後編
最初の部屋に戻るまでに何人かの信者に出くわしたが、どういった技なのか司が右手で触れるだけで信者たちは皆倒れこんだ。霊力を使った意識の同調による失神というものだが、到底常人には理解しがたい能力に変わりは無い。部屋に入ればそこに優花の両親がいた。全裸の優花を見て儀式が終わったのかと思ったが、そんなに早いわけはないと思い、何より付き添いの人間が違うと勘付く。優花を問い詰めようとした両親を制したのは司だった。
「あんたらは神にすがらなきゃ生きていけないのか?」
その言葉に父親は司を睨んだ。優花をかばうようにして立つ未来もまたそんな両親を睨む。
「自分の娘を生贄にして家族の幸せを祈る・・・それがあんたの幸せなのか?」
「お前に何がわかる!教祖様は絶対だ!偉大なるお方なんだ」
「その教祖のお子を孕むなんて、こんな幸せなことはない」
両親の狂気じみた思考に未来はクラクラし、優花もまた言葉もなく立ち尽くしていた。
「娘がそれを望んでいなくても?」
「それが幸せなんだ!」
話にならない、そういう身振りをした司はため息をつくと優花を見た。
「お前はこの教団に残る?それとも、神手教の信者になる?」
その言葉を聞いた優花は嬉しそうに微笑み、頷く。両親は顔を見合わせて困惑した顔をしてみせた。そして未来はそんな優花を見て小さく微笑んだ。
「ウチはお布施受け取り拒否、呪い解除無料、その他心霊現象相談常時受け付け・・・アフターサービスも、まぁ、時々あり」
「お前はなんなんだ?一体何を言っている?」
父親はそう言うと司に掴みかかるが、司はそんな父親に右手を当てるとにやりと微笑んだ。その瞬間、父親は部屋の中を怯えた目で見渡し、ガクガクと膝を震わせる。耳を両手で押さえつつ恐怖のせいか声も出せない夫を見やる母親の目もどこか怯えたものになっていた。
「これが教祖の、俺の力だ」
そう言うと司は服を着た優花と未来を伴って部屋を出ようとした。
「この教団の教祖は奇跡を起こしたよ。自らの力を犠牲にしてな。もう2度と奇跡は起こせないけど、あんたらは神としてあがめればいいさ」
「ど、どうして・・・」
「いいか、ここの教祖が何を言おうと、彼女は俺の信者だ。危害を加えるようなことがあれば容赦なくお前らに呪いをかけるからな」
司はそう言うと部屋を後にした。優花も何も言わずそれに続く。残された両親は呆然としたままふらふらした足取りで廊下に出ると、周囲がなにやら慌しい動きを見せていた。何事かと尋ねれば、教祖の力で全ての呪いが解除されたと言うではないか。喜び湧き上がる信者をよそに優花の両親は顔を見合わせて困惑していた。さっきの少年の言葉が本当なら、教祖にはもう奇跡を起こせる力はない。それが本当であれば自分たちは何を頼って生きればいいのか。そのまま他の信者に続いて祭殿へと向かった両親が見たものは、椅子に座って呆けたような顔をした教祖の姿だった。
外は夕立でも降ったのか、アスファルトの地面が濡れていた。既に雨雲は去ったようで太陽がまばゆく、そして暑い光を降り注ぐ。濡れた道路が熱気を帯びて湯気が立っているようにも見えた。未来のブレスレットを回収し、裏口から外に出た3人だが、建物には信者とおぼしき者たちが続々と集結しつつあった。奇跡が起こった、こっちでもだ。お前もか、そっちも。そういった声が上がる中、3人は白い建物を後にするのだった。
「今回は楽勝だったなぁ・・・これで凛に怒られずにすむ」
その言葉に未来が首を傾げた。
「あんた怒られてんの?」
「いんや・・・危険なことすると怒るっていうか、あいつ泣き虫だからすぐ泣くし・・・逆らうと嫌な晩飯にされちまうしな」
もう完全に尻に敷かれているような状態に未来はニヤニヤしてしまった。優花もまた小さく微笑んだ。
「人間相手がいいよ・・・めんどくさいけど、楽だ」
司は頭の後ろで手を組むと鼻歌を歌いながら歩いていく。そんな司の後に2人も続いた。
「あの人、どうなるの?」
建物が見えなくなったところで優花がそうぽつりと呟いた。あの人というのが教祖を指すのだとわかった未来が司を見れば、司は日陰を選んで歩いていた。
