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私の部屋のクローゼットからボロボロの勇者が夜な夜な出てくる



 私――辺境伯令嬢ハンナの日常は崩壊した。

 領地のすぐ隣に『魔王級ダンジョン』なるふざけた代物が観測された日のことだった。


 父である辺境伯は顔面蒼白で「我が領地もこれまでか……」と嘆き、使用人たちは荷物をまとめ始め、私は神棚に祈るしかなかった。


 だが、神は見捨てていなかった。


 国一番の美形にして歴代最強と名高い勇者――ライアス様が討伐に名乗りを上げてくれたのだ。


 王都から到着したライアス様は噂に違わぬ美丈夫だ。

 黄金の髪に、宝石のような碧眼。

 鍛え上げられた長身に聖剣を携え「民の安寧は僕が守る」と爽やかに微笑んだその姿は、お伽噺から抜け出てきたかのようだった。


 父は涙を流して感謝し、私も「これでようやく枕を高くして眠れる」と胸を撫で下ろした。


 そう、安心したのだ。

 彼に任せておけば全てうまくいくと。


 だから私はその夜、久しぶりに訪れた安眠の予感に包まれながらベッドに入ったのである。



 ――そして深夜。


 ガタゴトッ、という不穏な音が室内を揺らした。


「……え?」


 音の出所は、部屋の隅にあるクローゼットだ。


 泥棒? それとも魔物の斥候?

 私が恐怖に身をすくませて布団を被り直そうとした、その瞬間。


 バタンッ!!


 勢いよく扉が開き、中から『なにか』が転がり出てきた。


「ぐふっ……」


 ドサリと絨毯に突っ伏したのは全身血まみれの男。

 よく見ればその豪奢な金髪と整った顔立ちは見覚えがありすぎる。


「きゃぁぁぁっ!?」


 私は思わず悲鳴を上げる。



 ――そこにはあんなにキラキラしていた勇者ライアス様が、見るも無惨な姿で転がっていたのだ!



 慌てて駆け寄ろうとした私を制するように、彼は血塗れの手を上げた。


「……もう無理」

「は?」

「辞める。やってられない」


 彼はうつろな目でそう呟くと、這いつくばったままズルズルと移動を開始した。

 向かう先は、私のベッドの下。


「ちょっと待ってください、勇者様!? なんで私の部屋に!? というか血が!」

「回復魔法……」


 彼がボソリと詠唱すると、身体を包んでいた傷と血が一瞬で消え失せた。

 さすがは勇者、回復魔法も超一級らしい。


 けれど綺麗になった彼は立ち上がることもなく、そのまま芋虫のようにベッドの下へ潜り込んでしまった。


「ここが一番落ち着く……」

「落ち着かないでください! そこは私の寝床の下です!」


 私は混乱の極みにあった。


 なんで勇者がクローゼットから?

 なんで怪我を?

 というか不法侵入では?


 ベッドの下の闇に引きこもった勇者様をなんとかなだめすかし、話を聞き出すことに成功した私は知った。


 まず、勇者の家系には『セーブポイント』という特殊能力があるらしい。

 命を落としても『女神の祭壇』で蘇る。それが彼が勇者と呼ばれる所以だそうだ。

 ここまではいい。すごい能力だ。


 問題は、その『女神の祭壇』の場所である。


「一番近い古代の祭壇跡地が君の部屋のあのクローゼットだったんだ」


「なんでそうなったんですか!?」


 どうやら私の部屋は大昔の聖なる場所の上に建っているらしい。

 つまり彼はダンジョンで死ぬたびに私のクローゼットの中で復活する運命にあるというわけだ。


 ……百歩譲ってそれは許そう。領地の平和のためだ。

 だが、最大の問題はそこではない。


「もう行きたくない。あそこは過去類を見ないクソダンジョンだ」


 ベッドの下から拗ねた子供のような声が聞こえてくる。


「敵の配置がいやらしいし即死トラップばっかりだし……。もう疲れた。僕はここで一生暮らす」

「勇者様が辞めたら魔王が来て領地が壊滅します!」

「知らないよ……」


 なんてことだ。


 昼間の凛々しい英雄像はどこへやら、今の彼はただの『メンタルが豆腐以下のイケメン』に成り下がっている!


