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ひとでなし≒かみさま  作者: 夏みかん
第7話 異物の気配
13/20

前編

そこはいつもハイキングに行く登り慣れた山だった。年に数回は家族で登り、山の新鮮で清らかな空気を満喫していた。今日は母親の紗雪は置いてきたが、矢島満夫は娘の葵を連れてのハイキングを楽しんでいるところだ。葵も小学5年生となり、活発な性格をしていることから運動神経も良く、体力もある。何より最近は可愛さも増してきて男子の友達も増えたようで満夫としては少し心配でもあり、不満でもあり、そして自慢でもあった。そんな葵は父親を毛嫌いすることなく普通に接してくれている、それが何より嬉しかった。紗雪からは同級生の娘を持つ父親はみな娘から敬遠されていると聞かされてやや複雑な心境ではあったが、今日もこうして一緒に山登りをしてくれるのだ、まだしばらくはそういう思いをしなくていいと思う。そうして会話も弾ませながら頂上に着けば、絶景が目の前に広がった。遠くまで見渡せる景色はどこかモヤがかっているが、それでも海まで見えるその景色にここまでの疲れも吹き飛ぶような気がする。紗雪が作ってくれたお弁当を食べ、のんびりとした時間を過ごす。学校でのことなどを楽しそうに話す葵に満夫も満面の笑みで答えていた。そうして1時間ほどの昼食休憩を取っていると、少し霧が出てきていた。他の登山客も早々と撤収の準備をして下山していく中、満夫たちも同じように下山の準備を開始した。いかに慣れている山とはいえ、霧が濃くなれば遭難の恐れもあるのだ。リュックを背負って下山するが、恐れていた以上に急速に霧が濃くなっていった。離れないように手を繋ぎ、ややゆっくりしたペースで足元に注意しつつ下山していく。天気予報では今日は晴れであり、こういう天気の日にここまでの濃霧は経験がないことだった。葵を気遣いつつ降りていくが、今いる場所すらどこかも分からず、このままでは危険だと時計を見る。このペースでの下山に2時間は掛かるとして、現在午後1時半、暗くなる時間を計算してももう少し様子を見る程度の時間はあると考えられた。満夫は他の登山客が来るのを期待しつつ霧が晴れるのを待つことにした。ちょうど大きな岩もあってそこに腰掛けるとお茶を飲んで心を落ち着ける。少し怯えている葵をなだめつつ周囲を見るが、もう視界が全く利かないほどに白い世界が一面に広がっていた。しかもその霧はねっとりと身体に巻きつき、染み込んでくるような気配さえしている。休憩に入ってから30分ほどしても霧は晴れる気配を見せないでいた。あと30分ほどしてダメならば救援を要請しようと携帯を見るが、完全に圏外だ。ならばと、葵を背負ってでも下山しようと考えていた時、葵が満夫にもたれるようにして眠ってしまった。疲れと困惑が極限に達したのだろう。寝ていると小さい頃と変わらない幼さがある。最近は少し大人びてきたし、身体も成長している。じきに自分も煙たがられるのだろうなと思う満夫は微笑みながらそっとその肩を抱いた。ただ困ったことに霧が晴れない限り動けそうも無い。そんな満夫もまたうつらうつらと船を漕ぎ出した。そんな満夫は不意に何かの気配を感じて目を開け、そっちを見る。一面が白い世界の中、正面やや右側に蠢くものが見えた。まだ遠いのか、それが何かはわからない。じっと目をこらせば、それは三角の形をしているようだ。霧の向こうにいるその三角が少しはっきりと見えるようになってきた。ちょうど葵ぐらいの大きさの三角は、その下に短い足を持っていた。そして異様に長い腕。地面をずるずると引きずるようにして歩くそれが何かはっきり見えたとき、満夫は思わず口に手を当てて叫びそうな自分を必死に押さえた。三角の身体と頭に首は無い。三角自体が胴体であり、頭だった。異様に長い腕に短すぎる足。その奇怪な怪物の目はギョロっとした大きな目玉を左右バラバラに動かしながらこっちに進んできた。口は目に比べて小さい。尻尾のようなものが見えたが、それはよく見れば長い緑色した髪の毛のようだ。満夫は眠っている葵を起こさないようにしながら抱きしめるようにし、最悪はその怪物と戦う気持ちも持って睨みつける。怪物はゆっくりと近づき、満夫の横2メートルの距離を置いてそのまま直進して霧の中に消えた。ホッとした満夫は怪物が消えた方向を見つめるが、もう何もいない。一体あれは何だったのかと思いつつも害がなくて良かったと思う。そうして眠っている葵を見た。すやすやと規則正しい寝息を立てている。葵があれを見なくて良かったと思う満夫が顔を上げた瞬間、目の前にあの怪物が立っていた。思わず悲鳴を上げて葵を抱きしめた瞬間、その怪物は一瞬で姿を消してしまった。幻だったのかと思う満夫が痛むほど早鐘を打つ心臓と荒い息をそのままに注意深く周囲を見渡すが、何もいない。ただ濃い霧で満ちた白い世界があるだけだった。早くここを立ち去った方がいいと思った満夫が葵を起こそうとそっちを見た瞬間、今度は悲鳴をあげた。葵は目を覚ましていた。だが、それは果たして葵なのか。大きく開かれた両目はまばたきをせず、黒目が左右ばらばらに爬虫類のような動きを見せている。口も醜く歪んでニタニタとした笑みを浮かべていた。まるでさっきの怪物がそこに乗り移っているような葵にガタガタと震える満夫は娘の名前を叫びつつ身体を揺するが変化は無い。全身の力もだらりと抜けた葵は目を不気味に動かしながらずっとニタニタと笑っているだけだ。満夫は恐怖にかられつつも頭の中でさっきの怪物が葵の中に入り込んだのではないかと考えていた。でなければこの葵の変わりようは説明がつかない。だが、そんなことがありうるのかと思うが、とにかく葵をなんとかする必要がある。満夫は葵を背負い、荷物を両手に持って薄くなってきた霧の中を夢中で下山していく。霧は徐々に晴れていき、視界はかなり良好になっていた。山の麓には寺があったことを思い出し、急いでそこへと向かう。顔中を流れる汗をそのままに、満夫は転びそうになりながらもなんとか無事に下山するとそのまま寺へと向かって駆けた。門をくぐれば、そこにはお坊さんがいた。満夫はすぐにそのお坊さんに駆け寄ると背負った葵を見せつつさっきあったことを話す。驚くお坊さんは近くの建屋に満夫と葵を入れるとあわてた様子で住職を呼びに行った。満夫は畳の上に葵を寝かせるが、やはり変化はない。何度名前を呼ぼうが揺すろうが同じだった。途方に暮れた満夫が涙を流していると、ゆっくりと扉を開いてこの寺の住職が姿を現した。まさに坊主というべきつるつる頭だが、まだ若い。40代といった風貌で眼鏡をかけたその住職は簡素な着物を着たまま葵の横に座った。


