前編
テレビ局内の幹部は何もわかっていない、心底そう思う。古賀麻美の事件は一部の関係者しかその真相を知らないが、浦川康男の死亡事件などは各局に激しい動揺と衝撃をもたらしたことはまだ記憶に新しいはずだ。昨今において霊的な番組が放送できないわけはインターネットの普及によってその粗や偽造、いわゆるヤラセが明かされてしまうことにあり、霊能者自体の素性も公開されることによる局のダメージ回避の狙いもあった。浦川がしようとしたことは演出であり、それはアイドルグループであるサークルの人気取りがその最たる目的でもあった。だが、実際に霊的な問題が発生した結果ロケは中断され、その呪いを受けて浦川は死んだ。ロケに参加した全員が口を紡ぐほどの心霊現象があったことは局内で働く者にしても明白で、1人の少年がその霊現象を治めたという報告も上がっている。それなのに、今現在その浦川の死すら利用しての番組作りが進行しているのだ。フリーのディレクターである広田は親友であり今回の番組のプロデューサーに抜擢された佐々木にそれを忠告していた。浦川は井戸の中にいた何かに呪われて死んだ、そのことを。だが、佐々木もまたそれは最大限に利用すべきだといい、それを前面に押し出しての番組作りを進めるのだった。その番組は呪いも何も関係ない、本物の絶対的霊能者による番組だと豪語し、佐々木は広田を一笑した。そう、それは年末に放送される本物のエクソシストを招いての番組だった。悪魔祓いのドキュメンタリーも既にイギリスで撮り終えており、あとは明後日に来日するそのエクソシストをスタジオに招いてのトークを収録することになっていた。勿論その後は日本での悪魔祓いも予定されている。ここ最近はスポンサー離れが続いている大手のテレビ局が大金を積んでの本格的心霊番組だ。浦川の死の真相も絡めたその番組のゲストとして、年内で解散が決定したサークルのメンバーである安藤レオナも招かれていた。もちろんレオナは事の真相を話す気などない。ただ、何か嫌な気配をこの番組に感じて参加を決めていた。そしてそれは広田も同じだ。だからか、他局のロビーで偶然出会った2人はその違和感を共有し、そこで1つの結論に至っていた。日本が誇る最強の霊能者にその番組を直に見てもらうという、その結論に。
キッチンの食卓テーブルの上に並ぶのは特上のお寿司である。4人の目の前にそれぞれ握り寿司が入った器が並び、真ん中には大きな巻き寿司の入った器が置かれていた。それに加えて茶碗蒸しにお吸い物、そういったものが所狭しと並び、4人が4人とも目を輝かせてそれに見入っていた。そんな信司は一つ咳払いをしてからビールの入ったコップを持ち、立ち上がる。そんな信司を見て司、凛、美咲もまたお茶の入ったコップを持った。信司はそれを見て微笑むと、凛を見やった。
「えー、それでは・・・桜園凛さんの大学合格を祝し、かんぱーい!」
「かんぱーい!」
そう言い、美咲が笑顔で凛のコップをぶつけて乾杯をした。司もそうし、すぐにお寿司にかぶりついた。
「ありがとうございます」
「いやいや、さすが凛ちゃん・・・一発合格だもんなぁ」
「凄いよねぇ・・・春からは花の女子大生だもん」
ビールを堪能する信司とお寿司を食べる美咲にそう言われて照れる顔をした凛もお寿司を食べていく。今日はここから電車で5駅向こうの私大に合格した凛のささやかながらの合格祝いとなっていた。奮発した特上お寿司に舌鼓を打ちつつみんなが笑顔になる。司は食べることに集中しつつも時折凛に笑顔を見せていた。凛が合格を告げた時、珍しく大きく喜んだ司にときめいたのは内緒の話だ。
「本当はここを出て、1人暮らしすることも考えたんだけど・・・なんか離れたくないなぁって思っちゃって」
その言葉を聞いた信司と美咲がチラッと司を見る。凛はその視線を見つつもあえて何も言わずに握り寿司を堪能していた。
「離れたくない、か・・・・くぅ~、羨ましいなぁ、おい!」
そう言って司を睨むようにした信司に凛と美咲が同時に苦笑気味のため息をついた。
「でもいてくれて嬉しい!」
美咲の言葉に笑顔を返し、凛は司を見やった。ただ食べることに集中し、その味を噛み締めて満足そうにしている。そんな顔を見た凛も笑顔になった。実際に離れたくないと思ったのはこの家族からであり、司に限定したわけではなかった。ただ、司と離れたくないという気持ちは強かった。ずっと傍にいて欲しいと熱にうなされて言ったその言葉が凛の心を決定付けたのだ。凛としてはその大学には裕子も合格しており、最高の状態での進学が決まっている。万理子はその大学の近くにある短大に行くことを決め、3人揃って同じように通える環境を喜んでもいた。そうして豪華な夕食も終えて出前の器を洗ってお風呂に入ろうと思い、部屋を出ようとした時だった。携帯が鳴り、表示を見ればそれは麻美からのものだった。ここ3ヶ月ほど何の連絡もなかったこともあって笑みを浮かべながら電話に出つつ、パジャマを脇に置いてベッドに腰掛けた。
「もしもし」
『凛、久しぶり』
「本当、お久しぶりです」
『あと、合格おめでとう』
その言葉に照れながらお礼を言った。返事はなかったものの合格したことはメールで告げていたのだ。2人はお互いの近況を報告しあい、笑顔になる。麻美は現在、前の職歴を生かして芸能関係に近い事務職を頑張っており、それなりに充実した生活を送っていることのことだった。凛もまたいろいろ事件があったものの、ここ最近は平穏に暮らしているとも話して聞かせた。そんな麻美はあの上野由梨の事件のことを心配していたが、その由梨もつい最近亡くなったこともあって凛は言葉を濁しつつその話を終えた。結局いじめらた2人は亡くなり、生き残ったいじめていた者たちもまた精神病院への入院を余儀なくされていた。誰も何も得る事が無かっただけに、凛の心にも傷を残す結果となっていた。凛の口調からそれを悟った麻美は深く聞くことを避け、今日電話をした本当の理由を話し始めた。
『明後日にさ、エクソシストが来日して番組の収録をするらしいのよ』
