わずでただ椅子に座ったままの状態でいるのだった。一方、司は月曜日ということもあっていつも以上にやる気がなさそうだった。昨日番組の見学に行ったことや、ホテルでの不思議な現象の報道を見ていたこともあって未来はそれに司が関与していると睨み、昼休みを一緒に過ごすように机をつき合わせていた。ほとんど友達のいない司はいつも1人で弁当を食べており、こうして未来と食べることもまた珍しい。かといって冷やかされることもなく、2人は向かいあったまま教室の隅で弁当を食べ始めた。
「昨日、どうだったの?」
「ん?んー・・・別にどうもないけど」
「ホテルでの異変、あんたが原因でしょう?」
「俺じゃないよ、あちらさんのしわざ」
素っ気無くそう言う司にこういう話は凛に聞いたほうが良かったかなと思うが、今それを考えても仕方がない。
「あちらって?」
「来日した金髪のエクソシストには双子のお兄ちゃんがいたんだよ。俺ぐらいの能力の持ち主が。そいつが弟の力も奪い取った結果だよ・・・シンクロなんとかツインとかいう特殊な双子だとさ」
「ちょっと待って!あんたと同じくらいって、本当に?」
司の能力の高さは幼馴染である未来には十分すぎるほどの理解がある。司を超える能力者など想像も出来なければ存在すらしないと信じて疑わなかった。だが、こういう方面で嘘などつかない司を知っているだけに未来は困惑するしかなかった。ホテルの中にいた人たちが約5分間ほど気分が悪くなり、その後すぐに回復したというニュースからしてもその信憑性は正しいのだろう。そしてこうして司が無事ということはその相手に勝った、そう思えた。
「で、なにがどうなったわけ?」
そういうことならば詳しい話を聞く必要がある、そう思う未来は身を乗り出さんばかりに司にそう問いかけた。司は淡々と弁当を食べつつ目だけを未来へと向けていた。
「要するに、金髪と飯食ってたら兄貴が乱入してきたわけ。そいつがこないだの学校での事件の黒幕で、俺が目障りなようで絡んできた。んでこっちが反撃して、あいつの能力を全部消してやっただけだよ」
まだ先の放送ながら早くも大きく宣伝しているその番組のエクソシストが金髪のイケメンであることは知っている。来日したのもそのイケメンとその師匠であることも知っていたが、双子の兄がいたことは報道もされていない。そんな人物がいたというだけでも驚きなのに、先だって校内で起こった殺人事件にも関与していたとは驚きだった。あの日は未来もまた倒れこんで悪夢を見ていたのだ。そしてそれが呪いであり、司が解決したことは凛を通して知っている。まさかの黒幕の存在に驚くしかないが、それを凌駕した司もまた驚異的だ。その後、昼食中にいろいろ聞き出した未来はその番組に俄然興味を持った。だが、対照的に司はもうミカエルにもナタスにも興味はない。能力を失ったナタスの置かれた立場を理解しつつも同情などなかった。
月曜日の疲れはどの曜日よりも大きい。こんな日に食事当番になった身を呪いつつ買い物を済ませた司が家に帰ると見慣れぬ靴が2組玄関にあった。それを見ただけでその持ち主が誰かを悟った司はなるべく関わり合いを持たないように注意しつつキッチンへ向かうと食材を冷蔵庫にしまった。リビングにもその靴の持ち主たちがいないこともあって、やはり自分の予想通りの人物が来ていることにげんなりしつつそっと階段を上がっていく。その階段を中ほどまで上がったところで凛の部屋のドアが開いていく。ため息をついた司はそこから覗く顔を見て露骨に嫌そうな顔をしてみせた。
「そう邪険にしないで欲しいわね」
「あんた以外の人間にならそうはしないけどね」
「言うわね」