「さぁね」
それしか言わない。分からないことをあれこれ言うような性格ではないことは知っているが、未来としては不安がる優花のためにも何か言って欲しかった。
「ありがとう、神手君」
だが優花はそうお礼を言うと頭を下げた。前を歩いていた司が立ち止まって振り返る。顔を上げた優花に微笑み、軽く片手を上げた。
「気にすんな」
微笑をそのままにそう言うと、さっさと歩き出した。どうやら早く冷房の効いた家に帰りたいようだ。そんな司に閉口した未来の横で、優花はただ悲しげな顔をしていた。
「愛とか恋とか、失くしたのはそれだけじゃないんだね」
優花の言葉の意味が分からずにその横顔を見つめる。未来は司が失ったものの大きさを知っているが、そう思ったことはなかった。ただ、昔に比べて異様に軽い目で世間を見るようになったとは思う。
「人として壊れた心っていうか、部分っていうか・・・なんか自分の命すら軽く見てるっていうのかな」
優花もまた自分と同じ感想だったのかと思う未来が頷くが、優花が感じたのはそれだけではなかった。
「多分だけど、神手君って命の重さは誰よりも理解してる。でも自分の命は軽く思ってる。死んでも霊体になるだけっていうか、肉体とかがなくなるだけって考えてるっていうか・・・」
優花は歩き出し、未来はワンテンポ遅れてそれに続いた。司の背中はもう随分先だ。蝉の声がやかましく、それでいてそれが夏を感じさせた。
「神手君の心を壊したのは、私たちだよ・・・みんながみんな望を信じて彼を疑って、そして壊した」
未来はやや俯き加減で歩いていく。罪悪感と後悔は消えることが無くこの先を生きていくのだろう。司に対する愛を失ったのはその後悔に耐え切れないからだ。好きでいることを心が否定した。自分の心も壊れているのだろう。
「でも、神手君は凄いね」
優花のその言葉に未来は顔を上げた。優花の口元には笑みが浮かんでいる。
「あんな辛い目にあったのに、それでも私を助けてくれた。ただ助けるんじゃなくて、なんていうかさ・・・ちゃんと私が前を向いて歩けるように助けてくれた。きっと失くしてないと思うよ・・・だってさ、そういうことができるって、慈愛の精神だもの」
優花は未来を見てそう言い、笑った。確かにそうかもしれない。司が今まで救ってきた人はみんな心の闇を浄化し、自分を見つめ直して前を向いて歩いている。自分の足で、自分の意思で。自分も、凛も、優花もそうだ。それが優花の言うような慈愛の精神かどうかはわからない。でも、だからといってそれを否定する要素はどこにもなかった。
「強くなったね、優花」
未来の言葉に頷き、そして前を見た。昨日までの暗い顔をした優花はもういない。両親のことなど、懸念事項は山ほどある。それでも優花は前を見ている。自分の道をしっかりと踏みしめて。
「新しい教祖の導きのおかげかな」
優花のその言葉に未来も微笑んだ。そう、司に救われた人はみんな神手司教の信者なのだから。
とりあえず司の家に戻った3人は司の怪我の具合を見たが、そう大したことはないようだった。角材で殴られた際に角で少し切った程度のようでホッと安心し、そのまま今後のことを話し合う。司は興味がないようでソファにもたれて目を閉じ、静かな寝息を立て始めた。凛が昼食にと飲み物とピラフを用意したが、司は寝たまま起きる様子をみせない。仕方なくそれをラップする凛を見た未来は新妻のようなその姿を見てから優花へと視線を向けた。
「でも優花どうするの?」
「多分、お父さんもお母さんも家には戻ると思うけど・・・でも・・・」
「しばらく、夏休みの間はウチに来る?」
「それはさすがにね・・・家事はできるし、お金は困るけど・・・最悪親が宗教にハマってて、みたいな感じで児童相談所にでも行くよ」
優花の言葉を聞いた未来と凛は顔を見合わせて苦い顔をした。現状で優花の両親がどういう精神状態かはわからないが、まだ教団に執着しているのは間違いないと思う。深い洗脳状態というのか、信仰心というのか、そういうものに取り憑かれていたのは確かだ。司が父親に何をしたかはわからないが、おそらくは自分たちにしたように霊を見せたのだろうと思う。
