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からくる  作者: ゆきみね
9/19

からくる8

 咲良が駆け付けた時には、そこにはもう、大事なものは残っていなかった。





「兄様!?」

 遠く木々の間、見覚えのある着物が、ぴくりとも動かず、血に塗れて転がっていた。

「兄様!」

 咲良はなんとか声を振り絞って呼びかける。だが返事は無い。いつもは呼ばなくてもひっついてくる兄が、咲良の呼びかけに応えない。

「嘘でしょう兄様…?お願い、返事をしてくださいっ…」

 咲良は傷だらけの足を引きずりながら、よろりと兄の方へと足を踏み出す。

 兄の情報を掴んでここに来るまでの間、異常な数の鎌鼬達に足止めをされた。絡繰部隊を指揮して追いやろうとしても、すぐに編成した陣形を崩されていった。咲良とてその位で負けるわけにはいかず、すぐに次の行動に出たが、あの数を制することは出来なかった。幾ら妖並の身体能力を誇るとはいえ、実際絡繰部隊は少数精鋭で、数に勝つことは不可能に近かった。何とか状況を打開しようと、無理矢理部隊を兄の捜索班と鎌鼬の足止め班の二つに分け、後者の指揮を取って咲良は何とかここまで辿り着いた。足止め班を作ったにも関わらず追ってくる強い風に、いつの間にか咲良の班の人間も数名になっていた。まさかここまで人数を減らされるとは、誰も予想していなかった。そして、その残った者達でさえ、既にボロボロだった。

「にいさ、ま…!」

 自分の心配が本当になるなんて思いたくなかった。自分達がボロボロだからと言って、兄がボロボロになっているとは限らない。何だかんだで、実際普段から妖を担当している兄の方が自分より戦闘に置いて優れているだろう思っていた。だから、幾ら自分が心配したところで、そんなことは杞憂だと、ずっと自分に言い聞かせてここまで来た。

「兄様!!」

 咲良は走り出す。一気に駆け寄って、しゃがみこんで触れた「それ」は、確かに兄だった。着物も髪の毛も顔も血に塗れていたけど、まだ温かかった。だけど、返事は無い。そして兄に触れた咲良の手に、生温かいものがべとりと付着する。きつい匂いが咲良を襲った。ふと視線を落とした先にあったそれらの量は異常で、それが流れ落ちている場所は深く抉られていた。咲良がぴたりと動きを止める。どこかで暢気に「あぁこれは致命傷だな」という考えが巡った。

あぁ、そうだ。これは、致命傷だ。これは致命傷なんだ。

だけど信じたくない。だって兄様は銀家の当主なのに。最後にかけた言葉は「どうぞお気をつけて」それだけだった。それで終わりだなんて、そんなはずない。最後なんかじゃない、信じたくない。でも、あぁ、これは致命傷だ。

グルグルとした考えと感情が咲良を襲う。そして、何かが弾け飛んだ。ぐるりと辺りに意識を飛ばし、咲良はその気配を掴みとる。今まで感じた事の無い気配。たぶんあれが、元凶。

 (あの気配を殺してやろう、もしくは一矢報いてやろう)そう思ってゆっくり顔を持ち上げた咲良は、その側に居るもう一つの気配に気付いた。そして焦ってガバッと立ち上がる。直ぐにその場を離れようとして、咲良はハッと兄を見下ろした。そこにいるのは、一度たりとも返事を返してくれなかった兄。物言わぬ人となった兄が自分に語りかけることは無い。鼻の奥がツンと痺れ、一気に色々なものが溢れそうになったが、咲良は腹にグッと力を込めて、背筋を正す。ぎゅっと握りしめられた拳が、僅かに震える。

(だけど、逃げていては、また大事なものを失ってしまう)

 部隊の人間一人を兄の側に付かせ、残りの部隊の人間と共に咲良は地を駆けた。



**



 片翼を食いちぎられたれいに、どこかに逃げる術などなかった。勿論逃げるつもりなど毛頭なかったが、確実に伝わってきた主の消失に、気力を失いかけていた。左近の主要従者であるれいにとって、左近は唯一無二の存在である。それを守れず、失い、既に自分という妖のプライドもその身体も、ボロボロだった。だがなんとか左近と自分の契約に身を奮い立たせ、れいは血塗れの錫杖を振るい窮奇に飛びかかる。鎌鼬達はいつの間にか失せていて、残ったれいと鎌鼬達の風を吸い込んだ窮奇の一騎打ちだった。振りかぶった錫杖はガインッと音を立てて、窮奇の牙に止められる。窮奇がその顎にグッと力を入れたのを悟り、れいは折られる前にその身を離した。その瞬間だった。

