後編
霊圧を全て使ったことと、魔封剣を使ったことにより司は肉体的に疲弊して動けずにいた。魔封剣を使用したことで霊圧が元に戻るまで3日は掛かるようで、凛はただただ暗い顔をするのだった。謎の老人が言ったように司は死ななかった。だが、あの老人は近いうちに死ぬと言っていた。不安はますます大きくなるが、今はそれを出さないでおこうと思った。とりあえず全員が零次の車で司の家まで戻ったが、結局裕子も万理子ももう一泊することにする。司が動けないこともあり、何より今日のことで美咲に聞きたいことが出来たからだ。信司もそれに同意し、2人は今日もお泊りになった。トイレに行くのもままならない司だったが、介助は拒否している。裕子にしてみれば凛に下の世話もさせたいが、本人が拒否をしているのでそれもできない。だが風呂は一緒に入れようとほくそ笑み、そのまま女性4人で夕食の支度に入った。あえてここでは美咲に前世のことは聞かないでおく。お楽しみは夜にとっておくのだ。司は自分の部屋のベッドに寝転がっていた。天井を見つつぼんやりとした目をする。頭の中を回るのはあの思念体が言った言葉の数々だ。アマツ、ミコト、そしてまた会おうというもの。あの封印されたものとの因果関係を整理すれば、あの箱を作り、封印したのは前世の自分と凛ということになるのだろう。そんな自分たちは恋人同士でありながら結ばれず死んだ。そして封印したのものはかつて友であったもの。
「ばかばかしい」
前世の記憶の欠片もない。そんなよくわからないものに縛られたくはない。自分は自分なのだ。ただ、自分と凛が恋人同士であったというのが引っかかる。ただ、そういう感情が理解できないこともあって、すぐにそれはどうでもよくなった。それよりも気になるのは、零次の体から切り離した際に邪念体が言った言葉。何かに気づいたかのような言葉に、最後に残した言葉だ。
「また会おう・・・・か」
正直言って会いたくはない。半分の魂であれだったのだ。1つになっていればいかに魔封剣があったとはいえ、勝てたかどうかはわからない。だが、その半分も消滅させたのだ、とりあえずは安心できるはずだった。それでもまだ不安は消えなないのは何故か。得体の知れない不安を押し殺し、司はそっと目を閉じるのだった。
夕食はトンカツになり、ふらふらながら降りてきた司もそのメニューには喜んだ。本来は自分の当番なのだが、この状態ではそれも出来ない。夕食を手伝ってくれた裕子たちに感謝をするが、もう一泊するというのが引っかかる。ここは大人しくしておいた方が得策だとし、食事中の会話にもろくに混ざらなかった。信司は凛たちから今日の報告を聞きつつもみんなが無事だったことにホッとした。ただ、司と凛の様子がどこかおかしいことは気になる。それでもそれは当人たちの問題だと首を突っ込むことはしなかった。そうして食事が終わり、片付けも済んで入浴時間となる。先に信司が軽くシャワーだけをし、昨日と同じようにして順番に入ることになったのだが、司はフラフラのままだ。どうしようかと悩んだ万理子が兄妹なんだからと美咲が司と一緒に入るよう進言したが美咲は全力でそれを拒否した。確かに思春期真っ盛りの美咲にそれはかわいそうな気もする。そこで裕子は当初の計画通りことを運ぶことにした。
「もうさ、凛でいいんじゃない?」
「な、なんで?」
「1日ぐらい入らないでも死なないよ?」
心底どうでもいいのか、美咲はテレビを見ながら素っ気無くそう言う。だが裕子の目は怪しく輝くばかりだ。
「神手もそうとう疲れてたし、汗もかいてたしさ、さっぱりしたいって、絶対!」
「そうかもしれないけど・・・」
「だからさ、水着着て入ればいいんだよ。あいつは裸見られても平気じゃん。体も背中を流すぐらいだし」
「おー、それいいかも」
さっきまでとは違って美咲も乗ってくる。万理子は裕子の見事な作戦に頷き、凛は羞恥と動揺からあたふたしていた。
「でもそれだとお兄ちゃんのアレは見ちゃうんだ」
「ま、そこは将来のためにってことで」
