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少女と靇禄軍隊長

 食堂で一人粥をもくもくと食べる世仙の眉間には一筋しわができている。

(大の大人がこんなので足りるわけ? 私は大丈夫だけど)

 冷えた茶碗を持ち上げいろいろの角度から眺める。大きさを把握するための行動であったのだが、角度を変えたところで差などない。世仙の両手におさまるほど小さな碗の中には冷たい粥とほんの数量の梅肉が添えられているだけだ。

(これも宦官だからなの……?)

 碗の縁を口まで運び、残りの粥を大きく呷って口内に放り込む。危うく器官まで行きそうになりえずく。

 靇禄軍の輩に絡まれた後、世仙は祝の言った言葉に疑問を抱いた。

「天敵?」

 冷静さを取り戻した祝は世仙の隣に腰掛け、小さく頷く。ちらと盗み見た横顔は血の気がない。

「この宮中には二つの軍隊があるんだ。一つは皇帝の身の回りの護衛を任務とする宮官軍。それから皇帝を擁護する将軍が配下とする靇禄軍だ」

「宦官は軍隊を持たないんですか?」

「今はね。昔はあったんだ。でも今じゃ宦官は皇帝の地位を確立するための、いい道具でしかないんだよ」

「道具って、人が道具として扱われてるんですか?」

 真剣に祝に詰め寄りながら話を聞く世仙に、祝はやや身を退きながら「君本当に何も知らないんだね」と目を瞬く。

「宦官は昔、宮中の政治の中枢を担っていたんだ。けど今の将軍、珀将軍が自分の姪を皇帝の第一夫人としてからは宦官の地位はどん底まで落ちたんだ。皇帝の傍で権力を振るいたい将軍にとっては、宦官の存在は邪魔だからね」

 以来宦官は忌み嫌われものさ、と大きくため息をつきながら帽を掻き毟り取る。

「皇帝第一夫人が『城下で起こる不作や悪事は全て宦官の存在が原因』なんて城下中に宮女を使ったりして言いふらすから、民も皆信じ込んじゃって……。これも珀将軍の策なんだろうね、姪を使った……。宮官軍は皇帝の身の回りのことだけで、こちらの事情には介入してこないし、宦官は惨めだよ」

 世仙は黙ってことの事情を聴いていた。と同時にそんな事実があったことをちっとも知らなかった自分がどれほどの田舎者で世間知らずなのかを痛感する。何も知らず靇禄軍に突っかかり、もしあの時薬を落としていなかったら自分は死んでいたのだ。それを考えるとゾッとするし、助かった後の祝が冷静さを欠くほど怯えていたのを考えると靇禄軍の宦官迫害が壮絶なものというのも安易に想像できる。おそらく世仙は目をつけられたのも確かだ。

(でもだからって、私帰らないわよ)

 俯きぐっと拳を握る。自分にはやらなくてはいけないことがあるのだ。それを終えるまでは帰れない。

「ところで、こんな宮中での常識を知らないなんて、君とんでもない田舎から出てきたんだね。どんなところ?」

 ずっと喋らず、俯いている世仙に気を使ったのか、祝が世仙の顔を覗き込む。はっと我に返った世仙は慌てて顔を上げた。

「珪州いい所ですよ! 人より動物の数の方が多いし、皆優しいですよ」

 薄ら笑みを浮かべこちらを見てくる祝に、世仙は苦い感情を持つ。

「……靇禄軍みたいな輩は、絶対いないですよ」

「……それはいい所だね、僕もそんな所に住んでみたいな」

「あ! じゃあ私がここでの用事終わらせたら一緒に帰りましょう! すっごい遠いけど、歩けない距離じゃないんですよ!」

 よかれと思って言った言葉だった。なのに祝は薄ら笑うだけで何も答えなかった。

「ちょっとあんた」

「……うわっ」

 ボーっと先だってのことを思い出していると、目の前に人が座っていたことに今気づく。

 食堂は長机が三つ置かれているだけで、灯りは各机に均等に置かれた蝋燭だけである。薄暗い部屋で、丁度蝋燭を自身の顔前まで運んで世仙に話しかけてきた人物は化け物同然だった。

「ひぃ!」

「何がひぃよ、失礼ね人を化け物みたいに」

 もう! と頬を膨らます人物はおそらく、というより絶対男性だと思う。だが肌の凹凸や骨格を見る限り女性にも見えた。そして少し低い声を無理して高く出して女性のように話しているのが世仙の頭を混乱させる。

「あんたね? 入隊初日に靇禄軍にたてついて生きてるっていう新人は。あ、私蘭々っていうのよ。蘭ちゃんって呼んでいいわよ」

 口に手をあてたり手をひらひらさせて喋る様はまるで女性だ。が、声は男性だ。でも名前は蘭ちゃん……。と頭の中をいろいろな情報が回る中、世仙も自分の名を名乗る。

「世仙ね。覚えておくわ。……あんたみたいな血気盛んな子がいるのなら、宦官だっってまだ負けたもんじゃないわね。もし何か困ったことがあったらアタシに頼ってきなさい。ここにいる他の連中は人生諦めたような奴らばっかりだから、頼っても相手にしてもらえないからね」

