うちの坊ちゃんの婚約者になって差し上げてください 後編
来ていただいてありがとうございます!
嫌な気配がしたんだ。
小さい頃から嫌なものが近づくと分かることが多かった。
今もそう。
暗い部屋。ぼんやりとと灯った明かり。目が覚めて一瞬どこにいるのか分からなかった。そうだ。学校帰りに電車に乗ってたはずが何故か森で迷子になって、そして今は森の中のお屋敷の広いお部屋の天蓋付きのベッドの上だ。
「これって絶対いるよね。悪いオバケが!」
私はかけ布団を跳ね上げて飛び起きて部屋を飛び出した。『部屋から出ないでくださいね』ってチェンバーズさんに念押しされた言葉は頭から吹っ飛んでた。
「こっち!」
悪意を感じる方向へ走り、一つの部屋の前にたどり着いてノックも忘れてドアを開けた。カーテンが閉め切られた暗い部屋の中、装飾の美しい大きな椅子に座った黒髪の男の子が睨みつけていた。私ではなく目の前にわだかまる、部屋の暗さより尚深い煤みたいな闇を。
「入って来るな!!」
水色とアメジストのオッドアイが今度は私を睨んだ。なんて綺麗な男の子。私より少し年下?中学生くらいかな?この子も日本人じゃないみたい。その男の子の素足の足首を煤みたいな闇の手が掴んでる。その足元には分厚い本が落ちてて机にはランプの明かり……ううん、光る石が浮いてる???なんだこれ?
「早くここから出ていけ!!」
焦ったような怒ったような声に我に返った。闇は手を伸ばして足先から男の子の体を這い上がろうとしてる気がする。男の子は嫌そうに顔をゆがめた。このままじゃまずい。あれは絶対に悪いものだ。そう思ったら無意識に体が動いた。
「ちょっと!そんな小さい子に何するのよ!!」
バチンッ!
私は闇をはたいた。
「は……?」
黒髪の男の子は絶句してる。
実は私、小さい頃から霊とかが見えるんだよね。親にも誰にも言ってなかったけど。小さい頃から変なものに付きまとわれることが多かったから、短気な私はある日とうとうその霊を殴ってしまった。そうしたらその変なのは泣きながら逃げて行ったんだ。それ以来しつこい霊には平手打ちをお見舞いして撃退することにしてる。この煤みたいな闇は霊には見えなかったけど、嫌がる子に酷いことをしてるのを見てられなかったから思わず手が出ちゃった。煤闇は霧散して、部屋の中は少し明るさを取り戻した。
「良かった!これにも効いたわ」
私は残った黒い感触を払うように煤闇を殴った手をひらひらと振った。
「おい……」
「何だったのかしら、今の」
「おい、君は……」
「悪霊とかじゃないみたいだけど、うーん??」
今まで見てきた霊とは違う感じ?
「僕の話を聞け!」
なんか怒ってるみたいなオッドアイの男の子がバタバタと足音を立てて近づいてくる。勝手に部屋に入ったのはまずかったかも。それに部屋から出ないように言われてたんだっけ。今更ながらに思い出してちょっと気まずくなってきた。
「あ、ごめんね。君、大丈夫だった?危なかったねー」
笑ってごまかしてしまおう。そうしよう。頭を撫でようとした手を止めて、その男の子は仁王立ちで腕を組んで私を睨みつけた。やっぱり怒られちゃうかな?
「僕は小さい子どもじゃないぞ!」
あ、怒ってるのそこ?
朝日のさしこむ明るい食堂に食器の音といい匂い。
あれから部屋に戻って寝直して、目覚めたらおばあちゃんメイドさんが部屋に入ってきた。いたんだ……他の人。
「朝食の準備ができております。お着替えをなさって食堂へお越しください」
用意してもらったのは何故かワンピースドレス。っていうかまんまドレスだったから、身支度を手伝ってもらって食堂へ下りた。っていうか制服じゃダメなの?