「今日、帰ってきたらちゃんと話すよ」
「もし困ったことがあったらいつでも言って」
「うん、ありがと」
微笑む優花を見た凛はその変わりように驚きつつも、これが司のもたらした心の救済の結果だと思っていた。凛も未来と同じで司に祓われた者たちが皆、心を綺麗にされていることを知っていた。自分もそうであり、そんな司を好きになったのだ。
「私も力になるから」
凛の言葉にも笑顔を返す。
「みんな同じ信者だもん、力になる!」
未来の力強い言葉に微笑む優花を見る凛は首を傾げた。信者とはなんなのだろう。
「信者って?」
凛がその疑問を口にすれば、未来と優花は顔を見合わせて微笑みあい、それから凛を見やった。
「神手教」
2人が同じタイミングでそう言い、笑う。凛も納得して微笑むと隣で寝ている司を見つめた。そんな凛を見た未来は今までとは違うどこか悪戯な笑みを浮かべて見せる。
「凛さんは司のリハビリ、進んでるの?」
その言葉に苦笑し、首を横に振る。当たり前だがリハビリ的なことなど何一つしてはいないのだ。同居していても司の心に変化は無い。だが、悪化もしていないのだ。
「リハビリっていっても、特にね」
「でも結婚するんでしょ?」
優花の言葉に驚きの顔をした未来が凛を見れば、困ったような表情をしていた。
「うーん・・・あれはまぁ・・・・・そうなんだけど、違うっていうのか」
「凛さん、そうなの?」
未来がニヤッとした顔でそう言い、凛はますます困った顔をしてみせる。
「まぁ、うーん・・・信司さんがそうしたいって言って、司君もいいよって言ってるけど、出来たら元に戻ってからっては思ってるんだけど」
「そうだよね・・・一方通行の愛情のまま結婚って・・・」
「まぁでも、それでもいいかなって、思ってる」
凛のその言葉に未来は苦笑しながらも頷いた。自分では耐えられないその状況でも、凛ならば耐えられそうに思う。何より凛の司への想いは本物なのだ。かつての自分も持っていた純粋なる愛情、それがいつか司を元に戻せるのではないかと思っていた。
「それにもう尻に敷いてる感じがしてるし」
その言葉に凛が首を傾げた。そんなことはないと思うし、どちらかといえば司に振り回されているような感じがしている。そう思う凛はその真意を探るような目を未来に向けると、未来はますます悪戯な笑みを浮かべた。
「司が言ってましたよ・・・・凛は危険なことをしたら怒るし、すぐ泣くしって。それに怒ると司の嫌いなものばかり作るって」
その言葉を聞いた凛は顔を赤くし、ずれた眼鏡を直しつつ寝ている司を睨んだ。そのまま司の頬を引っ張った。さすがにこれには寝ていた司も目を開け、痛みに歪んだ顔をしてみせる。
「なにすんだ!」
ひねっている手を押さえつつ凛を睨むが、凛は眼鏡の奥の瞳に静かな怒りをたたえつつそれを細めた。
「悪かったね、怒りっぽくて・・・・ゴメンね、泣き虫でさぁ」
「なにが?」
司は凛の言っている意味が理解できずに怪訝な顔をするばかりだ。そんな2人を見た未来と優花は顔を見合わせ、それから笑いあった。
「それが尻に敷いているってことです」
未来の言葉にうんうん頷く優花を見た凛は顔をさらに赤くしながら司の頬から手を離し、そっぽを向いた。
「尻だかなんだかしらねーけど・・・俺にも飯!」
「冷蔵庫にあるから自分でどうぞ」
「ケチくせー」
司はそう言いながらキッチンへと向かう。これはこれで見事な手綱さばきに見えてしまう2人。だがこれはただの日常にすぎない。そんな凛が羨ましく思う未来は小さく微笑んだ。
「教祖を操る裏の教祖、ですね」
優花の言葉に凛は困った顔をし、未来は盛大に笑うのだった。
椅子に座った教祖はさっきまでの絶望感もどこへやら、目の前にひれ伏す信者を見て自分の力が失われたことすら忘れてご満悦な表情をしていた。続々と信者が集まって来ては呪いが解けたと報告をしていく。報告者全員が皆同じ時間だったということでどよめきも大きくなる。教祖は立ち上がった。
