第四話:疑念
「それが日本壊滅のシナリオだったのか」
グレンは驚いていた。
「俺が見たもの限りだがな」
紫電は感情を面に出さずに言う。
「余計な話をしたな。これで俺が奴らを潰すことにこだわるのか分かっただろう?」
「ああ」
「今後は手出しをするな。俺の戦いだ」
グレンと別れた後、紫電は外に出た。
暗い空には光が溢れていた。
そこには自らの存在を主張するように、白く光る星が点在し、瞬きをするように輝いている。
三日月は笑うような形で紫電を見下ろしていた。
視線を空から大地に向ければ、そこには戦火の色が全く感じられない穏やかな世界があった。
家々にから漏れてくる団欒の声と温色の電灯。顔をほころばせてはしゃぐ子どもたちの姿。それを見守る両親の姿。
紫電は笑みを浮かべて、そんな風景に見入っていた。
「珍しいね、君が感傷に浸るなんて」
どこからともなく少年のような声がした。紫電にとって、この声は聞きなれたものだ。
「いるなら、とっとと出て来い」
「はいはい」
軽い身のこなしで雷電は紫電の目の前に舞い降りた。相変わらず、その動作には隙と感情が見受けられない。
「お仕事はどうかな?」
「貴様には関係ない」
「ふ~ん、そうですか」
「情報があるなら、さっさと寄越せ」
雷電はにこりとして口を開いた。
「さすが僕のかつてのパートナーだね。実は……鳩川と小川がね、日本人掃討作戦を実行するんだって」
「……何だと」
「日本自治区ではさ、殺人や強姦がいまや当たり前になってるけど、日本人自体を世界から抹殺しようとする一派がいるらしくてさ。小川がそれに乗っちゃったってわけ」
「……詳しく話せ。裏があるだろう」
紫電は目を細めた。
「『クィーン』がらみでね。日本人の抹殺預言をしたから最終的に動くことになったんだ。もっとも、直接的な原因は日本人が鳩川らに対して反乱を起こしたからなんだけどね」
雷電は表情を変えずに言った。
(俺だって人間だ。快感や不快感は少なからず、ある。ところが、こいつにはそんな素振りがほとんど見られない)
人間が意味もなく虐殺されることを淡々と語れる人間はそう多くはない。
紫電はこの男を見て身体がわずかに震えていた。
「分かった。情報はありがたく頂こう」
雷電の話が終わると、紫電は日本へ向かうべく準備を始めることにした。
旧大阪府にある日本自治区統括センターでは鳩川と小川が話し込んでいた。
センターは市街地中心部にある巨大なビルの中に置かれていた。最新鋭の設備が兼ね備えられており、厳重なセキュリティも機能している。この施設は単なる自治区監視用だけではなく、軍事拠点としても作られているため、攻略が難しくなっている。
センターの内外には腕利きの兵士たちが24時間体制で警備を行っており、鳩川らのいる最重要セクションには何重ものセキュリティを突破しなければ入れないというつくりになっていた。
当然、軍事設備なので室内は灰色の壁に囲まれた殺風景な場所である。どんな時でも、監視カメラが目を配っており、侵入者を発見し次第、警報機が騒ぎ出し、兵士が駆けつけるという具合に鉄壁の防御が敷かれている。兵器などの設備は整っているが、その他の設備などは最低限といっていいほどしかない。
「総理、日本人抹殺について異論でも?」
センターの一室で、小川は鳩川と向き合い、論議していた。
小川がヤクザのような、いかつい顔を鳩川に向ける。がっしりとした体躯が威圧感を放った。ダークスーツを着込んでサングラスをかけているせいか、どこかの暴力団の組長にさえ見える。一方、鳩川は細身の体に自信なさげな顔にグレーの上品なスーツに身を包み、こちらはどこかのブルジョワのようだ。
「いや、やりすぎではないかと思うのだよ。何かと日本人どもは最近反乱を起こしていると聞く。これ以上抑えつけては収拾がつかなくなるのではないか?」
鳩川は小川の迫力に押されそうになりながらも、はっきりと答える。
「いえいえ心配には及びません。何となれば、核を打ち込めばいいだけの話。それにジャパニーズは邪魔なのですよ、今となってはね」
小川は邪悪な笑みを浮かべた。
小川は日本名であり、本名は全峰零という満州生まれの外国人である。
歴史の表舞台には出てこないが、外国人参政権を推進し、日本を売り飛ばそうとした急先鋒はこの人物であった。
「日本人は遺伝子的に優れた特性を持つ民族らしいですな。技術、工芸、芸術などに」
「うむ。それで?」
