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「おお・・・ これは・・・」
いつの間にか目を覚ましていた霧原が、驚いたように自分の両手を見つめている。薄らと色素を失っていく。
「おじいさま・・・?」
サヨコが霧原に声を掛ける。そして、自らの身体の異変に気が付く。
「これは・・・ 何・・・?」
身体が軽くなる。深手を負っていたケガの痛みが、何かに吸い込まれるかのように消えていき、傷も癒されていく。それどころか、今迄憎しみに支配されていた感情が消えて、穏やかな気持ちになっていく。
「これが逝くという事・・・?」
「サヨコ様・・・ ようやく終わったのです。コトコ様・・・ テイコ様とネイコ様・・・ そしてそこの少年達が忌わしい『マツリ』を終わらせてくれたんです。」
高霧がいつになく、優しい口調でサヨコに言った。
「コトコちゃん・・・」
サヨコがコトコを見る。コトコは、自分の身代りになったケンジロウを膝枕している。 テイコとネイコも、ケンジロウを心配そうに見つめている。
サヨコに気が付いたコトコは、にっこりと笑みを浮かべて言った。
「よかった・・・ サヨコ姉さんも元に戻った・・・ 昔みたいな、優しかったサヨコ姉さんに・・・」
「・・・ごめんなさい・・・ コトコちゃん・・・ ごめんなさい・・・」
サヨコの表情は、先程の鬼の形相とうって代わって、非常に安らかな表情になっている。
「コトコさん・・・ ケンジロウさんは・・・」
ショウゴ、タマキ、ケイイチがコトコのそば迄来ていた。
「・・・うん・・・ 色々思い出した・・・」
コトコは愛おしそうに、ケンジロウの頭を撫でている。テイコとネイコも可愛らしい笑顔でケンジロウを眺めている。
「・・・姉さん・・・」
気が付いたケンジロウが、ポロポロと涙を流しながら言った。
「・・・ごめんね、ケンちゃん・・・ ずっと一人ぽっちだったんだね・・・ ずっと気が付いてあげられなくてごめんね・・・」
コトコの頬にも涙が筋を作っていた。
「ケンちゃん・・・ どうして泣いてるの?」
テイコが言う。
「むかしから、泣き虫だよねぇ、ケンちゃんは。」
ネイコが言う。
「・・・うるさいよ・・・ 姉さん達だって、いつも泣いてたじゃないか・・・」
ケンジロウが力無く笑う。
「いいの・・・ やっと会えた家族なんだから・・・ 今日は思い切り泣いてもいいの・・・」
コトコにそう言われたケンジロウは、緊張の糸が切れたかの様に声をあげて泣き出した。
その様子を見ていたショウゴ、タマキ、ケイイチも胸が熱くなっていた。知らずに涙が溢れてくる。
「行こうぜ? 家族水入らずってやつだ・・・」
タマキが、ショウゴとケイイチを促す。
「ああ・・・ そうだな。」
ショウゴが頷く。
「コトコさん・・・」
ケイイチは、後ろ髪を引かれるような思いもあったが、二人の言葉に素直に従った。
「そういえば人形はどうなったんだ?」
ショウゴが気が付いたように言って、中央にあった台に目をやった。
「頭がついてる・・・」
一体、どういう仕組みなのか分からないが、三体とも頭がついていた。まあ、今迄の出来事自体が不思議な事ばかりだったので、特に追求したりする事もなかった。
朝の太陽が眩しい。雲一つ無い、真っ青な青空が眩しい。あちらこちらで蝉が鳴き始めている。
三人が神社の本殿から出ると、あれだけいた村人達が誰もいなくなっていた。『マツリ』の痕跡はあるのだが、村全体が静まり返り、人の気配が感じられない。どうやら無事に『マツリ』が終了して、みんな成仏出来たようである。
「なんか、随分長い間、この村にいた気がするよ。」
ショウゴが伸びをしながら言うと、ケイイチが同調する。
「ああ・・・ 不思議な事もあるもんだよな?」
「ところでさ・・・」
タマキが不意に口を開いた。
「俺達・・・ これからどうするんだ?」
もっともな質問である。もし、この村が幻の村だという事であれば、全てが解決した今、一体どうなるのかまるで分からない。
急に現実じみた心配と不安が沸き上がってくる。
「大丈夫だよ・・・」
背後から声が聞こえた。三人が振り返ると、ケンジロウを抱えたコトコが立っていた。
「コトコさんっ!」
ケイイチが真っ先にコトコに駆け寄り、ケンジロウに手を貸す。
「ケンジロウさんっ!」
ショウゴとタマキも駆け寄る。ケンジロウは薄らと目を開けた。
「ああ・・・ みんな無事だったか・・・ 良かった・・・」
ケンジロウは力無く言った。
「テイコちゃんやネイコちゃんは・・・?」
タマキが周囲を見回しながら言うと、コトコは小さく頷いた。
「みんなのおかげで、昇天したよ・・・ 私はまだやり残した事があるから、先に逝ってもらったの。」