「憑かれたな」


低い声でそう言うと、右手を葵の顔の上に置いた。これでなんとかなるのかと不安な目でそれを見つめる満夫だったが、住職は手をどけると深いため息をついた。


「完全に入り込んでいる・・・私程度の者では追い出すことも祓うこともできん」

「そ、そんな・・・」


絶望感が満夫を襲った。ついさっきまでは楽しく山に登り、お弁当を食べていたのに。葵はニヤニヤした顔のままで横たわったままだ。満夫は住職にすがりついて助けを求めた。


「憑いているのは山の物の怪、妖怪、そういった類のものだ。何を求めて憑いたかは知らんが、この子の意識を押さえ込んで完全に肉体と一体化している」


苦痛に満ちた表情でそう言う住職から葵へと目を移す。満夫は大泣きしながら葵を抱きしめるが、葵は力なくされるがままになっていた。


「3日とせんうちに完全に肉体を乗っ取られる・・・そうなれば、娘さんの魂は消える」


さらに追い討ちをかける言葉に満夫は泣き、強く葵を抱きしめた。


「誰か、他に誰かそれを祓うことが出来る人は?いるでしょう?」

「これほどまでのものを祓える者は、おそらく1人だけ・・・」


住職はそう言うと苦い顔をしてみせる。満夫は葵を抱いたまま住職に迫った。何としてもその人物に会わなければならない。娘の命がかかっているのだから。


「そ、その人はどこのお寺に?」


3日あればどんなに遠くにその人がいようとも連れて行けるはずだ。満夫はただ葵を元に戻したい、その一心で住職にすがった。


「神咲神社の息子」


ぽつりとそう言うと、住職は難しい顔をしてみせた。


「神咲って・・・ここから近いですね」


住職とは対照的な顔をして表情が緩む満夫は紗雪の実家がその神社に近いこともあってよく知っていた。ここからならば車で2時間もかからない場所である。満夫は葵を抱いて立ち上がろうとするが、住職はやや曇った顔のまま葵を背負う満夫を見上げた。


「彼ならばそれを祓えるだろう・・・だが、少々問題もある」


その言葉に満夫は荷物を持ちかけた手を止めた。時間も無い中、これ以上どんな問題があるというのか。そんな疑問を顔に出した満夫を見た住職も立ち上がった。


「とにかく急ごうか・・・私が連れて行こう。車を出す」


住職はそう言うと門の前で待つように告げてすぐに建屋を出て行った。満夫は葵を背負ったままで門の前に行くと、10分ほどして私服に着替えた住職が運転する車がその前に止まった。後部座席に乗り込むと葵を寝かせるようにして満夫もそこに座る。車はすぐに動き出し、高速道路の入り口を目指してスピードを上げた。その間に満夫は紗雪に現状を報告した。取り乱す紗雪をなだめつつ今から祓える人のところへ行くと告げた。紗雪もまたすぐに実家に連絡を入れる。そうして簡単に荷物をまとめると車に乗り込んだ。その頃住職の運転する車は高速道路をひた走っていた。


「その人、本当に?」


全てを言わなくても住職にはその言葉の理解はできている。前を向いたまま頷き、住職はゆっくりと口を開いて話を始めた。


「娘さんを祓う力を持った人物の名は神手司・・・まさに神の手を司る男だよ。17歳の高校生だ」


名前はともかく、17歳と聞いて驚いた。住職と同じくらいの年齢を想像していたからだ。


「彼以上の能力者を私は知らない・・・けれど、今回のコレは彼にとって少々やっかいだ」

「やっかい?」


それは祓えない、ということなのだろうか。不安ばかりがよぎる。葵にずっと変化はないものの、このままずっと、一生このままだとは思いたくはない。自分たちが何をしたのか。何もせず、ただ霧が晴れるのを待って岩の上に座っていただけのこと。それなのに何故葵がこんな目に遭わなければならないのか。