そう言ってケラケラと笑う裕子は階段を上りきった司を強引に部屋へと招き入れた。中にはやはりというか万理子もいて、お菓子を囲んで何やら話しこんでいた様子が伺えた。裕子は強引に司を座らせるとその右隣を陣取った。逃がさないといった意思表示なのか、自らドアを背にした状態になっている。
「この間の学校の事件、エクソシストの双子の兄貴が黒幕って本当?」
お前もかと思う司はあからさまなため息をついて凛を見やった。凛は申し訳なさそうにしつつも愛想笑いをしている。ますます嫌そうな顔をした司だが裕子のしつこさとその性格はよく知っている。仕方なく詳細を話しつつ昨日のことを含めて話を進めた。イジメに遭っていた由梨に念の込められた黒魔術の本を送ったナタスのこと、そしてその黒魔術による一連の連続殺人事件、そして昨日の攻防。大まかながら当事者の説明に裕子も万理子も唸るしかなかった。それにナタスが司に匹敵する能力者であったことや、一時的にでも司の能力を封じたこともまた驚きでしかない。だが、本当に驚愕すべきことはそんな状態でありながら難なくその危機を脱した司の技量だ。凛からも話を聞いているが、司は自分の能力が失われても平然とし、むしろ無いほうがいいといった発言もしたと聞いている。裕子はそのことを含めて司に直接聞いてみたかったのだ。過去のトラウマのことが心の奥底でくすぶっており、結果として自分の能力を忌み嫌っているのかとも思う。だが、司を見る限りそうは思えない部分もあってよくわからないのだ。壊れた心はもう元には戻らない。だが、自分の持って生まれた能力すら心の奥で全否定しているのであればその心の再生はまず間違いなくありえないだろう。
「神手は自分の力をどう思ってるの?」
裕子はそう深刻そうにせずに、ただの質問としてそれを聞いてみた。凛は少々表情を固くしたが万理子は裕子と同様にごく普通の顔をしていた。
「どうって・・・あって当たり前だし、何も?」
「無くなってもいいってこと?」
「無いならないでいいよ。普通はないんだからさ。あって困ることはあっても無くて困ることもない」
「無くなって、変なのに憑かれたとしても?」
「他の誰かに祓ってもらえばいいだけじゃん」
その真っ当な考えに裕子はもう何も言えなかった。その後、少し雑談をした後で司は夕食の支度をするために部屋を出て行く。そんな司を見送った裕子は小さなため息をついた。
「元々持って生まれたもんだもんね・・・無くてもそれで普通の人ってことかぁ」
「そうだね・・・」
「でも、人を救う能力っていうのも、諸刃の剣か・・・」
裕子のその言葉に凛は視線を落としたが万理子は意味がわからないと言った顔をする。そんな万理子の顔を見た裕子はポテトチップスをつまみつつ自分が言った言葉の解説を始めた。
「彼ほどの霊能者であれば祓えない霊はない。けど、同時にそれは見えない力でもあるから、昔のような誤解を受けることもある。感謝もされれば批難もされる・・・救っても、自分が救われるかって言えばそうじゃないことが多い」
「でも司君はいつも笑ってそれをしてきた・・・でも、昨日に関しては怒ってたよ」
「自分は手を汚さずに裏で糸を引いてたってのが気に入らなかったんでしょうね」
裕子の言葉に頷く凛は悲しげな目をしていた。一歩何かが狂っていたならば司もナタスのようになっていた恐れがある。好きな子に裏切られたことをきっかけにそういう道に走ってもおかしくはなかった、そう思えたのだ。重苦しい空気が部屋を満たす中、話題を変えようとポテチをつまみつつ万理子が2人を見やりながら口を開いた。
「ところでさ、私たちも卒業旅行とか行かない?」
突然変わった話題に目を点にした凛と裕子が万理子を見やるが、そんな2人の顔を見た万理子の方が首を傾げた。3人が3人ともどうしてそういう目になっているのかを理解せず、一瞬の沈黙が流れた。
