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ひとでなし≒かみさま  作者: 夏みかん
第6話 教祖の力
11/20

前編

この街にもいくつかの宗教施設があるが、この宗教団体は10年ほど前に出来たいわゆる新興宗教と呼ばれるものだった。教祖は数々の奇跡を起こしてきたとされる人物で、主に人にかかった呪いを跳ね返したり、神の言葉を代弁して人々に的確なアドバイスを送ったり出来る能力を持っていた。現在教団としての規模はそう大きくないものの、信者の数は3桁に及んでいる。教祖はよくある小太りな風貌ながらもヒゲはなく、やや細めの目でありながら全てを見通す神の目を持っているとされていた。だが、どの宗教の教祖にも良くない噂は立つものだ。この教祖も例外ではなく、除霊や呪詛返しと称して10代の女性をメインに不埒な行いをしているというのものがあった。だが、多くの呪いや災いを撥ね返してきた実績もあり、女性たちは皆自ら抱かれに行っているとの噂もあって、真実は教団に関係する者しか知りえない。全体的に白く、曲線を描くような大きな建物に掘られた教団の証、人の手に蛇が巻きついたようなその印が周囲の住人に嫌な印象を与えている。ここの住宅街には霊能者や占い師といった教団の手先がひっきりなしにやってくることもあって迷惑をしているが、だからといって警察が動けるほどの被害も強制的な勧誘もなかった。勧誘に来るとはいえ、すぐに引き下がるからだ。ただ、実質的に教祖の霊的能力は高い、それだけは確かに言えることだった。だからか、近隣住民も呪いを恐れてひっそりと暮らしている。そんな教祖は自らを大地の神とし、名を我意亜ガイアと名乗っていた。



長かった夏休みもあと1週間ほどで終わりを迎えようとしている。自宅でくつろぐ未来みくはすでに全ての宿題を終わらせて残り少ない夏休みを満喫していた。時々司の家に行ってはゲームをしたりし、友達とプールにも行ったりしていた。そんな未来は今日、母親の真帆も出かけたとあって1人でクーラーの効いた部屋でごろごろしつつ漫画を読んでいた。そんな未来の携帯が机の上でメロディを奏で始めたためにのそのそと身を起こしてそれを取れば、珍しい名前に意外な顔をしてみせる。それは中学時代の親友で、今は2つ向こうの町にある二見高校に通っている仁科優花だった。高校に進学してからはあまり会う機会もなかったが、それでも年に1、2回は会うようにしている。この夏休みに会う予定はなかったものの、3月には一緒に遊んでいたのだ。メールこそたまにすれど、滅多に掛かってこない電話の着信に少し顔をほころばせた未来は電話を耳に当ててベッドに腰掛けた。


「優花?久しぶり」

『うん、ひさしぶり』


その声はどこか暗い。これは何かあったなと本能的にそう直感した未来は耳に携帯を当て直した。


「どうしたの?遊びの誘い?」


そうでないことは理解しつつ、普段の口調で話す。すると予感は的中し、優花はさっきよりも暗い声を出した。


『ちょっと・・・・相談があってさ』

どこか怯えた様子を含んだ感じに未来の表情が変わる。

『出来たら・・・神手君の・・・・力も借りたくて・・・』


言いにくそうにそう言った言葉に、未来はピンと緊張が走るのを感じていた。優花もまたあの長谷川望の事件を知る人間である。未来の中学時代の同級生であるということは司ともそうなるのだから。そして司の能力を認めつつ、あの噂を半ば信じている人物でもあった。そんな優花が司にも相談となれば、そっち系の話だとは理解できる。司の能力はいい意味でも悪い意味でも有名なのだから。だが正直なところ、未来は司をかつての同級生と関わらせたくないと思っていた。あの事件は司だけでなく未来の心にも大きな傷となっているからだ。


「それって・・・」

『今からそっち、行ってもいい?』


未来の声を遮るように、そして明らかに怯えたように小声でそう言う優花の声は震えている。まるで誰にも聞かれたくないかのように。


「いいけど・・・司を呼ぶのは私が話を聞いてからでいい?」

『・・・うん』

「なら、待ってる」

『すぐ行くから』


そう言うと優花は電話を切った。優花の家は自転車であれば未来の家から20分程度の距離にある。未来は切れた携帯を見つつ深いため息をついた。今の様子からして只事ではないのは一目瞭然だ。それから優花が来るまでの間、ため息ばかりが出ていた未来はインターホンの音を聞いて重い腰を上げて玄関に向かった。ドアを開けると熱気が肺すら焼きそうなほどに暑い。まだ昼前だというのにこの暑さは異常だと思う未来が目の前に立つ優花を見れば、このクソ暑い中でカーディガンを羽織っていた。少しやつれたように見える優花を家の中に招くが、優花は怯えた目でやたら周囲を気にしてから玄関のドアをくぐった。そのあまりの怯えように眉をひそめつつリビングに通した未来はまず冷たい飲み物を出した。それから横に座るが、優花の様子は変なままだった。ずっと顔を伏せたままで未来を見ようともしない。


「どうしたの?何があったの?」


その言葉を聞いても顔を伏せたままだった。暑い中、自転車を漕いで来たせいで汗で髪の毛が濡れていた。未来は洗面所に向かうとタオルを取ってきて、それでそっと優花の汗を拭いてあげる。そうしていると優花は肩を震わせて泣きながら未来に抱きついてきた。


「ちょ、どうしたの?」


焦る未来だが優花は泣いたままだ。そうして30分ほど泣いた優花がようやく未来から離れて顔面に当てていたタオルを膝の上に置いた。顔を上げた優花は赤い目を未来に向ける。


「私ね・・・・呪われてるの・・・」

「はぁ?」


泣くほどの事情がそれかと思うが、痩せた原因はともかく異常なまでに周囲を警戒した理由にはならない。だいたい、何をもって呪いというのかがわからない未来を見た優花はゆっくりした動きでカーディガンを脱ぐと、そのまま半袖のワンピースも脱いで下着だけの姿になった。


「なに・・・これ?」


さすがの未来も絶句した。へその横辺りに目立つように貼られているのは白いガーゼだ。まるで怪我でもしたかのようにそこに貼られたガーゼをゆっくりと剥がしていく。そして全てが取れたとき、さすがの未来も小さな悲鳴を上げた。ガーゼにも、そして肌にも血がついている。いや、肌からは今でもじわじわと血が出ているのだ。やはり怪我なのかと優花を見れば、優花は貼っていたガーゼでそっと出血部分を拭いてみせた。するとそこには傷もない。なのにそこからまた少しずつじわじわと血が浮き出てきているのだ。これにはさすがの未来でも言葉が無かった。


「これ・・・」

「呪い、なんだって・・・」


優花は再びぽろぽろと涙を流しながらそう呟いた。そうしてそこにガーゼを貼り、そのまま泣き崩れるようにタオルを顔に当ててしまうのだった。



鳴り響くインターホンの音にドアを開ければ、今にも溶けそうな顔をしたそこに司が立っていた。日焼けした黒い顔は汗だくで、入っていいと許可もしていないのにさっさと家に入ると玄関のドアを閉めた。距離的に徒歩1分も掛からないのに何故こんなに汗をかくのかと閉口するが、未来にとっては今はそんなことはどうでもいい状況だった。


「なんなんだよ・・・このクソ暑いときに・・・お前が来いよなぁ」

「どーせゲームばっかしてるんでしょ?」

「今日は凛も美咲もいないからバカンスデーだったのによ」


かなり不機嫌そうにそう言う司をリビングに通せば、そこにいた優花は怯えた目で司を見る。司は一瞬目を細めたあと、ソファではなくその前に置いてある木のテーブルの向こう側に座った。そこが一番クーラーが当たる場所だと知っての行動だった。