「私の力はさらに増し、全ての呪いは浄化された」
高らかにそう言う教祖の横に立つ無精ひげの中年男性がどこか暗い顔をして立っているが誰もそれに気づかない。
「これからは何も心配することもない日々が待っている!今、ここに宣言しよう!この教団こそが奇跡の教団であると!」
一気に湧き上がる信者たち。教祖を称える言葉に歓声、泣き崩れる者までいる。だが、その中に優花の父親の姿はなかった。別の部屋で呆けたようにして座り込んでいるのだ。母親はただじっと教祖を見つめている。何の感情もない顔で。結局、優花は教祖の解呪の儀式を行わずに逃げた。だが教祖はその裏でこうまで見事な奇跡を起こして見せたのだ。だが、本当に奇跡なのだろうか。優花と一緒にいたあの少年、彼が教祖と対峙したことは知っている。その証拠に優花は彼に連れて行かれたのだから。この奇跡も彼がもたらしたものではないのかと思う。彼が胸に手を添えた後、夫は何を見たのか。ただ、ここへ来る直前に夫が言った、死人が見え、その声が聞こえたとつぶやいた言葉もあって、母親はもう何を信じていいかわからなかった。
「私は神に選ばれた!」
ひときわ大きな歓声が祭殿を響かせる中、母親は床を見つめつつ思考を停止させていた。
長く垂れ下がるようになった眉が印象的だ。その特徴的な眉をした老人はこの暑い真夏にあって何故か黒いスーツを着用している。畑仕事に精を出していた男は日に焼けた顔をそちらに向けるとにんまりと笑った。土に汚れた軍手を外して首からかけたタオルで顔を拭く。麦藁帽子を外して肩まで伸びた髪を掻き上げつつ、スーツの老人の前に立った。
「お久しぶりです、ハウゼン公、いや、師匠」
真っ黒い顔の中にあって唯一白さが目立つ歯を見せてそう言う男に、ハウゼン公と呼ばれた老人は小さく微笑んだ。
「おぬしの弟子を見てきた」
挨拶もなしにそう言う老人を見て微笑むその男はひとつ頷いた。
「大した力の持ち主だが、ありゃ心が欠けておる」
「みたいですね」
「心は月で魂は太陽・・・まさに前世のままよ。ただ、心の月は欠けておるが、あれではカグラにゃ勝てぬ」
「月は満ちて欠け、また満ちますよ、先生」
先生、そう呼ばれることは何十年ぶりかと思い、老人は口の端を吊り上げた。
「先生か・・・上坂刃、お前もいまや先生だろうに」
刃と呼ばれた男は苦笑すると眩しい空を見上げる。大きな真っ白い入道雲、そして青い空がそこにあった。まぶしい太陽を手をかざして見つめた刃は老人へと目を戻した。
「で、ミュンヒハウゼン公爵自らが司を見に行くとは・・・前世同様、因縁の戦いでも始まりますか?」
ミュンヒハウゼン、そう呼ばれた老人はその言葉に眉の下の細い目を開いた。黒目の部分が金色に輝いているが、これは老人が日本人ではないからではない。
「もうはじまっとる・・・アマツ、ミコト、そしてカグラ・・・伝承の人物がこの時代に集った。そしてカグラはその魂の半分を失ったが、いや、失ったのは前世の魂の半分だ・・・転生した魂はそれを補って余りある」
その言葉を聞いても刃は涼しい顔をしていた。そんな刃を見たミュンヒハウゼンは金色の目を閉じるようにして眉の下に隠した。
「あいつは司です・・・アマツじゃないですよ」
「だがあやつはもうすぐ死ぬ・・・あやつの未来はもう消えておる。もう少しすれば、それが現実となる」
はっきり司が死ぬと言われても表情1つ変えない刃はゆっくりと口元に笑みを浮かべた。
「あなたがそうおっしゃるのなら、そうなるのでしょう・・・現在過去未来、全てを見通せる真理の目を持つあなたがね」
「死して、こうして霊圧の塊となり、肉体を失ってもなお現世に留まる自分が恥ずかしいわ・・・だがな、真理と真実は違うのだ。あいつは死ぬ・・・だが死は新生の始まり。また生まれ変わり、それをミコトが追う、繰り返し、な」
「死は新生の始まり、ですか」