「この手の妖物は人の心をたぶらかす」

「心?」

「彼の心の傷が影響せねばいいのだが」


住職はそう言うと苦い顔をしてみせた。ミラー越しにそれを見た満夫はますます不安になってしまった。


「かといって、彼以外に祓える人間はあと1人だが・・・どこにいるかも分からん」


かつての友、上坂刃かみさかじん。彼は今どこで何をしているのだろうか。


「その、高校生の人は・・・本当に?」

「彼は、まぁ、霊能力にかけては化け物だよ」


小さく微笑みつつそう表現した住職の言葉に希望が見えた気がした。とにかく今は葵を元に戻したい、ただそれだけを願うのだった。



9月の末ともなれば少しは涼しくなっていいはずなのにと思いながらリビングに向かった司はその前にキッチンへと顔を出した。気づかれないようにそっと顔だけを出してみれば、そこにはTシャツに短パン姿の凛が汗をかきつつ夕食の準備を進めている。どうやら今日の夕食は揚げ物のようだ。これで明日は手抜きをしても文句は出ないだろうとほくそ笑んだ司が顔を引っ込めようとした時だった。


「暇そうね司君、手伝ってくれる?」


まったく後ろを振り返らずにそう言う凛にドキッとする司は頭を掻きつつキッチンへと入った。目が隠れるほどの前髪が邪魔にならないのか、その髪に隠れるようにしている目が動揺を見せていた。


「なんでわかったわけ?」


完全に気配は絶っていたはずだ。それなのに自分と見抜いた凛が凄いと思っていた。


「んー、匂いかな?」

「え?」


そう言うと司は自分の腕を匂ってみるが、何も匂わない。それに料理をしている時点で人の匂いに気づくとは思えなかった。


「冗談だろ?」

「感覚的に、あー、司君の匂いがするなぁって」

「マジで?」

「うん」


ここでようやく凛は振り返る。その笑みが今言った言葉が本当だと語っているように思えた司は不思議そうにしながらもそそくさとキッチンを出て行った。凛はそんな司を見て微笑むと鼻歌を歌いながら支度に戻るのだった。そんな時、家の電話が鳴り響く。揚げ物をしているために電話に出られない凛だったが、司も美咲もリビングにいることは分かっている。美咲はさっきからリビングで録画していたドラマを見ているのだ。電話の音は5度目のコールで止まり、誰かが電話に出たことを示していた。


「お兄ちゃん、お父さんから・・・なんかすっごく急いでるよ」


そう言う美咲の声は凛にも届いていた。こんな時間に信司からの急用となれば、除霊関係しかないと思う。しかも急ぎとあってはその危険度は高い。凛は少々心配になりつつも料理に集中した。


「ったく、なんだよこんな時間に」


ぶつくさ言いながら司が電話にでる。目の前に集中しつつも聞き耳を立てる凛は手を火傷しないようにだけ気をつけた。


「えー・・・飯食ってからでいい?」


その声を聞いた凛は調理のピッチを上げていく。そうして揚がった天ぷらをお皿に盛り、サラダを準備した。ご飯をよそって味噌汁を入れた凛はてきぱきとした動きで1人分の食事をテーブルに準備した。そうしていると電話を終えた司がキッチンにやってきた。


「ちょっと親父に呼ばれたから・・・・・・」


そう言いながらテーブルを見れば、司の分の食事が見事に出来上がっているではないか。自分の分だけでもご飯の支度を急いでもらおうと思った司の出鼻はくじかれた形になる。どうぞとばかりに頭を下げる凛に困惑しながらも椅子に腰掛け、箸を持った。凛はお茶を入れるとテーブルに置き、自分と美咲の分の盛り付けに戻った。司はチラチラと凛を見ながら食事を取るが、相変わらず凛は司の方を見ずに盛り付けをしている。


「最近、お前が怖いよ」

「え?なんで?」


ここで凛は顔だけを向けるように司を見るが、言葉通り不思議そうな表情をしていた。


「俺の匂いを感じるだの、今もこうして先読みして飯の準備するし・・・」

「急ぎの用っていうのが聞こえたからね」

「だからって」

「気の利く奥さんでしょ?」

「奥さん?あー、ま、気は利くな・・・恐ろしいほどに」

「ありがと」

「褒めてねーけどな」


司はそう言うと海老の天ぷらを食べて美味いとつぶやく。そんな司を見て微笑んだ凛は自分と美咲の夕食をテーブルに並べつつ信司の分を用意していいかを司に聞いてみた。


「信司さんは、どうしたらいいのかな?」

「さぁな」

「聞いてない?」


味噌汁を飲みつつ素っ気無くそう言う司を見た凛は、そういえばさっきの電話の内容を聞いていないと思い、その疑問をぶつけてみることにした。


「さっきの電話、なんだったの?」


司は天ぷらを全て平らげるとサラダを口に入れた。


「緊急の客が来るってさ・・・あらたのおっさんの依頼だと」

「あらた?誰なの?」


さも知っている風に言われても凛にはそれが誰だかわからない。既に長い付き合いがあるような錯覚をしてしまう司だが、凛とはまだ半年足らずの面識しかないのだ。こうして同居していることもあってか、どうにもそれを忘れがちになっていた。それに凛のことはすでに何でも理解出来ているような気にもなっている。そしてそれは凛も同じだった。司とは幼馴染のような感覚でいた。考えていることも大体理解できるし、行動も読める。好きだからというのを差し引いても余りあるほどに司を身近に感じていた。


「新ってのは佐川新っていって、大崎って町、ほとんど村かな・・・なんせそこの寺の住職してるおっさん。霊力が人より高いんだよ。で、若い頃はこの辺で遊んでた人でね、親父や俺の師匠とも面識があって、俺も顔見知り」


