ACT 2-1
いつかの話。
冬に彼はひとつの恋をした。
いつかの話。
春にちょっとした出来事があった。
いつかの話。
夏に彼は真実と過去に出会った。
いつかの話。
冬に彼は末路を知った。
いつかの話。
春にもうひとつ、出会いをした。
さっきの話。
夏に、ひとつの失恋をした。
■■■
彼の手に握られていたチョコレートは、壊れてしまって、もう食べられなかった。
「―――行かなきゃ―――」
少女は静かに、そう呟いた。
/D x D x D
◇
-0 years ago.
すこし、前の話になる。
話を少し脱線する。
俺、八柳一世が、『魔女』と出会うよりもずっと前の話。いま、思い返してみると、少し不思議な出来事だったんだろうと思う。いまの俺からは考えられない出来事だったと思うけど、『B.M.』の件を振り返ってみると、このあたりを少し思い出す。ちょっとだけ、いまになって後悔しているような、そうじゃないような……
まぁ、結果論だよな。結局。世の中なんてのは、結果の積み重ねでできてるとかナントカ。そりゃそうさ、いくら過程がカンペキでも、その先にある結果が優れないなら、それはカンペキじゃない。そういうもの。あとになって「ああしておけばよかった」って云うのはズルイ。
とはいえ、俺も記憶力が良い訳じゃない。すぐに忘れてしまう。ぼんやりと、「あぁ、こんなことあったなぁ」程度の記憶しかない。忘却の彼方。記憶力の悪いことは別に悪い話じゃないだろう? 人間として、こうして生きているのは事実だし。
『B.M.』事件がきっかけで、まるで洪水のように当時の記憶が蘇ってきて、俺は少しそのときのことを探るようになった。俺にとって記憶は、普通の人間とは違う構造をしているらしい。そうマナさんは言っていた。そんなもん、当の本人には解らないし、周囲の第三者だって、そんなこと解るはずがない。
なにが言いたいかって言うと、つまり、俺の記憶の蘇らせ方法っていうのは、外的ショックのほかに、「自分から記憶の中に入って追体験する」と云うものがプラスされていた。
普通のひと―――とはいえ、俺も自分が普通だと思っているワケだけど―――は、それをおかしいと言う。そんなこと、できるはずがないと言う。逆、なんでそれができないのか、俺には不思議でならない。それが普通だと俺は思っていたし、すべての人間が自分の記憶のなかに入って、自分のやってきたことを、断片的に追体験し、再現して、思い出すものだと思っていた。
まぁ、あのころはそう思っていたけど、いまはマナさん説明とか、光秀の話とか聴いて色々と知ったので……
ごほん。
とりあえず、普通じゃない方法で、俺は記憶を思い出そうとしていた。別にあのころに戻りたいとか、そういう念があるワケじゃない。あのころの場所で、記憶で、浸っていたいとかそんな悲観的な話じゃない。『B.M.』の一件を若干整理するために、思い出そうとしているだけ。いわば、報告書を書くためだ。
―――んじゃ、始めよう。多分、そこに行ってしまったら、俺は俺じゃなくなる。そこの俺は、あのころの『俺』であって、今の時代の俺じゃない。
できる、ってひとは是非真似してみてくれ。
簡単だ。意識を頭に集中させて、肉体の精神とかなんとかを、頭に移動させるようなそんな―――
…………
…………
……っ。
…………
プツン。
⇔
- 2 years ago.