その番組に関しては知っている。よく予告で流れているからだ。放送はまだまだ先の年末であり、一ヶ月近く先でもあるのに既に大々的に宣伝もしていることから局がかなり力を入れていることは凛も理解していた。
『で、広田さんがね、見学に来ないかって・・・彼も一緒にさ』
その言葉を聞いた凛の表情が曇った。わざわざそういう番組に司を呼ぶということは何かしらの危険があるということなのか。見学ということだが、実質は警護を依頼しているようなものを感じる。しばらく沈黙した凛の心情を察したのか、麻美は苦笑を電話の向こうで漏らした。4
『やっぱイヤか』
「嫌っていうか・・・なんでかなって」
『浦川さんのことも取り上げるみたいだし、なんか不安なんだって。思い過ごしかもしれないけどとは言ってたけど・・・』
その言葉に凛はまたも沈黙した。出来るなら拒否したいが、浦川を殺した呪いは浄化されたといっても確かに不安は残っている。凛は麻美に少し待つように言うとそのまま司の部屋へと向かった。司はベッドに転がって漫画を読んでいたが、凛の表情を見て片眉を上げると口の端を吊り上げた。まるで今から自分が言うことを理解しているかのようなその表情に、凛は難しい顔をするしかなかった。
「どうした?」
「あのね・・・麻美さんが、明後日のテレビ収録の見学に来ないかって・・・」
「へぇ、面白そうじゃん。何の番組?」
そこで一瞬黙った凛はじっと司を睨むようにしてみせる。司はそんな凛を見ても笑顔を崩すことはなかった。
「エクソシストのやつ」
「あー、あれね。面白そうじゃん、行く」
答えは聞かずともわかっていた。司はずっと笑顔だったからだ。何かを感じたのか、ただの勘なのかはわからないがこういう時の司はやたらと鋭かった。
「・・・行くって」
物凄く不満そうにそう言った凛の声を聞いた麻美は電話の向こうで大笑いしつつも了解と言った。とりあえず明後日の収録が昼から夕方にかけてだということで、朝9時に迎えに行くとだけ告げて電話は終わった。凛は深いため息をついて司を見やるが、司はもう漫画に集中している状態だ。凛はそんな司を見つつベッドに腰掛けた。
「いいの?」
「なにが?」
「司君を呼ぶって事は・・・何かあるかもしれないってことだよ」
「考えすぎだって。それにエクソシストだぜ?しかも本物・・・いやぁ、興味あるある!」
誰よりも本物で誰よりも完璧に霊を祓い対応する司が言うべき台詞ではない。凛にすればそんなエクソシストなど司を見ていれば十分で興味もなかった。ただ胸の中に宿る不安だけが小さくくすぶっていた。
「何も、ないよね?」
そっと司の背中に触れた凛の不安が司にも伝わってくる。司は漫画を置くと体をその場で回転させて凛を見つめた。そして小さな笑みを浮かべる。
「あるよ」
「え?」
思いもよらない言葉に凛は動揺するが、司は笑ったままだ。
「あるって・・・」
「前に霊体のじーさんが言ってた闇・・・多分そいつだと思う」
にんまり笑って言う言葉ではない。司が死ぬと言ったあの老人の言葉が思い出され、凛は心の中の不安に押しつぶされるのを耐えるように胸元をぎゅっと握った。
「それに、あの本を送ったのもそいつだろうしね」
「それって・・・」
「あの呪いの本の霊圧の主が日本に来てるからね・・・まぁ、何かあるだろうって思うわけ」
司は頭の後ろで腕を組み、笑ったままでそう言いきった。つまり、司と同等の力を持ったエクソシストが来日しているということになる。しかもあの呪いの本を送った張本人となれば激突は必至だろう。司の死がそのエクソシストによってもたらされるのだとすれば、それだけはなんとしても回避すべき事態だ。だが司は行く気満々であり、最早止めても無駄だろう。凛は不安がいっぱいのため息を漏らし、そのまま司の胸に倒れるようにして抱きついた。
「死なない?」
「死ぬわけがない」
「負けない?」
「戦う気はないよ、めんどくさいし」
「でも・・・相手がそうは思ってなかったら?」
「なら、まぁ、戦うかも」
凛は不安を我慢できず、司の胸に顔を埋めた。
「行くの止めよう?」
泣きそうな声に苦笑するが、司は笑みを消してそっと凛の頭を撫でた。
「行くよ」
「でも・・・・」
「正直に言うとさ、一発喰らわしてやらないと気がすまないんだよね」
司は由梨と信也を救えなかったことが心に引っかかっていた。邪悪な処置を施した霊圧を込めた本をよこし、遊び半分で人の命を弄んだその相手を許せないでいたのだ。それはちっぽけな正義感などではない。命の尊さを誰よりも知っているが故の怒りだった。
「まぁ、顔を見るだけだから」
「絶対だよ?約束だよ?」
「泣かないなら約束してやる」
その言葉に目を潤ませた凛が顔を上げる。ここ最近、凛の中で大きくなる不安。司の死を予言したあの言葉が凛の中でどんどん大きくなっているのだ。
「もう泣いてるから約束はなし・・・けど、ま、努力する」
そう言ってにんまりと笑う司の胸に再度顔を埋める。肩を震わせる凛の背中をさすりながら、司は少し険しい表情を浮かべて天井を見つめるのだった。
*
豪華なホテルのスイートルームの窓から眺める夜景は絶景だった。日本のテレビ局の対応は良く、今日などは打ち合わせと観光を同時に行う歓迎ぶりだ。金色の髪を揺らしつつ、大きな窓から見える大都会東京を見渡すその夜景を見つつ、すぐ傍らにいる初老の男へと目をやった。教会の責任者でり、今回の番組出演を決めたその男、イングラム・マルムスはかつて世界で名を馳せた有名なエクソシストでもある。現在は引退してイギリスにある大きな教会の神父として活躍しているが、その彼を訪ねてくるものはいまだに後を絶たないほどだった。そんなイングラムに師事して8年、金髪の男ミカエル・ヘイガンは今やそのイングラムの後継者と名高いエクソシストだった。数々の奇跡を成し遂げ、多くの民を救ってきた実績もある。ただ今回、テレビの取材を通して自分たちの仕事ぶりと誇りをアピールしようと言ったイングラムに反対したのは彼だった。逆にそれに賛同し、今回2人に同行した銀髪の男はルームサービスで届いたワインを飲み、肉を食い漁っていた。神父の服も着ず、簡素なパーカーを着たその男を見やったミカエルはすぐに夜景へと目を戻す。そんなミカエルを見た銀髪の男は片目が隠れるほどの長い髪を揺らして立ち上がると、ワイングラスを手にミカエルに近づいた。