「覚えてる?優花、仁科優花・・・中学、一緒だった」

「まぁな」


素っ気無くそう言うと未来が持ってきたジュースを一気に飲んだ。


「そんなことより、それか?」


そう言って指を差したのは優花の腹部だ。まだ何も言っておらず、あまつさえ服の上からそれを指摘したことに優花は驚き、未来はやっぱり呪いなのかと顔をしかめた。


「とりあえず見せて」


そう言われた優花は激しく動揺した顔を未来に向ける。望の事件を知っているのだ、こうなっても無理は無い。


「大丈夫。私もいるでしょ?」


その言葉を聞いても中々決心がつかず、もじもじとする優花。そんな優花を見た司はため息をつくと頭を掻いた。そんな動きだけでも体をびくつかせる優花に対し、未来は真剣な目つきで優花を諭し始めた。


「なんとかしたいんでしょ?だったら、見せなきゃダメ」


その言葉と目の力に押されてか、優花はためらいがちながら立ち上がるとゆっくりとワンピースの裾をめくり上げていく。服をめくりながら恥らうその少女の姿は普通の健全な男子ならば興奮して当たり前なのだが、司にはそれがない。優花は腹部までそれをめくり上げ、その腹部のガーゼ部分を露出させた。そのままの状態でいながら目で未来に剥がせと告げる。頷いた未来がそれを剥がすと司は座ったまま優花に近づいた。自分のすぐ近くに司の顔がある。下着も丸見えの羞恥心を堪える優花をよそに、体から滲み出るその血をそっとすくった司はそれをペロッと舐めた。未来も優花も小さな悲鳴を上げる。予想外の行動に引き気味になりつつも2人は司を見つめていた。


「血だな・・・」


当たり前のことを言った司の目が突然金色に変わり、そのまま左手の数珠を外してテーブルの上にに置いた。その金色に輝く瞳を見た優花はただ驚くしかない。


「いつから?」


その言葉に我に返ると、少し逡巡してから返事をする。


「血が出だしたのは・・・3ヶ月前ぐらい・・・・痛みがあったのは・・・半年前ぐらいから」

「痛むの?」


未来は傷もないそこを見てそう言うと、優花は微妙な反応をみせた。


「半年前から、こうやって血が出るまではチクチク痛かった・・・でも・・・今は・・・もうない」


ということは3月に会った時には痛みがあったということになる。気づかなかった未来だが、それほど痛かったわけではないと優花は説明した。


「呪詛、だな」


司はそう言うとそこに左手を当てた。触れられた箇所が熱く感じる。男子に肌を触れられた経験もないせいか、優花の肌は紅潮していた。


かえし


そう呟いた瞬間、そこが猛烈に熱くなった優花は身をよじってソファに倒れこんだ。そうしてあわてて腹部を見ると血は出てこない。それにどこか気分も良くなっていた。


「呪詛、呪いの言葉みたいなもんだな・・・それのせいだろう」


黒目の司がそう言い、元の位置に戻って未来にコップを差し出した。ようするにジュースのおかわりの催促だ。


「呪詛?」


コップを受け取りつつそう聞いてくる未来に対し、司は呪いの言葉だとだけ説明をした。


「心当たり、あるよな?」


コップを持って立つ未来を見上げた優花は頷く未来を見てから司を見た。


「・・・ある」


消え入りそうな声でそう言う優花に、司はだろうなとだけ言うとテーブルに肘を着くのだった。



事の発端は1年前、父親が原因不明の病気にかかったことだった。それは未来も聞いている。今はもうすっかり良くなっているとも知っているが、そのまま黙って話を聞いた。


「どんなお医者さんに見せても原因不明で・・・どんな薬も効果がなかった」


優花は膝の上に置いた手をぎゅっと握り締め、俯きがちで小さな声で説明をしていく。


「そんなとき、電話があったの・・・お父さんは呪いの力を受けているって」


その電話は突然だった。対応した母親はその話を聞いてすぐに父親をその施設、教団の建物に連れて行ったのだ。原因もわからず、医者もさじを投げる病状にわらをも掴む気持ちだったからの行動だった。優花はあまりに現実離れした話に母親を説得しようとしたが耳を貸さず、とりあえず連れて行くだけとそこへ向かった。建物の入り口では4人の白い服を着た教団員が出迎えて祭殿と呼ばれる場所に通した。そこにはさらに2人の男を引き連れた教祖がいて、小太りながら穏やかな表情で車椅子に座る父親を見た。そうして手をかざし、なにやらぶつぶつと言った後で父親の胸を強く押したのだ。すると体調が悪く、高い熱で意識も失いかけていた父親は車椅子から立ち上がるとさっきまでの病状が嘘のように回復していた。驚いた優花をよそに、母親は狂喜乱舞して教祖をあがめた。奇跡だと父親も感謝をし、心ばかりのお礼をしたのだ。そうして奇跡を目の当たりにした両親はその教団に入信してしまった。ただ、その教団はお布施などは一切要求しない。ただ月に一度気持ちだけのお金を受け取るだけに終わっていたのだ。それも催促されたからではなく、両親がお礼と、呪いの再発を恐れて自発的にしたことだった。その宗教に入ったからといって優花の生活が変わることもなかった。教団の教えで与えられたお札を奉り、1日に1回それに向かって3度お辞儀をするだけなのだから楽でいい。そうして半年ほどが過ぎた辺りで自分に影響が出始めた。腹部の痛み、そして傷もないのに腹部からの出血。これは不可解だと教祖にすがった母親はそれが呪いだと聞かされて驚愕し、助けを求めた。この呪いを解くには多大な力と時間を要する。そう言われた両親はさらなるお布施をして優花のために教祖に尽くした。その結果か、腹部に傷が現れることは防いでいるものの、呪いの力はかなり強さを増してきていると教祖は言ったのだ。そしてこの呪いを跳ね返すには自らの持つ力を注ぐしかないと言った教祖はある提案をしてきた。それは優花にとって信じがたい言葉であり、耐え難い行為の要求であった。


「満月の夜に、教祖の・・・・・・・その・・・・・精子を・・・・・子宮・・・胎内に入れるって」


言いにくそうにそう言った優花はぽろぽろと涙を流す。さすがの未来もその教祖の提案に閉口し、司はぼけーっとした顔で優花を見つめていた。


「い、入れるって・・・・・・じゃ、じゃぁ、アレ、するわけ?」


未来も少し恥ずかしそうにそう言うとため息をついた。そんなことをして呪いが解けるとは思えない。それに妊娠の危険性もあるのだ。優花にしても自分の初めてをわけのわからない力を持った中年に捧げたくはない。


「・・・・・そう。精子は・・・・命の源だから・・・・・教祖のそれは、強力で呪いも跳ね返すって」

「アホくさ」


司は吐き捨てるようにそう言うとジュースを飲んだ。そんな司を睨みつつ、赤い顔をしたのは羞恥からか、怒りからか。


「でも!父さんを治した力は本物だもの!だから・・・・」

「今、その呪いは消えたぜ?つまりその呪いを消した俺の力は偽者か?それとも本物か?」


ニヤッと微笑みながらそう言った司はコップを置くと未来に注げとばかりにコップを振った。ペットボトルごと持ってきていた未来は司を睨むようにしながらもコップにジュースを注ぐ。


