第三話:決意
日本滅亡の少し前、鳩川は岡崎を伴って北京民主共和国へ行っていた。
「北京民主共和国首席大統領の指令により、北京民主共和国へ主権を委譲する協議に参りました」
鳩川たちは共和国大統領府へ行き、大統領私室へと歩いた。
大統領府に入ると、がっしりとした体型にダークスーツを着込んだ数百人もの警備員が守る門をくぐる。そして、入り口から敷かれている赤じゅうたんの上を歩いた。
壁にはレオナルド=ダ=ヴィンチの名画『モナ=リザ』、室内にはミケランジェロの彫刻が並べられており、それらの芸術品が冷たく鳩川たちを出迎える。
私室に入り、周囲を見渡せば、きらびやかな調度品、高麗青磁の壺や高価な美術品など様々なものにより飾り付けられていた。眠り心地のよさそうなベッドがあり、部屋にバスが付いている。部屋の隅には小さなワインセラーまでついていた。
そこに入ると愛想笑いを浮かべて、でっぷりとした体型の男に話しかけた。この男が北京民主共和国を統べる首席大統領であるキムである。
「ご苦労だった。まあ、夕日新聞や毎朝新聞を味方に引き込めというわしの指示を忠実に守り、よく日本を日本人から解放してくれた。感謝しているぞ」
キムは大統領府の中枢部にある私室でダイヤモンドをちりばめた豪奢な椅子にどかりと腰をおろしていた。室内はベージュの壁により彩られており、最新鋭の設備も設置されている。
大統領府は北京民主共和国の首都北京にある国の最高統治機関である。人事院やその他の組織を統括している。灰色の外装の古びた建物の外見とは裏腹に重要な位置づけをもつ組織なのである。
「もったいないお言葉です。日本は日本人だけのものではありません。我々は北京民主共和国の繁栄の為に戦いました。今回の総選挙も彼ら新聞社の報道のおかげで圧勝することができました」
鳩川は笑顔でうやうやしく言った。岡崎も無理に作った笑みを浮かべている。
「さて、主権委譲についてだが……」
キムは脂ぎった顔で、いやらしい笑みを浮かべた。
「まずは沖縄をこちらに譲るということでどうかね? 過去の大戦の償いという名目を作ればよかろう」
「はい。衆議院及び参議院はほぼ我々が掌握していますから反対などさせません。国民が反対したとしても無視すればいいのですから。それに安国神社はブルドーザーで更地にしてジャスコを立てる予定です。北京民主共和国の皆様のために」
「うむ、よく言った」
わははと下品な、だみ声でキムは笑った。
「それから特権についても頼むよ、鳩川君そして岡崎君。おっと、岡崎君は本名であるイェン君といったほうがいいのかな?」
一連の会話を大統領府に忍び込んだ紫電は聞いていた。今回の任務は改進党のトップの偵察任務。
「危険だな、思った以上に」
紫電は会話を録音し、鳩川や岡崎よりも早く日本に帰り着こうとしていた。
「急がねば……」
焦った矢先のことだった。駆ける両足に力が入った。
「おい、誰だ?」
かすかな音を立てた紫電は何者かに発見された。
「しまった……!」
紫電と似た黒装束の男が紫電の前に現れた。
「悪いが死んでもらう……」
男は日本刀を手に紫電に襲い掛かってきた。同じ暗殺者のようだ。
紫電は切っ先が淡く光る刀を相手に突き刺すように構えた。紫電の師であった零から習った構え方である。
「し、侵入者か!」
キムは慌てた。
「ご心配いりません。護衛が始末するでしょう」
鳩川は落ち着いて言った。
「う、うむ……」
紫電と男の武器は互いに甲高いな金属音を立てて、ぶつかりあっていた。
「貴様如きに時間をとっている暇はない……!」
紫電は手榴弾をばら撒くと、爆炎に隠れて男の背後に回り、斬りかかった。
男はそれを刀で受け止める。相当な腕を持っているようだ。
「首相! ここは本国へお逃げください。紫電が相手では分が悪い!」
男は大声で鳩川に知らせた。
「うむ、ここは頼んだぞ。岡崎君、例の暗殺ギルドを潰せ……紫電が敵に回った以上、利用価値はない」
最後は小声で指示を出す。それが組織壊滅の始まりだった。
紫電が男のとの戦いを終えたのは十分後。既に鳩川と岡崎は空港へ着いている頃である。また、キムから紫電抹殺のために大量の兵士が送り込まれており、紫電は生還するために、彼らを倒していかなければならなかった。