 このままではまずい。

 父も領民も彼だけが頼りなのだ。


 彼を動かすにはどうすればいい?


 名誉?

 いや、今の彼には響かないだろう。

 責任感……は放棄している。


 ならば──即物的な利益だ。


 私は部屋の隠し棚からとっておきの缶を取り出した。


「勇者様、出てきてください。いいものがありますよ」

「……いいものって何?」

「王都でも手に入らない最高級の焼き菓子です。バターと蜂蜜をたっぷり使った背徳の味ですよ」


 カチャリ、と缶の蓋を開ける。

 甘く香ばしい匂いが部屋に漂うと、ベッドの下から金髪の頭がそろりと覗いた。


「……匂いは悪くない」

「でしょう? 魔王を倒してくださるならこれを全部差し上げます」


 彼は警戒心を解かない野良猫のようにサッと手を伸ばしてクッキーを一枚奪い取ると口に放り込んだ。


 サクッ。


「…………!」


 碧眼が見開かれる。


「……おいしい」

「ふふん、そうでしょうとも」

「これ、もっとある?」

「ええ、ありますとも。ですがこれはダンジョン攻略のエネルギー補給用です。続きが食べたければ……わかりますね?」


 彼は苦渋の表情で葛藤していたが、やがて観念したように這い出てきた。


 チョロい。

 国一番の英雄がこれでいいのかと不安になるが、今はこれを利用するしかない。


「わかった、行ってくる。でも死んだらそのクッキーをまたもらうから」

「はいはい、お気をつけて」



 こうして、勇者ライアスは再び夜の闇へと消えていった。

 お菓子一缶で世界が救えるなら安いものである。


 ──と、その時の私は思っていたのだ。



 ◇



 それからというもの、私の部屋は勇者の『実家』と化した。


 彼はダンジョンで死ぬたびにクローゼットから転がり出てきては、私のベッドやソファでくつろぎ始めるのだ。


「ただいま」

「早かったですね、今回は」

「五階層のエリア設計がおかしいんだ」


 現在、ライアス様は私の部屋でお茶を啜りながら愚痴をこぼしている。

 目の前のテーブルには彼が要求した山盛りのお菓子。


「毒の沼地が広すぎて解毒が間に合わないんだ。沼から湧いてくる敵は硬いし……。あーもう嫌だ」


 彼の言い分はよくわからないが、要するに「難しすぎて心が折れそう」ということらしい。


 常人離れした戦闘力を持つ彼は、普通の冒険者とパーティーを組むと逆に足手まといになるらしい。

 基本的にはソロ攻略だ。

 その分、愚痴を吐き出せる相手は私しかいない。


「もう今日は休んでいいかな? 明日また頑張るから」

「ダメです。魔王は待ってくれません」


 私は心を鬼にして彼の尻を叩く。


「毒沼が広いなら気合いで走り抜ければいいじゃないですか!」

「は? 君、さらっと無茶を言うね? 毒だよ? 死ぬよ?」

「死んでもクローゼットに戻るだけでしょう。それにライアス様なら毒が回る前に抜けられるはずです!」

「できるかもしれないけど、痛いのは嫌だし……」


「(よくわかんないけど)大丈夫です! ほら、この特注の高級クッションをあげますから!」


 私はふかふかの羽毛クッションを押し付けた。


「……っ! ふかふかだ……。これ持って行っていいの?」

「はい、クリアしたら差し上げます」

「……わかった。死ぬ気で走る」


 チョロい。

 チョロすぎる。


 彼はクッションを愛おしそうに撫でた後、再び聖剣を担いで出ていった。

 私の適当かつ強気なアドバイスと安らぎグッズで、彼は今日も死地へと向かう。


 私は勇者のメンタルケアという名の介護をしつつ、報酬を小出しにしてなんとかやる気を維持させた。




 そんな奇妙な同棲(?)生活が続いて数週間。

 ついに在庫のお菓子が底をつきかけた。


 死に戻ったライアス様は血を拭った顔で不満げに口を尖らせる。


「ハンナ、あのお菓子もうないの?」

「あいにく物流が止まっていますので」

「えー……じゃあやる気出ない。今回のボスは理不尽な強さなのに」


 ――また始まった。

 勇者の職務放棄宣言である。


「お菓子はありませんが……次のエリアを踏破できたら、私の手料理を振る舞いましょう」

「手料理?」


 彼は疑わしそうな目を私に向けた。


「貴族の令嬢が料理なんてできるの?」

「失礼な。趣味はお菓子作りと料理です。実家のシェフにも負けません」

「ふーん……。あのお菓子よりおいしいの?」

「と、当然です! あのお菓子の三倍はおいしいと保証します!」


 あのお菓子よりおいしいとは言えないかもしれないが……。

 実際のところ、私の料理の腕はそこそこ自信がある。

 それに、彼のような単純な……素直な男性なら胃袋を掴むのが一番手っ取り早いはずだ。


「三倍か……」


 彼は真剣な顔で数秒悩み、やがて決意したように頷いた。


「じゃあ、やってみるか。三倍の対価に見合う働きをしてくるよ」


 そうして彼は再びダンジョンへ向かい──数時間後、ボロボロになりながらもボスを撃破して戻ってきた。

 ……次の階層で死に戻ってきたようだが。

 