⇔
なんとなく、と云う言葉が似合う。彼には、恐らく。そういった感覚で、これまで生きてきた。そしてこれからも恐らくそうであろう人生に、悲観的になるようなことはなかった。自分の人生設計はどこかおかしいとは思っていたが、それは自分の家庭の都合上しかたのないことだと、「義務」だと思っていた。自分に対する義務ではなく、自分の両親が自分にしたことに対する義務だと、信じて疑わなかった。
約束された安泰と充実。自分自身でなにか動かなかったとしても、充分すぎる生活費と、時間。これから何の不安も感じない。あるとすれば、それは二〇年もすれば訪れるであろう、ソレの人間としての体力の限界。死にはしないだろうが、金銭的な稼ぎはほぼゼロになるだろう。そうなったときだけが彼にしてみれば厄介であった。
しかし、ソレに対する危機感は一切無かった。
危機感。
それは人間が誰しも持っている、自分の身に降りかかるであろう命の危険に対する恐怖の一種である。すべての人間が「闘争本能」と共に持ち合わせている、自分の身を守るための術である。闘争本能による、他人よりも優れた存在の証明は、自分が生き残ってこそ手に入るものだからである。
だが―――八柳一世にはその感情が欠落していたようである。
◇
乾いた音、鈍い音。それが動くたびに、部屋中にその音が響く。ひとりで居ればそれはなんともない効果音だが、ふたりいればそれは別である。ふたり分のそれは、端から見れば四角の箱の上にボタンとレバーがついているだけの玩具に見える。しかし、解る人間が見ればそれは解るものである。
テレビ画面に動くふたつの影を、ひたすらに見ているのはふたりの青年である。無言のまま、真剣なまなざしでそれをしている。部屋の中はレバーと動かす鈍い音と、ボタンを押す乾いた音だけが響いている。
勝敗は単純明快。相手の体力を0にすればいい。それだけのシンプルな殴り合いテレビゲームは、ふたりにしてみればコミュニケーションツールであり、暇つぶし道具でもあった。
基本、黙ったまま、真剣な表情でゲームをするのが彼らのスタイルであったが、どうにもこういった手合いは疲れてしまう。時には口を開くこともある。
「今年ももう終わりだな」
「……ん、そうだっけか?」
一世は首を傾げる。
隣にいるのは、恐らく、一世の唯一の友人と言っても過言ではない、原光秀である。中学時代の友人であるが、なんの因果か高校まで共に同じになってしまい、こうして関係は続いているのである。そもそも一世はそこまで友人を作るのが得意ではない。口数は少ない上に、近寄りがたいイメージを与える。かといって、迫害の対象になるかといえばそうではなく。存在自体を疑われるほどの空気感はある。
そんな唯一無二の友人からの言葉に、一世は適当な受け答えである。とはいえ、他に返す言葉も見つからなかったため、これでいいだろう、とも思っている。
記憶力のない一世は、一旦四角のそれを膝の上に置いて、卓上カレンダーに目を向ける。確かに、日付は一一月。年末と呼ぶのに相応しい時期なのかもしれないな、と頷く。
「高校一年目って言っても、結局中学とやってることはたいしてカワラねぇな」
同じく、四角のそれを床に置いてそう言う。それが休憩の合図である。背伸びをしながらリラックスする光秀を横目に一世はおもむろに立ち上がると、部屋の端に設置されている小さな冷蔵庫からペットボトルの飲み物を取り出すと、一本光秀に向かって投げる。
「さんきゅー」
乾いた音。炭酸の抜けるいい音が部屋に響く。ゲーム画面を移し続けているテレビのリモコンを操作して、テレビに切り替えると、ふたりは先ほどまでの集中した表情から一転、柔らかい表情を見せる。
「高校生にでもなったら、ちょっとぐらい彼女とか期待したんだけどなァ」
一年を振り返るには少し早いような気がするが、いつものことだ、一世は気にしないことにした。恋人ができる、できないに関しての話はこの年頃の男子にはよくある話であり、異性の恋人が居ることが青春を謳歌しているかいないかの目安でもあった。
「まぁ、こんなところでゲームしてるようじゃ望み薄だろ」
「違いねぇ!」
一世の言葉に光秀は指をさしながら笑う。
「んまぁ、いまはいまで楽しいけどな。毎日遊んで生きていけるワケだし」
「それもこれも、全部俺のおかげだと思ってくれたまえ」
「ははぁ!」
わざとらしく、光秀は頭を下げる。彼にしてみれば、一世は遊び場を提供してくれる都合のいい人間である。が、金品をこびてくる訳でもなく、この一世の部屋にある娯楽道具の殆どは彼の私物である。一世はただその環境を提供しているだけであり、ついでに遊んでいるだけだ。他にやることも、特別趣味がある訳でもないので、こうした娯楽を持ち込んでくれるのはありがたい限りだ。
「そんなことであと数十年どうやっていきていくつもりだったんだよ……」
「ただ、なんとなく生きていければいいかなって」
「おいおい。人生設計皆無かよ……」
「この状況で、人生設計もクソもないことぐらい、よく知ってるだろ?」
「…………そりゃそうだ」
光秀はよく解っている。そういった、一世の都合なども知っている。その点も踏まえて、彼は一世のよき理解者でもあるのだ。