「それに、精子かなんかしらねーけど、ま、霊圧が高けりゃ話は別だが、それでももってせいぜい3日だろう」

「どういうこと?」

「要するにセックスして精子を女の体に入れるんだろ?んなもんで、効果が出るわきゃないっての」


あまりにはっきり表現した司に未来も優花も顔を赤くした。


「そいつの霊圧が高いと、ま、それでも俺ぐらいかな・・・それで3日効果があればまし。大抵の奴はそういう行為、セックスしたということでしかないから効果は無いよ」


司はあっけらかんとそう言うとジュースを飲んだ。つまり、教祖の言う呪いを消す儀式はただの性行為でしかないというのだ。未来が優花を見ると司を睨むようにしていた。


「でも・・・お父さんの呪いは・・・・あれは?」

「そいつが親父さんに呪いをかけて自分で解除したってのが一番納得がいくな」

「ってことは、自作自演ってこと?」

「そ」


司はそうとだけ言うと、優花の呪いも呪詛、つまりは呪いの言葉によるものだと推測した。呪詛による呪い、そういう術者は全国にも多いという。とりわけ呪いの言葉とその対象者の髪などがあれば容易いものだと説明をした。ただ今回の場合はそうではなく、呪詛による霊圧の混入の可能性が高い。司が服の上から腹部を指摘したのも別の霊圧がそこにあったからだ。今回、司は優花の呪いを返す、つまりは呪詛の言葉を撥ね返したことで霊圧の混入を無くして出血を止めたのだ。今頃教祖は撥ね返された呪いに驚いていることだろう。


「でも、君の霊圧を向こうが感じる限り、また呪うだろうな・・・要するに君の体が目当てなんだろうさ」


最後に理解に苦しむねと付け加えた司はジュースを飲み干すとやれやれといった風にしてくつろいだ。


「で、どうしたらいいの?」


未来の言葉に気だるそうな顔を見せた司は天井を見上げるようにする。クーラーの動く静かな音だけがリビングに響いていた。


「教祖の呪力を絶てばいい。どうせ全部の呪いは自作自演・・・・女とセックスするためだけの行為だろう」

「そういう噂、聞かない?」


司の言葉を受けて優花にそう聞けば、確かにそういった噂はあるという。それでも教祖の呪いを解く能力を見れば、それに従うのも当然だとも口にした。その言葉を聞いた司は噴き出すように笑い、優花はそんな司を睨んだ。対する司は優花を見つつ口の端を吊り上げるようにして笑った。


「じゃあ、従うのが当然だったら、なんでお前は未来に相談したわけ?」


その言葉に優花は黙り込んだ。呪いを解ける教祖が絶対的存在であれば、半年間も自分を苦しめている呪いを解くために喜んで教祖に抱かれるはずだ。


「処女だから、好きな男に初めてをあげたいからとか?だったら一昨日来やがれ・・・さっさとそいつに抱かれて来い」


嫌悪感をあらわにした司の言葉に優花は怒りに満ちた目を向ける。未来もまた怒ったような顔を司に向けるが、当の司は涼しい顔をしてそれを受け止めるとニヤニヤとした笑みを浮かべた。それが優花の心にある怒りにさらなる火を注いだ。


「あんたに何がわかるのよ!教祖の力を知らないから!だから・・・何をやっても呪いは解けなくて嫌でもそうしなきゃって・・・・でも、嫌なのよ!あんなおっさんに抱かれるのは!」

「でも力は確かなら、それしかねーじゃん」

「それしかないけど・・・だけど・・・・・・それでも・・・・・」

「なら、両親にそう言えよ。あんなおっさんに抱かれずに呪いを解ける方法を聞いてくれってな」

「けど、それでもあんたなら、もしかしてって・・・・・もしかしたらって・・・・・」

「舐めんなよ、クソ女」


その言葉に優花は体をびくつかせ、未来が司を睨む。だが司は真剣な目を優花に向けていた。


「あっちがだめならこっち?お前は何1つ手を汚さずに綺麗なままでいたい?バカか?まず自分が戦えよ!教祖に本音を言ってやれ!両親にも言ってやれよ!そんな弱い心だから、つけ込まれるんだ!」


優花は目に涙を溜めたまま司を睨んだ。司もまた優花を睨んでいる。未来はどうしようもない立場で2人を見るしかない。優花の気持ちもわかる。どうしようもないから教祖に抱かれるしかないという気持ちも。その反面、まずは自分が立ち上がれという司の言葉の意味も理解できているのだ。


「呪いってのはな、人の心の弱さの象徴さ。直接手を下せないアホが遠くから自分のひん曲がった思いをぶつける姑息な手段だ」


司はそう言うと立ち上がった。


「教祖はそういう手抜きの力で呪いをばら撒き、のこのこ来たカモを捕まえる。お前みたいな弱い女を抱くためにな・・・教祖の気持ちはまったくわかんねーけど・・・・どっちもどっちだ」


そう言ってリビングを出て行こうとする司を止めようとした未来だが、ドアに手をかけたところで司が止まったために出しかけた手を引っ込めた。


「戦う決意ができたらまた来い。そいつに抱かれたくないからじゃなく、教祖に面と向かって唾を吐ける気になったらな」


司はそう言うとさっさとリビングを出て未来の家を後にした。残されたリビングの空気が重い。優花は下唇を噛み締めたままじっと床を睨みつけていた。そんな優花の肩にそっと手を置いた未来は優花を見つめつつ言葉を発した。


「悔しいけどさ、司の言うとおりだと思うよ・・・司に助けられて、また呪いをかけられても、また助けてもらえばいいって思うだけじゃだめだよ」


未来は床を見たままの優花を見つめ続けた。自分の言葉は届いている。その証拠に優花は肩に置かれた手を振りほどこうとはしていないのだから。


「戦おうよ・・・私も手伝うからさ」

「でも、あいつだって・・・あいつだって望を!」

「・・・・あいつは霊を祓っただけだよ」

「でも!」

「信じなくてもいいよ」


その強い意志の込められた言葉に優花は未来を見た。悲しげな顔をした未来は小さく微笑んでいる。


「私があいつを壊したんだ・・・あいつの心を壊したのは私。だから、私はずっと後悔して生きていくの」

「壊した?」

「司の心はね、壊れてる。あの事件がきっかけであいつは愛とか恋とか、そういう感情を全て失った。女の体も人間の体・・・・性欲も男性機能も失った・・・壊したのは、私なんだよ」


教祖の行動が理解できないと言った司の言葉を思い出す。あれはそういう意味だったのだ。だが、信じることは出来ない。現に望はショックを受けて遠くに転校し、噂も信憑性があって信じる要素が多すぎる。それに未来は司の幼馴染だ、擁護はいくらでもできる。だが、その表情はそういったものを超えていた。後悔、悲しみ、そして言い知れない愛情がそこにあった。


「司はね、あの事件があっても除霊は続けてる。それがあいつの信念だから」

「でも・・・」

「心が壊れても、あいつは戦ってるの」


戦うという言葉を噛み締める。教祖に逆らうことが戦いではない。自分の気持ちを最優先することが戦いなのだ。自分は両親と違って教団も信じていなければ教祖もそこまでは信頼していない。それでも、父親を治した奇跡は目の当たりにしている。そんな教祖が自分を抱くしかないと言った呪いをあっさり消し去ったのは司だ。


優花はワンピースをめくる。腹部にもう血はにじんでいない。


「今日は、帰るね」


消え入りそうな声でそう言うと、優花はすたすたとリビングを出て行った。サンダルを履く優花に表情はない。そんな優花が玄関のドアを開けたとき、未来は優花の肩にそっと手を置いた。