数日後、紫電が全ての追っ手を打ち倒して日本に戻った。空港から丸一日休むことなく、走り続けて、ギルド本部へ戻ると、それはなくなっていた。周囲には瓦礫と死体の山があるだけである。しかもあちこちを見渡してみると、銃弾で顔をえぐれらた男、刃物で両手両足を切り刻まれた少年、衣服を切り裂かれ、乱暴された後に首を斬られた少女などの物言わぬ体があった。
周囲の色はどす黒い赤一色に染まっている。空は重苦しい灰色の雨雲によって埋め尽くされている。
「……」
紫電はうなだれて、肩を震わせていた。
「こんな、ことが……こんなことが……」
紫電は暗殺稼業を始めてから初めて涙を流した。これが悲しいという感情なのだと分かった。
「許されていいのか……! まだ、俺みたいに殺しに殺して後戻り人間じゃなく、未来のある人間を……」
声も震えた。悔しかった。悲しかった。辛かった。そんな感情が紫電に浮かび上がってきた。
しばらくした後、紫電は誰にでもなく呟いた
「殺してやる……これに関係した人間を全て滅ぼしてやる」
紫電は得物を握った。
「これが俺の最後の任務だ……!」
黒の瞳にはかつてないほど怒りがみなぎっていた。
鳩川と岡崎、小川らはその後北京民主共和国から1000万人の移民を受け入れた。結果、日本は無法地帯と化し、在日外国人たちの犯罪は鳩川の友愛政策で許されるという法律が出来上がった。殺人も強姦もすべての犯罪が許され、人権友愛の象徴として鳩川は独裁体制を強めた。
それだけにとどまらない。鳩川らは産業を規制し、伝統産業のみならず重工業や自動車工業を衰退させた。二酸化炭素を50パーセント削減するという愚かな政策を打ち出して、根こそぎ工場を海外に移転させてしまったのである。その結果、日本の技術力低下は日を見るよりも明らかになった。EUは日本が自滅していると嘲笑い、アメリカは鳩川に勝手な暴走をするなと警告したが、もはや手遅れだった。
鳩川らはキムの元であらゆる手を尽くし、祖国を売った。日本人たちを迫害し、在日外国人たちにすべての利権を与えた。政治はやがて日本人の手ではなく、在日外国人しかしてはならないという法律までもが出来上がり、警察組織も在日外国人の手に落ちた。事実上の主権国家の崩壊であった。
ある夏の日、鳩川のもとに一本の電話が入る。
「鳩川君、私だ。キムだ」
だみ声が聞こえてきた。
「これはこれは首席大統領。何か御用ですか?」
「うむ。日本弱体化はよくやっているようだな」
「はい。産業はぼろぼろ。経済も教育もぼろぼろ。もう立ち上がる術はないでしょう。それに我々は美味しい蜜を吸えていますからね。これもキム首席大統領のおかげでございますよ」
鳩川は笑いながら答えた。
「はっはっは。そうだろうとも。これからは我々は東アジア民主同盟を築いていくのだから。ところで、鳩川君」
「はい、何でしょう?」
「明日、こちらに来れるかね。いや、2週間ほど時間をくれると嬉しいのだが」
「はい、構いません。岡崎と小川がうまくやってくれるでしょう」
鳩川は電話を切るとすぐに北京民主共和国に発った。
政府専用機で北京へと飛ぶ。
飛行機から降りると、北京空港では多くの役人が鳩川を迎え入れた。中には重機関砲などの物々しい装備をした兵士の姿も見える。
「ようこそ、鳩川総理」
「うむ、キム首席大統領は?」
「官邸にてお待ちです」
「ご苦労」
鳩川は空港から車でキムのいる官邸へと向かった。
「来たか、鳩川君」
腹の脂肪を揺らしながらキムが官邸の入り口から現れた。曇天の空にはかすかに光が差していた。
「はい、遅くなりまして」
「いや、かまわんよ。それより、君に紹介したいものがある」
「は?」
「『クィーン』だ。今からイタリアのジェノヴァに行こう。そこで謁見しようじゃないか、世界の預言者であり救世主である『クィーン』に」
鳩川は以前からキムが『クィーン』のお告げに頼って政治を行っていると聞いていた。
「いいですな。私も一度拝見したいと思っておりました」
「それから、帰ってきたら日本の解体を急ぐように。『クィーン』のお告げがあったからな。それから日本の東海地方以東は日本自治区、以西は北京民主共和国日本省とする。君は日本自治区の王になりたまえ」
「はい、ありがとうございます。これで私の愛を布教することが出来ます。友愛の架け橋を世界から宇宙へ築きましょう」
「なに、かまわんよ。これからはこの国の一部として共に発展していこうではないか。うははは!」
