ある男の襲来
都会ではないが田舎でもない。人が多いわけではないが全くいないわけでもない。駅まで徒歩で三十分、バスを使えば十分少々、車があれば便利だが、無いなら無いで問題はない。
そんな長閑な場所に、結という小さなカフェがある。その店は二十代後半の優男が店長をしており、バイトに入っている少年も爽やかな好青年だと周辺の女性たちの間で有名だった。もちろんそれだけではなくカフェとしても優秀で、アンティーク調の家具で揃えられた店内は落ち着いた雰囲気があり、料理も飲み物も絶品。何でも店長は相当な変わり者で、カフェを始める前は世界を巡って料理修行をしていたという、本当か嘘か定かでない噂もある程だ。
ならば相当な人気店なのかと言えば、実際はそうでもない。それは偏に、唯一であり致命的な欠点があるからだ。
――あのカフェはいつ行っても臨時休業で、開いているところを見たことがない。
どんなに良いお店でも、入ることができなければ人気店にはなり得ないのだ。
日曜午前九時四十五分。開店時間の十時に向けて、三木智明は店内の最終チェックを行っていた。最近はカフェのではない客のせいで、臨時休業ばかりだった。五月も下旬に入ったというのに今朝まで店内にはストーブが鎮座していたのだから、どれだけ長いこと使われていなかったかがお分かりいただけるだろう。
「三木、ちょっといいか?」
店の奥から智明を呼んだのは、店長の相田広貴だ。
「卵買ってくるの忘れてた。悪いけどちょっと買ってきてくれないか? お釣りでおやつ買ってもいいから」
「卵って、無いとほとんど何も作れないじゃないですか」
智明は呆れたように広貴を見たが、広貴は気にした様子もない。広貴のそれはいつもの事であり、今回のような長い休みの後は買い忘れがない方が珍しかった。そういう時は自転車で通っている智明が買いに行くというのが今ではすっかり定着しており、実際は智明の方もポーズだけで特に気にしてなどいなかった。
「おやつはいりませんよ。子供じゃないんだから」
「悪いな。頼んだ。あ、もう開けるから表から出ていいぞ」
「了解っす」
その時智明は久しぶりのカフェの仕事が嬉しくて、つい外の様子を確認もせず勢いよく扉をあけてしまった。浮かれていたのだ。外に人がいるかもしれないから気を付けるように、とは、何度かうっかり人にぶつけてしまったことのある広貴に向けていつも智明が言っている言葉である。
「っっったーーー!」
硬い木の板と額のぶつかる非常に痛そうな音と、運の悪い男の呻き声が外から聞こえた。
普段は礼儀正しい智明だが、この時ばかりはそのタイミングの悪さに謝る気にはならず、寧ろそのまま怒って帰ってくれればいいのにとさえ思った。男の名前は桜井雅也。近くの探偵事務所の所長であり、広貴の親友であり、カフェのではない客の筆頭である。
開け放った扉の外では、掛けたままの臨時休業の札がゆらゆらと揺れていた。