その説明に頷きつつ美咲と自分のお茶を準備した。そういえば司の師匠に関しては聞いたことがない凛がそれを聞こうとした矢先、美咲がキッチンへとやってきた。


「うわ!美味しそう!」

「信司さんがどうなるかわからないから、食べちゃおうっか」

「うん、そうしよう」


そう言うと美咲はさっさと席に着いた。凛も司の隣に座るが、司はもうほとんど食べ終えている状態にあった。


「親父がどうなるかは連絡させるよ」


最後のお茶を飲んだ司がごちそうさまと言って立ち上がるとそう言い残してキッチンを出て行った。


「急な除霊みたいだね」

「そうね・・・」


美咲の言葉にどこか心配そうなため息を吐きながらそう言う凛はサラダを突っついた。何か嫌な感じがしている、そんな胸のざわめきを覚えていた。



ジーパンにTシャツ姿の司は神社に向かっていた。9月ももうすぐ終わろうとしてるのにまだまだ暑い夜が続いているのことにうんざりしつつ、少しだけ風は涼しさを増してきているような気がして早く秋が来ないかと考える。何気なく空を見上げれば、鉤爪のような細く鋭い月が西の空に見えていた。魔女の爪、師匠がそう呼んでいたその月はどこか不気味で、どこか神々しさを感じられた。そんな司が神社の鳥居をまたげば、神殿の方に感じる異様な気配。思わず顔をしかめるほどの臭気は霊体の放つものであり、霊力のない者には決して感じることが出来ない臭いだ。凛の言葉を思い出しつつそのまま神殿に向かいかけたその足が止まった。懐かしい顔がそこにあったからだ。社務所の前に佇む眼鏡にツルツル頭の男。


「新さん」

「司、変わらないな」

「2年程度で変わるわきゃない」


にんまりと笑う司を司らしいと微笑む新は司の背中をどんと押した。


「すまんが頼むよ」

「嫌な気配に嫌な臭いだ」

「だからここへ連れてきた」

「だろうね」


嫌そうにそう言う司に笑った新と共に神殿に向かう。懐かしい話はこの除霊が済んだ後だというように2人とも無言だった。そうして神殿の扉を開ければ、そこにいるのは4人、いや3人と人でないものが1つか。


「臭いな」


司は顔をしかめつつそう言うとそのまま毛布の上に寝かされている少女を見やった。満夫と紗雪が心配そうに見つめるその少女はカッと見開いた目をし、黒目を左右バラバラに動かしている。それだけでも異様なのに、口は大きくニタニタとした笑みを浮かべていた。顔色も黒味を帯びた肌色であり、人でありながら人でない、そんな印象を強く受けた。


「なんなのこれ」


司は葵を指差しながらそう言うと、満夫も紗雪も怪訝な顔をして司を見上げた。本当にこの少年が娘を救ってくれるのかと疑問に思う。今の物言いがあまりに他人事のようで、自分たちの娘をそれこそ物を指すような言い方をして指差したその言動に芽生えた不信感は焦りと憤り、そして痛々しい姿になった娘に対する哀れみから満夫は立ち上がって司を睨みつけた。


「山で下山中に物の怪に遭ったそうだ」


新の説明を聞きながらも自分を睨む満夫を見やる。なんでそんな風に睨んで来るのか理解できず、司はしゃがみこむと葵の目の前で手の平を行き来させた。


「この子の魂、もう外に出されちゃってるけど」


その言葉に新と信司が顔を見合わせて慌てたようにする。信司は太くて長い縄を取ると新と2人で正面の入り口から司が入ってきた左側の入り口までその縄を掛けていった。


「坊さんのくせに神道の手際がいいけど、こりゃ参ったな」


司は頭を掻きながらやれやれといった風にため息をついた。そんな司を見た満夫が司の胸倉を掴みかかるが、司はうっとおしそうにその手に右手を置くと一瞬目を閉じてそれを開く。満夫は思わず掴んでいた手を離した。司の瞳が金色の輝きを放っていたからだ。そのままぐるりと神殿の中を見渡してみる。


「いるのはいるけど・・・」

「ここから出てないのだな?」

「それは保障するよ、和尚さん」


つまらない駄洒落もどきを言った司は両手の数珠を外し、それを葵の両手にはめた。が、相変わらず何の変化もない。


「全部服を脱がせて。親父は塩と酢と酒、おっちゃんはこの人たち連れてここを出て」


司はそう指示し、頭を掻いた。信司は神殿に奉られている塩と酢、酒を取りに行くが、呆然としたままの両親が動く気配を見せないために新は困った顔をするしかなかった。


「早くしないと魂、戻せなくなるよ」


珍しく焦りを顔に出した司がそう言うと空中を見据え、そっと左手を振るう。


「捕まえたけど・・・早く!」


満夫を鋭い目で見た司の言葉にようやくハッとなった満夫と紗雪がためらいながらも葵の服を脱がせていった。登山用の服装とはいえ、まだ暑いこともあって脱がしやすいことは幸いだった。ためらいつつも下着を取り、全裸になった葵に近づいた司は何かを握ったままにしている左手を葵の膨らみかけた胸のやや下辺りに置いた。


「おばさんは神殿の奥に、おっさんは離れてて」


失礼な言い方をした司がそのままの状態でそう言うと、信司が紗雪の肩を抱くようにして奥へと連れて行く。不安そうな顔をして葵を見つめる紗雪を座らせると、片膝をついた信司はやや険しい顔をしつつ同じように司を見やった。


「あの手の妖物は女子供に憑きやすいのです。娘さんの身体から追い出したものがあなたに憑くかもしれない、そう考えての処置です。言葉も態度も悪いですが、息子はその道に関してはプロ中のプロ、信じてください」


やや苦笑気味にそう言う信司に頷いてはみたものの、やはりどこか信頼できない。それは満夫も同じようで、新に連れられて離れた場所に座りつつもずっと難しい顔をしたままだ。そんな両親の気持ちなど知らず、考えようともしない司は何かを思い出したように信司を見た。