「ど、ど、どういう意味よ?」
「言わせるなよ、この!」
そう言って肘で突っついてくる裕子に赤面するしかない。もはやまぶしすぎるオーラを見るのも嫌になった美咲は霊力をカットした。
「とにかく、水着で背中と髪ぐらい洗ってあげなって」
「つ、司君がOKすればね」
裕子は計算どおりの言葉を口にした凛にニヤリと微笑み、立ち上がる。向かう先は司の部屋だ。そのままずんずんと進み、ノックをしてドアを開けるが、そこに司はいない。
「しまった!」
あわてて階段を駆け下りて風呂場のドアを開けると、ちょうど浴室から出てきた司に出くわした。思わず視線が下に行き、顔を真っ赤にした裕子はそのまま固まってしまった。
「俺シャワーだけだったから。次どうぞ」
にっこり笑ってそう言うと裕子がいるのもお構いなしに体を拭き始める。裕子はそのまま後ずさり、そっとドアを閉めた。そんな裕子を見つめる凛の冷たい視線を浴び、赤面したままそそくさとキッチンに消えた。
「自爆なの?」
「そうみたいだね」
「呪いよ、呪い。自業自得」
凛はそう言うと鼻で笑った。
「でも凛より先に見ちゃったね」
その万理子の言葉に思わず黙り込む。何故か負けた気になった凛はそのまま何も言わずにリビングに戻り、残された2人は顔を見合わせて小さく笑うのだった。
「前世の記憶ねぇ」
美咲の前に3人が並んでいた。今日の出来事を話して聞かせ、前世のことに関して美咲に質問を投げたのだ。
「しょうがない、ここだけの話をしよう」
美咲はそう言うと腕組みをし、何故か3人を正座させた。3人は言われるままに正座をする。
「いい?前世の記憶は誰も持ってない。でもまれにそれを夢に見たりするわけ。でもね、普通はそれが前世だとは気づかない。テレビなんかでそういうことを言う人はいるけど、まぁ、嘘臭いね」
その言葉に3人は頷く。司や美咲の能力を知ってから特にそう思っているからだ。
「でも、因縁とか因果ってのはあるんだよ」
「と言いますと?」
「お兄ちゃんとお姉ちゃんは前世で因縁がある。それは恋人同士とか、敵同士とかってことね」
「はぁ」
そう言われてもピンとこない凛だが、裕子にしてみれば意識を取り戻した凛は司をアマツ様と呼んだのだ。司は箱の中身にアマツと呼ばれたと言っていた。凛の言葉があの箱の中身の影響かと考えれば、司と凛、そして箱の中身は前世で繋がりがあったとしか思えない。それが自然なのだ。
「正直、ここにいてもあの箱の中身の波動は届いてた。お兄ちゃんに警告した後は霊力の電波妨害みたいなのが出ててこっちからの声は届かなかったけどね」
だが思念は伝わっていた。そう、美咲はここにいながらあの邪念が送る思念を感じ取っていたのだ。
「お兄ちゃんとお姉ちゃん、んであの箱の中身は大昔の仲良しさんで、3人でお祓いをしてた。ところが箱の中身がお姉ちゃんに恋をして略奪して、追いかけてきたお兄ちゃんと戦った」
「それ本当?」
万理子の疑問ももっともだ。何せ話があまりにも出来すぎだからだ。だが裕子はそんな万理子を睨み、美咲に続きを促した。
「お兄ちゃんとお姉ちゃんは協力して箱の中身をやっつけて、その邪念を封印した。でも封印に力を使ったお兄ちゃんは死んで、その箱を遠くに捨てにいったお姉ちゃんも過労で死んだ」
「過労って・・・」
「お姉ちゃんは願った。来世ではラブラブになりたいってね。そして生まれ変わってようやく出会った。だけど悲しいことにおにいちゃんに愛という感情はない・・・またも悲恋になってしまうのか、熱い体が惹かれあうのはいつの日か・・で次回作へ続く」
「・・・・それ、今のは、最後のは作ったよね?」
「バレた?」
ピロッと舌を出した美咲に凛は疲れた顔をしてみせる。
「とにかく、三角関係だったのは間違いないよ。あの箱、相当お兄ちゃんを恨んでた」
「それがアマツ?」
「前世の名前?さぁ、そこまではわかんない」
思念だけが届いたのでイメージしか伝わっていない。名前までは分からないのだ。
「三角関係ねぇ・・・それって・・・・」