「・・・・唐突にきたけど・・・何?」
「だからさ、卒業旅行!心美たちなんか沖縄だし、世良たちなんか上海だよ!」
「ってもさ、お金ないしね」
あまりに素っ気無い言い方に万理子は大きなため息をつくが凛としては高校生活最後の思い出として賛成だ。とりあえずお金のことはさておいてどこに行こうかと話は弾む。そうして2月に長野辺りで格安スキー旅行と仮決めしてこの話題も終了した。もう時間も時間となって裕子と万理子も退散となり、キッチンで料理をしている司に顔を出した。
「じゃぁね、神手、帰るねぇ」
「ああ、さいなら」
「君はあれだね、感情がなさすぎ」
「どうせまた来るんだろ?」
「あっはっは、まぁねぇ」
裕子はそう言うと軽く手を振ってキッチンを出た。万理子もさよならとだけ告げて家を出て、玄関先まで凛が見送りに出た。
「旅行、本気で考えようね」
「っても私とあんたは同じ大学だし、万理子もすぐ近くだけどね」
「いいじゃない、行くことに意味があるんだから」
「ま、そうか」
万理子の言葉に頷いた裕子に笑顔を見せ、凛は手を振った。2人もまた手を振りつつ去っていく。2人が角を曲がったところで凛が玄関のドアを閉めるが、同時に何か嫌な予感が頭の片隅に残っていた。
「なんだろ・・・今の話の中で凄く引っかかるものがあるんだけど」
腕組みをして考えてみるがピンとくるものが無い。そもそもその嫌な予感も漠然としすぎていてあまり気持ちが入っていないのもまたその要因になっていた。危機感的な感じもするが、そこまで深刻さがないのだ。凛は小さくため息をつくとキッチンへと向かった。司は入ってきた凛をチラッと見つつも手を休めることはしない。凛は手伝おうかどうするかを悩んだが、司が何かを言ってこない限りはそのままでいようと椅子に座った。
「お前から本当にオーラが出てるのな」
「え?」
不意にそう言われた凛は少し驚くが、司には見えていないことを知ったのもあって小さく頷いた。美咲だからこそ見えるのかと思ったが、あの霊体の老人にも見えていたし、何より昨日のあの銀色の髪の男もそれが見えていた。それなのに何故司には見えていないのかが不思議だ。やはりこのオーラは好きという心の現われなのかと思う。そういう感情がないからこそ司には見えない、そう考えるのが妥当なところだ。
「本当に見えないの?」
「ああ」
「そっか」
「俺のことを考えると出るってか?」
「そうみたい」
「ふぅん」
あまり興味がないようだが仕方がない。かといって見えたら見えたで司が自分を避けてしまうのではないと思えば少し複雑な気持ちにもなる。
「でもなんでだろうね?」
「さぁな」
当たり前だが司にわかるはずもない。凛は苦笑して料理をしている司を見つめていた。
「春休みはアレだけどさ、ゴールデンウィークとかに旅行に行こうよ」
その言葉に下ごしらえを終えた司が振り返る。不思議そうな顔をしているかと思えばそうではなく、にんまりと笑っていた。
「いいね、それ」
「2人きり、でも?」
「問題ないな」
「そっか」
当たり前だが嬉しいやら悲しいやら複雑だ。ならばと、凛は少し悪戯心に火をつけつつ立ち上がった。
「一緒の布団で寝てくれる?」
「・・・暑くないなら」
「裸だけど」
「そんなの聞いたことないけど」
さすがに感情はなくとも一般常識はある。だが、ここで引く凛でもなかった。
「でもそうなんだよ、2人きりの男女が旅行先で寝るってことは」
「・・・お前さ、俺がそういうの知らないと思ってるだろ?」
じとっと睨まれた凛はさすがに恋愛感情を失っていてもそういう常識は知っているかと舌を出した。そんな凛を見て大きくため息をつく司だが、小さく微笑んでみせた。
「じゃ、裸で寝るって事でいいよ」
「いいの?」
「俺はな」
「じゃ、成立」