「おお!お似合いですよ、ミズキリサ様。奥様のドレスがあって良かったです」
「奥様のドレスって、そんな大切なものをお借りして良かったんですか?」
汚しちゃったらどうしよう。
「大丈夫ですよ。普段着ですしもう着用されないものですから。主がミズキリサ様に差し上げるようにと」
これが普段着?外国の人っていつもどんな生活してるんだろう。もしかしてコスプレが趣味とか?それにもう一つ引っかかった。
「主、様……?」
「ご紹介が遅くなりました。当屋敷の主、クロックフォード侯爵家のセシル坊ちゃんです」
チェンバーズさんが示した先には昨夜の黒髪オッドアイの男の子がすでにテーブルについていた。
「セシル坊ちゃん?」
じゃあ、この子が、この小さい子がこの屋敷の、そしてチェンバーズさんの主ってこと?それにクロックフォードこうしゃくけって、侯爵家?貴族?じゃあここってヨーロッパなの?え?いつから電車でヨーロッパまで行けるようになったの?それとも日本に住んでるの?私の頭の中にははてなマークが果てしなく浮かんだ。
「言っておくけど、僕は小さい子じゃない。もう十四歳。大人だから」
セシル君は不機嫌そうに言い捨ててそのまま黙ってそっぽを向いてしまった。十四歳?昨夜会った時は私よりずいぶん背が低く感じてて、小学生かと思ったけど中学生なんだね。
「さあ!ミズキリサ様もどうぞお席に」
言われて流されるまま、朝食をいただいた。お腹が空いてたら考えもまとまらないから、ご飯を食べることで私は一時現実逃避してしまった。コクのあるチーズが入ったオムレツが絶品だった……!
朝食後、約束通りに近くの街に馬車で連れて行ってもらった私は、決定的な光景に頭を抱えることになる。その街はどう見ても昔のヨーロッパっぽかった。石畳、石造りの建物が並んでいて、電車も線路ももちろん駅も無くて、道を尋ねようにも交番もないしおまわりさんもいない。そもそも日本人はいなくて、道行く人達は全て外国人で歴史の教科書で見かけたような服装をしてる。持っていたスマホは当然のように使う事ができなかった。
……ここは日本じゃない?
自分の家へ帰る手段を失った私は、チェンバーズさんの勧めでまた森のお屋敷へ戻ることになった。チェンバーズさんにお願いして地図を見せてもらったけど、やっぱり私の知ってる地図とは全然違ってた。
……ここは私の知ってる世界じゃない?
混乱する頭で色々考え込んでたら、お茶に誘われた。テーブルの上には白地に金の模様の綺麗な茶器にたくさんのお菓子。スコーンは無いけどアフタヌーンティーかな?美味しそうなんだけどあまり食欲が沸かない。手の中にあるティーカップ。その温かさがこれが夢じゃないことを伝えてきてる。
もしかして私は……
「ミズキリサ様はやはり違う世界からいらした渡り人のようですね」
居間で不機嫌そうなセシル君と一緒にお茶を頂いているとチェンバーズさんから爆弾発言が飛び出した。
危うくお茶をふき出す所だった……。なるべく考えないようにしてたけど、さらっとその考えを肯定されてしまった。
「なんだ、やっぱりそうなのか。道理でおかしな服装をしてると思った」
セシル君もあっさりと認めてくれちゃった。なんでもこの世界では別の世界からやって来る人は珍しいけど結構いるらしい。過去の文献にもそんな記述があったりして、わりと受け入れられているんだって。
ああ、やっぱり私は違う世界、異世界に来ちゃったんだ。
諦めに似た自覚が生まれて肩の力が抜けた。
「丁度良かったですね、坊ちゃん!」
「坊ちゃんはやめろ」
何が丁度いいんだろう?ぼんやりと混乱している私をよそにチェンバーズさんは満面の笑顔だ。
「ミズキリサ様!」
「あ、リサでいいですよ」
「ではリサ様っ!今度王宮で行われる舞踏会で坊ちゃんのパートナーになっていただきたいのです」
「はい?」
「ついでにうちの坊ちゃんの婚約者になって差し上げて下さい!」
「…………」
立て続けに言われた言葉に思考が一瞬停止した。
なんですと?混乱する頭に情報の洪水が溢れる。……今なんかさらりと人生における重要なことを頼まれたんですが……?何なのこれ?金髪の背高老紳士の後ろで、大きな椅子に腰かけた黒髪オッドアイの美少年が少し顔をしかめた。
王宮に舞踏会に婚約者?なんでそうなるの?
「だから坊ちゃんはやめろ……。リサ、君にはこの屋敷での滞在費の代わりに少しばかり手を貸してもらう」
「へ?」
てっきり不愛想な顔でチェンバーズさんの訳の分からないお願いを却下してくれると思ったのに……。セシル君は立ち上がり、ガラス玉のようなオッドアイで初めて私を真っ直ぐに見た。
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ランプブラック 煤の黒