「約束通り倒してきたよ……」

「お疲れ様です! さあ召し上がってください!」


 用意していた特製シチューと焼きたてのパン。

 彼は目を輝かせて席につき、スプーンを口に運ぶ。


「……」

「どうですか?」


 緊張の一瞬。

 彼はゆっくりと飲み込み、そして静かに言った。


「……おいしいけど、せいぜい八割ぐらいかな」

「は?」


 私は思わず真顔になった。


「あのお菓子の衝撃に比べると家庭的な味というか……。いや、おいしいんだけどね? 三倍というハードルが高すぎたというか……」

「……」

「なんかこう、やる気が減りそう……」


「じゃあ食べなくていいです!」


 私が皿を下げようとすると、彼は慌ててテーブルにしがみついた。


「うそうそ、百倍おいしい! めちゃくちゃおいしいから下げないで!」

「まったく……」


 本当に手のかかる勇者様だ。

 私はため息をつきつつ、ガツガツとシチューを頬張る彼を見つめる。


 文句を言いながらも彼が完食してくれた皿を見て、少しだけ胸が温かくなったのは秘密だ。



 ◇ ◇



「次の階層守護者を倒したら、膝枕十分追加で」


「……は?」

「だから膝枕。十分間。それがないともう一歩も動けない」


 私の部屋の絨毯の上で大の字に寝転がりながら、勇者ライアス様は真顔でそう言い放った。

 手には私が焼いたクッキーを持ち、口から出るのは英雄らしからぬ駄々っ子のような要求。


 私はこめかみを指で押さえながらため息交じりに彼を見下ろした。


「勇者様、膝枕は世界を救うためのエネルギーになり得ますか?」


「なるね。あの高級羽毛クッションよりも回復効率がいい」


「……わかりました、十分だけですよ」


「よし、行ってくる!」


 彼はそう言うと、さっきまでの死にそうな顔が嘘のように跳ね起きてクローゼットの中へと消えていく。


 ……チョロい。

 相変わらずチョロすぎる。


 けれど最近はその背中を見送るたびに胸の奥がチクリと痛む。




 最初はただの利害関係だった。

 彼には領地を救ってもらいたい。私は安心して眠りたい。

 そのためにお菓子やちょっとしたご褒美で彼を釣っていただけだ。


 けれど、彼がいつもボロボロになって帰ってくることに改めて気づいた。

 即死トラップに何度も引っかかり、強力な魔物に身体を引き裂かれる。

 そのたびに私のクローゼットで蘇生する。


 死の苦痛は蓄積し、精神を削り取っていくはずだ。


「残酷なことをしているのよね……」




 ある夜、私はぽつりと漏らした。


「戦わせてごめんなさい、ライアス様」



「ん? 何を言ってるの?」


 彼は私のベッドに腰掛け、不思議そうに首を傾げた。


「僕は他の誰かに言われるより、君に『行ってきなさい』と言われる方が楽なんだよ」


「え?」


「王都の連中は言うんだよ。『世界のために』『人々の希望になれ』って。顔も知らない誰かのために命を懸けろって、正義を押し付けてくる」


 彼はそこで言葉を切り、ふにゃりと笑った。


「でもハンナは違う。君は『私のために戦え』って言うだろう? 『領地がなくなると私が困るから』って」


「うっ……それは、その通りですけど……」