「また連絡ちょうだい・・・戦う戦わないは別にして」


優花は頷かずに玄関を出ると自転車に跨って行ってしまった。そんな背中を見つめつつため息をつく。自分にできることはない。優花が答えを出さない限り、動きようがないのだから。ただ、抱かれるという選択肢を選んだ場合は全力で阻止する、その気持ちは強く持っていた。



思わぬ邪魔に教祖は動揺を隠せなかった。自分の呪力は少し変わったものである。大昔に大陸で生まれた呪術、それが渡来した際に独自の呪詛を交えた力を持って受け継いできた呪いだ。つまり、そんじょそこらの霊能者に返せるほど簡単な呪いではないのだ。それなのにあっさりと呪いは解除され、それに加えて完璧に撥ね返すという技。相手は只者ではない。返された呪力は数倍に膨れ上がるが、それを考慮した独特の呪力は撥ね返った力がただ術者に戻るようになっているために教祖自体にダメージは無い。だが、完全に撥ね返した相手が気になる。以前から狙っていた仁科の娘をようやく抱けるというのに。再度呪いをかけることは可能だが、また解除されてはただ体力を消費するだけだ。舌打ちした教祖は今日の生贄というべき15歳の少女を前にその懸念を消した。白いシーツの敷かれた祭壇に横たわるように指示すれば、少女はなんの疑問も抱かずにそこに寝そべる。自分の力の偉大さを知り、抱かれることが崇高な魂へと浄化されると信じているのだ。身に付けた呪力と類まれない話術をもってここまできた。若い女、とりわけ処女を抱くことを至高の快楽として征服欲を満たしてきた。それなのに、こうもあっさりそれを撥ね返すなどとは。せっかくの上玉を抱きながらもそれが気になって集中できない。今行っている儀式の前に、教祖はなんとしても優花を抱きたいために言葉巧みに両親を説き伏せ、なんとか教団に連れてくるための策を講じた。とにかく今はこの少女を抱き、快楽に身を委ねつつ浮かんだ名案に卑しい笑みを浮かべるのだった。



風呂から上がった未来は髪を乾かし終えてベッドに腰掛けながらテレビを見ていた。そんな未来を呼ぶ真帆の声に部屋から顔を出せば、階段の下に立っている暗い顔をした優花を見つけてあわてて階段を駆け下りる。とりあえず2階の自室に通してジュースを取りにキッチンへ向かった。真帆には簡単に経緯を説明し、大丈夫だからと告げていた。そうして部屋に戻った未来は頬や腕を赤く腫らした優花を見て小さく声を上げてしまった。さっきはあわてていて気づかなかったが、どう見ても殴られた痕だ。


「ど、どうしたの?」

「お父さんとお母さんが・・・・」


震える声でそう言うと、優花は未来に抱きついて泣いた。夕方、教団から帰宅した両親から教祖からの新たな言葉を告げられたのだ。それは勝手に呪いを返したせいで家族に災いが起こるという予言だった。何故教祖に黙って呪いを返したのかきつく問い詰められた優花は司のことを話してきかせた。父親の病気も教祖の自作自演だとした優花に平手打ちをした母親は精神が呪われているとの言ったのだ。既に呪いは家族を襲い、優花の精神まで汚染していると教祖は言ったのだ。そしてそれは現実のものとなっていることに母親は怯え、父親も苦い顔をしていた。もはや精子を体内に送り込むだけでは足りず、教祖の能力を受け継いだ子供を生むしかないとのお告げを受けていた両親は力ずくで優花を教団へと連れて行こうとしたのだ。それは教団の中でもっとも尊く、最も慈愛に満ちた儀式、7日7晩教祖の愛を一身に受ける儀式を受けさせようというものだった。さすがにそれには激しく抵抗した優花は何度も殴られつつも家を飛び出していた。自分は正常である、そう訴えても両親は教祖の言葉しか信じない。優花はもう何を信じていいか分からず、気がつけば未来の家にいたというのだ。泣きながら自分の両親の愚かさ、そして自分自身の甘さを痛感した優花はもうどうしていいか分からないと言って泣いた。そんな優花を見た未来は素早く着替えると優花と共に部屋を出た。


「あら?送っていくの?」

「今日はウチに泊める。その前に司に会う」


目に宿る強い光に真帆は何も言わず、ただ微笑んで送り出した。


「司君、きっと力になってくれるから。あの子は太陽みたいな子だからね」


真帆は暗い顔をした優花をそっと抱きしめてそう言った。優花は薄く涙を浮かべつつ頷くと未来に手を引かれて家を出た。早足で司の家に向かい、インターホンを鳴らしてみれば玄関のドアを開けたその人物を見て優花は驚いた。


「未来ちゃん・・・どうしたの?」

「司、いますか?」

「あ、うん、さっきお風呂出たとこだから部屋にいるよ、上がって」


未来は優花を先に玄関に入れてサンダルを脱ぐ。優花は凛の顔を見て呆然としていた。無理もない、ついこの間までテレビで見ていた人物が目の前にいるのだ。眼鏡をかけて長い髪を束ねているがその人物は間違いなく桜園凛なのだから。それに何故司の家に普通にいるのかも謎だった。


「凛さんのことは後!司ぁ!」


階段を上がりながら名前を呼び、ノックもなしに部屋に押し入った。優花はためらいがちに階段を上りつつ何度も下にいる凛を振り返っていた。


「後で飲み物でも届けるって言っておいて」


その言葉に頷き、優花もまた司の部屋に入った。


「なんか深刻そうね」


凛はそう言うと今日買ったアイスレモンティーを入れて部屋へ運ぶ準備をした。その頃、部屋では優花から聞いた話を未来が司に説明していた。呪いを撥ね返された教祖の言葉を聞いた司は大声で笑ったのだった。


「馬鹿野郎だなぁ・・・まったく」


ひとしきり笑った後でそう言った司は座り込んで俯いている優花を見やった。


「で、どうするか決めたか?」

「・・・・・結局、女を抱きたいだけってわかったから・・・・だから、私はそんなの嫌だから・・・」

「なら、教団へ行け」


これまたとんでもないことを言う司に未来は怒った顔をし、優花は困惑した。


「戦う気になったんだろ?ならそうしろ、それが一番の方法だから」


その言葉を聞いた未来が司の頬を叩く。それと同時に部屋に入ってきた凛はその光景を見て驚きつつも何も言わず、司の机にコップを乗せたトレイを置いた。


「あんたね・・・昼間のことを根に持っているなら、最低だよ!」


未来はそう言うと目に涙を溜めていた。司は何故自分が叩かれたのか分からず不満そうにして未来を見つめる。優花はおろおろし、ベッドの上に座った凛は気配を消すようにして黙ったままその様子を見ていた。


「教団へ行きたくないから、教祖と戦う決意をしたからここへ来たんじゃない!それを・・・」

「戦う相手は俺なのかよ?」


睨む未来を見る司は叩かれた左頬をさすりながらそう言った。未来はその言葉の意味を理解しつつも怒りが冷静さを失わせている。


「そのために相談に来てるって言ってんの!」

「アドバイスがそれってこった。教団へ行け、それが結論」


今度は未来の左手が司の右頬を打つ。司はキッと未来を睨みつつ、怒りに満ちた目をしていた。


「未来ちゃんは少し冷静に、司君はもっと器用にならなきゃ」


ベッドの上に座っていた凛がベッドに腰掛けるように移動して2人を見つめた。司も未来も厳しい目を凛に向けるが、凛は涼しい顔を返すだけだ。そんな凛は小さく微笑むと未来を見つめた。


