からくる5
「さ~く~ら~!僕ちょっと外に出て来るから!」
「は?」
「え、何そのあからさまに蔑むような顔。お前仕事しろよ的な顔。違うから!遊びに行くんじゃないから!きちんと仕事だからね?」
「兄様、そうやって言うから怪しまれるのですよ…」
咲良は肩をすくめて見せる。昨日は朝から清高と何か熱心に話し込んでいたかと思えば、今日は朝から行先も告げずお出かけか。だがそれ以上追及することはせず、「どうぞお気をつけて」と素直に兄を送り出した。左近は「うん、行ってくるね」とすぐさま踵を返す。咲良はソッと遠ざかる兄の背中に視線を走らせる。そして兄を見つめたまま、帯の間から青い紐の付いた鈴を取り出し、横に2回振った。
「本当に、あの子は心配性っていうか、僕を信じてないっていうか」
左近は自邸の門でピタリと足を止め、すうっと大きく息を吸った。そして盛大に吐き出す。そしてくるりと身を翻し、先ほどまで自分が居た屋敷に向き直った。
「僕の仕事は僕の管轄。たとえ愛しき妹君の命令でも、第三者に邪魔されるのは困るなぁ」
「…邪魔などは…」
門の影から青年の声がする。その姿は見えない。
「うん、存在が邪魔って意味だから。しっかし、部隊の人間をつけたという事は、咲良は仕事だとは信じてくれてるんだよね。でも僕が無茶すると思っている」
左近はぽりぽりと頭をかいた。
「あの子ほどの無茶はしないんだけどなぁ」
幾ら人間離れしているとは言え、生身の人間だけで妖にかかっていくなんて咲良や絡繰部隊みたいな無茶、左近はしない。自分の力量は知っているつもりだから、無茶をするなら、己の力量でカバー出来るかどうかといった、ギリギリの無茶をする。だから極度の無茶は禁物な妖は自分、ちょっとくらい無茶してもいい人間は咲良に任せたのに、いつの間にか咲良が極度の無茶をして妖に食って掛かっていた。そしていつの間にか、あの子は兄が妖と対峙することを酷く心配し、こうやって手を出し始めていた。本人が来ると左近に怒られるので、ひっそりと部隊の人間に後を追わせるのだ。左近は妹の心配も仕方ないと今までは黙認していた。しかし、
「今回ばかりは君達は居るだけ邪魔なんだ」
「…私達の主人は咲良様ですので…」
「僕はその咲良の兄なんだけどなぁ。まぁそういう忠誠心は素晴らしいと思うよ、だからこその絡繰部隊だ。だけど引いてあげるわけにはいかない。言う事聞いてくれたら、今度から週1でれいとの手合せを考えてあげてもいいけど」
鞍馬の天狗との週1での手合せ。妖と共に育ち、闘争こそを人生の糧として生きてきた彼らに取って、喉から手が出る位のエサだ。
「っ…ですが、このまま帰るわけには参りません。それに左近様は「考えてあげる」とおっしゃいました。可とはおっしゃっていない」
左近がゆったりと笑う。いつも通りの調子でしゃべる左近に変化はない。
「よく言の端まで聞く子だね。そうだね、考えるだけ。それでも、ちょっと揺らいだ?ふふ、やっぱりこれは魅力的な交渉材料なんだねぇ。でも引かないとは、君らの信頼と絆は素晴らしいね」
「だけど」左近は続ける。
「僕も引けないなぁ、あの子に、無茶をさせたくないんだ」
左近の声がスッと低くなる。あの子に無茶はさせたくない。戦う必要が無いなら、戦わなくていい。あの子は女の子。着飾り、化粧をし、恋に楽しむ、可憐で庇護の対象である女の子であるべきなのだ。そうしてあげたかった。それなのにそうさせてあげられなかったのは自分。あの子が安心できるようにふるまってあげられなかった。血腥いものは見せようとしなかった。だから何も知らないあの子は、兄を守ろうと、自分で血腥い道に走ってしまった。左近はバツが悪そうに苦笑いして見せた。
「追い返すと咲良に何報告するかわからないからね。ちょっと微睡んでてもらおうか?」
青年がハッと息をのむ声がした。そして青年は意識を手放した。
「ね、僕らが殺す気なら君はとっくに死んでた。僕と、れいの気配に気を配ればいいと誤解していた。それはあの子も一緒だろうね。何も知らない、まだ色んな事を吸収することを学ばなきゃいけない段階だ。だからそんな君達を、今回は連れていけないんだよ」
左近はくるりと向きを変え、門を背にした。
「左近様、この者、どうしましょう」
背後の門の影から左近に声がかかる。
「僕が戻ってくるまで咲良の元に戻さなければそれで良いよ。それと鈴を連絡手段に使っているから、今の内に奪っておくように」
「御意」
「今は不意を突いたけど、一応絡繰部隊だから次は簡単にいかないかもね。念のために3人程つけておくか。それ以外の烏天狗は僕とおいで」
瞬時にバサバサッと鳥の羽ばたく音がして、十数羽の烏が銀家から飛び立った。昼間っから不吉な光景である。左近は小さく笑った。
「隠し事ばかりしてごめんね、咲良」
**
「…返事が無い」
咲良の鈴に対する返答の鈴が鳴らない。相手に距離の関係で聞こえていない、とは思えない。どんなに離れていようと、この鈴が聞こえない人間など絡繰部隊には居ない。つまりこの鈴の音は届いている。
ならどうして返答の鈴が鳴らない。鈴を鳴らせる状況に無いという事か。それは一体どういう状況だ?自分自身が戦闘に巻き込まれたのか?だがたかが鈴1つ、戦いながら鳴らすことができないような奴を付けた覚えはない。では何故だ。不慮の事故で鈴を無くしたか?当の本人の身体の自由が奪われたのか?意識が無くて不可能なのか?
「…兄様に排除されたか…」
一通り考えた可能性の先行きついた結論に、咲良は額に手を当てて唸った。絡繰部隊の中から更に選んで後を付けさせた人間がこのような状況に陥っているとすれば、それしかないだろう。
いつも大目に見てくれている兄が自分達を近づけようとしなかった。これは一体どういうことだ。急に出て行ったから何事かと心配して部隊の人間を付けたが、更に排除されるとは、よほどのことなのだろうか。
「…兄様」
咲良は知っている。兄はいつもお気楽そうにしていて、色々考えていて、色々考え込んでいて、色々背負っていることを。そしてそれらの中身を絶対に咲良に見せようとしないことを。
普段の自分の無茶を棚上げして、咲良はいつもとは違う様子だった兄に遠く思いを馳せるのだった。