「それがいいんだ。高尚な正義より君の私利私欲の方がずっと分かりやすいし頑張れる。僕は世界中の期待に応える英雄じゃなくて、君の欲求を満たすだけの都合のいい男でいたいんだよ」


 ――なんてことを言うのだろう、この勇者は。

 嬉しそうに「都合のいい男でいい」と宣言している。


 その歪んだ信頼関係がどうしようもなく愛おしく思えてしまった私は、もう手遅れなのかもしれない。




 そして、ついにその時が来た。

 最下層。魔王の間への扉が開かれたのだ。


 ガタゴトッ! バタンッ!


「もう無理ぃぃぃぃ……」


 いつものようにクローゼットから転がり出てきたライアス様はいつも以上に重症だった。

 心が完全にポッキリと折れている音が聞こえた。


「もうやだ、魔王が強すぎる……。あんなの勝てない……」


「ライアス様! あと少しじゃないですか! それを倒せば終わりですよ!?」


「終わらなくていい! 僕はここで一生ハンナの部屋の床のシミになって暮らすんだ……」


 彼は素早い動きでベッドの下へ潜り込むと、ダンゴムシのように丸まってしまった。


 これは重症だ。

 今までの「お菓子」や「膝枕」でどうにかなるレベルではない。完全にSAN値が底をついている。


「ライアス様、出てきてください!」

「やだ! 絶対に出ない!」


 私たちがそんな不毛な攻防を繰り広げていた、その時だった。



 部屋のドアがノックされ、返事も待たずに父が入ってきた。


「ハンナ、起きているか」


 辺境伯である父の顔はかつてないほど憔悴しきっていた。

 私は慌ててベッドの前に立ちふさがり、下で震えている勇者を隠す。


「お父様? こんな夜更けにどうなさいました?」


「……大事な話があるのだ」


 父は重い足取りでソファに沈み込むと、深い深いため息をついた。


「実は……我が領の財政が限界を迎えた」


 ドキリ、とした。

 ダンジョンの出現による物流の混乱、避難する領民への補償、そして勇者様を迎えるための準備金。

 それらがボディブローのように効いていたのは知っていた。


「勇者殿への成功報酬も用意せねばならん。国からの支援は手続きに時間がかかる。もう首が回らんのだ」

「そんな……」

「そこでだ、ハンナ」


 父は苦渋の表情で、私を見上げた。


「隣の領地のキイゲモッハ伯爵を知っているな?」

「……あの、好色家と噂の?」


 キイゲモッハ伯爵。

 五度の離婚歴を持ち、若い娘を並べては品定めをするような好色で有名な古狸だ。

 年齢は父よりも上である。


「うむ。彼が資金援助を申し出てくれた。……その交換条件として、お前を後妻に迎えたいと」


 目の前が真っ暗になった。

 政略結婚。貴族の娘として生まれたからには、いつか覚悟していたことだ。


 でも相手があのキイゲモッハ伯爵?


「お父様……それは、あまりにも……」

「わかっている! だが、このままでは領民が飢え、勇者殿への報酬も払えず、家の名誉は地に落ちる!」


 父が顔を覆う。


 私は唇を噛み締める。

 拒否すれば父も領地も終わる。


 私が我慢すれば。

 私が犠牲になれば、全て丸く収まるのなら――?


「……わかりました。私がお受けしま――」




 ズザザザザッ!!!