裕子は腕組みをして俯く。司と凛と来武、その関係にどことなく似ている気がする。決定的に違うのは司に愛はなく、来武ははっきりと凛に振られたということだ。前世の関係が今でも同じになるとは思えないが、近いものだとも思える。
「とりあえず、ま、いっか」
勝手に納得した裕子を見る凛だが、その言葉の意味はわからない。裕子は何かを考えていたがすぐにそれを止めてジュースを飲んだ。
「箱はもう1つある・・・か」
裕子はそう呟いた凛を見る。
「でもどこにあるかわかんないし、まず開かないでしょ」
「でもなんで開いたの?」
「それは未生が・・・」
魂が同調していると言っていた司の言葉を今更ながらに思い出す。ならば、箱に魂を封印されながら転生したというのだろうか。ということは、あの箱の中身は来武の前世になるのか。
「例えばさ、箱の中身だった魂を封印されてもさ、そいつは転生するの?」
裕子の言葉に美咲はうーんと唸り、それから一つの仮説を口にした。
「邪念以外の部分、元の部分だけは残ってて生まれ変わったってことはあるかな?」
「そう」
「よくわかんないけどね」
「じゃぁ、もしその邪念が自分の生まれ変わりに入ったとしたら?」
裕子の意図が読めずに顔を見合わせる凛と万理子。彼女たちもまた忘れているのだ。司の言葉を。
「うーん・・・邪念が勝ったら、今の体を手に入れて完全復活だと思う。でもぉ、そうなったらその人は前世の自分になっちゃうのかな?」
難しくてよく分からないと付け加え、美咲はそう言った。それが本当だとすれば、あの時邪念が来武に憑いていた場合はどうなっていたのだろう。そう考えれば恐ろしい。もう1つの箱が来武に接触できる可能性は限りなく少ないが、ゼロではない。今はただそうならないことを願って止まない裕子だった。
目の前に広がる海に駆け出す美咲だったが、砂に足を取られて豪快に転んだ。そんな美咲を見た司が大きなシャチの浮きに空気を入れつつ大笑いをしていた。信司も大きなボードに空気を入れつつ眩しい海を見た。今日は信司の提案で前から予定していたキャンプに来ているのだ。ここは以前、凛たち3年生が利用した海に近いキャンプ場だ。少し長くて急な坂を上った場所にキャンプ場があり、この砂浜の海も利用できる絶好の施設になっていた。前回はバンガローだったが今回はテントであり、凛にとっては2度も楽しめる最高の夏になっていた。
「手伝おうか?」
「もうできる」
シャチを膨らませる司はそう言うとラストスパートをかける。そうして膨らんだシャチを凛に渡せば、凛はそれを手に大きな胸を弾ませながら美咲の元に走っていった。わいわいと騒ぐ2人を見た信司の顔も自然と緩む。
「目の保養になるな」
「何が?」
「凛ちゃんのあの胸は最高だよ」
「そんなもんなんだ?」
女性の体を見ても何も感じない司を勿体ないと思う反面、その胸に触れたことがある司が羨ましくも思う。
「Gカップとかなんとか言ってたなぁ」
この間泊まりに来た際に裕子がそう言っていたが、司にとってはよく分からない。だが、信司はそれを聞いてにんまりと笑った。あきらかに変態の顔だ。
「Gか・・・未来ちゃんが確かEだったか・・・うん、どっちも最高だ」
「美咲は?」
「娘の胸に興味があったら最低の親だ」
「親父が最低じゃなかったら誰が最低なんだか」
ため息混じりにそう言うと、シャチに乗ろうとして海に落ちる美咲の方へと駆けていった。わいわい騒ぐ3人は兄妹のように見える。時折太陽の光に反射した凛のブレスレットがまぶしく光っていた。
「Gか・・・」
何をしても大きく揺れるその胸を見つつひとりそう呟く信司もまた海へと向かって歩き出した。
「ちょっと、胸を掴まないの!」
「だって掴まりやすいし、ご利益ほしい!」
「・・・・なんなのそれ」
「私つるぺったんだし」
「大きいと不便だよ?」
「それでも大きくなりたーい!」