「いい国だな、日本は。まさにグッドな待遇だ・・・もっとも、俺は数に入ってないがな」
そう言って大笑いし、ワインを一気に飲み干した。
「黙っていろ、ナタス」
イングラムの一喝にも涼しい顔をしたナタス・ヘイガンは醜悪な笑みを浮かべるとさっきまで座っていた椅子に腰掛け、ワインボトルを持ち上げてラッパ飲みをした。
「俺を連れてきたのは不満か?」
「不満だ」
イングラムは睨みながらそう言い、ため息をついた。今回の取材で呼ばれたのは自分とミカエルだけだ。だが、ミカエルの懇意で教会でも異端児であり、神など微塵も信じてもいない神父であるナタスを同行させていたのだ。ナタスは非常に高い霊能力を持っているが、あまりに性格に難があった。
「双子でもこうまで違うとは」
「双子だからさ・・・方や聖なる力、片や悪しき力・・・そんな悪しき俺を神父にしたのはあんただろ?」
そう言い、師匠に対して馬鹿にした笑い声を上げる。確かに高い霊圧、霊力を持つこのヘイガン兄弟の力は絶大だ。ただ、ナタスの心は神というよりも悪魔でしかない。いつかはその心も清めようと努めたが、結局はより邪悪になってしまったのだった。ただ、ナタスの力は桁違いであり、数々の難しい悪魔祓いを成功させつつも多くの問題を起こしたこともあって、今では教会の地下に幽閉した生活を送らせていた。そんなナタスを何故同行させたのかわからないイングラムは夜景を見つめているミカエルへと目をやった。心優しい、純粋で能力も高いミカエルはまさにその名の通り天使のような青年だった。まだ25歳でありながら最強のエクソシストの名を欲しいままにしているこのミカエルはイングラムにとって自慢の弟子だった。そんなミカエルだが、自分よりも遥かに能力が高い兄を疎ましく思いながらも尊敬している節がある。たしかにナタスの能力はズバ抜けている。だが、その歪んだ心は決して許されるものではない。憑いた悪魔を祓った見返りに少女の処女を奪い、五体満足で祓えるはずの男性の片腕をわざと使えなくしたりと好き放題の数々はもはや神父という職を汚す存在でしかないのだ。それでもその高い能力はバチカンでも有望視されている。それゆえ、教育係としてイングラムを指名しているのだ。
「客が来たぜ・・・それも、死にぞこないだ」
ケラケラと笑ってそう言うナタスは素手でステーキを掴むとそれをむさぼるように食べた。そんなナタスの前にゆらめく影は徐々に人型をなし、やがて黒いスーツの老人へと姿を変えた。
「おお、これはミュンヒハウゼン公・・・お久しぶりでございます」
そう言い、恭しく片膝をついて頭を下げたイングラムに続き、ミカエルもまた同じようにしてみせた。ナタスはそんな2人を鼻で笑いながら肉を頬張り、ワインを飲み続けている。そんなナタスを見たミュンヒハウゼンだが、無表情を崩さなかった。
「お前の送った本・・・実に興味深い結果を残したよ」
そのミュンヒハウゼンの言葉にイングラムが不思議そうな顔をしたが、ミカエルは冷たい目をナタスに向けていた。
「さすがじじい・・・よくわかったな」
「あんな芸当が出来る人間は世界にそうはいまい」
「それを消せる人間も、だろ?」
ナタスは目を細めながらも笑みは消していなかった。
「で、どこのどいつだ?」
「会うのか?」
「あぁ、是非会いたいねぇ」
「会ってどうする?」
「仲良くゲームでも・・・ってわけにはいかないなぁ」
悪魔のような笑みを浮かべるナタスに近づいたミカエルは黙ったままミュンヒハウゼンの方へと顔を向けた。イングラムは状況が掴めずにただ黙って様子を伺っている。
「兄さん・・・相手にしない方がいい」
「へぇ」
ミカエルの言葉にへらへらとした笑みを返すナタスはおもむろに立ち上がると玄関へと向かった。それを見たイングラムがあわてて立ち上がるが、意外なことにミカエルがそれを制し、ナタスの背中を見送った。
「あの呪いの本をご存知でしたか」
「あれだけの念だ・・・普通気づく」
ミカエルの言葉に小さく笑いながらそう言ったミュンヒハウゼンはさっきまでナタスが座っていた椅子に腰掛けると戸惑った顔をしているイングラムへと目を向けた。
「でも、あれを消せる人間が・・・この日本に?」
「わしが長年追い求めていた男じゃて」
ミュンヒハウゼンはそう言うと長く垂れた眉の下の目を光らせた。
「ナタスとは対極の位置におる男だ、あらゆる意味でな」
「そうですか」
「心配せんでいい、じきに出会う運命じゃ」
そう言い残し、ミュンヒハウゼンは霞むようにして姿を消した。イングラムは額の汗を拭うとため息をつくミカエルの前に立った。
「説明しろ」
「わかっています・・・けど・・・・」
あのナタスの念をこめた呪術の本をやり過ごした人物。ナタスでなくとも気にはなる。
「あれを消せるとなると、やっかいだ」
そう呟くミカエルの表情は暗かった。イングラムはそんなミカエルの肩に手を置くと夜景へと顔を向ける。明るいネオンの光を見つめるその瞳に宿るのは大きな不安だけだった。
*
麻美に連れられてテレビ局までやってきた凛と司は駐車場で出迎えてくれた広田と再会していた。そのままそこで見学者用のパスを貰い、局内へと進む。以前に行った局は地方局だったこともあり、その規模は桁違いに大きかった。廊下も設備も、そして行き交う有名人の顔振りも何もかもが違う。そうして収録スタジオに案内された2人はそこで待っていた安藤レオナに出迎えられた。スタジオの隅に置かれた簡素なテーブルの前に座っていたレオナは椅子から立ち上がり、にこやかに近づいてきたのだ。
「お久しぶりね」
「お久しぶりです」
凛の言葉に小さく微笑んだレオナはきょろきょろとスタジオの中を見渡している相変わらずの司に苦笑を浮かべた。
「変わらないね」
「ん?そりゃね・・・そう言うお前は、もう井戸は見つかったのか?」
その言葉に麻美と広田は意味がわからずに首を傾げるが、神殿の裏での話を盗み聞きしていた凛は無表情のままでレオナを見ていた。
「まだ・・・でも、いい感じの井戸はあるよ」