「そういや晩飯どうすりゃいいのって凛が言ってたぞ」


何もこの状況で言うことかと思う信司が片手を挙げて返事をしたが、紗雪と満夫の司への不信感はますます増加する結果となった。


「司、そういうモノは精神的な攻撃を仕掛けてくるぞ・・・いいか、どんなに辛いものでも耐えろ」

「精神的ねぇ」


そう言うと笑う司を見た新はアドバイスに効果がないことに難しい顔をした。記憶すら封じ込めるほどの心の傷。物の怪は深層心理のさらに奥にあるものでさえほじくり返して攻撃してくる可能性もある。本人の自覚がないままに、そこを攻撃されればいかに司の力が強大でも危機的状況になりかねない。本来であれば葵の体から術を使って妖怪を追い出せばいいのだが、今回は葵の魂が外に出てしまっているためにそれはできない。一旦葵の魂を連れてその精神を同調させ、その上で妖怪を葵の体から追い出す必要があるのだ。新はただ司の無事を祈りつつ正座をして手で印を結んだ。司は左手の手首に右手を添えると目を閉じた。そのまま動かず、葵は相変わらずニヤニヤしたまま寝そべっていた。



見渡す限りの闇が広がっていた。その闇の中を歩く司は前も後ろも、上も下も分からないその闇の空間をただひたすら歩いていた。そうしてしばらく歩いていると1人の少女の姿が見えた。知っているその顔を見た司は笑顔になった。相手もまたにっこりと微笑む。その笑顔を見ただけで胸がドキドキしてしまう司は少しぎこちない笑顔になりつつ少女の前で立ち止まった。


「神手君」


その少女、長谷川望はせがわのぞみは優しい笑顔でそう言った。そんな望の笑顔を見ただけで顔が赤くなるが、司は声を掛けられたことが嬉しくて小さく微笑む。そんな望から笑顔が消えた。急変したその表情に激しく戸惑う司をよそに、睨むようにした望はいつの間にか全裸になっていた。ますます戸惑う司をよそに望は司を睨んだまま一歩を踏み出す。司は一歩下がるが、その気迫に押されてしまっていた。


「したんでしょ?」

「な、なにを?」

「私を汚したんでしょ?」

「してないよっ!」

「したかったんだしね」


その言葉は司の胸に突き刺さった。片想いをしていた望とそうなりたい、そう思ったことは何度もある。


「ほらね・・・だから除霊に便乗して、したんだ?」

「違うっ!」

「違わない」


望がそう言うと、いつの間にかクラスメイトたちに取り囲まれていた。ますます動揺する司がさらに一歩下がれば誰かに当たった。あわててそっちを見れば、暗い顔をした未来みくが立っていた。


「そういう人だったんだ」


軽蔑、侮蔑、汚いものを見るような目をしている。司は怯えた目をして未来から離れるとその肩を掴まれて振り返る。そこには無表情の望がいた。


「死んで詫びてよ」


そう言うと望はニヤニヤした顔になって司の首に手を回した。


「死んでよ、司」


後ろに立つ未来も冷たい目をしてそう言い放つ。それに呼応してか、クラスメイトたちもまた一斉に死ねコールを唱えだした。うろたえ、困惑する司の首に回された望の手に力がこもる。司は苦悶の表情を浮かべつつも抵抗しようと望の腕を掴もうとするが、その腕を未来が押さえ込んだ。凄まじい力になす術がなく、望の手にさらなる力がこもる。


「大事なものを奪った罰だよ神手君・・・死んで詫びてね」


ニヤニヤした望の顔が霞む。死ぬことが謝罪になるのだろうかと考えるが、謝るようなことはしていない。自分はただ望の中にいたものの誘惑にも耐えてそれを祓っただけだ。悔しくなるがどうしようもない。


「死んで」


望はそう言うと司の首にきつく指をめりこませる。司が死を意識した時、不意にその力が弱まった。薄く目を開いた司は望の腕を掴んでいるか細い腕を見つめた。そして視線をその腕の持ち主の方へと向け、驚く。


「凛・・・」


望の腕を掴んでいたのは凛だった。優しく慈愛に満ちた笑みを浮かべて自分を見つめる凛の顔を見た司もまた小さく微笑むと望の方へと顔を向けた。望は驚愕に満ちた顔をして凛を見つめている。そしてそれが悪鬼のごとき怒りの顔へと変貌していった。


「誰なんだ・・・記憶の底にもない存在・・・・・・この男の心の奥底に根付く女・・・・」


その瞬間、凛は消えた。いや消えたのは凛だけではない。未来もクラスメイトもまた姿を消し、この闇の中にいるのは司と、そして望の姿をした怪物だけだった。大きく見開いた目は左右バラバラに動き、口は小さめでやたら赤かった。そして異様に長い腕。もはや望とはいえない化け物を前にした司はニヤッと笑うとそのまま右手で怪物を掴んで見せた。


「見つけたぜ、キモイの」

「あの記憶の中にいないはずの女・・・お前にとってそれほど大きい存在なのか?」


望の声でそう言うが、もはや忌まわしい記憶の中から出た司にとっては意味のわからない言葉に過ぎない。ただ何か最悪の状況を凛に救われた、そういう記憶は残っていた。


「最悪の記憶の中に入り込むほどの異物・・・あの女は・・・・」

「気の利く奥さん、ってとこかな」


望のものであり、物の怪のものでもある声を遮ってそう言った司はにんまりと笑うと掴んだ右手に力を込めた。


「さて、出て行けよ、化け物!」


そう言った矢先、妖怪が司に掴みかかるがその前に司の口が静かに動いた。


たち

その瞬間、妖怪は姿を消した。それを見た司も微笑を浮かべると、闇の中には誰もいなくなるのだった。



葵の体が弓なりにのけぞったと思った瞬間、絶叫が神殿にこだました。その声は低く、そして甲高い叫び声だ。葵の声と物の怪の声、その2つの絶叫に思わず耳を塞いだ両親に対し、信司と新は顔をしかめつつもただ葵の胸に手を置く司を見つめていた。司はまったく動かず、葵だけが痙攣をしている。