 私の覚悟の言葉を遮ったのはベッドの下から響いた轟音だった。


「なんだ!?」


 父が飛び上がる。

 ベッドの下から何かが猛スピードで這い出してきたのだ。


 ――そして、立ち上がった彼の纏う空気は魔王よりも禍々しい。


「勇者殿!? なぜ娘の寝室に!?」


 父が腰を抜かしそうになりながら叫ぶ。


 無理もない。

 国一番の英雄が、夜這いどころか「ベッドの下から」出現したのだから。不審者というレベルを超えている。


 だがライアス様は父の狼狽など意に介さず、ゆらりと立ち上がった。

 その碧眼は先ほどまでの死んだ魚のような眼ではない。

 獲物を狙う猛獣のようにギラギラと輝いている。


「辺境伯」

「は、はいっ!?」

「今、なんと言った? 報酬が払えない?」

「あ、いや……。必ず用意はするつもりで! そのために娘を……!」


「なら、その必要はない」


 ライアス様はバサリとマントを翻すと、父を見下ろして宣言した。


「金はいらない。名誉も、地位もいらない」


 そして、その真っ直ぐな指先を、ビシッと私に向けたのだ。



「代わりに、彼女をくれ」



「……は?」

「……へ?」


 私と父の声が重なる。


「報酬の変更を要求する。金貨の山ではなく、ハンナ嬢との婚姻を望む。それならばキイゲモッハ何とかという男に頭を下げる必要はないだろう?」


「し、しかし……! 勇者殿ほどの御方が我が家の娘などでよろしいのですか!? もっと高貴な姫君や、莫大な富を……」


「いらない」


 彼は即答した。一秒の迷いもなかった。


「僕が欲しいのは、世界で唯一、僕を『勇者』ではなく『ライアス』として扱ってくれる彼女だけだ。彼女の作るシチューと、適当すぎる罵倒がなければ僕はもう生きていけない」