「そっか」
その言葉を聞いた司はにんまりと笑い、レオナもまた微笑む。この収録は一般の客も入るために観覧席も設けられていた。レオナは正面左のひな壇に座るが、そのひな壇を見ていた司は向こうからやってきた佐々木へと目を向けた。背が高い上にやたらと顔の長い印象を受ける。言うなればラクダにも似た感じの顔をしていた。そんな佐々木が5人の前に立つ。
「君かい?噂の霊能少年は」
「まぁね」
佐々木に対しても敬語など使う気がない司に麻美は小さく微笑んだ。司は相変わらずであり、そんな司が気に入っていた。対する佐々木は少々ムッとしながらもどこかバカにしたような笑みを浮かべた。
「なんならエクソシストと対決、なんてシナリオも用意するけど?」
その言葉に凛は顔を曇らせたが、レオナはそんな凛を横目で見つつ同じように険しい顔をする広田へと視線を向けた。あの事件を知っている者ならばそんな言葉は絶対に言えないだろう。それにこの佐々木は知らないのだ。司のその凄まじい能力を。
「遠慮するよ」
「やはり本物には勝てないかな?」
「そうだね」
その言葉に満足した佐々木が勝ち誇った顔をしてみせる。佐々木にすれば司の今の言葉は自分が偽者だと発言したと取ったのだ。だが凛にはただめんどくさいからそう答えたと理解していた。レオナにしても上手くかわすための言葉だとわかる。
「前の方に座るかい?」
「後ろがいい」
「そう」
佐々木はますます笑みを濃くした。そのまま座る場所を用意するからと去り、その背中を複雑な表情で見つめていた麻美と広田が険しい顔を司に向けた。
「対決すればいいのに・・・勝てるでしょう?」
何故麻美が怒ったようにそう言うのかがわからない司が怪訝な顔をするが、凛としてはなるべく接触をさせたくないために対決を拒否し、後ろの席を指定した司を褒めてあげたい気分だった。
「勝てるっちゃ勝てるよ・・・でも、そいつじゃないからね」
「そいつじゃない?」
レオナがそう言うと司はレオナを見ずにスタジオの真ん中辺りを見ていた。
「今日、ここへは来ないやつがそうだよ」
その言葉に凛の胸はざわついた。つまり、今日このスタジオに来ない人物があの本を送った者だというのか。だとすれば、そいつは何者なのだろう。
「そいつ、井戸の中のアレよりも強いの?」
レオナがそう聞いたのと佐々木が2人を呼んだのとはほぼ同時だった。司はそんなレオナの方を見ずに歩き出した。口元に浮かんだ笑みは何を意味するのか。
「種類が違うけど、そいつは人間だけに遥かに強いね」
何故か司は嬉しそうにそう言った。そのままADが指定した席に座り、またもきょろきょろとスタジオの中を見渡した。そんな司を追いかける凛だが、不安はますます大きくなっていく。司の隣に腰掛けながら、凛は言い知れない不穏な空気に負けないようにじっと前を見据えるのだった。
*
女優から芸人まで、ひな壇には20人近い芸能人が座っていた。MCを務める有名芸人が正面に立ち、予定より遅れること30分、やっと収録が開始された。早く来すぎたこともあってリハーサルまで見せられた司は退屈を持て余して眠っている。結局リハーサルにもエクソシストは登場せず、本番を待つしかなかったのだ。ようやく始まった本番にさすがの司も起きて顔を上げる。ひな壇の上にいるレオナはカメラを気にしつつも一番後ろの右端に座る司を見つめていた。また、スタジオの後方では広田と麻美が椅子に座ってその様子を見ている。2人の間に少し緊張が走っていた。
「いよいよね」
「何もないことを祈るよ」
そんな2人の心配をよそに収録は進む。まずはイギリスで撮影した実際の悪魔祓いの様子を撮影したVTRが流れていく。司は正面の大型モニターをぼーっと見つめていたが、凛はそんな司とモニターを往復させる。
「変わった感じだな」
ぽつりとそう呟く司を見た凛はそっとその耳に顔を近づけた。
「どういう意味?」
「確かにあの金髪の力は強い・・・でも、後ろで誰かか力を貸してるような感じがする」
「別の人がってこと?」
「いや・・・なんていうか・・・・同じ人間がって感じ?上手く説明できない」
そう言って真剣な顔でモニターを見つめる。そんな2人の小さな会話の様子を見ていたレオナはどこかもどかしい気持ちでモニターを見つめる。こんなところに座っていないで司の隣へ行き、直に解説して欲しいと思っているとVTRが終わった。
「どうでしたか、レオナちゃん」
急にそう振られたが、ここはさすがに場数を踏んでいるだけに当たり障りのないコメントを言って周囲もそれを盛りたてた。
「でもレオナちゃんもほら、いろいろあったじゃん」
ここで来たかと思うレオナ、そして広田。そんなレオナを見た佐々木はにやりとした笑みを浮かべつつ司を見ると、司はぼーっとした様子で天井を見上げていた。まるで番組に興味がないようだ。
「所詮は偽者か」
佐々木はそう言うと腕組みをし、ディレクターの指示を聞きながら椅子に座った。
「浦川さんが亡くなったのも、なんかそういうロケをしたからって話もあるしねぇ」
「そうですね・・・でも、関係ないとは思いますよ」
レオナは司会者の言葉を上手くかわしつつ、台本に沿った感じで話を進めていった。台本では肯定も否定もしない、そういう風な演出がなされていたからだ。浦川の話題を出すことで視聴率を取ろうという佐々木の戦略だった。
「なんか凄い霊能者、高校生の男の子が助けたっても聞いたけど?」
台本にはない言葉にレオナは戸惑いつつもそれは表情に出さない。佐々木はレオナの出方を見つつ司へと視線を向ける。だが司は普通にレオナを見ていた。
「それは噂です。内田さんはインターネットの掲示板とか、見すぎですよ!」
その言葉に会場は沸いた。凛はホッとし、佐々木は舌打ちをしてみせる。今は上手くかわしたレオナの言葉にしてやられたが、まだこの話題を終わらせるつもりもない。
「いやいや、最近のネットの情報もバカにできないよ?ほら、客席の彼なんてそれっぽいじゃん」
カンペに書かれたその急な言葉に司会者の内田も戸惑うが顔には出さない。カメラは正面を見ている司を映すが司はただまっすぐに正面を見ていた。
