01 美華「剣道部に入ります」
JR豊橋駅から豊橋鉄道渥美線に乗り換え、数駅後に降りる。そこから少し歩けば、巴女子高校ーーすなわち私が春から通う学校に着く。
「美華ぁ、今日もいい天気だね」
隣を歩く私より背の高い彼女は、間の抜けた声でそう呟いた。
「メグ、それ毎日言ってんじゃん」
「いいじゃん。天気がいいと何か嬉しくなるら?」
「まあ、わからんでもないけど」
「だらぁ」
そう言って声と同じく、間の抜けたようにふにゃっと笑った。私は椎野恵美のこの繕っていない、自然な笑顔が好きだ。本人に言うと調子づくから、絶対に言ってやんないけど。
「そういえばさぁ美華、部活はどうするのん?」
恵美は大きく振り返りながら、私に尋ねた。彼女は何かあるとすぐ大きな動きをしてしまう癖があるのだが、そうすると頭の後ろで結ばれた髪と無駄に大きい胸が揺れるので、かなりあざとい。本人は無意識でやっているのだが。
「うーん……中学とおんなじで剣道部ってのは?」
「それもいいかなと思ったけど、最近、そのーー」
「何? はっきり言いなよ」
胸の前で指をもじもじさせていた恵美は、俯きながら口を開いた。
「最近、胴つけると胸がキツくてーー」
「死ねっ」
そう言って殴り飛ばす……訳にはいかないので、思いっきり胸の魔物を鷲掴んでやった。
「痛い! 痛いよ美華ぁ!」
「何だよ。それは私への当て付けか!?」
「美華だって言うほど小さくないじゃん!」
「それをメグに言われると何か腹立つ」
「何よ……私だって好きで大きくなった訳じゃ。というか美華くらいの大きさの方が絶対いいよ。大きすぎるのだって大変なんだからね」
「はいはいおっきい人は皆そう言うよねー」
恵美の胸は長時間揉むと手がつりかねない。充分堪能したのでここら辺でやめておこう。
「それで、剣道部に入るってことでいいら?」
「まあ、他にやることもないしね。ところで美華はここの剣道部のこと、何か聞いとる?」
珍しく恵美が引き締まった表情で、私の顔を覗き込んだ。いやだからその前屈みの角度はあざといって。服によっては谷間見えちゃうよ? というかなんかいい匂いーー
「おーい美華ー、聞いとるかー?」
「はっ! ごめんごめん。何だっけ?」
いかんいかん。私が恵美に飲み込まれそうになってどうする。
「美華がぼんやりしとるなんて珍しいね。ここの剣道部のこと、何か聞いとるかな? って」
「ああ、部員が二人しかいないってやつ?」
「いや、それもそうだけど……やっぱいいわ。朝っぱらからする話でもないしね」
おいおい、どんな話だよそれは。
「そんな焦らされたら余計気になるわねぇ」
「へっ? 美華って焦らしプレイが好きだったの!?」
「ちょっと待てやコラァ!」
今の話のどこに下ネタ要素があったよ? 全く、恵美の頭の中はどうなっとんのよ。朝っぱらからそのテンションとか発情期か!
「あ、そうだ美華。私今日日直だから、先部活行っとっていいよ?」
「そう言って逃げないだろうなぁ?」
「逃げないよぉ。美華ちゃんのお仕置きこうふ……怖いから」
今なんて言いかけたかは考えない方がいいのかな? うんきっとそうだよね。
「あーそう。まあ分かったわ」
「ゴメンねぇ。じゃあまた武道場でねー」
「はいよー」
私と恵美はクラスが違う。というか中学で出会ってからずっと、同じクラスになったことはない。恵美との接点は部活くらいだ。それでもこれだけ仲がいいのは、きっと私たちの相性がいいのだろう。なんだかんだ私は、メグのことが大好きだ。
教室に入ると、私は窓際の一番後ろ。私の席へと向かった。メグに言ったら「何その最高なポジション! 変わってよー」なんて言われたけど、私はわりと真面目に授業を受ける質なので、正直やりにくい。それにーー
「おはよ、柏木さん」
「……ん」
この隣の席の子。大人しいし反応は鈍いし、何を考えてるのかわからない。悪い子じゃないと思うんだけど、正直こういうタイプの子は苦手だ。
結局このまま会話もなく、ホームルームのチャイムが鳴った。
まだ入学して間もなく、オリエンテーションばかりで授業という授業もない。少々退屈だったけど、ちゃんと聴かないとこの先苦労することになるので、全ての話を一字一句漏らさず聴いていた。それなのに、柏木さんは開始早々机に突っ伏していた。メグもすぐ寝る質だったけど、彼女はその比ではない。初っぱなからこんなんで大丈夫だろうか? っていうか柏木さんがどうなろうと私には関係ないじゃん! 別にそんなに仲良くないし、私だって別に仲良くしたいだとか澄んだ瞳を見つめてたいだとか思ってないし!
……おっと、そんなこと考えてる場合じゃない。これから剣道部を訪ねるんだ。メグが何を言いかけたのかは分からずじまいだけど、行けば分かるだろう。
ーーと、思ってたのが甘かったのかもしれない。私が武道場で遭遇したのは、想像の斜め上をいくものだった。そして、何故メグが朝からこのことを話すのを躊躇ったのかがわかった。
何と表現したらいいのだろうか? 一見黒い塊の上に白い塊が覆い被さっているように見える。それはよく見たら黒い胴着を着た小柄な女性が、白い胴着を着た長身の女性に押し倒されている図だった。
えーっと、これはこの場にいたらまずいよね。逃げた方がいいよね?
私は音を立てないように後ずさりし、扉に手を掛けてーー
「あっもしかして新入生? こんにちはー」
「バッ……お前は早くそこをどけ!」
見つかってしまった。