刃はそう呟くと地面を見つめた。まだ小学生だった頃の司を鍛え上げ、彼が持つ力の使い方を教えたのはこの刃だ。今では宮司を引退して父親の跡を継いで農業を営んでいる。そんな刃は風の便りで司の心が壊れたことを知った。
「新生・・・ま、それも新生か」
そう呟く刃を怪訝な顔をして見つめるミュンヒハウゼンはかつてこの刃に霊能力の使い方を教えた師匠でもある。ドイツ人でありながら第二次世界大戦中にナチスの超能力機関に所属し、その未来を見通せる力を持って総統ヒトラーにアドバイスを送っていた。だが大戦末期、ヒトラーの死を見たミュンヒハウゼンはドイツの進攻もここまでと見切り、組織を抜けて各地を転々として生きてきたのだ。そして30年前日本に渡り、島根県のとある小さな農村で見つけた伝承に興味を持ったのだ。それがアマツ、ミコト、カグラという3人の若者たちの数奇な運命だった。そして今、その3人が生まれ変わった姿を見たことで彼らに接触していた。とうに命を失いつつ、その圧倒的な霊圧を持って現世に留まっている霊体として。この星に生きる男女1組、宇宙の真理と全ての歴史を未来まで見通せる能力を持ったその男女だけに与えられた特権。単純な物質に介入でき、また、人の身体にも介入できる力、『真理眼』。その能力を持つ女性はここ日本に住む木戸静佳、そして男性が死してなお魂だけで現世に留まっているこの老人、ミハエル・ミュンヒハウゼンなのだった。
「カグラが勝てば、世界は死者のものになるぞ。いや、死者すら怯えざるを得ない暗黒の世界にな」
「大そうな話です」
刃は微笑み、麦藁帽子を被った。
「アマツもミコトも、過去の人物・・・あいつは神手司です」
「弟子が死ぬというのに、呑気な男だ」
「そうですね」
にんまり笑う刃の真意が読めないが、ミュンヒハウゼンもまた小さく微笑んだ。
「ミコトの魂もそばにおったわ。見事なまでの七色のオーラじゃが、力は捨ててきたようだった」
「そうですか」
そう言う刃を見たミュンヒハウゼンは片手を軽く上げる。そんな老人を見た刃は帽子を取ると軽く一礼をしてみせた。そうして顔を上げたときにはもう目の前に誰もいなかった。彼の霊圧も感じず、刃は軍手をはめると畑に向かう。
「死は新生の始まり・・・新たに生まれ変わる、もしくは、新たに生まれるってことかな」
口元に浮かんだ笑みをそのままにしゃがみこんで雑草を取っていく。刃の心に心配など微塵もなかった。そう、師匠の告げた司の死など興味はない。その心にあるのはただ一つの願い、約束だけだった。
風呂から上がった凛は軽いストレッチをしていた。芸能界にいる頃からお風呂の前には運動もしている凛にとって、このストレッチは日課というよりかは習慣になっていた。モデルとして抜群のプロポーションを保つのが目的だったが、今はもう習慣でしかなく、体形の維持はあまり考えていなかった。大きく開脚して上半身をぺたんと床に着ける。そうしているとドアをノックする音に返事をし、体を起こした。Tシャツに短パン姿だが、気にするようなことはない。時々信司が目のやり場に困った顔をする程度で、司に関しては言うまでもなく無警戒だ。そう、今、司が部屋に入ってきても大きく足を広げたままだ。短パンから下着が見えているが、気にもしない。凛としても、この辺はもう麻痺している状態にあった。司はそんな凛を見て感心したような顔をし、ベッドではなく床に座り込んだ。
「どうしたの?」
「あのさ、凛も好きでもない人とセックスは出来ない?」
あまりにストレートにセックスと言う司を司らしいと思うが、質問の意図が読めずに険しい顔をしてみせる。
「昼間、未来の友達がそうだったんだけどさ・・・なんか、気になって」
「そりゃ、好きでもない相手に裸見せたり、触れられたりしたら嫌だよ」
「そっか」
「それにそういう行為は好き同志でするものだからね」
「まぁな」
