からくる7
あの子が傷つくから、無茶はするなと約束させられた。だけど、その約束は守れない。彼が律儀に約束を守る男でも、自分はそんな風には出来ない。自分は咲良の兄であると同時に、銀家の当主なのだ。当主としての仕事を、成さねばならない。それが自分の寿命を縮めるものでも、成さねばならない。咲良に隠しているこの力を使ってでも、それが咲良の安全につながるのなら、なんのことは無い。
「ギリギリの無茶をする予定、なんだけどね」
**
1人、また1人。左近の周りを守る烏天狗達が息絶えていく。ある者は翼を落とされ、ある者は首を飛ばされ、ある者は足を絶たれた。
「こんだけ沢山の鎌鼬を操っているなんて、ね」
自分を襲う無数の風の刃をすんでのところで避けながら、左近は木々の中を駆け抜ける。否、正しくは駆けながら逃げている。徹夜で対峙して、息も切れ切れな彼を守るように、れいが後ろ向きに飛びながら羽団扇を振るった。ゴォオッと大きい音がなって、自分たちに襲い掛かる刃を一気に吹き飛ばす。元来鎌鼬とは人の目に見える妖ではないが、しかし左近達に襲い掛かる刃の数から計るに、その数は恐ろしいほど多いと予想された。故に、すぐに鎌鼬達が生んだ新しい風の塊が雪崩れてくる。地面はその大きな風の流れで土埃をあげ、まるで遠方から大量の土砂崩れが迫ってきているかのような錯覚に襲われる。
「ま、っるで絡繰部隊の子たちを思い出すわっ…!!しつこいったら…!」
少し隙を見せれば大量の風の刃で襲い掛かり、次々に烏天狗をその刃の中に飲み込んでいく。徐々に味方の勢力を削られつつあるれいは、錫杖を振りかぶった。
「小賢しいっ…!!」
錫杖は大きな音を立てて振り払われ、まるで刃物のように、襲い来る風もろとも姿の見えない妖を切り裂いた。鎌鼬達がひるんで風が弱まった隙に、残った烏天狗達が畳み掛ける。
数さえ減らせば力はこちらにある。押し返す烏天狗達に加勢するように、先ほどまでひた逃げていた左近がバッと振り返り、何かを唱える。たっぷり10数秒かけて唱え終わると、突然烏天狗達の目が一層血走り、先ほどより強く鎌鼬達の風を消していく。左近はその様子を見つめながら、よろりと近くに木に倒れ掛かった。
「左近!」
れいがバッと半身を捻って左近を振り返る。左近の様子は、ただ走り回って疲れたというよりも、自身が戦い抜き、精根尽き果てたという感じだった。心配そうに自分を気に掛ける大男姿のれいに、左近は苦笑いを返す。
「こっち気にしている場合じゃないでしょ…君も加勢してくれなきゃ」
左近がグッと目に力を込めると、れいの体がビクンとはねて、その羽がぶわっ!と逆毛立った。自分に流れ込んだ左近の力を感じ取ったれいは、即座に鎌鼬達の方に向き直るも、左近を叱責する。
「っ…要らない命削ってんじゃないの!」
今回この力を使いたかったからこそ、左近は絡繰部隊を遠ざけた。それは咲良にさえ隠してきた、自らの命を代償に妖の力を増す力。妖が側に居なければ、全くの無力に等しい力。使うことすら出来ない力。便利とは程遠い力。
しかし、歳をとって、自らの妖を得てその力を使えるようになってからは、他に突出した能力のない左近には無くてはならないものだった。
「使い切るつもりは無いから安心して?殺されたら、別だけ、っ…!」
自分の唯一の力に対して冗談めかして笑おうとした時だった。彼の左わき腹を、熱いものが抉った。質素な灰褐色の着物が、その色を一層濃く、深くした。
ここ最近命を使いすぎていたようで、呪いを唱えた直後、左近は眩暈に襲われた。その一時、油断した。注意を払っていたはずの“もう1つ”の気配が移動していたことに、気付くのが遅れていた。いつの間にか自分の後ろに移動していた気配が急接近したかと思うと、腹からどっと熱いものがあふれ出した。左近は苦笑いする。口からも、ゴフッと鉄臭いものがあふれ出す。
(注意を払えても、それを見失っていたら、絡繰部隊の子に言えた立場じゃないね)
左近は苦しそうに、自らの妖達に向けて追加の呪いを唱えた。そして、崩れ落ちた。
**
突然ずしゃっと肉塊が地に伏す音がして、れいは反射的に後ろを振り返った。血だまりの中に崩れ落ちている左近を見つけたれいは瞬時に青ざめ、咄嗟に駆け寄ろうとした。そして1歩分踏み出した瞬間、その存在に視線を奪われた。
れいの後ろに居た左近の、更にその背後に居たのは、翼を持った虎。先ほどまでの鎌鼬達などくらべものにもならない大きさ、存在感、威圧感。その口元は、鮮やかな朱に染まっている。
先ほどまで鎌鼬達がまとっていた風が、れい達天狗を通り越して、その妖の周りに集まっていく。風を操る天狗ですら、その流れを遮ることが出来ない。その光景と気の流れをしっかりと確認したれいの額に、ひやりとしたものが流れた。
「ま、さか、窮奇…?」
(左近が注意を払っていた“もう1つ”の気配って、まさか、窮奇だったの?)
窮奇とはそれすなわち四凶、古代の皇帝ですら封印するのが精いっぱいだった、大陸の悪神である。戦闘不能の左近を抱えたれい達が対峙するのは、この気味悪いほどの鎌鼬達と、妖の上を行く、神だった。