そのご
モノ子は、やはりというか何というか、他の人には見えていない様子であった。
改札をするりと文字通りすり抜けたが、誰も、何も、反応しなかった。
目的地の最寄り駅までは、普通電車で四十分ほど。
昔来た時はかなりの長旅のように感じたが、
今来てみると、そうでもなかったのだな、と幸向は感じた。
「ねえ菓子ねえ」
「んー?」
「萌乃子ちゃんって……」
「あー、まぁ話すと長くなるから割愛するけど……
ま、妖怪みたいなもんかなぁ」
「よ、妖怪!?」
「厳密にはちゃうけどな。とにかくえらい力を持ったモノや」
真横で自分に関する会話がされているが、モノ子、我関せず。
窓際に頬杖をつき、外の景色をただただ眺めている。
「ウチのひい婆ちゃんが子供の頃、うちに来たらしいわ。
なんでかは知らんけどな。
家族の中でも見える人と見えへん人がおる……
というより見えへん方が多い」
「へー……」
ひいお婆さんの子供の頃からというと、少なくとも百年くらい前か。
何とも非現実的な話だ。
ふと、幸向は素朴な疑問が頭に沸いた。
「そういえばさ、『モノ子』ってなに?あと、『モノ姉』って」
「モノノケの子供、せやからモノ子。カタカナのモノに子供の子な」
「モノノケって、そんな……」
「そうは言うても、案外モノ姉がその名前気に入っとるしなあ。
ウチがちっちゃい頃に名前書いてーって言ったら、『モノ子』て書きよったし。
モノ子って何? て聞いたらひい婆ちゃんがそう名前付けたからって」
「でも気に入ってるとは……」
「いやいや、結構嬉しそうやったで?」
「分かるの?」
「分かる」
幸向は窓に映ったのモノ子の顔を見る。
その顔からは、とても感情など読み取れなかった。
付き合いが長くなれば、いずれは自分にもわかるのだろうか。
そんなことを考えていた。
「じゃあ『モノ姉』は?」
「ウチがちっちゃい頃からあのまんまやからな。
今ではウチの方が見た目は年上やけど、呼び方だけそのまんまや。
モノ姉も昔から変わらず『かしの』やわ」
「菓子ねえって、そんな名前だったんだね」
「そうそう、豪華の華に志す、それに……うーんと萌乃子の乃、や。
フルネームは最乗 華志乃。
以後、お見知りおきを。なんてな。いひひ」
「そういや萌乃子ってなにさ。仮名?」
「ん?あぁいや、あの場で咄嗟に考えた嘘や。我ながら見事や」
菓子ねえはこの手の嘘が得意だ。
物の由来などを聞かれた時も、真面目にそれらしい理由をでっちあげ、
周囲を納得させた後、『ま、嘘やけどな』と意地悪そうに笑うのだ。
かと思えば嘘っぽく語った後、『これはホンマやけどな』と笑う時もある。
だが真面目に語って本当の時もあれば、嘘っぽく語って嘘の時もある。
そして何が嘘で何が本当か、分からなくなる。分からなくする。
彼女曰く、『自分の思うように場を動かしたい』との事。
だがしかし、まぁ、要は人をからかうのが好きでたまらないのだ。
「なんか、本当の姉妹みたいで、ちょっと羨ましいな」
「せやなぁ……モノ姉は案外あれで面倒見いいというか、
ウチの面倒を婆ちゃんにたまに見させられとったというか……
おむつも変えてもらったことあるらしいわ」
「ぷふっ」
「笑ろたりなや……まぁ分かるけど。婆ちゃん豪快な性格やからなあ」
「でも確かに、モノ子ちゃんと別れた後不思議と運がよくなった!
あれも、モノ子ちゃんのおかげだよね!」
「……元に戻しただけ」
「戻した?」
「今まで運が悪かったのはそのモノのせいやったっちゅうわけや。
モノ姉があるべき流れに戻しただけで、運がよくなったわけやないってさ」
「でも、ありがとうモノ子ちゃん!」
「……」
「お、照れとる照れとる」
菓子ねえがいたずらっぽく笑う。
モノ子は変わらず外を見ている。
幸向には相変わらずモノ子の心情が分からなかった。
ただ、こうして菓子ねえから話を聞くと、
非現実的な存在であったモノ子に何となく親近感の湧く幸向であった。
ともすれば、自分の恥ずかしい過去が明かされているモノ子だが、
変わらず、何の反応もなく外を眺めている。
「あ」
「ん? なんや?」
「そうなると、モノ子……ちゃんって、結構歳いってるんだよね」
「歳いってる、てアンタ……まぁモノ姉は気にしとらんけどな」
「じゃあ……『モノ子さん』だ」
「あーこなちゃん意外とそういうとこ、きっちりするよなあ」
「意外とって何さ! 私は常に礼儀正しいよ!」
「はいはい。おーい、モノ姉?」
菓子ねえがモノ子に呼びかける。
幸向と菓子ねえがモノ子を見つめる。
モノ子は変わらず、外を眺めている。
しばし静寂。
しばらくすると、モノ子が小さく頷いた。
「ええって。よかったなぁ」
「よろしくね! モノ子さん!」
「……着いたよ」
「あ、ほんとだ」
そうこうしている内に、目的の駅に着いた。
三人は電車から降りると改札を抜け、例のキャンプ場へと向かった。
駅から歩いて十分ほどの距離にある。
時刻は昼過ぎ。照りつける太陽がまぶしい。
幸向にとっては忌まわしい場所に向かっているが、
この太陽と、何よりもモノ子の存在が恐れを消し去っていた。
「ここやな」
「うん、間違いない。懐かしいなあ」
ようこそ、と書かれた看板を通り過ぎると、
そこには原っぱが広がっていた。調理場もある。
隣には、小川も流れている。
(結構、小さいな)
当時は広大に思えたが、今来てみると狭く感じる。
辺りをしばらく見渡す幸向だが、
「こなちゃん? 顔色悪いで?」
「だ、大丈夫」
小川とは反対側に、当時と変わらないままの森が広がっていた。
昔の記憶がフラッシュバックして、少しめまいがした。
「ほら、こなちゃん」
「か、菓子ねえ?」
「怖くなくなったやろ?」
「……うん、ありがと」
菓子ねえが幸向の手を取る。
少しだけ目をつぶり、決意を固めると幸向は目を開く。
その目には、小さくなったモノ子の後ろ姿が映った。
二人が立ち止っている間に、モノ子は森へと歩きだしており、
大分先に行ってしまっていたのだった。
「ちょっとモノ姉! 先に行きなや!」
「待ってよ、モノ子さん!」
二人はモノ子を追って駆け出した。手をつないだまま。