「今や北京民主共和国には邪魔なのです。すべての日本人どもが集まり、結託して反乱を起こされた日には何が起きるか分かりませんからね。第二次世界大戦が良い例でしょう。ゼロ戦などの優れた戦闘機を発明し、ちっぽけな島国ながら大国相手に善戦した。あのような失敗を犯したくはないのですよ。ですから、世界から日本人を抹殺しようと思っておるのです」
小川は鬼のような目をして言葉を吐き出した。
「それに日本人官僚どもも非常に厄介でしてね。こいつらは頭脳の回転が早すぎる。我々のプロジェクトが見抜かれてしまうかもしれません。現に麻月ら、もと政治家や官僚どもの連合体は何か活動しているようですからな。潰しておくに限りますよ」
鳩川は鼻を鳴らした。
「まあいい。好きなようにやりたまえ。これは小川君に一任しよう」
「ありがとうございます。すべては『クィーン』の指示ですからな」
小川は大股にセンターから出て行った。
「ふん、増長しやがって……」
鳩川は面白くなさそうに呟く。
小川はセンターを出ると、携帯電話を取り出す。密偵への連絡を入れるためだ。
「ああ、私だ。どうだ、監視のほうは? 何、動き出したと? まあいい。とにかく、事を荒立てぬように見張れ」
一分ほどの会話の後、小川は電話を切った。
それから北京民主共和国政府用のタクシーを呼ぶと
「関西シナ空港へ行け」
と横柄に運転手に告げた。
紫電は雷電から日本人抹殺計画についての知らせを受けた後、すぐに調べを進めた。
日本に渡り、政府機関に潜入する。小川ともう一人、この計画を進めているところまで分かった。
「決行は明日未明みたいだね」
破壊されつくした日本の街並みを見ながら、雷電は紫電に報告した。抑揚の無い口調は感情を感じさせない。まるで機械のような恐ろしさを備えていた。
「そうか」
紫電は荒れ果てた田畑やぼろぼろのビルディング、古びて使われなくなった駅舎などを悲しそうに目を細めて見つめていた。
夕焼け空が街の寂寥感をさらに強くしているように見えた。
『羅生門』は日本に本部を置く暗殺組織だが、構成員は必ずしも日本人だとは限らない。世界各国から能力のある者を受け入れて、育成し、一流の暗殺者に育て上げる組織となっていたからだ。
紫電は両手に力を入れる。激情が今の紫電を突き動かす唯一の原動力になっていることに本人はまだ気付いていない。
「大丈夫だよ、紫電」
人形のように整った顔で雷電は言った。
「僕たちがいれば、普通の軍隊なんて敵じゃないはずだよ」
確かに、紫電たちは一般人とは比べものにならない体力や膂力を持つ。それでも、絶対的な数の前には無力である。
「今日は休むとするか」
雷電が偵察に行くと言って別れると、紫電はぼやいて廃ビルの屋上に登って、一人眠りについた。
日付が替わる頃に紫電は目を覚ます。
付近に物音はない。人の気配もない。敵が動く気配が感じられなかった。
「おかしい。何故、奴らは行動を起こさない? それとも、起こせないのか」
紫電が思案していると、雷電が紫電の前に降り立った。右手には何かを掴んでいる。
「その通りさ」
雷電が掴んでいたのは岡崎の首だった。
「貴様……?」
「説明は今からするよ」
雷電は荷物を放り投げた。それはごとりと鈍い音を立てて転がった。岡崎の目は恐怖と憎悪で今にも食いつきそうなほど開かれていた。
「何故、貴様はこんなものを持ってきた」
「まあまあ、いいから。こいつには僕の行動を見破られたからね。生かしておく道理はない」
綺麗な顔は歪みもせず、人殺しが日課であるかのように笑顔で言う。
「……(あの雷電の行動が敵方に漏れた?)」
同じ暗殺稼業の者ならともかく、一般人に見破られるほど未熟ではない。それとも、敵方に優れた同業者がいるのだろうか。
「それで、日本自治区統治機構は混乱に陥ってるのさ。小川も鳩川も今はそれを抑えるので精一杯ってこと。これで時間が稼げただろう?」
確かに紫電にとってはやりやすくなり、『クィーン』の手がかりもつかめるかもしれない。何より、敵への対策が出来る時間を得たのは大きい。
「何故だ?」
「ん?」
「何故、貴様ほどの者が失態を犯した?」
「やだな、僕だって人間なんだからさ、失敗くらいするよ」
雷電は、あははと陽気に笑って答えていた。
「俺たちみたいなのがいたのか?」
「いいや、いなかったよ」
「ふん、まあいい。なら、次の手を打つまでだ」
紫電は天を仰ぐ。
こんばんは、黄泉月です。
これも加筆と一部削除、修正を行いました。
多分以前よりは読みやすくなっているはず(?)
ではまた次回お会いできることを祈りつつ……