 ……罵倒は余計ではないだろうか。


 父は口をパクパクとさせて私を見た。


「ハンナ……。いつの間に勇者殿とそんな仲に……」

「い、いや、これはその……」


 混乱する私と父の前でライアス様が気恥ずかしそうに頬を掻く。


「ハンナ。勝手に決めてごめん。でも好色で知られる男のところに君が行くなんて話、ベッドの下で聞いてて我慢できなくて……。その、嫌だったかな?」


 上目遣いに私を見てくる彼。



 ――本当に、この人は。

 なんて不器用で、素直なのだ。



 私は精一杯の笑顔を作った。


「嫌なわけ、ないじゃないですか」


「本当!?」


「ええ。ただし――条件があります」


 私は彼に一歩近づき、その碧眼を真っ直ぐに見つめ返す。


「今から行って、魔王を倒してきてください」

「えっ、今から!? 心の傷がまだ……」


「つべこべ言わない。倒して、生きて帰ってくるのです」


 私は人差し指を立てて、彼に突きつける。


「そしてもう二度と、あのクローゼットからは出てこないでください」

「え?」

「セーブポイントからの復活なんて、もう禁止です。死に戻りもしないでください」


 私は深呼吸をして、一番伝えたかった言葉を告げる。



「玄関のベルを鳴らして、正面の扉から私に会いに来てください。……私の婚約者として」



 それは、私たちの奇妙な関係の終わりを告げる言葉だ。

 『セーブポイントの管理者』と『プレイヤー』という、閉じた箱庭での関係を終わらせる。


 そして、陽の当たる場所で対等な恋人同士になるための約束。


 ライアス様はきょとんとしていたが、やがてその意味を理解したのか顔をくしゃりと歪ませて笑った。

 今まで見た中で一番晴れやかで男らしい笑顔だった。


「……わかった。了解だ、マイ・レディ」


 彼は私の手を取り、甲に恭しく口づけを落とす。


「行ってくる。すぐに終わらせるよ」

「はい。お気をつけて」


 彼は聖剣を握りしめてダンジョンへ向かう。

 その背中にはもう迷いも恐怖も見えない。


 SAN値は全回復どころか、限界突破しているようだ。


 彼が姿を消した後、私はクローゼットの扉を閉めた。

 そして二度と開かないように、そっと鍵をかけたのだ。



 ◇ ◇ ◇



 それから数時間後のことだ。

 魔王討伐完了の知らせが屋敷に届く。


 ――同時に、屋敷の正面玄関の呼び鈴が高らかに鳴り響いた。


 私はスカートの裾を掴み、部屋を飛び出した。

 廊下を走り、階段を駆け下りる。

 「お嬢様、走っては危のうございます!」という侍女の声も耳に入らない。


 重厚な玄関の扉の前で、私は一度立ち止まり、息を整える。

 心臓が早鐘を打っている。


 ゆっくりと扉を開けた。


 そこに立っていたのは黄金に輝く髪をなびかせた青年。

 とびきりの笑顔を浮かべた私の英雄。


「ハンナ」


 彼は片手を挙げて、まるで散歩から帰ってきたかのように言った。


「約束の報酬、一生分もらいに来たよ」


 私は堪えきれずに吹き出した。

 そして大きく腕を広げて、彼の胸へと飛び込んだのだ。


「ええ、どうぞ! 一度受け取ったら返品不可ですからね!」


「望むところだ!」


 私の身体を力強く抱きしめ返す彼の体温は確かに温かい。


 こうして、私の部屋のクローゼットから始まった奇妙な英雄譚は幕を閉じた。

 これからは、この温もりと共に新しい物語が始まっていくのだ。


 ……彼のことだ。

 これからも「仕事が辛い」だの「膝枕してくれないと動けない」だのと駄々をこねるに違いない。

 けれど、それも悪くない。


 ――世界を救う英雄を、私が独占して甘やかしてやる。


 私は彼の胸の中で、幸せなため息をついた。

 ああ、本当に――チョロいのは、私の方だったのかもしれない。





 ◇ 女神様の視点 ◇


 私は思わず、あちゃーと額を押さえた。


 最強の勇者ライアスが飛ばされたのは、もう何百年も使われていない古い祭壇の跡地。

 座標ズレかと思いきや、まさか今は可愛い女の子の部屋の、しかもクローゼットになっているなんて。


 可哀想なライアス。

 女の子とひと悶着起こして、さぞかし気まずい思いをしていることでしょう。


『次は、この町にある別の祭壇から復活するのかしら?』


 町の教会にある祭壇なら、誰にも迷惑をかけずに復活できるはずだ。


 けれど。


 ――ピコンッ。


 再び死に戻った彼が選んだのはまたしても『あのクローゼット』だったのだ。


「……あら?」


 私は目を丸くした。

 三回目も、四回目も。彼は頑なに教会の祭壇を選ばない。


 そう、勇者は()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()はずなのだ。

 彼はそれを知っている。

 知っていて、なお。


 あの狭苦しいクローゼットを選び続けている。


「……ふふっ、なるほどね」


 私は頬杖をついてモニターの中の彼を見つめた。

 即死トラップに引っかかったふりをして、意気揚々とハンナちゃんの元へ帰還する彼の顔。


 ――あれは世界を救う顔じゃない。

 好きな子に甘えに行く男の子の顔だ。



 輪廻を司る女神のはずが、恋のキューピッドになった気分!



 そこからはもう、天界の特等席でラブコメ観賞会だ。

 駄々をこねて膝枕ねだっちゃったりして!

 見てるこっちが恥ずかしくて若返っちゃいそう!



 そして、ついにその時が来た。


 彼が正面玄関のベルを鳴らした瞬間。

 私はモニターの前で立ち上がり、もろ手を挙げて盛大な拍手を送った。


「おめでとう、ライアス! そしてハンナちゃん!」


 世界を救ったご褒美は、女神の祝福よりも、愛する人の手料理と温もり。

 それが一番だってこと、私だって知っているもの。


 末永くお幸せにね!




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― 新着の感想 ―
確かにベットの下とか押し入れってなんか落ち着くんだよなぁ
なんてハッピーエンドだ。尊い。
面白かったです。面白かったんですが… うっかりなふりして、ハンナに会いたいがために即死トラップに引っ掛かっていたってこと? いくら復活すると分かった上としても、瞬間には痛みや苦しみもあるだろう自分の死…
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