「くる」


新がそう呟いた瞬間、葵と司から少し離れた位置にそれは突然現れた。三角の身体、頭と胴体が一緒になったその異様な形。異常とも言えるほど長い腕は床に着いていた。何より短足というにもほどがある短すぎる足もまた異様だった。目は大きく、左右がバラバラに動き、小さめの口はニヤニヤとした形をとっている。長い緑色した髪がぬめりを帯びているように見えるそれは満夫があの霧の中で見た妖怪だった。葵の中に入っていたそれが出てきた、そう思った満夫の顔がほころぶが、葵は寝たままで司はまだ膝を着いた状態で手を葵の胸に当てている。怪物はその場でゆっくりとした動きをしながらぐるっと周囲を見渡すようにして回ると、そのまま紗雪の方に向いてニタっと笑った。やはり女性を狙って来たかと信司が紗雪の前に立つが、霊圧などほとんどない自分に防ぐ手立てなど無い。そう思う信司をよそに妖怪が一歩踏み出した瞬間、その胸から腕が生えるかのようにして突き出された。


「逃がすかバカタレ」


背後から腕を突き刺してその胸辺りを掴んだ司がにやりと笑う。妖怪はまったく動けずに振り向くことすら出来ず、長い腕をばたばたと動かすばかりだった。


「天と地と火と水の理にたまえりは、悪しき力は勇なる心のみ導きをもちて、かしこみかしもみももうす」


祝詞が神殿にこだまし、司の口に再び笑みが浮かんだ。


「絶っ!」


その瞬間、妖怪は消えてなくなった。絶叫もなく、ただすっと消えたのだ。司はふうと小さく息を吐き、すぐに葵の方に向き直ると今度は右手を胸に添え、左手で右手の手首を掴むようにする。


「司、外が騒がしいぞ」


周囲を見渡している新の声にそっちに顔を向けた司は舌打ちすると信司を見た。


「親父、どれぐらい耐えられる?」


司の言葉の意味がわからないが、さっきまでの余裕が見られないために満夫にしても紗雪にしてもかなり不安になっていた。葵の中に入っていた怪物は消滅した。だが、葵はまだ寝たままなのだ。


「もって10分」

「俺が手助けしてもせいぜい15分だな」


新はそう言い、正面の入り口を見据えて禅を組む。信司もまたその横に来ると正座をして手を合わせた。紗雪は満夫の横に寄り添うようにして葵を見つめていた。


「10や20じゃないぞ・・・・」

「まだまだ増える・・・」


新と信司の声に焦りも伺えた。司はひとつ大きく深呼吸をすると眠ったまま動かない葵を見つめた。


「すぐ引っ張り挙げてやるからな」

「15分だぞ!」

「わかった」


司はそう言うとさっき同様目を閉じた。それを見た新は禅を組み直して目を閉じる。


「あ、あの・・・外に何が?」


満夫が2人にそう問いかけた。別段外に何かがいる気配は感じないからだ。だがさっきの会話では、外に無数の何かがいるようだった。


「山の妖怪たちがうじゃうじゃ来てるんです」

「それも百や二百じゃない・・・・万単位でね」


どこから湧いて出たのか、仲間を殺されたせいか神社を埋めつくほどの妖怪、物の怪、そして邪鬼の類がそれこそ数万体の数で神殿に押しかけていていた。霊圧の低い2人で食い止められるのはせいぜい15分。それを超えれば結界は破れ、この神殿も妖怪で埋め尽くされて全員もれなく殺されてしまうだろう。


「美咲ちゃんの力を借りたいところだ」

「あれにそういう技はないよ・・・共感や、親しい人の魂を見れる程度だ・・・霊力は強いが・・・」


目を閉じながらもそう会話をする。そんな2人を不思議そうに見つつ、葵と司へも視線を走らせる満夫はただ娘の無事を祈るばかりだった。


「そういや凛って?」


新の疑問に対し、何故、今のこの状況下でと苦笑が漏れる。空気が読めないのは司だけでいいのにと思う信司だが返事を返す。


「司の婚約者・・・まぁ仮りのだが・・・・・」

「恋愛感情もないのに婚約か?」

「だから仮り、だよ」

「ほぉ。美人か?」


その言葉に信司は口元を緩ませた。


「桜園凛・・・聞いたことあるか?」


その名前は知っている。半年ほど前にひっそりと芸能界を去ったタレントだ。ジュースや化粧品のCMに出ていたし、なによりその透明感ある美貌に注目していたのは新だけではない。まさかと思う新が目を開けるが、信司は目を閉じたまま微笑んでいた。


「どういういきさつでそうなったか、あとでじっくり聞かせてもらうよ」

「ああ」


そう言うと2人はそれきり会話をやめた。既に神殿の外の妖怪の数は数十万に達している。気をこめていないといつ入って来られるかわからない状態だ。


「頼むぜ、司」


新はそう呟き、心の中で念仏を唱えるのだった。



またも闇の中に降り立った司だが、周囲をきょろきょろと見渡してから目を閉じた。集中し、わずかな彼女の魂、霊圧を探った。じっと、ただじっと探っていく。深く深く潜るように。意識の海の中に溶け込み、奥底へ追いやられている彼女の魂を救済するために。怪物によって肉体から放り出された魂は司によってその身体の中に強制的に戻されている。だが、自意識と肉体を乗っ取った怪物がそれを意識の底へと追いやったために、葵の自我、精神や魂といったものは心の奥深くへと沈められているのだ。わずかな、弱弱しい葵の魂を感じることが出来なければ一生彼女はこのまま昏睡状態から目覚めないのだ。司は現実の世界でも、意識の世界でも目を閉じて葵を探す。時間との勝負になるが焦りは禁物だ。


