【第18話】主のいない丘
〝女王の警告――歌を口にしてはならぬ〟
その言葉は、一斉放送により全市民へと通達された。それは単なる命令ではなく、市民にとって呪詛となり、心は囚われた。
幾日が過ぎた頃、地下の空気はさらに重くなり、各街は生気のない世界へと変わっていた。
以前の殺伐とした日常に戻っただけ、なのに。
世界は同じ灰色なのに。
市民たちの胸の奥には空洞が広がり、温もりの無い風がその心を吹き抜けていた。
静まり返った水田。劫火の騎士たちが仮面の奥から鋭い視線を効かせている。
人工灯の光が、泥水の表面に硬い大きな輪を描いていた。揺らぐことの無いその輪は、逃げ場を塞ぐ壁を連想させる。
ヤオヤたちは水田に脚を入れ、同じ動作を無心に繰り返した。腰を折り、手を泥に沈める。苗を差し込み、また泥を掻く。
その度に湿った土と藻の腐臭が彼らの鼻を刺した。もちろん言葉はなく、ため息すらも喉の奥で潰されてしまっていた。
しかしそんな日常の中、ひときわ白い小花を差し込んだ者もいた。
ここメトロジェイルは、〝女王の家族〟として守られた世界。だが全ての者がそれを望んでいる訳ではなかった。
水面に直立するその白は、誰も気づかぬほど慎ましく、凛としている。それは、死んだような日々の底に、わずかな反旗の鼓動を刻み始めた証だった。
*
琥珀はひとり、デイジーの丘へ向かっていた。
シエリはヤマサンを喪った後、彼の部屋に閉じこもったまま出てこない。
何度か訪ねたが、返事はなかった。今はそっとしておくしかないだろう。シエリは愛する人を喪ったのだ。
大切な人を喪った苦しみに比べれば、ガジュ丸の記憶を消してしまったことなど責める気にはなれなかった。
もしそれでシエリの心が少しでも癒えたのなら、それでいい。ガジュ丸とはまた新しい関係を築けばいいのだから。
丘の入り口に辿り着くと、琥珀は振り返らずに彼に声をかけた。
「ねえ、ガジュ」
『はい。お呼びでしょうか、お嬢様』
やはり返ってきた声は出会った頃と同じ〝執事〟の口調。
胸の奥がキュッと痛む。
頭の中で、あの頃の惚けた声が何度もリフレインしている。どうやって、あのとき仲良くなれたのだろう。思い出そうとしてもはっきりとは浮かばない。
思い出せなくてもいい。絆は説明書のないもの。
自然に任せればいい。
一度築けた絆。なら、もう一度、きっと。
『お嬢様のことを、もっと教えていただけますか。記録し、次回の会話に活かすことができます』
ガジュ丸が律儀に言う。琥珀は少し笑った。
「そうね……わたしの好きな食べ物は――」
十五年という隙間を、二人はゆっくりと、言葉ひと粒ずつ埋め直していった。
*
風に揺れる数本の白い花。丘は、花畑とは言えないほど殆どがもう枯れてしまっていた。
それでも倒さないように優しく踏み分け、丘の中央で膝をつく青年――ソラ。
小さな墓石に黙って手を合わせたあと、そのすぐ側にあるピアノへ歩み寄り、鍵盤に腰を預ける。
しばらく天を見上げ、ソラは呟いた。
「人は死んだら、上と下、どっちに行くんだ? ……下に天国があったか? なあ、ヤマサン。……じゃあ、地獄は上……つまり、ここってわけだ」
ちょうど丘へやってきた琥珀に気付く。彼女は歩み寄り、墓石に手を合わせた。
「なんや、えらい小っちゃい墓石やな、魂はみ出てまうわ」
ソラが軽口を漏らした。
琥珀は横顔で愛想笑いを返した。
二人が向かった先は放送局、部屋にはすでにミナトが待っていた。
ミナト、円花、一花、琥珀。集まった顔ぶれを見渡し、ソラは静かに息を吸い込む。
「集まってもらったのは他でもない! 作戦名を発表する」
ソラは一息に叫んだ。
「〝東京タワー・ドッカン作戦〟だ!」
誰もが耳を疑った。勇ましい鼓笛の行進が頭の中を駆け抜ける。
睨み嗤うソラが立ち上がり、壁に貼り付けたホワイトボードに地図を広げる。
その目は冷たく、そして鋭い。
「電話もネットも死んだ今、この暴風の中でも東京全域に一斉に電波を飛ばせる場所がある。
それは、東京タワー展望デッキのさらに下、かつて地上250mの地点にあったトップデッキ。そこにおそらく女王の専用部屋〝放送ブース〟があるんだ。
〝罪人のお知らせ〟もそこから発信されている。ありゃ何度聞いても気分が悪い」
ソラはペンを走らせながら続けた。
「作戦はこうだ。A班が囮になり、女王を東京タワー最下部の放送ブースに誘い出す。
女王が降りていく時、A班と女王が直通エレベーターで上手くすれ違うようにB班が指示する。
その後、B班が電源を落としてエレベーターを封じ、女王を放送ブースに孤立させる。そしてC班が……、」
「ちょ、ちょっと待って! 逆さまなのに、エレベーターって使えるの?」
「東京タワー……ドッカン。何? ……爆破?」
早口の円花と落ち着いた一花の質問が同時にソラを攻める。
彼は「話を割るな、今から言うよ……」と、呆れた言いぐさで手のひらを出し肩を竦めて見せた。
彼は一同を見渡し、小さくふたつ頷くと再び話を始める。
「まず、エレベーターだが大丈夫だ、女王たちの手によって改造されてある。
でだ、つまりは女王をそこに孤立させて、東京タワーごと墜下させちゃおうって訳さ。C班担当の爆弾でね」
ソラが片方の手のひらを広げて「ドッカーーン」と口を動かす。
東京タワーを爆破して墜とすなどという大胆な発言、何とも〝ソラらしい〟と誰もが思ったが、簡単に出来る事とは思えない。
姉妹は口を開けたまま、次の言葉を待った。
『……ここにいる、五人だけで出来るの?』
琥珀がガジュ丸を通して口を開いた。
「第一、外は暴風。〝目〟でも来ないと、爆弾設置……無理」
一花の発言に、それまで目を閉じて淡々と話を聞いていたミナトが、やっとタイミングが来たかと身をのりだし、口を挟んだ。
「その点は大丈夫だ。協力者がいる」
一つ呼吸を置き、ミナトは、
「革命派さ」
静寂を切り裂くように言葉を落とした。




