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第一章

 生憎の雨だった。

 ざーざーと音を立てて降る雨は、折角咲き始めた桜の花を、次々と地面へ叩き落として行く。

 今年は冬が長く、暖かくなり出したのが三月末だったので桜の蕾もまだ固い。

 蕾のまま落ちる桜花(おうか)は何のために膨らんだのだろうーーー。

 春は憂鬱だった。雨のせいだけじゃないのはわかっていた。今日が入学式だからだ。

 新しい環境、新しい季節、新しい人間関係ーー。どれをとっても春には憂鬱でならないことばかりだった。

 私立白崎学園大学附属高校。

 県内でもトップクラスの名門校だ。

 文武両道を校訓として掲げており、成績の良さは勿論、陸上、サッカー、バスケに始まり、剣道、弓道、柔道などの武道でも優秀な選手を排出している。

 また、茶道や華道といった礼儀作法のクラスもあり卒業生には文化人も多い。

 名門と呼ばれて久しいが、校舎自体は三年前に改装し始め昨年終わったばかりなので、どこもかしこもピカピカだ。

 ほぼ真新しい廊下を歩き、まだ微かに新しい香りがする教室の扉をくぐる。

 教室の中は由緒正しい校章入りのブレザーを身にまとい、新しい環境に胸を躍らせる生徒で溢れていた。

 そんな他の生徒達をよそに、春の心はちっとも躍らないのだった。


 ***


藍田(あいだ) (はる)、誕生日は9月18日、趣味は空の写真を撮ること、特技は暗記です。宜しくお願いします」

 教室の壇上に上がり当たり障りのない自己紹介をする。

 まばらな拍手を聞いた後、うつむき加減で席についた。

 自己紹介は、教師が天邪鬼じゃない限り、大体一番最初だ。出席番号も一番以外になったことがない。

 藍田、という名字は特に嫌いじゃないが、不便だとは思う。

 順番に繰り広げられる自己紹介を、窓の外を流れる豪雨をぼーと眺めて殆んど聞かずに過ごす。

 聞いてもしょうがない。なぜなら、はなから関わる気がないからだ。

 約80年の人生のうちの1年間だけを共に過ごす人間のことをいちいち覚えていられない。初めの2ヶ月を我慢すればまた空気になれる。

 春はそんなことを考えながら溜息をついて体を伏せた。

 何もかも面倒くさいーー。

「ちょっと」

 少し怒気を孕んだ声が教室に響いた。

「ねえ、藍田くん、だっけ?ほら、そこの君。他人の自己紹介を聞くも聞かないも君の勝手だけど、大きな溜息をつくのはやめていただけないかな」

 澄んだ声が響く。

 教室の視線が一斉に春に集まる。

 自分が思っているよりも溜息が大きかったようだ。

 顔を窓に向け、ぼーっと外を眺めていた春は、その声と周りの視線が集まっていることにはっと目を見開き、最悪だ……と思いながら顔をあげる。

 声の主は少女だった。

 まだあどけなさが残る他の女子生徒と比べて、その少女は圧倒的に大人びていた。

 背中を覆う黒く艶やかな髪に、遠目でもわかる肌の白くきめ細やかさ、目はぱっちりと大きいが少し切れ長でその印象が大きいからか、可愛いというよりは綺麗という方がぴったりの美少女だった。

 背をすっと伸ばし凛とした佇まいの少女は春が顔を上げたのを確認すると、もう一度自己紹介を始めた。

神谷(かみや) (れん)、誕生日は2月9日、趣味は日記をつけること、特技は絵を描くこと」

 教室内の誰もが少女に、神谷 蓮に見惚れている。

 しかし春だけは違った。

 春は静かに、しかし動悸を感じるほど驚いていた。

 似ている。声が余りにも似ている。忘れたくても忘れられない、今までの15年間で一番不可解で、悩ましくて、心が抉られるほど悲しい「あの出来事」の鍵である、あの少女に。

 優雅にお辞儀をした後、蓮は軽やかな足取りで春の隣の席へついた。そして密やかな声で、よろしく藍田くんと、囁いた。


 ***


 ホームルームの時間が終わり、生徒は休み時間を思い思いに過ごしている。

 春は他の生徒に話しかけられないよう(チャイム)が鳴った途端に教室を出ていた。

 はーーーるっ!

 突然背中に衝撃を受け春は振り返る。

「痛いな、綾」

 振り返ると背の高い少年がいた。春も177cmとそんなに小さいわけではなかったが、その少年はさらに高く180cmはゆうに超えていた。

「春、君は幸運な人だ。あんな美少女に声をかけられるなんて。なんなら俺も溜息ついとけば良かったな」

 こんな軽口を叩く少年、佐々木(ささき) (りょう)は春の数少ない友達のうちの一人だ。

 長身痩躯、顔立ちも派手ではないがはっきりとしていて、本人曰くよくモデルにスカウトされるらしい。

 バスケ部やサッカー部からオファーが来るくらい運動神経もいいのだが、本人は運動嫌いで、美術部に入部したというちょっと変わった面ももつ。ちなみに絵は下手である。

 春とは中学一年の時に仲良くなり、その後三年間行動を共にした唯一の人間である。

 基本的に春は人と接している事が苦痛でならないのだが、綾だけは隣に居ても苦にならなかった。

 それは綾が、春の侵されたくない心の領域を上手く感じ取って、合わせてくれているからかもしれない。

 もしくは綾は春に苦痛を感じさせないほど興味深い変人だからかもしれない。

 春と綾は並んで廊下を歩く。

「まさか、綾が一緒の高校に来ると思ってなかったよ」

「まったくだ、春が1月になって志望校のランク上げた時ヒヤッとしたんだからな」

 綾は春よりも賢い。だから春は綾のうんざりしている顔をみてにやっと笑った。

「綾が志望校を俺に合わせて中央第一って言ってるの分かってたからな。楽しようとしてただろ。だから11月くらいから白崎学園大付属に変更してたんだ」

「それならそうと早く言えよな」

 綾は呆れた顔で春を見る。

「うん。綾全然聞きにこないまま1月になっちゃったから、綾はそのまま中央第一に行っちゃうのかと思ってたよ。どうやって俺の志望校知ったわけ?」

「おー聞きたい?」

 綾は悪戯っ子のような笑みを浮かべる。

「冬休みの解放教室で、春くん志望校白崎に変えたっぽいよー。えー。ってやりとりを聞いたんだよ。白崎は偏差値高いからな。自分で言うのもなんだけど、本当に賢くなきゃするっと入れないし。そりゃそこらの女子はえーって言うよ。笑える。ま、俺はどこでもするっと入れちゃうから中央だろーと白崎だろーとどこでも良かったんだけどね」

 春は何故そこらの女子か自分の志望校を知ってるのか……?と疑問に思ったがあえて聞かずに続きを促す。

「あとその子らが言ってることが本当かどうか分かんなかったから、担任にまで聞きに行ったんだよ。担任、なんかうんざりした顔で、佐々木お前もか!って言いながら春の志望校の紙見せてくれたよ」

 犯人はあいつか。春は心の中で悪態をつく。

 個人情報ながしてんじゃねーよ。

 綾は春の眉間に皺が寄っているのを見てにやっと笑った。

 怒ってんなー。

 ーーピンポンパンポン

「始業開始3分前です。生徒は速やかに席に着き、授業の用意を整えましょう」

 突然校内に放送が流れ、春と綾は互いに目を見合わせて驚いた。

「流石私立の名門進学校。生徒の休み時間は実質7分らしいぜ」

 綾はやれやれという風に呟き、春はそんな綾を横目に教室へと向かった。





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