ACT 1-3
ただ解ったことは、この部屋は隣り合うふたつの部屋同士で何らかの作用をしており、それが臭うとマナは言っているのである。
そこで、やっと、マナが今回の何気ない依頼についてきた理由が解った気がした。
「解ってたんすか?」
苦笑しながら、一世はマナに向かってそう問うた。
彼女は、ふふっ、と愛らしく笑う。それが回答だ。
「意地が悪いですよ……」
「まぁ怒るな。こっちも依頼自体来たのが随分昔だったのでな、少し忘れていた。それと今回の舞台が同じでな、記憶がカチリと合致したワケだ」
説明しながらも、懐から小さな封筒をひとつ取り出して、手渡してくる。
そこには「依頼」とだけ小さく書かれていた。
「中を開けてみろ」
そう言って、彼女は先に部屋の中を物色し始めた。
危機を発している右腕が震えたままでは、まともに封筒を開けることも出来なかったので、一世は一端部屋から出る。少々薄暗かったので、隣の何もない部屋の方に足を踏み入れて、明るいところで封筒を開いた。
『依頼
市内にて、違法な新種薬物が蔓延している
魔女に依頼願いたい』
短く、そう書かれていた。彼女の言った通り、場所についての指定は一切書かれていなかったのだが、それは彼女が調べた結果なのだろう。あまり深く考えないことにした。問題覇なのはそこではなく、文章の真中あたりに書かれている部分である。
新種薬物。
それは、今回一世が後輩より受け取った依頼と同じキーワードだったのだ。
〝なるほどな〟
心で呟く。
封筒の裏を眺めると、依頼された日付はどうやら一ヶ月ほど前らしい。忘れてしまうには少し早すぎる気もしたが、彼女のことだ、面倒くさいと思って放置して、記憶からも抹消していたのだろう。真面目なようでいて、裏でサボっているようなタイプだ。
〝しっかし、どいつもこいつも……そう言うのは警察に言えよ〟
態々アウトローなこっちに仕事を回さなくても、公式にこの国で働いている警察と云う存在があるのだから、そちらに依頼すれば話は早いと思うのである。依頼が来なければ来ないで、生活が若干危ぶまれるが、そのようなこと一世は知った話ではない。一世自身は現在のこの仕事が暇になったとしても、生活するには充分な資金を持っている。
面倒なことを考えるのは辞めた。こっちの後輩も同じようなものだ。とにもかくにも、マナの持っている情報がこちらの事件にも使えそうだな、と悠長に考えて一世は再び隣の部屋に戻る。
足を踏み入れた途端、右腕が危機を伝える。だが、一世にはどうでも良い話だ。
「何か見つかりましたか?」
自分が隣の部屋で封筒の中身を確認している間に、彼女は部屋を調べていた。何か、見つけたかも知れない。
「ん……まぁそこそこな。
―――見ろ」
彼女が指を指すのは、部屋の中央に置かれているテーブルだ。先ほど、一世が確認したときには何の変哲もないテーブルだったはずなのだが。
再び一世がテーブルを眺めると、そのテーブルの上にはなにやら落書きのようなもの―――いや、それを一世は見たことがあった。
「『魔方陣』ってヤツですか?」
前に説明を受けたことがあった。それに酷似している。
「うむ。正確には、その一歩手前……式のようなものだな」
「何でこんなもんがここに?」
解っていても一応聞いておく。証拠は揃っている。その理由は言うまでもなく。
「ここで魔術を行ったことになるな」
マジュツ。
それは誰もが知っている言葉であり、かつ誰もがそんなものはないと思っている代物である。
だが、一世やマナのような人間からすれば、別段驚くようなものではない―――一世に関しては存在自体はつい最近知ったものだがもう慣れた―――。
「けど、麻薬と魔術って関係あるんですか?」
いまいち、一世は理解できないでいた。それはさすがにジャンルが違いすぎる、と思っているのである。
問いに対して、ふむ、とマナは頷く。
「よく言われているだろう? 漢方は魔法の薬だと」