「やり残した事・・・?」
ショウゴが言う。
「そう・・・ やり残した事・・・」
コトコはそう言うと、小さな小さなコケシの付いた御守を、懐から取り出した。
「これを・・・ ここはあの世とこの世の境い目。向こう側に行く時の通行証・・・ 身代りにこのコケシが、あの世に逝ってくれるから・・・ 大事に持っていてね・・・」
コトコはそう言うと、ケイイチ、タマキ、ショウゴの順に手渡した。
「あれ? ケンジロウさんの分は・・・?」
不意にタマキが気が付いて、コトコに聞いた。すると、コトコは少し迷ったような顔をしながら言った。
「・・・この子はね・・・ 本当はもう死んでるんだ・・・」
「はい・・・?」
ショウゴが思わず聞き返した。
「どう言う事ですか・・・?」
タマキも意味が分からずに聞いた。
するとコトコは、少し寂しそうに笑った。
「・・・この子は、十三年前の『マツリ』の時に、たまたま村に迷い込んだの・・・ その時の生け贄で・・・ もしケンちゃんって分かっていれば・・・ね・・・」
「そう・・・ なんだ・・・」
ショウゴが申し訳なさそうに言うと、タマキが続いて言った。
「じゃあ・・・ その時コトコさんが・・・」
「・・・うん・・・ この子は私達を救いに来てくれたのにね・・・ 全然気が付かなかったんだ・・・ 霧原のおじいさんに言われるがまま・・・」
コトコは顔を伏せた。
「でも、もう死んでる人を生け贄にしようとするなんて・・・」
タマキが当然の疑問を投げ掛ける。コトコは経緯を話した。
「儀式が失敗したから・・・ 私のせいでね・・・ それでこの子は生け贄になる為だけにこの世を彷徨っていたの・・・ もちろんこの子の意思には関係なくね・・・」
三人とも黙って、コトコの話を聞いていた。
「そろそろ、時間が来るわ。」
コトコがダム湖の方角に目をやる。薄らとモヤが掛かり始めていた。
「あれがもうすぐこっちにも広がってくる・・・ その前に村の出口に行きなさい。そうすれば・・・」
そう言ったコトコの身体に異変が起き始めていた。少しずつではあるが、影が薄くなってきている。昇天が近いのだ。
「あと一つだけ教えて下さい。」
ショウゴが言った。
「トシヤを・・・ 村をこんなにしたトシヤをみんなより先に成仏したのはなんでですか・・・?」
コトコは、少し考えていたが、その質問には答えなかった。
「さあ、もう時間よ? 急がないと、今度は霧で遭難しちゃうよ?」
優しい笑顔で言ったコトコの身体は、向こう側が分かる位に透けてきていた。
「コトコさん・・・」
ケイイチが、今にも泣きそうな声で、コトコの名を呼んだ。
「ケイイチ君・・・ 泣かないでよ? 私はもう七十過ぎのおばあちゃんなんだから・・・ ケイイチ君にはもったいないよ?」
コトコはそう言って、ケイイチに花飾りの付いた金色の鈴を手に握らせた。コトコが宝物と言っていたあの鈴である。
「これ・・・ コトコさんの大切なものじゃあ・・・?」
ケイイチが言うと、コトコは首を振って言った。
「だからケイイチ君にあげる・・・」
「でも・・・」
「天国には持って行けないしね? 大切にしてね?」
コトコにそう言われて、ケイイチは黙って頷いた。
「ショウゴ君・・・ タマキ君・・・ ありがとう・・・ ケイイチ君・・・ 私、泣き虫は嫌いだからね? 泣かないでよ?」
コトコはそう言うと、ケンジロウを抱えた。透け始めたケンジロウの身体が赤子に戻っていく。
「さようなら・・・ コトコさんっ! ありがとう。」
ショウゴが思わず言った。
「ありがとう、コトコさん・・・」
タマキが続く。
「コトコさん・・・っ!」
ケイイチが続く。
「さようなら・・・」
コトコは最後に最高の笑顔を三人に向けて、赤子のケンジロウと共に昇天した。
真夏の真っ青な天高く、消え行く煙りのように消えていった。
「・・・帰ろうぜ?」
ショウゴが、涙を拭って言った。
「ああ・・・ 時間もあまりなさそうだしな。」
タマキがそう言いながら、ダム湖を指差す。先程に比べてかなり濃いモヤになってきている。
「確か・・・ あの霧が広がる前に村の出口に行くようにって、コトコさん言っていたよな?」
ショウゴは、どことなく元気が無いケイイチに話し掛けた。すると、ケイイチは、コトコから貰った鈴をチリィンと一振り鳴らした。そして、それをポケットに押し込んだ。
「ああ。早く行こうぜっ?」
何か吹っ切れたかのように、いつもの様子で答えるケイイチ。
タマキが、それとなく腕時計を見た。
九時七分。
霧が周囲を包み始めた。
「急ごうっ!」
ショウゴは、そう言うと一気に走り出した。
「待てよっ!」
「ショウゴっ!」
タマキとケイイチがショウゴを追い掛ける。
そして三人は、村の出口へ向かって走り出した。
続く




