第十六話:変化
ヴェネツィアはイタリアの中でも最も美しい街のひとつと言われている。港町として栄え、ゴンドラに乗れるということで日本からも多くの観光客が訪れていた。戦争が始まるまでは。
水路に区切られた芸術的な街並みは見るものを唸らせ、訪れる人を魅了する。そんな街が今では北京民主共和国軍により蹂躙されていた。
「我々北京民主共和国軍はこの世の神である」
時刻は、正午。司令官カンガンスはダイナスティの最上階にある展望室で酒を飲んでいる。額の中心にあるほくろが特徴的な老年の男である。緑色の軍服に身を包み、目を細めて街を満足げに見下ろしていた。
展望室は面積100平方メートルほどの空間である。望遠鏡などの設備が置かれているが、兵士たちによってことごとく壊されている。
「カンガンス様、鳩川様が離反したという知らせが」
兵士の一人が口早に告げる。
「よいよい。小川国家主席こそが世界の支配者である。何も心配はいらないのである」
「はあ」
兵士は顔を歪ませて退出した。
その瞬間に兵士は悲鳴を上げて倒れる。
どさりと重い音が響く。
「な、何が起こったのであるか?」
カンガンスは酔った顔でドアを見た。
そこには黒装束を纏った総髪の男が佇んでいる。
「貴様の命、貰い受ける」
紫電は刃の欠けた刀を背中の鞘に収めた。代わりにクナイを取り出す。
「へへへ、兵士はどこであるか?」
素っ頓狂な声で助けを呼ぶが、誰も来ない。
「兵士などいない。貴様は一人だ」
感情を押し殺した声で紫電は言い放つ。
「おのれ、お前が紫電とかいうやつであるか? お遍路で悟りを開いた神の声が聞こえぬのであるか?」
「そんなものが聞こえるのは狂っている証拠だ」
「友愛という大義名分が分からないのであるか? 友愛の名の下に世界を統一する我らが愛を理解しないのであるか?」
「救い様がないな。もういい、死ね」
紫電はクナイを投げた。
「いや、チェックメイトにはまだ早いよ」
クナイは投げ込まれた太刀に叩き落される。そして、見慣れた顔と声が窓ガラスを突き破って現れた。すぐに来訪者は床に刺さった刀を抜き取る。
「雷電か」
「久しぶりだね、紫電」
カンガンスは展望室から逃げようとしていた。
「邪魔だ、まずはこの悟り野郎を殺す」
「いや、偉大なる指導者の命だ。この出来損ないは僕が殺す」
カンガンスは二人の会話を聞き、震え上がる。
「ひ、ひぃ。何故であるか? 友愛の名の下に世界を統一する、歴史を変える我々愛の国が何故なのであるか?」
逃げ出そうとするが、しりもちをつく。
「ふん、まあいい。こんな狂ったクズなぞ俺が手を下すまでもない。貴様が殺せ」
「ああ」
雷電は無感情に刀を振り上げると、カンガンスに突きつけた。
「偉大なる指導者に牙を剥いた罪は重い。この場で処断する」
雷電は右手でカンガンスを持ち上げると、割れたガラスの隙間に放り投げた。獲物は泣き叫びながら、地上百五十メートルのタワー最上階から落下していった。
「さて、始末は済んだ」
「待て、俺の始末がついてない」
紫電は『羅刹』を雷電に突きつけた。
雷電は長く伸びた艶のある髪を風に吹かれながら
「君の壊れた刀で僕を殺すつもりかい?」
と微笑みながら問うた。
「指一本でも動くなら問題ない」
「どうでもいいけど、僕がいないと君のターゲットは殺せないよ?」
「分かっている。殺さない程度にしてやる」
「手加減できる相手じゃないと思うけどなあ」
雷電はすらりと刀を振り上げ、正眼の構えを取る。白銀の刀身が鏡のように敵を映し出した。
紫電もそれを見て、無言で構える。切っ先を相手に向けた。
雷電は一旦刀を収め、無形の位を取る。二つの瞳はかつての友を見ている。さながら、猛虎が竜に対峙するが如く。
紫電がまず攻撃を仕掛けた。
せまい部屋の壁を蹴り、上下左右あらゆる方向から雷電に斬りかかる。雷電はそれを太刀でさばき、反撃の機会をうかがっている。
「どうした、雷電。貴様はこんなものではないだろう」
「うん」
雷電は無邪気に笑いながら言う。
「じゃあ、本気を出すよ」
大きく息を吸い込む。
「君を、殺すために。我が主のために」
雷電の身体に変化が表れた。
こんにちは、Jokerです。
そろそろ『種蒔く者』も終盤戦です。
ではまた次回お会いできることを祈りつつ……