「いや、それと麻薬は別じゃないんですか?」
「何を言う。漢方もれっきとした薬の調合だ。
一世クン。あなた、RPGはやる?」
「テレビゲームなら……」
「それでいいのよ。そのつもりで言ったから。
で、RPGでポーションとか、エーテルとか、ファイナルなんとかってゲームでもあるでしょ?」
「ありますね」
一世はテレビゲームの画面を思い浮かべる。
「それらを調合するでショ?」
「……えぇまぁ」
「調合にもMPとか、色々と使うワケよ。材料はともかく、レシピや使用するMP量によっては色んなものに変化する。それってつまり、『変化』魔術なのよ」
若干話が飛躍したようにも思えたが、つまり、今あるものを使って全く違う代物に変化させることも、魔術の一種だと、マナは説明している。
「変化魔術とか、また面倒なものを使ってるのね。最近だと、そっちよりも『具現』とか『調整』とかの方が数ランク楽だってのに……」
「俺には『具現』とか難しいように思えますけどね」
その言葉にマナは指を振る。
「変化より具現が楽な理由はね、具現はイチイチ変化の先を考えなくていいからなのよ。変化は変化基と、変化先を考えないといけないからねぇ」
「……はぁ」
理解不能である。そのあたりの話は正直一世にはさっぱりだ。
閑話休題。
「で、つまりどういうことなんですか? まぁ、魔術師が関わっているのは解りましたけど」
問題は、今回の依頼の内容と比較すると、一番面倒なことになりそうだと、一世は思っているのである。
「そりゃあ……首根っこ捕まえないとね。魔術を使っている以上、私としてもメリットはあるし」
「ですよねーーーーーー」
妙に語尾を長くして、一世は肩を落とした。
■■■
夜の街。そこは自由の世界である。
人間は太陽に縛られていると言っても過言ではない。何せ、陽が出ている間は、学び舎、社会に縛られている。決められた時間を生き、決められた仕事を行う。何よりも退屈だ。
それが夜になるとどうだ。人々は鎖を外された獣のように、ただ欲望のままに生きる。そこには金さえあれば何でも出来る世界が広がっており、朝と云う現実を迎えるまでは永遠に夢の世界にいることが出来るのだ。
『黒』はひとを強くする。『黒』はひとを脆くする。『黒』はひとを自由にする。
塗りつぶされて見えなくなった世界で、人は一時といえども秩序を忘れて、酔い、遊ぶのである。
―――いかにも、と云った服装だった。
その人物は黒のフードに、黒のコートを着込んでおり、コートにはなにやら白いラインで紋章が書かれている。こう云ったデザインの服装は近年では珍しくはない。しかし、この人物が着ているそれは、あまりそう言ったものには見えない不思議な何かがあった。
彼は夜の道を歩いている。しかし、彼はまるでそこに居ないかのように、周囲の人々は彼の姿を見ることもなく素通りしていく。興味がないのではなく、本当に見えていないかのようだ。
銀のネックレスが光る、派手な女はガムを食べながら歩いていた。
髪色は白交じりの金。しかし、最近染めていない為か、根元は若干黒くなりつつあった。それだけで、彼女がただ髪を染めているだけで、本物の金髪ではないことが解る。
「は、は、はーん」
決まったテンポで、わざとらしくそう言うと、それは合言葉となる。それを聞いていた、夜だと言うのにサングラスを掛けた男が壁から背中を離して、女のところに歩いてくる。
「ちっ、さん、ごっ」
暗号染みた言葉を男は投げる。女は渋い顔をして、首を横に振った。
「ちっ、よん、ごっ」
「ちっ、ろく、ごっ」
女の暗号に、男は首を横に振る。
「……ちっ、ごっ、ごっ」
それが最大の譲歩だと言わんばかりに、男は首を捻る。
女はゆっくりと、腕時計を眺める。そしてため息をひとつ吐くと、親指を立てた。
ふたりは視線を合わせて、そのまま歩き出す。そして、ひとつの店にたどり着く。二四時間営業しているファミリーレストランである。