そう言うと美咲は凛に抱きついた。きゃっきゃと波しぶきを上げて騒ぐ2人を横目にシャチに跨った司は波に揺られて気持ちよさそうにしていた。だが2人にシャチをひっくり返されて海に落ち、文句を言う。やがて信司もやって来てひとしきり騒いだあと、一旦浜辺に戻った。家から持ってきたジュースを飲み、日陰でくつろぐ。信司はカメラを手に写真を撮った。家族の写真だ。そう、信司にすれば凛も家族なのだ。そして休憩の後で少し泳ぎ、弁当を食べる。そうして3時過ぎまで遊んだ4人は近くの温泉に入り、5時ごろから夕食の準備を始めた。あらかじめ仕込んでおいたこともあってすぐに焼ける状態にある。司が火を起こして準備をし、バーベキューが始まった。乾杯してビールを飲みつつ写真を撮る信司。凛が加わっただけでこうも華やかになるのかと思うが、それは美咲のはしゃぎっぷりもあってのことだと思う。現に凛が来てから美咲は以前にも増して明るくなった。特殊な能力を持って生まれた美咲をそのまま受け止める凛の存在は大きいのだ。
「ほら」
司はそう言うと凛の器に肉を入れた。お礼を言う凛のはにかんだ顔もシャッターに収めた。
「家族で撮ろうよ!」
美咲の提案に信司も頷き、司はめんどくさそうにしつつ肉を食べていた。今はそんなことよりも肉を食べたい、ただそれだけだ。
「じゃぁ私が撮りますね」
「それじゃ家族写真になんねーじゃん」
誰でもない司の言葉に凛だけでなく信司も美咲も驚いた。そう言われて困った顔をする凛を見た司は再度肉を口に入れてカメラを手に取った。
「お前ももう家族だろ?」
その言葉に思わず泣きそうになる。だがそれを堪えて微笑む凛の腕にしがみついた美咲も笑っている。
「ま、形式だけでも結婚してもらうかな」
信司はそう言うとにんまりと笑う。そんな信司を見る凛は言っている意味が分からないといった表情を浮かべていた。
「一方通行でもそこに愛があれば、可能でしょ?」
そう言った信司の言葉に赤面するが、そんな顔を司に向ければどこにカメラを置くかを考えている。そんな司を見つつ、信司は優しい笑顔を見せた。
「婚姻届、もらってこないとな」
「明日!明日行こうよ!」
「・・・さすがに、それは・・・早いっていうか、無理っていうか・・・」
凛は苦笑するが、悪い気はしない。そうしているとクーラーボックスを重ねた上にカメラを置いた司がアングルを確認して並ぶように指示した。
セルフタイマーをセットし、4人が2列に並んだ。そうして撮れた写真を確認する。そこには仲睦まじい家族の姿があった。
「よーし、次は夫婦の写真だよ」
そう言った美咲が司と凛を立たせた。
「夫婦ってどういうこと?」
「さぁ?」
わけがわからないという顔をする司に対し、凛は満面の笑みでそう答える。並んだ2人を確認し、美咲が声を上げた。
「はい、ポーズ!」
その瞬間、そっと腕を組んだ凛。画像を確認すれば、お似合いのカップルがそこにいた。
「よし、今度は俺と、よろしく凛ちゃん」
「腕は組まなくていいからね」
信司の魂胆はお見通しな美咲のその言葉にしゅんとなる。凛は苦笑するが、信司の次の言葉を聞いてそれを消した。
「せっかくのGカップが・・・」
その言葉に凛の片眉が上がり、信司は慌ててそっぽを向いた。そんな信司を睨んだ凛はそのままの顔を司へと向ける。
「つーかーさー君!」
「なに?」
「胸のサイズ・・・しゃべったでしょ?」
「サイズ?」
「そう!」
「あー、Gっての?」
「そう!」
言葉と同時に司が食べようとした肉を奪い、凛はそれを素早く口に入れた。大体、そんなことを平然としゃべるのは司以外にありえないからだ。凛は司を睨み、司は不満そうな顔をしてみせる。
「あー、何すんだ!」
「そういうことは言っちゃダメだよ、お兄ちゃん・・・」
「そうなの?」
「そ」
美咲の言葉に頷きつつも不満そうな司を見て信司が笑う。こういうところもいつかは治るのかなと思うが、それも凛次第だろう。だが、こんな息子でも愛してくれる女性がいる。信司はそれがどんなに幸福なことかを噛み締めつつ、結局ツーショット写真で腕を組んでくれなかった凛に苦笑するのだった。