「あー、いい感じの人ですね。タイプです」
「そっちかよ!」
レオナの返しに会場が沸くが、佐々木は苦笑をしてみせた。これで話題も切り替えざるをえなくなった。ならばと、佐々木はディレクターに指示を出す。
「でも、そのロケは本当にあったんでしょ?なんかこう、体験したって?」
「井戸に行ったら人形があっただけですよ」
「それだけ?なんか怖い目に遭ったって聞いたけどね」
「犬のうんこ踏んだスタッフがいたぐらいかな?」
その言葉にまたも会場が沸いた。上手くかわすレオナに感謝しつつ、凛は司を見る。すると司は凛のいる反対側、機材の置かれた壁をぼーっと見ているではないか。何かがそこにあるのかとそっちを見るが何もない。スタッフが数名いるだけだ。
「どうしたの?」
「いや・・・」
珍しく言葉を濁した司は正面を見据えた。いつになく鋭い目で。
「ではここで登場していただきましょう!本場バチカンで最高のエクソシスト!ミカエル・ヘイガンさんです!どうぞ!」
そう言い、高らかに手を挙げる。正面のモニターが競り上がり、その向こうにある扉が左右に開いて登場してきたのは金髪で碧眼のイケメンだった。神父の黒い服を身に纏い、通訳もなしに登場したミカエルは両手を合わせるとステージの中央に立った。
「やっぱ変だ」
そう言う司はただじっとミカエルを見つめていた。そんなミカエルもまたカメラの向こう側に座る司を見つめている。
「彼?」
「違うけど・・・同じ霊圧だ・・・・・・いや、微妙に違うけど」
司にしては曖昧な表現に困ってしまうが、凛はミカエルを見つめた。吸い込まれそうな碧い瞳に鮮やかな金色の髪。何より神々しいまでのオーラが見えるようだった。
「はじめまして、ようこそ」
「どうもありがとうございます」
流暢な日本語に会場がどよめく。ミカエルは英語、イタリア語、日本語、中国語も堪能な秀才であることが明かされ、さらに会場がどよめいた。そしてミカエルの師匠であるイングラムも姿を見せるが、司の興味はそこにはなかった。
「繋がった細い霊圧・・・・・その先にいる」
司はそう呟いた。その表情は険しい。凛はまたも襲ってくる不安から胸の前でぎゅっと拳を作る。そんな凛を見たミカエルの口元に笑みが浮かんだ。そう、ミカエルにも見えているのだ。凛の放つ七色のオーラが。そして同時に遠く離れたホテルのベッドに寝転がっているナタスの目にもその光景が見えていた。ミカエルを通じて同じものを見ているのだ。
「へぇ、いいなあの女・・・気に入ったぜ」
そう言うと舌なめずりをしてみせる。それを感じたミカエルは誰にも気づかれないように小さなため息を漏らした。そんなミカエルは司会者の質問に答える形でエクソシストとして今までどんな悪魔と戦ったのかやら、いろいろな霊的な話もし、そして番組はクライマックスへと向かいだす。そう、それはミカエルによる浦川の事件の霊視だった。
「あいつにそんな能力はないけどな」
司はそう呟くと興味を失ったのか顔を伏せて眠るようにしてしまった。凛はそんな司を見てどこかホッとしたが、不安は消えないでいる。とにかくミカエルに注目していた。
「大きな屋敷が見えます・・・裏には、広い庭に、井戸・・・」
レオナは驚きつつもこれも台本だと思っていた。そう、次の言葉を聞くまでは。
「黒い霧のような存在がいましたね・・・龍の崩れたような姿・・・・でしょうか」
その瞬間、レオナは無意識的に立ち上がっていた。そんなレオナをカメラが追う。顔を青くしたレオナがミカエルから司へと顔を向けると、やや顔を伏せたようにしている司の口元に笑みが浮かんでいた。頭を下げているので髪の毛が邪魔して表情は見えない。だが確かに笑っていた。
「レオナちゃん、どうした?」
司会者の言葉に愛想笑いを返し、すぐに座る。周囲の芸人から本当なの、当たっているのなどと質問が飛んだが上手く誤魔化した。ただミカエルの能力が本物だと理解はできた。それにしても司の笑みが気になる。
「浦川さんはその龍の呪いを受けたのでしょうか・・・そんな気がします」
静まり返る会場の中で拍手が鳴り響いた。それは顔を上げた司がしている音だ。他の観客やひな壇の芸人たちもそれに習って拍手をすれば、ミカエルは立ち上がって深くお辞儀をするのだった。
*
収録が終わり、背伸びをした司が立ち上がる。タレントたちが楽屋に向かう中、客たちもまたスタジオを後にしていくが、司と凛は麻美と広田の方に歩いてきた。
「どうだった?」
「なかなか面白かった」
司はそう言うと椅子に座った。凛は複雑な顔をしつつ向こうからやってきたレオナに顔を向ける。
「あいつ・・・本物だったね」
井戸の中にいたもののことまで言い当てた能力に度肝を抜かれたが、それでも冷静にしていたレオナに感心していた凛も頷いた。だが、あれを言い当てる前に司はミカエルに霊視能力はないと言っていた。それが気になったこともあって、ここでそのことを聞いてみた。
「でも司君、あの人にそんな能力はないって言ったよね?」
「しかも笑ってたよね?」
凛とレオナにそう言われた司は勝手にそこにあったジュースを飲みつつ2人を見上げた。
「あいつの霊力はせいぜい30、霊圧も似たようなもんだ・・・俺でもできない霊視をするにゃ、ちと力不足だったな」
「でも、全部言い当てたよ?」
「裏で霊視したやつがいる。そいつがあいつに伝えたんだ」
そう言い、司は不敵な笑みを浮かべて見せた。事件の真相を知る人間ならばあの呪いを恐れてそれを佐々木やスタッフには言わないだろう。現に佐々木は広田を含めたあのロケのスタッフに接触していたが、結局誰も口を閉ざして真相を話す者はいなかった。とすれば、ミカエルの能力は本物のはずだ。裏で霊視をした者がいるとすれば、それは司にとって脅威の存在になる。凛は震える声で質問を投げた。
「だ、誰が?」
「さぁ?」
とぼけているのか本気なのかはわからない。ただ、そんなことが出来る人間がいるのかと思い、4人はゾッとした。
「まぁ何事もなかったし、帰ろうか・・・腹も減った」
にんまり笑う司に麻美は苦笑したが、凛はどこか不安そうにしたままだった。そんな5人の元にニヤニヤとした顔つきの佐々木が近づいてきた。司を除く4人が軽く頭を下げるが、佐々木はそのニヤニヤを司に向けた。