ここ最近は凛も少し感覚が麻痺気味だ。ただ、そういうことをすることで安心感や満足感を得たいと考えていた。司を好きな気持ちをそういう風に発散しないと司とは向き合えない、そう思っての考えだった。ただ裸で寝るだけで何も起こらないのはわかっている。そんなことよりただ肌を重ねたい、その温もりを直に感じたい。それだけの気持ちからの提案だった。
「変なやつ」
司は口元の笑みをそのままに仕上げに入った。凛はそんな司の背中を見つめつつ漠然とした不安に襲われていた。司が死ぬと予言されていることもあるが、そうではないまた違った不安。近づく闇の気配のようなものを感じる凛は表情を暗くしていた。司は死なないと約束してくれた。昨日の強敵でさえも呆気なく撃退してみせた。そんな司に忍び寄る絶対的な存在を感じているのだ。
「守りたい」
司の背中を見つめつつそう呟く凛だが、ただの人間でしかない自分が司を守ることができるのかを悩み、さらなる不安にさいなまれるのだった。
年末になるとイベントが多い。クリスマスに大晦日などがその最たるものだろう。今日はクリスマスイブ、恋人たちが街に繰り出す夜だ。そんな中、司と凛は2人だけで家におり、チキンを買ってそれを食べるという長年寄り添った夫婦じみた夜を過ごしていた。美咲は友達と鍋を囲むということで出かけており、信司もまた町内会の忘年会に繰り出している。そうして2人だけが残った形になっていたのだ。あまり会話もなく、テレビを見ながらの食事だ。基本的に普段はテレビを見ながら食事をする習慣がないのだが、今日は特別だった。そう、あのエクソシストを特集した2時間スペシャルの放送日なのだ。あの日スタジオで見た光景がそっくりそのままテレビの中にあるのはどこか変であり、一度見ていることもあって違和感は拭えない。そんなテレビを見つつ、司は大きなチキンを美味しそうに頬張っていた。
「あの人、どうなったんだろうね」
その言葉にティッシュで手を拭いていた司が画面を見やった。あの収録の翌日に行った悪魔祓いのロケの様子が画面に映し出され、霊障に苦しむ若い娘に対して聖水を振りまきながら神の言葉で悪魔を祓おうとするミカエルがそこにいた。
「さぁな」
司は表情もない顔をしてそう言うが、黙ったまま画面を見据えていた。
「締め付けられていたのか、生き生きとしてやがる」
画面の中のミカエルを見てそう言った司はチキンを食べることに集中する。凛はクリームシチューを口に運びながらミカエルを見るがそんな風には感じなかった。やがて悪魔も祓われた娘が意識を取り戻していく。晴れ晴れとしたその顔を見つつ、凛は司に救われた人たちもまた同じ顔をしていたことを思い出していた。
「司君を見ているせいかな・・・凄いと思わないや」
その言葉にシチューを飲みつつ司は微笑んだ。その顔を見て凛もまた微笑む。こうしていればまるで恋人同士のような錯覚をしてしまうが、実際はそれには遠く及ばないと思う。それを顔に出さない凛をじっと見つめていた司はそのまま食事を終えるといそいそと自室に戻ってしまった。
「まぁ、司君にとってはいつもと変わらない夜だもんね」
クリスマスイブだからといって最初から何も期待してはいない。ただささやかながらのプレゼントだけは用意していた。いつかは甘い夜も過ごせるようになるのかなと思うが、それは期待するだけ疲れるというものだ。自分も食事を終えてテレビを見ていると司が降りてきた。お風呂にでも入るのかなと思う凛だったが、司はそのままキッチンへとやって来たのだった。そんな司を何事かと見つめていた凛の目の前に白い包みが差し出される。それと司の顔とを交互に見た凛は差し出されたままのその包みを受け取った。それは赤いリボンが可愛らしく、白い包みと相まってクリスマスらしさを出していた。