『どこにいる』


声を飛ばす。だが返事も気配もない。


『もう怖いものはいないから』


優しい声に、奥の方で何かが揺らめくような気配がした。


『大丈夫だ』


ゆっくりと揺らめきに向かいつつ、そう言葉にした。


『待ってる人がいるんだぞ』


揺らぎが強くなっていた。そこへと向かって意識を潜らせる。一番奥底と思える場所に、暗い中にあってぼんやりと光る何かがあった。小さな小さな、米粒よりも小さな光だが、それは闇の中にあるただ一つの光でもあった。


『そこか』


司がそこに向かって加速した。近づいていくと膝を抱えてうずくまる少女がそこにいた。


『さぁ、帰ろう』


その声に少女は顔を上げた。不安そうな顔に向かってにんまりとした笑顔を見せた司が手を伸ばす。葵はゆっくりと顔を上げ、頭上から手を伸ばす司を不思議そうに見つめていた。


『行こう』


その言葉にためらいを見せ、またも顔を伏せた。司は葵の前に立つと優しく微笑んだ。手は差し出したまま。


『一緒に行こう』


その言葉に葵は顔を上げた。だがまだ手は動かない。


『待ってるぞ・・・お父さんも、お母さんも、友達も、太陽も、月も、大地も、生き物たちが』


そう言ってにんまり笑った司を見た葵の中の恐怖が薄れていく。自分をこんなところへ押しこんだ何かに怯えていた。だが、目の前に立つ見知らぬ男が優しく微笑む姿はどこか安心できた。


『さぁ』


決して差出した手を引っ込めず、司は笑顔でそう言った。それに反応したのか、ゆっくりとした動きで葵の右腕が動いた。司はそれを強引に掴もうともせず、ただじっと葵の手が触れるのを待っていた。そうして2人の手のひらが重なり合い、そしてしっかりと握り合った。


『おかえり』


にっこり笑う司を見て、葵も小さく微笑んだ。



大きく息を吸うようにして弓なりになった身体が元に戻る。葵はそのまま上半身を起こすと自分で自分を抱くようにしてガクガクと震えだした。それを見た両親があわてて葵に駆け寄る中、目を開いた司がそっと葵を抱きしめるようにするとその耳元で優しく囁いた。


「大丈夫、もう怖いものはいない・・・もう、いない、大丈夫」


そう言い終わった瞬間に満夫に引き剥がされる司が尻餅をつくが、それでもにんまりと微笑んでいる。満夫と紗雪に抱きしめられつつ葵も薄く微笑み、両親の温もりを感じるように抱きしめあった。司はゆっくりと立ち上がると自分を見ている信司と新に微笑み、そっちに向かって歩き出した。


「あと3分でアウトだったよ」


新の言葉に苦笑し、司は神殿の外の気を探った。さらに数は増えている。


「ならあと1分もたせて」


汗をかく新がげんなりした顔をする中、信司も汗だくの顔で頷いた。司は泣いて喜ぶ満夫と紗雪を葵から離そうとしたが、不満そうにした満夫は司を睨み、紗雪は守るようにして葵を抱きしめた。


「時間が無いんだ。最後の処置だけさせてくれ」

「もう済んだだろ?これ以上娘に恥をかかせないでくれ」


満夫の言葉にため息をつく司が強制的に両親を排除しようと思った矢先、そっと紗雪の手をどけた葵がまっすぐに司を見つめた。


「お父さんもお母さんも離れて」

「でも・・・」

「私、この人に助けてもらった・・・大丈夫だよって、そう言ってもらえて、嬉しかった」


そう言い、葵は微笑んだ。司は少しそわそわしつつ信司たちと葵たちを交互に見ている。


「いいよ、お兄さん」


その言葉に司は葵を見て頷いた。そうして左手を葵の胸に置くようにしてみせる。恥ずかしさはあれど、それ以上に何か温かいものが心に溢れていた。目の前の司はそっと目を閉じる。そして何やらぶつぶつと言い、次に右手を置いてそれをぎゅっと握った。


ぜつ


そう呟き、手をどける。胸に何の異常もなく、葵にも何の変化もない。


「あとの処置は他の人がしてくれるから、寝てていいよ」


にんまり笑う司に照れた顔を見せた葵は頷いた。司は笑みをそのままに信司の方に歩き出す。


「ありがとう」


その言葉に司は振り返った。葵は小さく頭を下げていた。


「ありがとう、お兄さん」


葵の言葉に微笑を浮かべ、軽く片手を挙げた司はそのまま信司の横に立った。


「清めは任せたから」


そう言うと司は右側にある入り口へと向かう。


「閉じたら再度結界よろしく」

「お前、相手の数が分かってるのか?もう・・・数は・・・」


震える声で新がそう言って立ち上がるが、司は歩みを止めなかった。もはや神社を取り囲む妖怪の数は百万をも軽く超えていた。そんな数を相手に1人で挑もうというのか。葵も不安そうにその背中を見つめる。


「数は問題じゃないよ。霊圧もしれてる」


そう言うと扉に手をかけた。


「明日は学校、休むから」


その言葉に信司は頷き、司は真顔になる。


「凛にも言っといて」


そう言い、扉を開いた。うごめく邪気、臭気、そして怨念、それが外に溢れていた。司は扉を閉じ、その向こう側に姿を消した。信司は最初に巻いた縄に触れて祝詞を口にする。もはや外の妖怪の気は全て司に向けられていた。