すぐに鳩川とキムはジェノヴァへ発つ。
イタリア空港に降り立つと、地中海性気候の乾燥した空気が鳩川とキムを出迎えた。
イタリアは夏は乾燥して暑い。そのため、主にオリーブなどの作物が栽培されている。また、ぶどうなどの果樹栽培も有名だ。
空港からは予めキムが手配していた車でジェノヴァへと向かった。
都市化は発達したが、中国人がイタリアへと入り込み、地域では中国人がほとんどという地域も今では少なくない。
そのため、中国人の領地がで出来上がっており、ヨーロッパであるはずなのにと違和感を覚える景色がそこには存在していた。
ジェノヴァに着くと、大都市として発達しているにも関わらず、そこにはまだ中世時代の面影が残っていた。中世以来の古びた建築様式ががらりと変わったわけではなく、広場には古代ローマ時代のコロッセウムの跡がいまだに存在していたりもする。
ヨーロッパ独特の西からの風が吹く街を歩きながら鳩川はキムに導かれて、『クィーン』のいる場所へとすぐに赴いた。
『クィーン』は当時、ジェノヴァのある教会の地下に置かれていた。
キムは鳩川を連れて、ある教会に入る。そして、そこの教壇前で何語か分からない暗号を唱えると、地下室への隠し通路が出現した。
「さあ、行こうか。人類を導く空間へと」
キムは恍惚とした表情で鳩川を促した。
鳩川は少し気味悪さを感じながらも、キムに付き従った。
隠し通路はさらに地下へと続く階段であり、そこを二人は歩く。ロウソクの光がかろうじて空間を照らすだけの回廊を抜けると、大きな部屋がそこには作られていた。
そして、そこに『クィーン』はあった。
「我らが救世主よ。お忙しい中、申し訳ありません。是非ご紹介したい人間がおりますので、連れてまいりました」
キムは深々と頭を下げた。巨大な人工知能に向かって。
世界最高の人工知能は巨大な端末に囲まれて置かれている。電子頭脳自体の大きさはさほどない。むしろ人間の脳みそくらいだ。周囲ではすべてコンピューターが背景を作っており、人間味を全く感じない無機質な場所だった。当然、周囲には人はいない。警備用のロボットがいるだけである。
「何デスカ。ソノ人間トイウノハ」
人工音声が返事として返ってきた。
「はい、鳩川という者です。日本自治区を治めさせようかと思っております」
キムは丁寧に言葉を選んで答えた。
「友愛の信奉者、鳩川でございます。お目にかかれて光栄です」
鳩川が機械の脳みそに頭を下げた。
「オ前ガ鳩川デスカ。日本ヲ壊滅サセルトイウ我ガ預言ヲヨクゾ成シ遂ゲテクレマシタ。褒メテアゲマショウ」
『クィーン』は傲岸不遜な台詞を吐いた。
「ありがとうございます」
「次ノ預言ハマタ指示ヲ出シマス。ソレマデ、日本ヲ徹底的ニ弱体化サセテオクヨウニ」
「はっ。仰せのままに……」
鳩川は何一つ疑うことなく、人工知能の言葉に従った。
この数ヵ月後、日本は主権を北京民主共和国に全面的に譲渡することを衆議院と参議院で決めた。国民による大きな反対運動があったが、改進党はこれを警察を使って弾圧し、日本は北京民主共和国日本自治区となり、世界から姿を消した。
ここにアジアの先進国として存在した日本という国は歴史上から退場することになったのである。
しかし、主権を取られ、生活を奪われ、外国勢力に蹂躙されながらも日本人はまだ諦めなかった。
この状況を好転させ、再び日本人による日本人のための国を取り戻そうと決意していたのである。
紫電にもこれについての打診がいった。しかし、紫電はこれに協力しようとはしなかった。あくまでも元凶であるものを倒さなければまた悪夢は繰り返されると考えたからである。
紫電は日本から飛び出した。
情報収集を終え、日本壊滅の糸を引いていたのが、かの電子頭脳『クィーン』であったことを知ったからだ。それに加え、組織を潰し、子どもたちを殺した鳩川たちに復讐するために紫電は『クィーン』が現在置かれているジェノヴァへもぐりこんだ。
「本当の元凶を潰さねば何の意味も為さない。俺は『クィーン』を殺す」
こんばんは、Jokerです。
第三話目です。
結構変更しました。
鳩川の壊れ具合をもっと上げたかったのですがそうもいかず。
最初から狂ってたら交渉なんぞ出来ませんし……
というわけで
次回またお会いできることを祈りつつ……