「クリスマスプレゼント、中身は期待するなよ」
「え・・・これ、司君が選んでくれたの?」
眼鏡をずらすほど驚く凛に対し、奇跡ともいえるどこか恥ずかしそうな仕草を見せる司だが、ぶっきらぼうな様がそう見えただけとも思える。ただ、それでも嬉しいサプライズに凛の顔は緩みきっていた。司からのプレゼントなど期待もしていなかったからだ。
「あ、開けてもいいかな?」
「ああ」
凛はわくわくしながらも丁寧な手つきで包みを開いていく。中身は手のひらに乗るほどの箱だが、指輪だとは思わない。それはありえないからだ。凛はそう厚くはない箱の蓋を開くと、中から出てきたのはシルバーのアクセサリー、天使の翼をかたどったネックレスだった。小さいながらも薄いピンクの宝石がついている。
「かわいい~・・・これ、選んでくれたの?」
「店の人にこういうのは喜ばれるって言われたからな。まぁ普段いろいろ家事してもらってるし、だから」
司はいつもとは違う小さな笑みを浮かべていた。そんな司を見つめる凛の瞳が見る間に潤んできた。
「また泣く・・・・・泣き虫にもほどがあるって」
「だってぇ・・・嬉しいんだもん・・・」
胸にぎゅっとネックレスを当てるようにしたまま凛はうつむいた。泣くのを必死に堪えつつ、そのままスッとネックレスを司に差し出す。
「返却?」
「違う!着けて欲しいの」
「自分でしなよ、めんどくさい」
「こういうのはね、くれた人が着けるものなの!」
「そうなの?」
「そ」
指で涙を拭いつつそう言う凛は司に背を向けた。司は凛が髪の毛をかきあげるようにしてうなじを露出させるとネックレスを取り付けにかかった。
「いい香りがする・・・」
「そりゃ、年頃の女の子ですから」
「でも凛は特別いい香りがするなぁ」
「へぇ、それは嬉しい」
司にとって自分は少なくとも他の女性とは違う、そう言われた気がして嬉しかった。もちろん深い意味などないのだろうが、それでも凛にしてみれば嬉しい言葉に他ならない。
「できた」
「ん、ありがとう」
胸元で輝く天使の羽、それを見た凛の顔はとろけそうに破顔していた。羞恥心のない司とはいえ、こうしたものを買ってきてくれるという事が素直に嬉しい。凛はしばらくそのネックレスを見つめていたが、自分もまた司にプレゼントを用意していたことを思い出して自室に向かって駆けた。机の中に入れていたプレゼントの箱を取り出すと急いで駆け下りる。キッチンの椅子に座ってお茶を飲んでいた司は眼鏡をずり落とすのを防ぎながら入ってきた凛がそっとクリスマス用の包装紙に包まれた箱を差し出すのを見た。
「これ、私から」
「ありがとう。開けるぞ」
「うん」
珍しく丁寧な手つきで包みを破り、箱を露出させる。司はそっと箱の蓋を持ち上げて小さく微笑んだ。箱の中にあったのはこれまたネックレス。シルバーのチェーンの先には笛のような平べったいプレートが付いていた。
「なんかお守りっぽいし、それに、ほら・・・いつも危ない目にあってるから・・・それで」
司はそれを手のひらの上に乗せるとまじまじと見つめた。確かにお守りのようには見えるが、デザイン的にそういう風な解釈をするものはいないと思える。
「ありがとうな、気に入った」
「うん」
そう言うと凛は司からそのネックレスを取り、背後に回ってそれを着ける。胸元にぶら下がるそのネックレスを見てにんまり笑った司を見た凛もまた優しく微笑んだ。
「なんかこういうクリスマスって初めてだ」
「家族でプレゼント交換とかしないの?」
「したことないなぁ」
「家が神社だから?」
「あー、昔に親父がそんなこと言ってたっけな」
そう言い、2人は笑いあった。やがてそれも止み、テレビの音だけが響いている。そっと凛が司に寄り添うと抱きしめ合う。ごく自然にそうなり、2人は黙ったままただ抱きしめ合った。