「司君はね、教団に行って、教祖に直接自分の意思を伝えに行けって言ってるのよ。それが戦うって意味。そうでしょう、司君?」

「・・・まぁな」


凛の説明を聞きながら不満そうにした司はそっぽを向いてしまった。そんな司を見た未来は司を睨みつつもその目から怒りの炎を消していた。


「それに、1人で行けとも言ってない・・・不器用って言うか、言葉足らずって言うか・・・」


呆れた口調の凛を睨む司だが、返す言葉はなかった。未来は視線を落としちらちらと司を見るようにする。


「で、司君の真意、聞かせてもらえるかな?」


その言葉を聞いた司は大きなため息をつくと明らかに困惑している優花を見つめた。優花にすれば自分のせいで司と未来が喧嘩をしているのだから戸惑うしかない。


「まず明日にでも教団へ行け。まずはお前1人で。後から頃合を見て俺が行ってやる。遅れて行くのは、まずはお前1人で自分の意思を貫く必要があるからだ。そうしないとお前は人に頼ることばかりを覚えるからな」


司のその言葉に優花は戸惑いつつも頷いた。人に頼るばかりというのが引っかかるが、どことなくその意味は理解できる。優花としては自分を教祖に差し出すことを当たり前のように感じている両親は洗脳されていると思っているからだ。そしてそんな自分も教祖に抱かれることが呪いを返すことだという風に思っている部分が少なからず残っている。司が戦えと言った意味は自らの意思で教団と決別する、ということなのだろうと理解していた。


「わかった・・・行く前に連絡するから」

「気楽に行けばいいよ。そんなヤツ、大したことないしな」


司はそう言うとにんまりと笑った。昼間あっさりと呪いを消したその技は今でも脳裏に焼きついている。おそらく、教祖の力など司にとってみれば子供の遊びにも等しいのだろう。


「じゃぁ今日は早く寝るこった」

「ウチに泊まるといいよ・・・帰りづらいでしょ?」


未来の言葉に優花は頷いた。その優しさがありがたく、そして痛かった。


「ところでさ、教祖とか、教団とか何なの?」


ベッドの上に座っている凛の言葉に3人が注目する。わけもわからないくせに的確なアドバイスをした凛を見る未来は目を細めてニヤッとした笑みを浮かべた。


「本筋も分かってないのに、司の真意は理解できるって・・・どんだけ司を好きなんだか、凛さんは」


その言葉に優花は驚いて凛を見るが、凛は少々頬を赤くしただけでにっこりと微笑んでいる。司は言っている意味が理解できずに未来を見ているだけだった。



家に連絡を入れた優花だったが、両親は血眼になって優花を探していたようでかなり罵られながら怒りをぶつけられた。こうしているうちにも呪いが自分たちに降りかかる、すぐに教祖様の所に行けと半狂乱で叫んでいた。その電話の内容が全員に聞こえるほどの絶叫に優花は恐怖し、未来は危機感を持った。そこで未来の家が知られるのは時間の問題だとして今夜は司の家に泊まり、未来もまた危険から逃れるために今日はここで付き添うことにして着替えを取りに帰った。ついでに両親には優花の両親の襲撃があるかもしれないと告げ、父親は警察に連絡して対応するからそっちはそっちでなんとかしてあげなさいと言って未来を送り出した。司という存在があるせいか、未来の両親はそういうことに関してかなり柔らかい思考を持っていることは助かっている。とりあえず優花の両親や他の信者と出くわすのはまずいとして司が未来に付き添っていた。残された優花はその間にお風呂に入ると、その後はリビングでくつろいでいた。ようやくホッと出来た優花を見て微笑む凛がアイスレモンティーをその前に置く。自分もソファに腰掛けるとそれを美味しそうに飲んだ。


「最近これにハマちゃって」


にこやかにそう言う凛は明らかにこの家に馴染んでいる。それが不思議でならない優花はその質問を凛に投げることにした。


「なんで桜園さんが・・・この家に?」


ストローを咥えていた凛は愛らしい口をそこから離すと、何かを考えるようにしてから優花の方を向いた。


「んー・・・今は居候で、いずれはここのお嫁さんかな?」

「え?婚約してるってことですか?」


驚く優花を見て微笑む凛だが、自分もまた言葉足らずだと反省する。


「司君が恋愛感情を失くしてるってのは知ってる?」


一応未来から聞いてはいるので頷いて返す。


「まぁ、だから一方通行の愛だけど、それでもいいよって司君も司君のお父さんもそう言ってくれてるからね。でも、私の目標は司君を元に戻すことだから」


にっこり微笑む凛の言葉の意味がいまいち理解できない。司は凛に対して何の感情もない。凛は司を好いている。なのに将来は結婚する。矛盾しているようにしか思えない。


「司君は壊れてる。でも、そういう意味じゃ私はもっと壊れてるのかもしれないね」


そう言って屈託無く笑う凛がまぶしく見えた。どんなに好きになっても相手にその感情はない。でも本当にそうなのだろうか。こんな美人に好かれて何とも思わない、ましてや同居までしていて何の感情も湧かないとは思えないのだ。


「でも・・・神手君は・・・・」


過去の事件のことは噂で知っている程度だ。だが、真相は未来から聞いているものの、その後の望の様子も知っているし、何より未来は司の幼馴染であり、擁護するのは当然だとも思う。心が壊れているというのも、司の芝居に思える部分もあった。


「彼がなんであれ、私は彼に何度も救われた。そして彼の人柄に触れて好きになった。ただそれだけのこと」


凛の目に嘘はない。虚言でもなければ強がりでもない。そんな凛を見る優花は困惑した顔をしつつコップの表面に汗をかいたレモンティーを見つめた。そうしていると玄関のドアが開いた。2人が戻ってきたのだ。


「あ、おかえり。大丈夫だった?」


リビングから顔を出した凛に頷くとさっさと2階へ上がる司。そんな司を無視した未来はリビングに入ると、持ってきたパジャマに着替えだした。


「まだウチにはなんの連絡もないみたい・・・一応お父さんたちには警告しといたし、司もアドバイスしてくれたから大丈夫だと思う」

「そっか」


凛はそう言うとキッチンへ戻る。そうして未来にもレモンティーを出してきた。


「これ、美味しいですよね」

「そうそう。美咲ちゃんと2人でハマっちゃって」


緊迫した夜になりそうだというのに呑気な会話に困惑する優花だが、おかげで少しはリラックスできていた。おそらく今頃は教団が全力をあげて自分を追っているのだろう。そのため、ここも知られれば危険な目に遭うのだ。


「教団は・・・恐ろしいんです」


あまりに危機感がなさすぎる2人に、優花はゆっくりと口を開いた。もともと金品をせしめることはしない教団であり、信者たちが勝手にお布施をすることで成り立っている。呪いを解くという特殊な能力を見せ付けることで信者は教祖を神と崇めて祈りを捧げているのだ。そこいらの話術だけのいんちき教団とは違う点がそこだった。呪いを解いた報酬も相手任せ。だが、その能力を知れば教祖を信じるしかない。何度もそういった奇跡を見せ付けることで人の心に絶対的な存在としての自分を植えつけるのだ。現にあまり教団に関心のない優花ですら、父親の体調を一瞬で改善させたその技や、その他にもいくつかの力を見てきている。教祖にはそういう力があるという認識は心に植えつけられているのだ。ただ、両親ほど熱心に信仰しているわけではないために、自分の呪いを解くために体内に教祖の精子を入れるなどといった儀式を否定することができるのだ。熱心な信者であれば喜んでそれを受け入れ、それを至福と感じるのだろう。