「!」

 窮奇の頭上から複数の黒い塊が落ちてきた。それらは窮奇に短剣を突き刺すと、その勢いのまま窮奇の後方へと飛びさる。突然の襲撃を受けた窮奇はそちらにぐるりと身を翻し、一気に間合いを詰めてその塊の内の一つに食らいついた。べきりと骨が砕け、肉が軋む音がしたかと思うと、他の塊が窮奇の左右後方に回り込む。肉塊を咥えたままの窮奇はその頭をグワンッと右方に回し、咥えていた肉塊を自分の右に回った他の塊に叩き込んだ。叩き込まれた塊はそのまま近場の大木に勢いよく叩きつけられ、べしゃり、と地面に落ちた。だがそれさえも無視して、残った塊達が窮奇に新たな短剣を突き刺す。

 れいはその短剣に見覚えがあった。人間離れした絡繰部隊が妖と戦う為だけに作られた短剣。なんでこんなところに居るの、そう叱責しようとした瞬間、窮奇が一人だけ違う格好の、目立つ金髪の塊に目をつけ、飛びかかった。

「咲良ぁっ!!!」

 れいは羽団扇を持つ血が滴る右腕を勢いよく振り上げ、咲良の体を吹っ飛ばした。突然思いもしない方向から来た竜巻に、咲良と他の絡繰部隊は勢いよく吹っ飛ばされた。ただその竜巻に直撃したであろう窮奇だけはビクともせず、れいを睨みつける。

「っとに…!そっちを吹っ飛ばして正解だったみたいね…!」

 遠く吹き飛ばされた咲良達がよろけながら立ち上がるのが見えた。れいはその無事を確認し、大きな声で咲良に叫びかける。

「いい!?オレと左近の契約は「死んでも咲良を守る事」!あんたに死なれたら困るわけ!わかったらとっとと逃げなさい!」

 要点をまとめて迅速に言い放つが、咲良は首を縦に振ろうとはしない。咲良もわかっているはずだ、自分達ではこの妖に勝てないことを。だが咲良は必死に顔を横に振っている。

「嫌…!!」

「咲良っ…!」

 血に塗れたれいの顔がくしゃりと歪む。自分に食って掛かろうとする窮奇をなんとかかわしながら、辛そうに、苦しそうに、少し怒気を含んで叫ぶ。

「馬鹿言うんじゃないの!オレと左近が一筋縄でいかなかった相手に、幾ら絡繰部隊だからって、あんた達人間なんかが勝てるわけないでしょう…!とっととお逃げ!」

 だが咲良はれいの言葉を聞かず、部隊の人間と共に間合いを詰める。れいが咄嗟に開けさせた距離など彼女達に意味は無くて、すぐに窮奇に襲い掛かる。窮奇も自分の背後から襲ってくる気配に気付き、その翼をごぅっとはためかせ、一旦大木の上へと避難する。窮奇が上に逃げたことでれいは咲良達との距離を縮め、咲良を背後に庇う。

「お逃げったら!物わかりの悪い子!」

 左近に託された彼の最後の呪いも、そろそろ尽きようとしている。そうなれば自分はあの妖に一撃で殺されてしまうだろう。そうしたら誰がこの子を守るというのか。だが、それでも咲良は首を縦には振らない。

「嫌です!貴方だってそんな身体で、どう戦うおつもりですか!お願い、お願いですから!独りにしないでっ…!!!」

 気丈にふるまって見せていた咲良も、ついに(せき)を切ったように泣き出した。





 咲良は父親と母親が死んだときの事はよく覚えていない。どうして死んだか。どうやって死んだか。抑圧されたであろう記憶は、この年になっても開かれることはない。だけどその時、その場に兄は居なくて、咲良は独りで泣いていた事だけは覚えている。

 外だった。雨が降っていた。暗かった。血が流れていた。呼んでも誰も返事をしてくれない。ねぇ、誰か。私はここよ、独りにしないで。父様、母様、兄様…。ねぇ、誰か。どうして死んでしまうの、私が弱かったからなの?誰か、私を独りにしないで…!!

『大丈夫、もう独りじゃないよ。ほら、僕がいる』

 記憶の中で泣きじゃくる幼子を暖かく包み込んだあの人は、その時も血に濡れて真っ赤だった。だが咲良を宥める優しい声は、響かない。もう自分には、れいしかいないのだ。

 泣きながら咲良が言葉を続けようとしたその時だった。

「もう独りじゃありませんよ」

 咲良の後方からその声が響くと同時に、轟音が咲良の前方に鳴り響いた。土埃がごぉっと舞い上がり、辺りの木々がまるでゴミのように散り散りになる。その破壊地点の中心には、少年と思しき人影があり、聞き覚えのある声で「ち、外れたか」とのたまった。急に展開したその光景に目を丸くした咲良が反射的に振り向くと、そこに居たのは、

「…き、よたか、さん…?」

 汚れたスーツ姿の清高だった。



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