(02)Bridge
私は、宇宙日誌の初記録を済ませると、足早にブリッジへ戻った。
「チーフパイロット、直ちに、減速、反転」
キャプテンシートに腰を据えるや否や指示を出した。
「ラジャー! SSアーク号、姿勢制御開始します」
ベテランパイロットのマイケル・シダーヒルは、素早い応答で制御操作に入った。
宇宙船はゆっくりと反転し、船首の向きを180度変えた。
いよいよ月軌道を離れることになる。
「月軌道離脱1分前」
コスモナビゲーターのケイト・フォレストがカウントダウンに入った。
「了解! 直ちにコスモ・ドライブに入ります」
マイケルは素早くエンジン切り替え操作を開始した。
彼は、WASAのパイロットの中でも、屈指のフライト経験を持ち、宇宙飛行士指導教官の資格を持つ。彼の操縦テクニックときたら、まるでマジシャンのような華麗なる手さばきで、誰もが脱帽する。
「いよいよ。出発だな!」
「ハイ! キャプテン」
黒い前髪から覗くケイトの大きな瞳には、光るものがキラリと浮かんでいた。
この時、私の心の中には緊張感と期待感が同居し始めた。
私にとって、火星までの飛行は初めてで、正直不安もある。でも、ベテランパイロットのマイケルをはじめ、優秀なクルー達にも恵まれており安心だ。また、提督である父やフライト・エンジニアのスミノフ博士を筆頭に、各分野の専門家の存在がある限り非常に心強い。
そして、何よりの心の支えは、私の大事な天使が一緒にいることだ。彼女は、私の右腕となって宇宙航行をナビゲートしてくれる存在で、……というのは建前で、実は、今後の人生行路も、彼女と一緒に歩みたいと思っている。
さて、月軌道を越えると、星間航行コスモ・ドライブに移ることができる。宇宙船は加速度飛行モードで宇宙航路に入るのだ。
【Attention ! Attention ! 人工重力生成。アストロブーツはオフになります。Attention ! Attention ! 】
早速、マザーコンピュータからアナウンスが流れた。
不自由な無重力の檻から、ようやく解放される。
月軌道までは加速度飛行は許可されないため、船内は無重力に支配される。電磁式のアストロブーツという足枷を着けることで、重力の代用をさせている。
だが、これからは地上と同等の重力が働くことになる。私たち地球生物にとって、慣れ親しんだ1Gは、快適に過ごせるので何よりもありがたい。
今夜は、久々に本物の温水シャワーでも、ゆっくり浴びてリフレッシュするとしよう。
★ ★ ★
今日の宇宙日誌の記録は、少し長くなりそうだ。途中半ばだが、私は記録を切り上げ、ブリッジへ戻ることにした。
処女航海となるSSアーク号の巡航状況を逐次確認するためで、……と言うのは口実で、私の大事な天使の顔を、少し見たくなったというのが本音だ。
「お疲れ様です! キャップ」
OPEルームに入室するや否や、愛しい声が耳に届いた。この声は、いつも私の心を癒やしてくれる。
ブリッジ中央に構えるキャプテンシートの隣で、ナビケーター席に座るケイトから、ねぎらいの言葉であった。
「ケイトこそ、お疲れさん! よく分かったね?」
「分かるわよ! 足音で……」
振り向いた天使の笑顔が、私には眩しかった。
「それは、それは……」
「何年? 付き合ってんのよ! ワタシタチィ」
「それも、そうだ!?」
私は、苦笑いを隠すように俯き加減で、後頭部を何度も掻いた。
「……ところで、宇宙航路は順調かい?」
「ええー、まさに、順風満帆よ! ……この新型宇宙船、サイコウ!」
ケイトは、声を弾ませ拳を突き出し、親指を立てた。
「そりゃー勿論さ、自慢のスターシップ、だからナ!! ……って言うか? コスモナビゲーターが、優秀だからさぁ!」
「あらっ、お世辞のつもり? 今は、オートクルーズ中よ!」
ケイトは笑顔をふりまくが、どこかその目は泳いでいた。
「あっ、そっか? 新型のオートパイロットの安定感は、バツグンだね?」
私は、照れ隠しに慌ててその場を繕った。
「長い宇宙航路も、始まったばかり。……腕の見せどころは、これからよ! 任しといて、この優秀なナビゲターに!」
真顔で答えるケイトであるが、その目は三日月形に笑っていた。
「ありがと! それは頼もしいかぎりだ。……では、後はよろしく!」
「ラジャー、キャプテン!」
私は、ブリッジを後にすると、宇宙日誌の続きを録るために、ハウスへと戻った。
私の大事な天使の笑顔から、今日も元気を貰うことができた。どんな良薬にも勝る心のビタミン剤だ。