「だからこそ、教団は私を探すんだよ・・・誰1人、それを否定させないために」


怯えて震える優花をそっと抱きしめる未来は、ここでようやく司が言った戦うという言葉の意味を噛み締めた。優花が自分の意思で教祖と立ち向かい、この恐怖を克服しない限りは決して前に進めないのだから。


「おそらく警察沙汰などにはしない。この教団は健全だとアピールするためにね」

「両親を使って優花を教団へと運んで・・・しかし宗教って大抵そうだよね・・・エロジジイばっか」


吐き捨てるようにそう言う未来に同意した凛も力強く頷く。


「でも、どうやって呪いを振りまいているのかなぁ?」


腕組みをした未来がそう言うが、そこが謎だ。一体どうやって優花の父親に呪いをかけたのか。そして優花にもそれができたのか。全ては謎だ。しかしそれも明日になればわかる。こちらには最強の霊能者がついているのだから。



翌朝、優花は未来と司を伴って家を出た。あまり大人数で行っても仕方がないということで凛は参加せず、美咲は友達とプールへと出かけた。周囲を警戒するように歩く優花や未来と違い、司は今日も暑い日ざしにうんざりしながらだらけきった顔をしていた。


「夏は好きじゃないなぁ」


汗を拭き拭きそう言う司を侮蔑を込めた目で見た未来は深いため息をついた。


「たしか冬も寒くて嫌いだったよね?」

「まぁなぁ」


どうでもいいのか、気だるそうにそう言った司は背後から突き飛ばされるようにしてつんのめり、2人の前に出た。振り返ろうとした矢先、何かが司の頭を強打し、そのまま地面に倒れこむ。頭から血を流す司を見た未来が悲鳴を上げるが、その横では優花が白い服を着た3人の男たちによってワゴン車に連れ込まれていた。


「優花!」


助けを呼ぼうと周りを見るが、人影は無い。大声を出そうとした未来の口を塞いだ男たちはそのまま未来もワゴン車に押し込むとすぐさまそこを後にしてしまった。走り去ったワゴン車を霞む目で見つめる司はフラフラと立ち上がる。


「やってくれるじゃん・・・」


そう言うと頭から口元を流れる赤い筋をペロッと舌で舐めると、そのまま大きく深呼吸をしてみせた。一方、車に連れ込まれた優花と未来は男たちに羽交い絞めにされ、後ろ手に手錠で拘束されていた。


「あんたら・・・こんな真似してただで済むと思ってるの?」


未来は身をよじってそう言うが、男たちの手は緩まない。後部座席をフラットにしたそこには男6人、女2人がひしめきあっている状態だ。だが外からは見えないように濃いスモークが貼ってあった。


「お父さん!お母さん!なんで!」


運転席に座っているのは優花の父親であり、助手席に座っているのは優花の母親だ。もはや娘の拉致に協力しているその状態は異常としか思えない。だが、本人たちにとってはこれこそが幸福へ向けての行動でしかない。価値観のズレでは済まされない現実に打ちのめされつつ、優花は下唇を噛んだ。


「未来は関係ないじゃない!」

「その子も呪われてるのよ・・・解いてもらわないと」

「そうしないと私たちの呪いは解けないから」


これも教祖の入れ知恵か、教祖は未来すら弄ぶ気なのだ。もはやそこに神の威光などない。あるのはただ醜い男の欲望だけなのだ。やがて車は教団の施設である建物の裏手に周り、螺旋構造になって地下へと続く駐車場へと入っていった。そのまま優花と未来は別々の場所へと運ばれた。優花に付き添う両親の目はもう正常ではなかった。未来は男たちに押さえ込まれたまま広めの部屋に連れて行かれると、そこにいた2人の女によって手錠を外され、換わりに変わった形状をしたリングを腕にはめられた。その際、司からもらったシルバーのブレスレットはゴミ箱に入れられてしまう。それを見た未来は暴れたが、両手両足を知恵の輪のように繋いだリングによって拘束されていては効果はない。


「司・・・」


そう呟いたとき、扉が開く。怯えた目を今入ってきた背の高い屈強の男へと向けるが、男はひょいと暴れる未来を肩に担ぐとそのまま部屋を出て行った。


「どこへ連れて行く気?」


こうなってはもう腹をくくるしかない。未来は開き直って男にそう聞くが、男は無言のまま階段を上り、白一色で塗り固められたアーチ状の廊下をずんずんと進んで行くだけだ。そのあまりの白しかない光景に感覚が麻痺してくる。こういうのもまた洗脳になるのだろうと思う未来は何も見ないように目を閉じようと考えるが、それもまた恐怖を感じる。仕方なく前だけを見ていた未来は横に長くて大きな扉の前に立っている白地に金色のラインが入った服を着た中年男性を見て眉をひそめる。未来を担いだ男はその中年男性の前に立つと軽く頭を下げた。どうやら身分が高い男のようだが、未来はその男の見た目に閉口する。いやに長い黒髪は脂ぎっており、無精ひげに細長い目、そして鼻のやたら大きな印象を受けるその顔に露骨な嫌悪感をあらわにした。


「おお、この子が私の花嫁か?」


その言葉に未来は全身に鳥肌を立てつつ男を睨む。


「誰がよ?」

「我意亜様のおっしゃられた通りの女でございます」


未来の言葉など無視した男の言葉に中年の男はニヤニヤとした笑みを浮かべた。


「いいねぇ・・・実に私好みだよ。いい能力者を生みそうだ」


そう言って未来の髪を撫でる男から逃げようと体をよじるが、男はその髪を引っ張って未来の顔を自分の方に引き寄せた。痛みで歪むを顔を見た中年の男は恍惚の笑みを浮かべている。どう見ても異常なその顔はもう完全に洗脳されているのだろう。


「まずはお清めをせねばな」


そう言うと中年の男は扉のハンドルに手をかけた。ドアノブではない、金庫にあるような縦に長い金属の棒を横に回して扉を開いていく。


「仁科優花の解呪の儀式の後でお前の呪われし魂も浄化される」


中年男性はそう言うと扉を開ききり、3度お辞儀をしてから中へと入った。その男に続いて未来を担いだ男も3度お辞儀をし、それから中に入ると扉のすぐ脇にある少しくぼんだ場所に未来を下ろして手足のリングを壁と床から飛び出た金具にはめ込んだ。男は一礼するとこの部屋を後にし、中年男性は部屋の中央にある祭壇のようになった台に白いシーツを敷くと周囲のろうそくに火を灯す。そうして両手を広げてぐるっとその場で一周すれば、天井の高いこの場所の上方にあったいくつもの窓に分厚く黒いカーテンがされていった。そうして部屋の中の明かりは祭壇を取り囲むろうそくの明かりだけとなる。中年男性はそのままで頭を下げると、白地に赤いラインが入った服を着た女性に抱えられるようにしてやってきた優花を見て満足そうに微笑んだ。


「仁科優花は祭壇へ」


白い簡素な布を纏っただけの優花はフラフラとした足取りで祭壇に上がると、そこに座り込んだ。


「優花!」


未来が大声で優花を呼ぶが反応は無い。薬でも打たれたのか、それとも教祖の能力か、優花の自意識は失われているようだった。中年の男は優花に向かって一礼すると扉に向かって歩いてくる。そうしてその手前で立ち止まると未来を見て醜い笑みを浮かべて見せた。


「仁科優花は呪いによって魂が汚されている。お前はそこで我意亜様の奇跡を見るといい。そしてお前の中にある汚れも取り除かれ、お前は前世からの因縁で結ばれた私の花嫁となる」