「凛のドキドキが伝わってくる」
「司君もドキドキしてるっぽいよね?」
「言われてみれば・・・そうかもしれない」
愛とか恋を失った司がドキドキするはずがない。だが、凛は確かに感じていた。司の胸の鼓動がいつもより早いことを。そんな凛が司の胸に顔を埋めると、自然とそのドキドキは収まっていく。やはり気のせいかと思うう凛が顔を上げれば、同じように自分を見つめる司がいた。その顔が一瞬だけ別人に見えた。そして司もまた凛にダブらせるように別人の顔をそこに重ねる。
「なんだろう・・・凄く懐かしい顔を見た気がする・・・」
「私も・・・懐かしくて、温かいような・・・そんな顔・・・この気持ちもどこか懐かしい」
その言葉を聞いた矢先、司が凛をグッと引き寄せた。その目が金色になったり黒くなったり、まるで明滅するかのごとく変化をしている。その瞳に吸い込まれそうになった凛がそっと目を閉じ、司もまた目を閉じた。そのままゆっくりと唇が近づいていくのだった。
上海の闇市場の骨董品屋から流れてきたその奇妙な箱は黒く、そしてパズルのように小さな四角い木がいくつも組み合って形を成していた。箱は金属の棒も混ざっており、どこか神秘的な雰囲気を持っていたこともあって、まるで引き付けられるように世良みのりはそれを購入していた。値段もそう高くなく、むしろ安い方だと思う。年末を利用しての卒業旅行に来た上海を満喫し、明日には日本へと帰国することになっている。男女6人、3組で来たこともあって羽目を外した連夜の乱交に罪悪感も羞恥心もなかった。ただ本能のままに男女の肉体が交じり合う、それだけのことだ。来た日の夜にこの箱に出会ったのが運命だったのか、それとも箱が導いた結果なのか。とにかくみんなでその箱を開けようと奮闘していたのだが、いつの間にか乱交パーティのようになっていたのだ。3泊目の今日も箱を開くことは叶わなかった。だが、買ったものだから帰国してからでも開けることはできるだろう。そう思いながら今日も3組が2つのベッド、床と場所を変えつつ同じ部屋で裸体をくねらせていた。テレビの前に置かれた箱が不気味に輝いているのも知らず、ただ快楽に身を任せている。そんな彼女たちの頭上に蠢く赤い霧。それはゆらぎながらどこか人間の笑みを形取っているようにも見えたが、みのりたちはそれに気づいていない。
『そうだ・・・それが人の本能だ・・・欲望を開放しろ・・・そして箱を持って来い、早く!速く!ハヤク!』
高笑いをする霧はひとしきり笑ったあと、今度は怒りをもったように揺らめいた。それは禍々しい炎のゆらめきを想像させる動きで。
『私と現世の私の肉体が一つになれば、欠けた半分の魂を補って余りある・・・・』
憎しみの笑みを浮かべるが、霧状のためにそれは霊力を持ったものにしかわからない笑みだった。
『今度こそお前の魂を消滅させてやるぞアマツ・・・そしてミコトも2度とアマツを追えないように八つ裂きにして殺してやる』
最早かつて愛した女への情など微塵も存在しなかった。今はただどう嬲り殺すかしか興味はないのだ。その身体にも興味はない。ただ絶望のうちにじわじわと痛めつけて殺す以外に頭になかった。
『最早私に敵はないぞ、アマツ・・・・その記憶も失い、真の能力すら持たずに生まれ変わった己を呪うがいいさ・・・・クククク』
憎悪の炎が燃え盛る。眼下ではより一層快楽を求めて交わる男女がいるだけだ。その欲望を吸収し、箱はさらなる黒き輝きを増していくのだった。
高層ビルの屋上に立つ黒スーツの老人はきついビル風にも服を揺らすこともなくただじっと佇んでいた。今にも雪を降らせそうな重たく黒い空を見上げるが、すぐにその目を西へと向けた。遥か彼方、この島国のさらに向こうに位置する大陸の先を見据え、長く垂れ下がった白い眉の下にある瞳を光らせる。