以前来たとき同様、浜辺に面したコンクリートの上に腰掛ける。以前とは違って月に薄い雲が掛かっているせいかどことなく薄暗かった。海に反射している光も弱弱しいが、それでもキラキラと水面を揺らしている。凛はぼんやりとその月を見上げつつ、隣に座ってぼーっとしている司の横顔へと視線を向けた。夜の散歩に司を誘ったところ、意外とあっさりそれをOKしていたのだ。そのままろくな会話もなく浜辺へ来ていた。前回はここで裕子に元気付けられた。そのおかげで自分はまっすぐに前を向いて生きていられる、そう思っていた。
「月の光は癒しの効果があるっていうの、本当かな?」
凛は薄い雲が流れたせいか、本来の明るさに近くなった月を見ていた。司も同じようにその月を見上げて小さく微笑む。
「本当だと思うよ。月の光は満ちても欠けても、人や、この星に住む全てに影響を与えるからね。だから生命力にも影響を与える、そう思うよ」
「夜を照らすお月様に、うさぎはいる?」
微笑みつつそう口にする凛はずっと月を見たままだった。司は話の流れがおかしいと思いながらも微笑み、それに答えた。
「いるんじゃねーの。宇宙服着たうさぎが」
その言葉に凛は噴出し、それから司を見た。ポニーテールにした髪が揺れている。
「なるほど・・・でも、司君は私のお月様かなぁ」
「どういう意味?」
「癒されてるんだよね、司君には」
本当にそう思う。芸能界という擦れた世界にいたこともあって、当時は自分を保つのに必死だった。そんな自分が司に出会い、憑いていたものを祓われた結果、癒された気持ちになっている。亡くした家族を再び得ることができた。それもまた癒しなのだ。愛を失っても優しさを失わないその心に癒されている。そう思っていた。
「月の癒しをくれて、太陽のような明るさをくれるんだよね」
「ややこしいからどっちかしてほしいね」
月を見上げるその横顔を見ながら苦笑した凛はそっと司の手を握った。司は一瞬凛を見たが、すぐに月へと視線を戻す。握られた手を握り返す真似もしないが、それでも凛はその手から人肌だけではない温かさを感じていた。
「いつかさ、お嫁さんにしてよ」
何を思ってそう言ったかはわからない。だが、その意味は理解できるが気持ちは理解できない司。
「そういうのってさ、お互いが好き同志でするんだろ?俺にはそんな気持ちないぞ」
「それでもいい・・・」
「まぁ、凛がいいなら別にいいよ」
愛情など微塵も無い男との口約束。自分はこんなにも好きなのに、司にはそれがない。それでも良かった。そばにいられるだけでいい。ただ一緒にいたいだけだ。それだけで幸せな気持ちになれるのだから。
「一つだけ・・・わがまま言ってもいいかな?」
「これから先、一切それを言わないならね」
わざと意地悪くそう言った司が微笑んだ。凛もまた小さく微笑み、握った手に力を込める。
「あまり危険なこと、しないで欲しい」
凛の目はまっすぐに司に向けられていた。司はそんな凛から目を逸らさずに困った顔をしてみせた。
「危険って?」
「除霊とか・・・危険な除霊っていうか・・・この間の箱の時とか」
凛にとってあの箱に関係したことが司の身にさらなる危険を呼び込んだ気がしていた。何故かはわからないが、あれですべてが終わった気がしていない。あの箱のことを思うと不安だけがこみ上げてくる。あれは司が関わってはいけないことだったと、そう思えていた。
「あれは、まぁ、危険っちゃ危険だったけど・・・」
「やばそうなことには最初から首を突っ込まないでほしい」
「わがままだなぁ」
司はそう言うと優しく笑った。そうして凛の手をそっと離すようにすると立ち上がり、一歩進んだ。
「大丈夫・・・怖いものはいない」
それは浄霊を終え、憑かれていた人が魂と肉体に刻まれた恐怖にかられた際に司が口にする癒しの言葉だ。凛は何故今その言葉を口にしたのかがわからずに目の前にある好きな人の背中を見つめた。
「昔、さ・・・小さい頃に霊が見えて怖くてさ、声も聞こえるし不安で・・・泣いてばっかだった」
司はそう言うと屈託の無い笑顔で振り返った。