 あ、でもできることとできないことがあるから、と爪の伸び具合を気にしながら語る蘭ちゃんをどこまで信じていいのかわからずとりあえず相槌をうつ。

「ところであんた月琰様の所には行ったの?」

「月琰様?」

「やだぁ~! 宦官長の所よ! 挨拶に行ってないの? 駄目じゃないの。今日は遅いから明日必ず行きなさいね」

 じゃ、と言うと蘭ちゃんはそそくさと暗がりに消えていく。腰を振りながら歩く背が、どことなくいやらしくも見えてきた。

「……宦官って…………」

 一体何なのだ、と珪州から連れてきた友人に訊こうと胸元に手をあて、蒼白とする。

「あああぁぁぁぁぁ! (てい)()! 忘れてたああああああ!」

 思い出すと世仙は茶碗を流し台まで運んで慌てて食堂を出た。

「あら世仙どこ行くの?」

 寮の廊で宦官仲間と雑談をしていた蘭ちゃんが血相を変えて駆ける世仙に声をかける。だが、それどころじゃないと言わんばかりに世仙は蘭ちゃんを無視しようとしたが、蘭ちゃんに襟首を掴まれる。

「ちょ、今それどころじゃないのよ! 私の友達が靇禄軍に――」

「まぁ素敵。悪巧みの匂いがするわ」

 違うって、と蘭ちゃんの拘束から逃れようとする世仙だったが思いの外力が強く、腕を払えない。わたわたと暴れる世仙の手に、蘭ちゃんは二つの鉤爪を渡す。戦時で主に至近攻撃を得意とする連中が使う武器だ。

「え? 何これ」

「上手く使いなさいよ坊や」

 大人しくなり、真正面を向いた世仙の股にするりと手を伸ばし、羽のように柔らかく秘部を触っていく蘭ちゃんは初心な世仙の「ひょあっ」という声も聞かず部屋に入っていった。気づけば雑談していた相手もいない。

(っくそ、嫁入り前だぞ野郎! いや女!)

 と内心羞恥のあまり涙目で騒いでみたが、ことを思い出し寮の外まで駆けた。

 宦官寮を出、靇禄軍の寮に着くと、世仙はとりあえず外壁際を歩く。幸い一階の部屋は普段は使われていないのか、人の気配はない。時折上の階になど気をやりながら、壁に手を添え侵入できそうな所がないかを窺った。

「うー、鼎柚どこー?」

 一階窓から中の様子を窺うが暗くて何もわからない。半ば諦めたいところだが、そうもいかない。とりあえず鉤爪を両手にはめ、壁の溝に適当に引っかけた。と、その時に探していた音が耳に入る。

 げーこ。

 蛙の鳴き声だ。咄嗟に上を見上げると、二階の部屋の窓が全開になっており、その窓から珪州蛙がげこげこ鳴きながら世仙を見下ろしている。

「鼎柚!」

 抑え気味に叫んだ世仙は早速鉤爪を駆使し壁をよじ登る。戦闘用具かと思っていた鉤爪だが、なるほどこれは便利だ。

 窓の縁に手をかけ、間近で珪州蛙こと鼎柚の生存を確認すると世仙はほうと息をつく。えらをひくひくさせる鼎柚に異常はない。

 部屋の中の様子も音を頼りに窺うが、何の音もない。灯りも灯っておらず、夜目が効く範囲では動くものもない。

「あーよかった。一緒に食べられてたらどうしようかと思った……」

 足は下の階の雨ざらしに置き不慣れな鉤爪に苦戦しながら鼎柚をどうにかして自身の体に乗せようとするのだが、長い爪はかちゃかちゃと音が鳴り、さらに窓際に無数の傷をなすため蛙は世仙からどんどん遠ざかっていく。

「ちょ、あんたこれくらいじゃ死なないでしょ! 早くおいでって――」

「おい」

 ひぃっ息を詰まらせ身を退き壁に隠れたが、声をかけられた時点では遅かった。そもそも鉤爪が隠れてきれていない。

 そっ、と身を窓際に近づけ徐々に中の様子を窺い見る。目に入ったのは紙や書物、筆で散乱する机。そしてその向こうに腕組みして立つ人物だ。月明かりだけが頼りの部屋、雲がさしたのか、顔をはっきり窺えない。が、唯一確実にわかるのは靇禄軍特有の戦袍。

「黒地に、金糸の龍……」

 ぐ、と世仙が唇を噛んだ直後、月を覆っていた雲が晴れ人物の顔を照らした。

 一重の鋭い、黒々とした切り目の青年。一瞬怯んで動けなくなった自分に、世仙は焦った。この人、昼間にあった奴らと格が違うんだ。

「入れ」

 短く命令され、素直に条件を呑んでしまう自分が悔しい。

(落ち着け落ち着け私……!)

 青年から目を離さずに部屋の中にゆっくりと足を踏み入れる。窓際では鼎柚がげこげこ鳴いている。

(どう逃げようか? 考えて私……やればできる子よ、世蓮……!)

 冷や汗が背を流れていくのを感じながら、世仙は生唾を呑んだ。


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