「ついに魂の片割れを見つけ出したかカグラよ・・・伝承にある3人がついにこの地に揃うのか」
老人はただその結末を見たいだけだった。伝承にある3人の能力者たちの物語を知って以来、そしてその3人が同じ時代、同じ年代で生まれ変わった事実を知って歓喜したのはもう8年も前の話だ。そのためにこうして5年前に肉体を失ってもなお霊体としてこの世に留まっているのだから。黒く邪悪な霊圧は確実にこの地にやってくるだろう。約2千年の時を超え、全ての終局を迎えるために。
「生まれ変わったミコトにあるのは七色のオーラのみ。それの意味するところもわからんが、アマツに勝ち目はなかろう・・・文字通りの奇跡を起こさぬ限りは」
自分はアマツが敗北するところが見たいのだろうか、そう考えて口を笑みの形に変化させる。
「アマツが負ければこの世の全ては終わる・・・わしはそれが見たいのかもしれん」
その言葉が終わるや否や、老人の姿は消えた。残された幻影もなく、ただ風だけが強く吹きすさぶのだった。
今にも触れ合いそうな唇が離れる。司ははっとした顔をして空を仰いでいた。その気配を感じた凛も目を開く。ついさっきまでまるで自分であって自分でない、そんな感じがしていた。司もまた同じだった。自分の中の何がそうさせたのかはわからないが凛に対する不思議な感覚、抱きしめたい、キスをしたいという感覚が湧き上がっていたのだ。それが今、嘘のように消えている。さっきまでの感情も記憶に残らないほどに。
「何か、黒い気配を感じた」
「黒い?」
「激しい憎悪、殺意、そういったものだ」
その言葉を聞いた凛は無意識的に司がくれたネックレスを握りしめ、司の胸元で揺れる自分が贈ったネックレスを見つめる。嫌な予感のようなものは凛の中にもあったのだ。
「でも、なんだったんだろう」
今はもうそれを感じない。感じるのはただ凛の不安だけだ。そんな不安を表情に出している凛を見た司はにんまりと笑う。
「心配すんな、お守りもあるしな」
そう言って凛の目の前でネックレスをぷらぷらと揺らした。凛はぎこちない笑みを浮かべつつ、それでも不安を消せないでいる。そんな凛をもう一度そっと抱きしめる。凛が不安がっているときはこうしてやれとの裕子のアドバイスを実行したのだ。いや、本当にアドバイスを受けたからだろうか。自発的にしたようにも思えるが、とにかく司は凛を抱きしめ、凛もまた強く司を抱きしめた。凛は司の温もりを感じて落ち着き、逆に何か落ち着かない司。最近、凛とこうしていたいと思う自分がいる。そしてこうすることで落ち着く反面、何か気恥ずかしい感じもしていた。
背後で何かが蠢く気配がしている。読んでいた本を置き、来武はゆっくりと振り返った。赤黒い霧のようなものが見えるが、それが何かはわかっている。
「カグラの邪念か」
そう口が勝手に動くが違和感はない。そう、それもまた自分だと認識している。だが、それを受け入れようとする自分と撥ね除けようとする自分がいた。だが、その霧はお構いなしに来武と重なり、途端に来武は弓なりに身を反らす。そのままぶるぶると身を震わせた来武が力なくだらりと手足を垂れ下げたが、それはすぐに元に戻った。顔を上げた来武の顔が醜悪な笑みを浮かべている。
「準備は整った。あとは箱を開ければ力が戻る」
そう言い、目の前で拳を握り締める。
「さぁ、アマツ・・・お前の魂を完全に消してやろう」
立ち上がった来武はカーテンを開けて夜の町並みを見やった。漆黒の中に蠢く人には見えない魂が次々と消えていく。まるで危険を察知したかのように町から霊と呼ばれるもの全てが消え失せたが、それが来武の中にいる濃い邪悪なものの存在のせいだと気づいた者は皆無だった。