「そんな時、母さんがこう言ってくれると不思議と怖くなくなったんだ・・・大丈夫、もう怖いものはいないよ・・・もう、いない・・・そう言ってさ。美咲にもそう言うんだけど、本当に怖くなくなるんだよ」
母親には霊力も霊圧もなかった。だが、その言葉には大きな力が込められていた。言葉の力、言霊。今思うと母親はそれを扱える人間だったのかもしれない。
「俺には母さんに付きまとう黒い影が見えてた」
司は星の瞬く空を見上げる。その目に宿るのは悲しみ、後悔、そういった負の感情だ。
「あの時は除霊の力もなくて、ただその影が怖かった。それを母さんに告げることもできなくてさ・・・結局母さんは病気で呆気なく死んだ・・・あの黒い影はきっと死神だったのかもしれない」
今の自分ならそれを滅ぼし、母親を救えたと思う後悔。力を持ちながらその力の使い方を知らず、ただ怯えていただけの自分。
「母さんが死んでしばらくしてさ、父さんが俺を電車で2駅向こうにある小さな神社に連れてった」
「神社?」
自分の家が神社なのに、何故そんな場所に連れて行ったのかと思う。それは小学生の司も、今話を聞いている凛も疑問に思ったことだった。
「そこの宮司は親父の親友で、物凄い力を持った霊能者だったんだ。その人が俺に自分の力の使い方や、祓い方、その術式である封神十七式を教えてくれたんだ」
それは師匠と呼んだ人だった。あらゆる力の使い方や知識の全てを4年掛かって自分に全てを叩き込んでくれた人。師であり、恩人であり、初めて出会う同類な力を持った人。いつも楽観的で、それでいて感情的で厳しくて優しい人だった。
「美咲の力の制御もその人が教えた。だから、俺たち兄妹の師匠だな」
司はそう言うとにんまり笑う。凛も小さく微笑み返すとゆっくりと立ち上がった。司は凛に背を向けて海を見る。凛はそんな司の隣に立った。
「困っているなら、自分の力を必要としている人なら、全力で助けてやれ・・・それが師匠の教えだ」
自分に力があってもその使い方を知らず、母親を見殺しにした。
「だから、後悔したくないんだ」
司は微笑んだ顔を凛に向けた。守れたはずの人を、大好きだった母親を見殺しにした自分が許せない。好きだったという感情を失ってもなお、それだけははっきりと言える。大切だと思う気持ちとそれは似ていたような気がするからだ。だからこそ、自分の手で救える人は救いたい。心を壊し、愛を失ってもその決意に微塵の揺らぎはなかった。だからこそ、自ら進んで危険な目に遭いに行く肝試しを嫌うのだ。そんな奴を救うならば、別の人を救いたい。
「危険かどうかはどうでもいいんだよ、ただ、困っているなら力になる。興味があるなら首を突っ込む。それは自分の中の力がそうして欲しいと願っている証拠だって師匠は言ってた」
「そう・・・」
司がそう思う以上、危険は常に付きまとう。凛にとって司を失うことが怖い。だが司は死すら恐れず人を救うのだろう。ならば凛の我侭は通りそうにない。
「でもまぁ、死にたくはないからさ、だから、凛の言葉も覚えておく」
司はそう言い、微笑んだ。凛はそんな司を思わず抱きしめる。想いの力を込めて。
「暑いんだけど」
「我慢する!」
強い言い方にさすがの司も強引に振りほどけずに困った顔をするだけだった。ただ、悪い気はしない。
「なんか凛って母さんみたいだ」
司のその言葉に、凛は小さく微笑んだ。そんな凛の表情が驚きに変わる。司が自分を抱きしめるように背中に手を回したのだ。思わずドキドキする凛はそのまま全身で司の温もりを感じようにさらに体を密着させた。何を思って司がそうしたかはわからない。それでもそこに愛情などなくても、凛にとっては嬉しいことだ。
「心臓、そんなに早く動かすと悪くするぞ」
あまりに早い心臓の鼓動を感じた司の言葉に凛はくすっと笑った。
「これがいいの」
「そうなの?」
「そう」
そのまま2人は月明かりの下で抱きしめあった。珍しく凛から離れるまでそうしていた司。それは月の光がもたらした癒しのせいなのかもしれないと思う凛だった。