「いやいや、どうだった彼?本物だったろう?」
「ああ、本物だ」
あっさりそう認めた司のそれを降伏と取った佐々木は満足そうに頷いた。
「その彼が君たちと食事をしたいと言っているのだが、どうかな?」
その言葉に意外そうな顔をした麻美と広田が顔を見合わせる。一体どういった意図があるのだろう。あの番組で司は何もしていない。それなのに何かを感じたのだろうか。
「美味い飯ならね」
「OKと取っていいんだね?」
「メンバーは?」
「君と桜園さん・・・だけだが?」
「こいつも一緒なら行ってやる」
そう言って指名したのは意外なことにレオナだった。そんな司を見て佐々木は不機嫌そうな顔をした。明らかな上から目線が気に入らないのだ。偽者の霊能者のくせに生意気だと思うが、その偽者が本物にやり込められるところが見られるとなれば最高だ。こっそりとカメラも用意しようと考える佐々木はそれを承諾し、先方にそれを伝えるためにそのまま去っていった。
「なんで私も?」
「数合わせだよ」
「数?」
「あのおっさんを中心に向こう3人、こっち3人、計7人で」
「向こう3人?」
「あのおっさんには仲介役をさせてやる」
そう言った司はジュースを飲んだ。言っている意味がわからない凛たちは顔を見合わせるが答えが出るはずもなかった。
*
冬の近い秋といったこの季節は日の入りも早い。既に暗くなった午後7時の東京はネオンの瞬く夜の光によって照らされていた。3人が佐々木に連れられて向かった先は有名な高級ホテルだ。そのホテルの最上階にある和食の店に案内されて広い個室に入れば、そこにいたのはミカエルとイングラムの2人だった。司が言った3人目はおらず、凛とレオナは顔を見合わせるしかなかった。
「紹介はしなくてもいいかと思うが、こちらはミカエル・ヘイガン氏。そしてイングラム・マルムス氏だ」
ミカエルとイングラムが立ち上がる。
「桜園凛です」
「安藤レオナです」
「神手司」
日本語に長けているとわかっているので日本語で自己紹介をした。ミカエルは順番に握手をするが、司に対して特になにもリアクションをみせなかった。
「わざわざご招待ありがとうございます」
丁寧な物言いの凛に微笑んだミカエルが座るように促したために佐々木を含めた4人は座った。前菜と飲み物が用意される中、司は薄い笑みを浮かべたままミカエルを見ていた。そんなミカエルもまた司を見つめている。だがお互いに何を言うでもなく食事が始まった。
「どうして私たちを招待してくれたんですか?」
食事が始まると同時に凛がそう質問を投げる。
「あなたの後ろに七色のオーラが見えたからです。興味を引くには十分の輝きでした」
凛はその言葉に納得するが、レオナや佐々木にすれば意味不明だ。そんな顔を見たミカエルはそういうオーラの持ち主は多くいるが、出たり消えたりするその七色のオーラなど見たことがなかったために興味を引かれたと説明をした。
「あなたも霊能者だと聞きました。だから見えてましたよね?」
ナイスな言葉だと佐々木がほくそ笑む。偽者の司にそんなものが見えるはずがないと言った笑みだった。店側に頼んで隠しカメラを仕掛けていることもその笑みに関係している。
「いんや、見えない」
その意外な言葉に佐々木は嫌な笑みを浮かべたが、凛は驚いた顔をしてみせた。
「見えないの?うそでしょ?」
「いや、見えない。美咲から聞いてはいたけど、俺には全然見えないんだよなぁ」
何故司には見えないのだろうか。そう言えば司に抱きついたりしてもまぶしいなどと言われたことがないことに今更ながら気づいた。てっきり見えているものだと思っていた凛だが、それは美咲よりも霊力が低いせいかとも思う。だが、司より霊力が低いミカエルには見えているのだ、それが原因ではない。
「君とはレベルが違うんだよ」
小馬鹿にしたような佐々木の言い方だが、司の口元に笑みが浮かぶ。その笑みを見たミカエルは本能的に嫌なものを感じた。そしてそれはイングラムも同じだ。
「で、もう1人はいつ来るの?」
そう言って運ばれてきた天ぷらを食べる。ミカエルとイングラムは戸惑った顔を見合わせ、佐々木は疲れたような顔を司に向けた。
「誰だよもう1人って・・・今回来日されたのはこのお二人だし、招待されたのは俺たちだけだ」
完全にバカにした言い方だが、司は天ぷらを美味しそうに食べている。対するミカエルはややきつめに司を睨むようにしてみせた。
「本当はそいつが俺を呼んだんだろ?いや、俺と凛を、かな?」
そう言った司の口元の笑みが強くなった。そう、司は全てに気づいている。そう判断したミカエルが立ち上がろうとしたときだった。
「グッドだよ・・・なんてグッドな男だ」
後方から手を叩きながら現れたその銀色の髪の男の登場に司を除く全員が唖然とした。長い髪が片方の目を隠してはいるが、確かにその顔はミカエルである。ただ醜悪なまでに歪んだ口元がその印象をがらりと変えている。簡素な服にジーンズといった出で立ちもまた違和感を植えつけるには十分だった。そんな銀髪の男は自分を振り返らない司を見て嬉しそうに微笑んだ。
「会えて光栄だよ、ミスター・カミデ」
「こっちもだ、銀のミカエルさん」
ここでようやく振り向いた司は海老の天ぷらをくわえていた。
「ナタスだ、ナタス・ヘイガン」
「やっぱ双子か。それにナタス・・・・なるほど、悪魔なわけだ」
司は海老を全て口に入れるとそれを噛み、飲み込んでからにんまりと笑った。言っている意味がわからない凛だが、このナタスを見た瞬間から言い知れない怖さを感じていた。
「NATAS・・・サタンのローマ字読み、みたいなやつの逆さまだ」
「へぇ、まぁ偶然なんだけどね」
こちらもにんまりとした笑みを返した。この2人は似ていると思うレオナだが、何か決定的なものが違う気もしていた。
「あの本、気に入ってもらえた?」
その言葉を聞いた凛の表情が凍りついた。司が言った能力者はやはりこのナタスなのだ。司に匹敵する霊能者、最強の敵を前に笑っていられる司が信じられない。
「気に入らないね」
「そうか・・・それは僕も同じだよ」
