(01)Window
「もうあんなに、小さいわ……」
私の肩で、残念そうに呟いたケイトの目は赤かった。
「……ああっ」
窓に張りついていた私は声を漏らすが、返す言葉は浮かばない。
私の大事な天使のか細い肩を抱き寄せて、眺めつづけるだけだった。
四角い宇宙船の丸窓越しに、蒼白の惑星がゆっくりと遠ざかる。
色褪せた大地は、免疫不全の病魔に侵されたように、斑な砂漠が目立つ。
かつてBLUE EARTHと呼ばれた麗姿は、もうそこには無い。
永遠の別れを感じさせるその青白さは、悲愴感さえ漂う。
黙って眺めていると、寂しさよりも悲しさよりも、憤慨の念が込み上げてくる。
人類は、惑星『地球』を征服し、我がもののように支配してきた。
命のハーモニーが溢れる美しい大自然の調和を崩壊させた。
あげくの果てに、母なる星から逃げ出した。おおー、なんと愚かなことか。
殺戮の歴史を積み重ねて来た身勝手な人類にとって、自らが招いた因果応報。身から出た錆。自業自得なのだろう。
そして、人間の飽くなき開拓欲は、とうとう宇宙へと羽ばたいてしまった。
『宇宙、それは最後のフロンティア』
20世紀の遠い昔、当時人気を博した宇宙船が活躍するSF映画の一節だが。
今まさに人類は、最後の開拓の地に、足を踏み入れたのである。
◆ 宇宙日誌、西暦2201.04.15 ログイン ===>
西暦23世紀初頭。時の政府『世界連邦』は崩壊した。地上は神から見放され、悪魔の支配が色濃くなっていた。放射能という『見えざる洪水』に地球は飲み込まれた。
そんな悪魔の洪水から逃れるため、SSアーク号は、宇宙ステーションCOSMO ISLANDを出航した。小さな移民団と地球を代表する生物のDNAサンプルを乗せて、新天地を目指している。
私の名はノア・エイロン(Noah Aron)。出航間際にSSアーク号新船長に任命された。
本船の航海記録『宇宙日誌』は、今日から私の責務となる。Video Logが通例だが、私はVoice Logで行うことにした。その方が人目も気にせず記録できる。
例えば、『下着姿でも構わないし、情事の女性が寄り添っていても心配ない……』という冗談はさて置き、実は趣味である古典音楽鑑賞が楽しめるからだ。
好きな曲をBGMに録音することで、面倒な日誌にも楽しみが加わるというものだ。
記録媒体には新開発のリング状光ディスク『RPD』(Ringed Photon Disc)を用いる。コンパクトな掌サイズで、虹色に輝くディスクは耐久性にも優れる。
因みに再生装置は不要。肉声などをダイレクトに録音・再生する。マイクやスピーカーなどと言う骨董品も必要ない。
ディスク周囲の空気分子を直接振動させることで、空間にその仮想装置を構築して行う。
私は、『TALKING RING』(喋るリング)と呼んでいる。
更に、電源などと言う外部からのエネルギー供給は不要。基材内部の格子振動量子(Phonon)を、電子流(Electron)に変換することで内部的に電源を得ている。
この技術を応用すれば、フォノン量子電池の開発にも繋がる。量子電池は、夢の永久機関の動力源となり、人類のエネルギー問題は解消される。
これら量子工学の技術は、生命工学専攻の私にとっては専門外の分野だが、趣味が高じて発明にまで至ってしまった自慢の装置だ。
ところで、私の趣味である20世紀のプログレッシヴ音楽は、今聴いても音のクオリティは高く、古典どころかまるで未来の音楽のようだ。そのスペーシィな曲調は、宇宙の音楽と呼んでも過言ではない。
今流れている記念碑的BGM第一号には、私のベストワン ♪Shine on You Star Diamonds♪♪ をセレクトした。
深遠なる大宇宙を想起させるスペーシィでゆったりとしたストリングスの旋律は、大航海の始まりに相応しい。甘くすすり泣くギターの音色は、初の長旅となる私の心の緊張を和らいでくれる。
さて、COSMO ISLANDを出航してから3日目を迎え、間もなく月軌道に到達する。
地球を挟んで反対側に位置するため、麗しい月姫の姿を拝むことは叶わない。
あの可憐な真ん丸笑顔は、地上で赤い空を見上げる人々の目に、どう映っているだろう。
『母なる地球』
……今となっては何もかもが、みな懐かしい。
新型スターシップの処女航海は、幸運にも大きなトラブルも無く順調だ。
=== 以上、ログアウト ◆