その翌日はそのまま自宅に戻らずに墓地へと向かった。今日は神手家の母、由美子の命日でもある。途中で花を買って広大な敷地を持つ霊園に着けば、車を降りた途端に美咲は走って水を汲みに行く。
「墓地に霊って、やっぱり多いの?」
「見せようか?」
「結構です」
そんな会話をしつつ美咲の汲んだ桶を持って石の階段をゆっくりと上がる。信司は墓の手入れをしつつ花を供えて由美子の好きだったきな粉餅を備えた。美咲がお茶を置いて順に手を合わせる。信司が手を合わせ、司が次ぐ。そして美咲が手を合わせた。全員が長い時間手を合わせているが、だからといって文句も出ない。暑い日ざしに汗が出るが、それが不快と思わない自分が不思議になる凛。
「凛ちゃんも、手を合わしてやってもらえるかな?」
「え?」
完全に部外者である自分は単なる付き添いだと思っていた。戸惑う凛が美咲を見ればそのまま凛の背中を押して墓石の前に立たせる。
「家族、でしょ?」
美咲の言葉に戸惑った顔を信司に向ければ、信司は優しい顔をして頷いている。
「気にすんな」
司がそう言い、凛は3人に頭を下げてから墓石の前に立って水を掛ける。そのままそっとしゃがむと両手を合わせた。何を言っていいかわからないが、とりあえず居候をしている身だと告げ、お世話になっていますと言った。
「母さん、見てるか?いい嫁さんが来てくれそうだぞ」
信司の言葉に顔を赤くしつつ手を合わせたままの凛はいつかはそうなりたいという気持ちを伝えた。優しい風がポニーテールの髪を揺らしている。
「お母さん、喜んでる」
立ち上がった凛を見た美咲はそう言い、微笑んだ。
「声、聞こえるの?」
誰よりもそういった力が強い美咲ならそれを感じることができるのかと思っての言葉だ。
「ううん・・・なんとなく、さっきの風がそんな感じだったなぁってさ」
「そうだな。じゃ、行こうか」
信司がそう言って桶を持ち、美咲がゴミを袋に入れてその後に続いた。
「じゃ、母さん、また来るから」
墓石を見てそう言う司からは、失ったはずの愛情を感じるような口調と表情がそこにあった。凛もまた小さく頭を下げて去り行く司に並んで歩く。
「死ぬ前にさ、いつでもそばにいるからって言ってたんだ」
それは死ぬ2時間ほど前、容体が急変する前に司に言った言葉だった。自分は死んでもいつでもそばにいていつも見ている。そう言い残して由美子はこの世を去ったのだ。
「こんなにうじゃうじゃ見えるのに、どこにも母さんはいない」
見えるが故のつらさがそこにあった。どんな死人の姿が見えても、感じても、そこに由美子の姿はなかった。見たい人が、会いたい人が絶対に見えないもどかしさがある。
「救えなくてごめんって言いたいのにな」
その力がありながら何も出来なかった後悔、だからこそ謝りたいのだ。見えるなら直接謝りたい。けれど由美子の姿はどこにもない。司も美咲も母親を感じることはない。そばにいる、それがただの慰めの言葉だったことは理解しているが、それでもそれを信じたいのだ。
「いると思うよ」
きっぱりとそう言いきった凛を見つめる。霊力もなにもない凛は自信に満ちた表情をして司を見つめていた。
「ちゃんとその魂は天国に行った。だから見えないし感じない。でも、見てるんだよ、絶対」
言っていることは霊能者にとってむちゃくちゃなことにしか聞こえない。だが、そうかもしれないと思えた。だから司は青い空を見上げる。
「見てるのか・・・」
「そう、見てるよ」
「そっか」
風が2人の髪を優しく揺らす。暑さを紛らわすまでは到底及ばない風だったが、心地はいい。そんな司が小さく笑ったのと同時に車の前に立った美咲が自分たちを呼ぶ大声が聞こえてきた。
「ほら、急ぐよ!」
そう言うと笑顔の凛は司の手を取って走った。司はされるがままに走るが、凛の手を通して何か温かいものが自分に流れ込んでくるのを感じる。
「凛・・・ありがとな」
その言葉に長い髪を揺らした凛は少し振り返ると、とびきりの笑顔を見せるのだった。