「お兄さん、大丈夫なんですか?」


近くに佇む新にそう聞くが、新は難しい顔をするだけだ。


「大丈夫」


戻ってきた信司がそう力強く言い、優しく微笑んだ。


「あいつはね、強いんだ」


その言葉に嘘はない、そう思えた。葵は頷いて正面の入り口へと目を向ける。自分を助けてくれた名前も知らない人は今、外で自分に憑いたものの同類と戦っている。今、葵に出来ることはただ彼の無事を祈ることだけだった。



目の前は妖怪で埋め尽くされていた。もはや地面も見えず、空中にもぎっしりと隙間無く存在しているそれらを見た司はため息をついた。身体を、精神を乗っ取ろうと自分にまとわりつく妖怪たちは、順番に消滅していった。圧倒的な霊圧の違い。山の妖怪たちの霊圧が20程度ならば、司のそれはさっきの除霊で消耗しているとはいえ60近い。そんな司は右手を振るった。


ほろぼし!」


その一撃で百近い数の妖怪が消滅する。


うちきりむなし!」


右手を振りながらそう言えば、妖怪は次々と消滅していった。それでもその数は圧倒的だ。いちいち術の名前を言葉に出すのも面倒になった司はぶんぶんと右手を振りつつ前に進む。少しでも注意を自分に引くためだ。左手は常に防御結界を張っているためにほとんど動かさず、とにかく右手を使って消滅させていく。


「だるい」


魔封剣であればものの3分でかたがついていると思うが、取りに行けば凛や美咲までもが危険にさらされてしまう恐れがある。司は自分の肉体だけを駆使して戦った。疲労も溜まり、霊圧も消費していく。それ以上に体力も消費する中、ただひたすらに妖怪を消滅させていった。時間の感覚ももうなかった。ただひたすらに敵を殲滅していくだけだ。やがて東の空が明るさを帯びていく。それでも残る妖怪をひたすらに倒し続けた。やがて太陽が大地の向こうから姿を現す頃、最後に残った1体を前に大きく肩で息を切らす司がいた。疲労も限界を超えているが、襲い掛かってくる異様な形をしたモノに右手を突き出した。それに拳が触れた瞬間、それはそれ以上進めずに動きを止め、それでも身をよじろうともがいている。


「絶!」


一瞬でそれは姿を消し、周囲は静寂に包まれた。司は額の汗を拭い、そのまま金色の目で周りを見渡した。もうどこにも妖怪の姿は無く、なんの気配も霊圧も感じなかった。そのまま片膝をついて地面に左手をつき、壊れかけている住結界を施すと倒れそうな身体を揺り動かして神殿へと向かう。疲労はもう限界を超えており、ただ願うのは早く寝たい、その一心だった。そうして神殿の正面の扉を開けば、まぶしそうに目を細める新、そのやや後方に信司の姿があった。司は小さく微笑むと頷き、信司と新もまた微笑み返す。司はそのままで左へと目をやった。そこには壁にもたれるようにして寝ている紗雪に膝枕をされて眠る葵がいた。満夫は朝日の明るさに眩しそうにしながら目を開き、何度かその目をこすって立ち上がる。


「じゃ」


司は信司にそう言うとさっさと踵を返して神殿を後にした。少しフラフラとしながら去っていく司の後ろ姿を見る新はまぶしそうにするが、それが朝日のせいなのか、それとも司の全身から放たれている聖なるオーラのせいかはわからない。ただ、あれだけの大群を相手に全てを滅ぼしつつ全くダメージを受けていないことが驚きだ。


「あいつが化け物だな」


新の言葉に苦笑する信司は紗雪と葵を起こしている満夫へと視線をやり、それからそっちに近づいた。


「全て終わりました。社務所に布団を敷きましょうか?」


眠そうな目を向ける紗雪を見てから満夫を見れば、静かに首を横に振っていた。


「妻の実家がすぐそこですので」

「そうですか」


信司はそう言うと3人を先導して神殿を出る。最後に新が出て扉を閉めれば、澄み渡る濃い青の空が広がっていた。


「さて・・・俺も一眠りしてから帰るよ」

「部屋は空いているから、準備してやろう」

「助かるよ。ついでに桜園さんの添い寝があれば最高なんだが」

「生臭坊主め」


新の言葉に苦笑しつつそう言えば、新もまた苦笑する。いまだに独身の身ともなればいろいろ寂しい思いもしていたが、それでも面白ろ可笑しくやっていた。


「昔と違って今は何の制約もないからな」

「煩悩退散」


信司は御祓いをするような手つきをしてそう言い、笑った。満夫たちはまたあらためてお礼をすると告げて駐車場に止めていた車に乗り込んだ。葵は眠気に勝てず、満夫におぶられていた時から目を覚まさず、車に乗ってもそれは同じだった。


「さて・・・朝飯は出るんだろうな?」

「今日の当番は司だが、美咲が代行かな」

「桜園さんがいいなぁ」

「・・・・気持ちは分かるが、最低だぞ」


笑いながら神社を出る2人は、子供の頃の一緒に遊んだ記憶を思い出していた。よくこの近辺で悪さをしたものだ。近くの寺に行けばお供えをかっぱらい、賽銭を盗んだこともある。祟られそうになればいつも一緒だった上坂刃に祓ってもらい、難を逃れたことも思い出す。そんな刃もドイツから来たという強い霊圧を持つ霊能者に師事してからはめっきり遊ばなくなった。やがて成人と同時に刃は自宅近くの神社の宮司となり、信司もこの神社で働きだした。新はフラフラとしながらも25歳で寺を継ぎ、今に至っている。信司と新は年に数回は顔を合わせているものの、刃とはもう連絡もつかない状態になって久しい。今どこで何をしているのか、信司と新は同じことを考えるのだった。

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