「何故あんなことをした?」
「暇つぶしだよ・・・僕はこの2人に幽閉されているからね、暇で暇で仕方がないんだよ」
「で、ああやって人を弄んでいるってわけ?」
「そう。まさか本の中のモノまで消されるとは思ってなかったけどね」
司はゆっくりと立ち上がると今までに見せたことのない怒りをその顔に浮かべていた。そしてナタスも同じように不快そうな顔を向けている。
「兄さん!」
「心配ない・・・お前は飯食ってろ」
そう言うナタスは醜悪な笑みを浮かべて見せる。その笑みを凛へと向けた瞬間、凛は金縛りにあったかのように動けなくなった。呼吸すら満足にできない凛の肩に手を置きかけた時、ナタスのその手を司が掴んだ。すると金縛りは解け、呼吸も元に戻る。
「へぇ、こりゃ本物だ・・・しかも強いね」
「ああ、強いぞ」
「でも、僕ほどじゃない」
その瞬間、ナタスの背中に紅い翼のようなオーラが立ち上った。その紅いオーラは時々黒さを混ぜながら店内に満ちていく。ミカエルはとっさに両手をかざし、凛とレオナ、そして佐々木をそのオーラから守るように光のカーテンを敷いた。
「やめんかナタス!」
英語でそう叫ぶイングラムだが、ナタスは目すら向けずに鼻で笑った。
「うるせえよ、じじいが!」
そう言ったナタスが右手を振るうと、オーラがナイフの形を作ってイングラムの胸に向かって飛んだ。
「乱」
司がそう言った瞬間、そのナイフは消えた。驚く顔をする佐々木は混乱の極みの中にいたが、一度それを体験しているレオナは驚きつつも凛の腕を取ってミカエルの方へと移動した。
「変わった術だな?」
「いや、普通だ」
どこが普通だと思うが、今はそれどころではない。凛はただ左手のブレスレットをきつく握り締めることしかできないでいた。
「なら、こういうのはどうだ?」
そう言い終わるや否や、黒いリングが4つ空中に出現して司の頭上から舞い降りる。そのまま司に刺さったリングはその身体を締め付けるようにして小さくなった。
「断」
その瞬間リングは消え、ナタスの笑みも消えた。逆に微笑む司の能力の凄さを目の当たりにして余裕が消えた瞬間だった。
「まさか僕より能力が上の人間がいるなんてなぁ・・・ミュンヒハウゼンのじじいが夢中になるわけだ」
吐き捨てるようにそう言ったナタスは大きく後方へと飛びのいた。紅い翼のオーラもそのままに司を睨みつける。司は両手の数珠を外すと1つにまとめてズボンのポケットにそれをしまう。
「呪いの代償は受けてもらうからな」
珍しく表情も口調も怒りがこもっている。こうまで怒りを表に出した司は初めて見る。
「どんな代償かな?」
「能力の消滅」
「それは困るなぁ」
そう言ったナタスの両手が振られた。黒い無数の針が司目掛けて飛来するが、それは司の手前数十センチ手前で全て霧散して消えた。歯軋りするようにしたナタスだが、まだ余裕がある。こうまで完璧に技を封じられながらも見せる余裕が凛の中の不安を大きくしていった。
「お前の霊圧は70、霊力も70・・・俺には勝てないって」
「いや、勝てる」
そう言うとナタスはオーラを消した。それを見たミカエルが立ち上がり、イングラムが英語で何かを叫んだ。
「うるせー」
そう英語で呟いたナタスが左手をミカエルに向ける。そんなミカエルの腕を掴んでいたイングラムは大きく吹き飛ばされてテーブルをいくつもなぎ倒しつつ倒れこんだ。
「僕たちはただの双子だが、少し変わっててね」
醜悪な笑みを浮かべたナタスは左手の人差し指でミカエルを指差した。
「お互いの力を足したり引いたり出来るんだよ・・・・つまり・・・」
人差し指を上に曲げる。その瞬間、ミカエルが作っていた光のバリアは消滅した。驚く凛とレオナはそんなミカエルからも離れるが、佐々木はあまりに非現実的な光景に失神寸前の状態にあった。
「ミカエルの力を俺に足せばお前に勝てる」
ナタスがにやりと笑い、ミカエルは膝をついた。強制的に力が奪われた証拠だった。いや、本来そんなことは不可能なはずだ。いくら双子でも霊力や霊圧はその人間が持って生まれたもであり、それを行き来させることは出来ない。出来たとしても異質なもの、血液型が違うように霊圧もまた異なる型式をもっているのだ。つまり混ぜることなど出来ない。ただ、相手の力を上乗せすることはできる。それは相手の同意を得て協力しあってこそ可能なわけで、こうまで一方的に行き来させることなど常識を超えていた。だが、目の前に立つナタスの霊圧はすでに神のものすら凌駕している。溢れるばかりの霊圧に押されたせいか、凛やレオナも立っていられないほどに眩暈がして床に倒れこんだ。力を奪われたミカエルも辛そうにしながらテーブルに突っ伏す。同時にこのホテルにいる全ての人間が同じように倒れこんでいた。
「高次元の高みに位置する波動存在・・・いわゆる神、それが今の僕だよ」
「なるほど・・・その力を使ってお前が霊視をしたのか」
「さすがに気づいてたか・・・そう。行き来が可能なら繋ぐことも可能だからね。ミカエルが優秀なのは俺が力を分けているから、だからこいつらは俺を殺さずに幽閉するんだ」
「双子の特権、か」
「世にも珍しい霊的同調を可能にした双子、シンクロイド・ツイン、ってな」
「たいそうな名前」
圧倒的な霊圧を前にしても動じない司だが、現時点で打つ手はない。こうまで高い霊圧では防ぐこともできなければ攻撃も通用しないだろう。対抗できる力、魔封剣もない。
「お前は目障りだけど、その能力を奪うだけにするよ」
「優しいんだな」
「今まであった能力を失くす絶望を知れ」
そう高らかに叫んだナタスは両手を大きく回して円を描くと目の前に黒い球体を出現させた。1メートル立方のその球体はその表面を揺らめかせており、まるで水がそこにあるかのような印象を与えた。それが目にも留まらぬ速度で司に取り憑いた。痛みも何も感じないが違和感はある。司はポケットに手を突っ込んだまま何の抵抗も見せないでいた。
「つ、つかさ・・・くん・・・」
かすれる目で司を見るが、司は顔だけを凛に向けた。その口元には何故か笑みが浮かんでいる。
「心配するな。その珍しいオーラの女は僕がもらってやる」