男はさらに醜悪な笑みを浮かべると部屋を出て行った。扉が閉まるとさらに暗さが増す。未来は何度も優花の名を呼んで身をよじるが動けず、優花の反応もなかった。そんな未来がなんともいえない甘い香りに気づいた矢先、祭壇の向こうに1人の男が出現した。なんの音もさせず、忽然と現れたその小太りの男は白地に金色の服を着て、青い頭巾を被っていた。その男の手が上がると同時に、優花は自ら白い布を剥ぎ取ると全裸になり、祭壇の上に寝そべった。


「これより、解呪の儀式を行う」


頭巾を取った男はそう言うと向こう側にある階段を上って祭壇の上に立つと全裸のままでまばたきもなく空中を見つめている優花を見下ろした。


「仁科優花の汚れた魂を浄化し、肉体を蝕む呪いを解き、神の名の下に清浄なる人の形を成す」


教祖はそう言うと両手を広げた。


「その後、そこにいる汚れた魂を持つ蓬莱未来の呪いを解き、本来の清浄なる魂を蘇らせ、真に結びつく魂の在り処へと導かん」

「汚れているのはあんただ!このインチキ教祖・・・・・」


そこまで言った未来の言葉が不意に途切れる。教祖が未来に手をかざした瞬間、声は失われ、息もほとんどできない。かろうじて浅い呼吸だけが許されているのか、体も動かせなかった。これが教祖の能力かと思うがどうしようもない。教祖は未来にかざした手を下ろすとゆっくりした動きで服を脱ぎ、体中に何かの呪文を書いたような肉体を見せ付けつつ全裸となった。やけに黒い体、そしてろうそくの薄明かりの中でもはっきりとわかるそのいきり立った股間のものに吐き気もするが、未来は呼吸をするだけで精一杯の状態だ。


「さぁ、魂の浄化だ」


そう言うと片膝をついて優花の左胸に手を置こうとする。その瞬間、勢いよく扉が開いたかと思うとさっきの大男と中年の男がなだれ込んできた。未来も驚いてそっちを見れば、2人とも気絶しているようだ。やがてゆっくりと扉が閉まる中、部屋に入ってきたのはTシャツにジーパン姿をした司だった。


「いい演出ありがとうね」


そう言うとにんまりと笑う。ろうそくの明かりに照らされた全裸の教祖を見た司はその笑みを消し、周囲を見渡すようにしてみせた。


「未来は後だ、そこで待ってろ」


未来を見ずに教祖だけを見つめた司はそう言うとゆっくりと祭壇へと近づく。未来は安堵の表情を見せつつも顔に血のあとを残す司を見て不安も持っていた。


「神聖なる儀式を邪魔した報いは受けてもらうぞ」


教祖は怒りに満ちた顔を司に向けると右手をかざした。


「オンバジュラミサ、オンバジュラミサ」

「なにその適当な呪文」


へらへらと笑う司はジーパンのポケットに手を突っ込んだまま立ち止まった。未来は教祖の呪文を聞いた途端に襲ってきた強烈な頭痛に苦悶の表情を浮かべつつも司を見るが、司は平然としたまま口元に笑みを浮かべていた。


「なるほど、呪術だけじゃなく、言葉に自分の霊圧を込めて知覚的に相手に押し込むこともできるんだな」


まったく効果のない司に驚きつつ、教祖はなおも右手に力を込める。司は笑みを浮かべたまま祭壇まで来るとパンと両手を1つ打ち鳴らした。その瞬間、未来の頭痛は消える。まだ言葉も出せず動けもしないが、それでも随分と楽になった。


「自分から戦う前にこうなっちゃったな」


祭壇の上の優花を見つつそう言う司。優花の目もさっきの音で正気に戻っていた。だがこちらも未来と同じで浅い呼吸しかできないでいる。呪力で優花の自意識を押さえ込んでいたものが解除されたのだ。それでも送り込んだ霊圧が身体の自由を奪っている。


「貴様!」

「お前には後で本当の呪いを見せてやるよ」


司はそう言うと数珠をしたままの左手を躊躇なく優花の胸に置いた。未来には及ばないが張りのあるその胸が司に押されて形を変える。羞恥に顔を赤くしながらも、優花はその手から温かいものを感じていた。


たち


静かにそう言った言葉に教祖は驚きの顔をし、優花は途端に体が自由になるのを感じた。


「か・・・神手君・・・・」

「行くぞ」


そう言うと裸のままの優花を立たせると祭壇から下ろす。教祖は体を震わせるだけで何もせず、ただ祭壇の上に佇んでいた。そんな教祖を振り返った司は小さく笑う。


「待ってろ」


そう言い残した司は優花を連れて未来の前に来る。息も絶え絶えの未来に安堵の表情が浮かぶのを見た優花も小さく微笑んだ。そんな未来のTシャツを無造作にめくり上げるとそのまま下着も引き上げる。勢いよく揺れる大きな胸に左手を押し付けた司はさっきと同じ言葉を口にして未来を自由にした。


「ちょっと、いくらなんでも乱暴すぎっ!」


そう言いながらずれた下着を直せない未来を見てめんどくさそうな顔をした司は2人にそこにいろと告げると数珠を外した。そして未来に銀色の数珠を左手に持たせ、優花の右手に金色の数珠をつけさせた。


「さて、お待たせ」


司はそう言うと軽い足取りで祭壇の近くまで来るとそこで立ち止まった。


「まさか封神十七式を使いこなせる者が神地王かんじおう家以外にいたとは驚きだ」


その言葉を聞いた未来は驚くが、よく知らない優花はともかく、言われた司は涼しい顔をしている。


「だが、だからといって・・・・私の術は破れないがね」

「2度破られても余裕のその顔・・・バカか自信家か、どっち?」


へらへら笑いながらそう言う司を見た教祖の顔つきが変わった。それを見た司もまた鋭い目つきになった。


「仁科!こいつは神の使いか?」


司は振り返らずにそう大声を出した。優花は怯えた目で教祖を見るが、教祖の顔は醜い笑みを浮かべている。寒気がして全身が震える。だが、司の背中を見ればその震えも多少ましになった。


「違う!」

「抱かれたいか?」

「嫌だ!」

「なら、こいつは誰だ?」

「ただの・・・・ただの変態だよ!」


その魂の叫びを聞いた司は優しい笑みを浮かべた。教祖は優花を睨むと右手をかざした。


「愚かな娘だ・・・私の力を知ってその言い草か!」

「だってその通りじゃん」


司が右手を軽く横に振れば、教祖の右手は弾かれるようにして舞い上がり、教祖は祭壇の上でよろめいた。


「あんたの呪術は相手の霊体に自分の霊圧を送り込み、そこを道にして呪術の言葉を送り込むものだ」


司の説明に狼狽する教祖だが、それでもまだ右手をかざす。それを見た司はため息をつくと肩をすくめてみせた。教祖はどんなに右手に力を込めようとも何の力も発揮しないことに舌打ちし、司を睨む。


「なるほど・・・十七式の術式・・・乱しの術か」

「そうだよ」

「なら、直接貴様に本当の呪いの言葉を教えてやる」

「無駄だよ・・・」


そう言う司を笑った教祖はぶつぶつと何かを口にしながら右手に力を込めた。そのまま祭壇から飛び降りると司の胸にその右手を押し付けた。司はされるがままでその場に立っているだけだ。