行為自体は理解できても、その気持ちまではわからない。司にしてみればそういう行為を行うこと自体が理解できないのだ。子供を作るため、そういう認識でしかない。司の中では小学生よりも低い認識なのだ、それも仕方がないと思える。愛とか恋という感情を失くし、性的なことにも一切の興味と理解が無い。だが、そんな司が何を思ってそういう質問を投げたのかが気になった。優花のことがあったとしても、そんな疑問を持つこと自体が珍しい。教団で何かあったのかと心配になる凛は足を閉じると司の前で膝を抱えた。
「好きだという証にキスしたり、エッチしたりする。でも、時々気持ちよさだけを求めてする人がいるんだよ。相手の気持ちなんか考えず、ただ自分勝手に快楽を得ようとするって言うか・・・」
性的快楽の意味を知らない司に上手く説明することができない。現に司は難しい顔をしたまま床を見つめていた。凛はもう少し分かりやすい言葉はないかと考えるが、どう考えても司には理解できないであろうと思う。
「じゃぁさ、俺が浄化で胸触るのって、苦痛なんだ」
「んー・・・私や未来ちゃんとか、知ってる人は苦痛じゃないけど、恥ずかしいかな。でも知らない人はびっくりするでしょうね。現に最初は私もそうだったし」
「ふーん」
「でも、それがどういう意味を持つのかを理解できたら何とも思わないけど」
「なるほどね」
本当に分かっているのかは謎だが、司は納得したように頷いていた。
「そっか・・・最初は嫌なのか」
「でも、司君に祓われた人なら、きっと何も思わないよ」
例外がいたが、あえてそれは口にしない。司の心を壊した人間、その例外のことは触れてはならないことだと思っていた。実際に司はその時のことを曖昧にしか覚えていない。それもあって、未来との情報交換でそういう取り決めを行っていたのだ。
「ならいいけど」
そう言うと立ち上がる。ここでようやく凛は気づいた。司の中に生まれつつある変化を。他人の気持ちなどまったく理解しようとしなかった司に芽生えたその心。それこそ、愛を取り戻す第一歩なのかもしれない。
「ま、良かったよ。あの教祖のおっさんと一緒にされたんじゃ嫌だしな」
「どういうこと?」
「あのおっさんはそういうことをすることが力の誇示みたいに思ってたからさ・・・俺もそう思われてるのかなって思うと、腹立つから」
そう言うとにこやかにしながら出て行った。凛はさっき自分の中に生まれた希望をあっけなく捨てた。要するにあの教祖と自分を一緒にされたくないからそう聞いてきたにすぎない。人の気持ちを理解しようなどとは微塵も思っていなかったのだ。ため息をついた凛は疲れた顔をしつつストレッチを再開するのだった。
夏休みが終わる前日、優花の両親は教団を脱退した。教祖に見切りをつけたというよりは教団そのものに愛想をつかせたのが原因だった。教祖は奇跡の日と呼ばれた全ての呪いの解除に力を使い、しばらくはそういった能力を使用不能にしたと発表された。だが、あの日帰宅した際に優花が全てを語っていた。教祖の術で体の自由を奪われたが、司の乱入で事なきを得たこと。そして司の能力によって教祖はその全ての力を失い、自作自演の呪いをも失ったという事実も。何より、司の能力は本物だった。それは死者を見せられた父親も認めている。結局自分たちは教祖に踊らされていたのだ。実際に教祖は力を失い、他の呪いや霊的障害に関しても今は力を溜めている時期として取り合わずにいる。信者の中にも教祖の力は失われているとして去った者も多く、優花の両親もそういう結論に達していた。優花は許しを請う両親を許してはいない。自分の体をやすやすと教祖に捧げようとしたことや、司や未来にした仕打ちも消えていない。会話もろくにないが、それでも家族としては生活をしていた。優花は以前よりも明るくなり、新学期を迎えた学校でも友達は増えていた。だが逆に両親はまだ重苦しい空気をもって生きている。何年掛かるかはわからないが、いつかは以前のような明るい家族の笑顔が戻ると信じている。優花は新学期を迎えても未来とこまめに連絡を取り合うようにしていた。未来と友達であり、その未来が司の幼馴染だったことが今回の解決に至ったこともあって、友達の大切さを知ったせいだ。何より、司に関しては未来だけに辛い思いを背負い込んで欲しくなかったこともある。あの時、クラスはおろか学年全体で司を責めたことを後悔している人間など、一掴みもいない。それでも、自分はその一掴みでいたかった。ただ救われたからだけではない、司という教祖のために信者の自分ができる布教活動がそれになるのだから。そして9月の半ば、両親と揃って司の家にあらためてお礼に訪れた優花はもう一度深くお礼を言った。過去のことには触れていない。未来からあの事件の記憶が曖昧だからと教えられていたのもあっての行動だった。両親はどこか怯えた目で司を見ていたが、それでも迷惑をかけたことや優花に対する態度も詫びていた。