「いや、それには及ばない」
「心配するなって、テクニックはあるぞ・・・何人もの女を抱いてきたからな、無理矢理だけど」
下品な笑いを見せた後、ナタスは両手をパンと叩き合わせた。その瞬間、球体は消えた。
「どうだ?能力を封じられた感想は?」
ナタスの言葉に驚いた顔をした司はきょろきょろとしている。そうして自分の手を見つめ、不思議そうな顔をしてみせた。
「確かに何も見えなくなったなぁ・・・何も感じないし、いい気分だ。こんなにも静かだったんだな」
その言葉に凛は絶望した。どうやら本当に司の能力は奪われたらしい。もう自分が助かる道は途絶えたのだ。
「つかさ、くん・・・・ほんと、う・・・に?」
苦しさも気にならず、そう問いかける。司は相変わらずの笑みを浮かべたまま立っていた。
「あぁ、何も・・・霊が見えない、感じないってのはいいもんだなぁ」
いつものようににんまりと笑う司を見た凛は自分の中に芽生えた安堵に戸惑っていた。この絶体絶命の危機の中にあって何故自分はこんなにホッとしているのか、それはすぐに理解できた。霊能力を失ったということはもう危険なことに首を突っ込むことがなくなったということだ。心を壊してしまうようなこともなければ命の危険をさらすこともない。ごく普通の生活がそこに待っているのだから。ずっと願って止まなかった司の平穏な日々がある。自分はこのままこの男に連れさらわれようとも、それだけが救いだった。
「今はまだ俺の力でお前の力を包み込んでいるだけだ。だが、じきにそれも終わる」
「へぇ・・・・なら、俺もお前の能力を消してみせようか?」
司はずっと浮かべた笑みをそのままにナタスの方を向いた。ナタスは一瞬きょとんとしつつも、その後で大笑いをしてみせた。腹を抱えて笑い続け、涙まで流している。ひとしきりそうやって笑ったあと、笑いすぎて苦しい顔を司に向けた。
「やってみろ・・・もう何の霊圧も感じない貴様がどうやってそれをするのか見てみたい」
「じゃぁ3つ数えるから」
「定番だな」
口を歪ませて笑うナタスは余裕の顔を見せていた。凛は苦しいながらも顔だけを司へと向ける。
「いーち」
そう言いながら一歩踏み出した。
「にーい」
さらに一歩進んでそっとその右手をナタスの胸につける。一応警戒するナタスだが、司からは何の霊圧も感じない。ナタスは大きく口を歪めて笑いの形を作った。
「さーん!」
その瞬間、溢れていた霊圧が一瞬で消えた。凛たちを圧迫していた力も消滅し、ゆっくりと身を起こす。ミカエルもまた驚いた顔をしつつ2人を見つめていた。完全に失神している佐々木を気遣いつつレオナもまた立ち上がった。
「ば、ばかな・・・・・なぜだ・・・・何故消えた?」
「俺が消したから」
「ありえない・・・お前の力は封じていたんだぞ!」
さっきまでの余裕はもう微塵もない。うろたえ、必死で霊圧を込めるがなんの反応もない。ナタスの能力は完全に失われていた。霊圧を全て奪われていたミカエルが急に戻ってきた霊力と霊圧を使って2人を見れば、ナタスからは何も感じず、司からは溢れんばかりの霊圧が噴出していた。そう、完全に立場が逆転した状態がそこにあったのだ。
「力を逆転、させたのか?それとも吸収したのか?」
「俺はシンクロイド・ツインとかじゃないからね・・・でも、師匠が言ってた」
そう言うと右手を離し、左手をポケットから出した。そこには金色と銀色の数珠が握られている。
「相手が霊なら駆け引きはいらない。けど、相手が人間なら、切り札は最後まで見せるな、ってね」
その言葉の意味がわからず後ずさるナタスだが、ミカエルはその意味と司がやってのけた技を見抜いた。完全に封じられた体内の霊圧だが、数珠の中に込められた霊圧は無事だったのだ。司はポケットの中に入れた数珠の霊圧を開放し、体の中に送り込まれた球体に断を放って小さいながらも一瞬だけ霊的拘束力を断ち切ったのだ。小さく穴を開けられた球体の中にある自分の霊圧を同調させてさらに断を放って球体を消滅させ、開放された霊圧を持って球体の霊圧をミカエルに撥ね返しつつナタスの霊的な力を全て断ち切ったのだった。球体の霊圧を撥ね返しつつ、その勢いを利用して全てを断ち切る。そんな芸当ができる人間はおそらくこの世界の中でも司だけだと思えた。
「それが呪いを使った代償だよ」
笑みをそのままにそう言う司に対し、両膝をついたナタスは絶望感溢れる表情をしていた。そんなナタスの前にしゃがみこんだ司は笑みを消した。
「俺は別に能力を失くしても平気だぞ。それが人間として普通なんだからな」
「お前が・・・お前ぇ!」
そう言って司の胸倉を掴むナタスだが、その胸に司の右手が添えられた。
「弟とも同調できなくしてやるよ」
「やめてくれ・・・頼む・・・」
「絶!」
静かな司の声に反し、ナタスは絶叫を上げた。長い長い絶叫のあと、床に倒れこむ。そんなナタスを見つめるミカエルもまた苦しげな表情を浮かべるのだった。司は大きく息を吐くと凛の前に立った。泣きそうな顔をしている凛に困った顔を向ける。
「泣き虫」
「泣いてないもん」
「もう寸前なくせに」
そう言い終わるや、司に抱きつく凛に対して苦笑が漏れた。そんな司をレオナが見つめる。
「凄いね、本当に」
「まぁな」
「君を私の井戸にしたいけど・・・先約があるんじゃね」
「先約?」
「わかんないだろうけど、私は君が好きになりかけだけど、そっちの方が私より先に好きになってるってこと」
「なんだ、順番の話ね」
「そういうこと」
レオナはそう言って笑った。そんなレオナをチラッと見る凛の目は少し赤かった。
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「恐るべき男よ」
電気もついていない暗いスイートルームの椅子に腰掛けているミュンヒハウゼンはどこか嬉しそうにそう呟いた。まさかこうまであっさりとナタスを倒せるとは思ってもみなかった。予想外というにもほどがあるこの結末はミュンヒハウゼンにとっては嬉しい誤算でしかない。
「決戦の日は近い・・・私の待ち望んだ日が」
そう言うとミュンヒハウゼンの姿は消えた。