「いらっしゃませー」
深夜だと云うのに陽気な声が響く。二名、と必要最小限の口数で席に案内してもらうと、男はメニューを女に渡す。
女はメニューを確認するふりをして、間に封筒を挟む。それを男に戻すと、男は封筒の中身を膝の上で確認する。……そこでようやく、契約が成立する。
「いい夢を」
男がにやりと笑いながらそう言うと、女は席を立ち、出て行く。男はどうやらそのまま残るらしく、メニューをそのまま眺め始めた。
一時間ほど、レストランで食事を楽しんだあと、男は店を出た。
腕時計を眺めると、時刻は二時半。そろそろ外を闊歩する人間の数も減ってきている。先ほどの女が今夜最後の客だったようだ。男はそれでも封筒の中身を見て満足していた。
ピン、と音を立てて、親指を使い百円玉を上空に弾くと、それが地面に落ちて乾いた音を立てる。
すると、次の瞬間には男はその場所から姿を消していた。
男個人の感覚としてはごく普通のまま。
―――とは言え、第三者から見れば下半身がまるで煙のようになっている。
目の錯覚かと思う。普通の人間ならそう思うだろうし、寧ろ、そう思わないことが現代社会では不思議だ。科学と常識に守れたこの世界では、それで証明できない不可思議現象はすべて「トリック」のひと言で片付けられてしまう。
ゆっくりと歩く男。煙になっていると云うのに、〝歩く〟と云う表現は若干違うような気がするが、もし足があったときにこの行動をするのであれば、きっと〝歩く〟と云う行動だったはずだ。彼は普通に歩いているだけで、ただ今の彼のカタチでは歩いていると比喩するのが難しいだけだ。
すると、その煙はそのまま上昇を始める。当然だ、煙なのだから。上昇した彼の体は、ゆっくり、ゆっくり、ビルを壁伝いにあがっていく。……どれだけの時間を掛けたか、彼はやっとビルの屋上にまでたどり着いて、その体を元の体に戻した。煙のままでは上昇を続けてしまい、後戻りできなくなる。
ひとつ、息を吐く。
体は一気に元に戻るのではなく、徐々に戻っていく。煙になるのは一瞬でも、元の形を取り戻すにはそれなりの時間が掛かってしまうのが、この力の面倒なところであった。しかし、この力を不要だと思ったことはない。この力がなければ、今のような楽な暮らしはできていなかっただろう。ゆえに、この力にはとても感謝している。
時間にして一分。ようやく、元の体を取り戻そうとした頃合になって―――
「なるほど……また面倒な……」
―――思わず振り向く。
サングラス越しに見えるのは、幾つか年下の青年だった。見た目年齢からすると、幅はあるが大体一六から二〇ぐらいだろうか。少なくとも、男には手前の青年は学生のように思えた。
予想外の出来事に、男も焦る。今までこの街で商売をしてきたが、自分が煙から元に戻る姿を見られたのはこれが初めての出来事だったからである。煙になる姿を見られはしても、それは先も述べたようにトリックのひと言で片づけられてしまう。消えてしまえば、その証拠も目だけになってしまう。ゆえに、追われることもなかった。
だが今回は違う。
元に戻る瞬間を見られたのである。当然、消えるときと同じで、それもトリックだと言ってしまえば問題はまったくない。そうシミュレーションしていたので、それを口にすれば良いはずだ。
悪い予感はひとつある。
この青年は、狙って自分の元に戻る瞬間に立ち会ったのではないのだろうか?
そんな、予感だ。
本来あり得るはずがない。そんなのは無理だ。こんなデタラメなことを信じるような人間はいない。
けど、だとしても、いや……
「魔術師」
思わず、男は呟いてしまった。
しまった、と思って口を閉じてももう遅い。手前の青年はわざとらしく口元をにやりと吊り上げて、笑った。
「こちとら面倒ごとは嫌いなんで、とっととこっちの要求を呑んでもらえると幸いだよ」
右腕をぐるんとまわして、ウォーミングアップ。