「まだどこか歪んだ魂を感じるけど、でも、ま、大丈夫だろ」
司は両親を見て微笑むとそう言った。歪みはいずれ治るだろう。家族がそこにいれば。
「ありがとう神手君」
もう何度目になるかわからないお礼を受けた司はにんまりと笑う。
「お前は俺の信者、またそっち方面で困ったら来いよ」
その言葉に両親は顔を見合わせるが、優花は力強く頷き、嬉しそうに笑った。
「でも危険なことは、凛さんのいないところで相談するね」
その言葉に司の後ろにいた凛が目を丸くする。そんな凛にペロッと舌を出した優花に美咲も笑った。凛はムッとした顔を優花に向けるが、それもすぐ笑顔に変わる。
「いつでも来いよな」
「うん!」
優花は両親と共に去っていった。まだぎこちのない家族だが、しっかりと絆で結ばれている。今はまだ薄いその絆が見える司は優しい笑みを浮かべていた。
「さて、夏休みボケもまだ治らないし、寝るかな」
日曜日の昼前だというのにあくびをする司の耳を引っ張る凛は怒った顔を向ける司を見つめた。
「せっかくの日曜日、どっか行こうよ」
「暑いからヤだ」
「じゃぁ、涼しいところは?」
「・・・・・・どこ?」
「映画とか」
「映画、ね」
不満そうな顔をする司を見た凛は他にいい場所を考えるが、そう思い当たらない。
「まぁ、いいぜ・・・おごりならな」
司はニヤッとした顔を向けるが、凛は涼しい顔を返す。
「おごるよ、ジュースぐらい」
「ケチくせーなぁ」
「ケチはそっちだ」
言い合いながら2階へと向かう2人を見送った美咲は呆れたような笑顔を浮かべていた。
「なんだかんだでラブラブチックなんだから」
やれやれという格好をした美咲はリビングに行くとソファに座り、テレビをつける。これといった番組もないために撮っておいたドラマを見ようとリモコンを手に取る。鼻歌交じりにリモコンを操作する美咲はどうせなら自分もついて行こうかと考えるが、せっかくのデートを邪魔する真似もしたくない。ここ最近、凛が来てからの司は変わってきている。どこがどうとは言えないが、霊力の高い美咲だからこそわかる些細な変化があった。かといって司が元に戻るとは思えない。美咲は期待をせずにいたが、形式上でも凛と司が結婚してくれれば凛と本当の姉妹になれることが嬉しいのだ。しばらくすると2人が降りてくる。リビングから顔を出せば、さすがに凛は可愛らしい格好をしているが、司はお洒落にはほど遠いTシャツにジーパン姿だった。
「せめてお姉ちゃんに合う格好にしなよ・・・」
うんざりした言い方にカチンと来る司だったが、凛は気にしていないようだ。
「いいよ、これで。これが司君だもん」
その言葉にフフンと鼻を鳴らした司の勝ち誇った顔に苛立つ。
「服、見立ててやってよ」
「いらねー」
「んー・・・まぁ、いずれ、ね」
凛はそう言うと無理矢理腕を組むようにして司を引っ張っていく。他の男が見れば憧れと嫉妬の目を向けられるだろう光景も、司にとってはただ連行されているにすぎない。
「お姉ちゃん以外の人がいるとは思えないけど・・・もったいない」
深いため息をついた美咲はリビングに戻るとソファに座った。そしてリモコンを操作し、続きを再生する。
「どっかにいい男、いないかなぁ」
クラスにイケメンはいるが、美咲が心をときめかせる男子はいない。
「いないか・・・」
ため息混じりにそう呟いた美咲はテレビに集中すべく、やや身を乗り出すようにしてテレビを見つめるのだった。