「無駄」


にんまり笑う司を見た教祖は祭壇の前まで戻ると怒りに顔を歪ませる。


「俺には効果はないよ」

「何故だ・・・・何故それだけの力を持ちながら!貴様だってその力を利用して自らの欲望を叶えたいと思わんのか?好きなだけ女を抱ける快楽を得たいとは思わないのか?」


その言葉を聞いた司は意味がわからないといった顔をし、未来は噴き出すのを堪えるのに必死だ。そんな未来を見る優花は苦々しい顔をしていた。


「神手君・・・望にもああしようとしたんでしょ?」

「え?」

「ああやって手を胸に添えて・・・それを勘違いされたんだ・・・」


司の心が壊れている、その本当の意味を理解できた。なんの躊躇もなく自分の胸に手を押し付けたこと。無造作に未来の胸をはだけたこと。なにより、裸の自分に一切の興味を示さなかった。そして左手を胸に押し付けられた後で身体が自由になったことからして、司の能力が本物だと理解したのだ。


「本当はね、最後の儀式としてそれをするんだ・・・でも、その前に私が部屋の中に望のお母さんを入れちゃったから・・・私が止めていれば、司は・・・」

「未来のせいじゃないよ・・・悪いのは神手君を信じなかったみんな、私もそう」

「でも・・・」

「私、彼が教祖になるなら喜んで信者になるよ。それぐらい、今は神手君を信じてる。勝手な話だし、神手君にしたら腹立つことだろうけどね」


優花はそう言うと小さく微笑んだ。また1人理解者ができたことは嬉しいが、だからといって未来の中の後悔は一生消えることが無い。ただ、その後悔を薄める事はできると優花は思っていた。司は自分の中の呪い、弱さを消し去ってくれた。今度は自分が未来の中の後悔を分かち合い、薄め、消す番なのだ。


「教祖と戦うってことは、自分と戦うってことだったんだね」


果たして司がそこまで考えてそう言ったのかはわからないし、未来としてはそれは考えすぎだとも思う。だが、結果としては完璧だ。あとは司が完膚なきまでにこの教祖を追いつめることが出来れば全てが上手くいく。


「お前もそうなんだろう?その能力、さっきそうしたように無条件で女の胸を触れるということに快感を得ているのだろう?」


必死に自分の正当性を主張しつつ司に同意を求めようとする教祖だったが、相手が悪すぎた。


「あれは祓うためにしてるんであって、別に何も」

「女の胸を自由に出来るのだぞ?」

「女ってか、人間の胸じゃん」

「役得だとは思わんのか?」

「全然・・・むしろめんどくさい」


どんなに力説しても平然と受け流されては意味が無い。教祖は司の言うことが理解できず、司は教祖の言うことが理解できない。噛み合わない会話にイライラしたのか、教祖が司を指差しながら怒鳴り声を上げた。


「貴様だって女に欲情し、快楽を得たいと思っているのだろう?そもそもこんな力、そういう見返りが無ければ使う意味もない!」


とうとう本音が出た教祖の言葉を聞いた司は困った顔をしつつ腕を組む。そんな司を見た教祖はようやくここで司が普通ではないと気づいたようだ。


「快楽って、女と裸で抱き合うのが?俺なら美味い肉をたらふく食う方がよっぽど快楽だけどなぁ」


その言葉を聞いた教祖は無表情で黙り込み、未来は大笑いしそうなのを必死で堪える。優花に至っては教祖のメッキが剥がれたことにニヤついていた。


「男としての快楽を放棄した愚か者めが!呪いの言葉、恨みの言葉を聞くがいい」


そう言った教祖は両手を広げると大きな声で何やら呪文らしい言葉を唱えていく。司はニヤッと笑うとそんな教祖に近づいた。


「呪いの言葉?恨みの言葉?本当のそれがどういうものか知っているのか?なら、本当の恨みの言葉を聞かせてやるよ」


そう言った司が右手を横に振ると教祖は呪文を止めた。優花も未来も、明らかに変わった部屋の空気に身を寄せ合う。


「聞け!」


司がそう叫んだ瞬間、部屋の中の光景が一変した。全てがモノクロに変化している。いや、それだけではない。そこにいないはずの者がはっきりと見えていた。それは人ではない。いや、かつて人であったものなのだろうか。苦悶の表情を浮かべて徘徊する男、恨めしそうな顔をして自分を見つめる女、駆け回る子供たち。犬や猫が走り回ってもいるではないか。そして頭の中に直接響くようなうめき声も聞こえていた。誰かを恨んだ言葉をずっと言い続ける老婆、いかに苦しい思いをして死んだかを語る女、母親の名を呼んで泣き叫ぶ子供。恨み辛み、そして苦しみ。それらが耳を塞ごうとも次から次に頭の中に響いてきていた。


「これが恨みの言葉だよ」


司は平然とそう言って聞かせた。いつもこんなものが見えているというのか。いつもこんなものが聞こえているというのか。これが普段霊能者の見ているものなのだろうか。


「こ、これが・・・こんな・・・・」


教祖は言葉もなく浮遊する黒い物体や、自分を睨むようにしている女を見て目線を逸らした。呪詛の声はずっと頭に響いている。


「ここはまだましだよ」


そう言った司は笑っていた。未来も優花も、そんな司が怖く、そして凄いと思う。


「こ、これでまし?こんなもの・・・消してくれ!」

「あんたの言う呪いね・・・生易しいよ。本当なら呪いそのものをあんたに返してやるところだけどさ、今回は特別だ。消してやろう」


にやりと笑った司は教祖の前に立つと左手を右手首に添えてそれを教祖の胸の上に置いた。


たち


静かにそう言った瞬間、周囲の景色が元に戻った。あるのは祭壇を照らしているろうそくの明かり。霊の姿もなくなり、声も消えた。


「殴られた借りは返したいけど、ま、いいわ」


司はそう言うと微笑み、未来たちの元へと近づいた。そして未来を繋いでいるリングを見て、それから倒れている大男の服をまさぐれば奇妙な形をした鍵が出てきたためにそれをリングにはめれば、リングは呆気なく外れてしまった。手首をさする未来を見た司は全裸の優花をまじまじと見つめると腕を組む。


「その格好で外は歩けないだろ?」


司の言葉にようやくそれに気づいた優花が慌てて手で胸を隠すが、司はそれすら興味を示さず何かを考えるようにした。


「どこで脱いだか覚えてる?」


優花は首を横に振る。駐車場を降りてすぐに意識が朦朧としたのだ。ただ頭に響くのは教祖の元へ行かなければいけないという感覚だけだった。


「あっちから来たよ」


未来は祭壇の向こう側を指差す。司は2人を伴ってそっちに向かうと、呆然としている教祖とすれ違った。そんな教祖は優花を見て我に返るとその手を掴む。怯える優花を見た未来が教祖の手を引き剥がそうとしたとき、教祖の左手が未来の肩を掴んだ。


「オンキリキリバサラオン」


教祖の言葉がそう発せられるが、何も起こらない。未来はただ肩に置かれているだけの左手をどけると、教祖は目を見開いたままその手を見つめた。


「馬鹿な・・・・力が・・・・」

「もうないよ。あんたの力はね」


司はそう言うと教祖を見やった。


「あんたの力は全て断った。もう呪力も霊圧も霊力もない。本当にただのおっさんになったんだ」

「そんな・・・そんなことが・・・・」

「今頃みんな喜んでるぜ?そりゃ一気に同じ時間、同じタイミングで全ての呪いは解けたんだ、まさに神の奇跡!教祖様万歳ってな」


司は笑いながらそう言うと歩き出す。教祖はだらりと両手を垂れると力なく膝をついた。


「この教団、長く続くといいな」


そう言い、司と未来、優花は向こう側の扉に消えた。残された教祖は両手を床についてただ言葉もなくうなだれるしかなかった。

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