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第二話 王太子とハーフエルフの少女2

 刹那、恐竜の目の前すれすれのところをアリオンの放った矢が通り過ぎていった。動きを止めずに少女に襲いかかっていたなら、その矢は確実に目を貫いていたであろう。


 矢の飛んできた方に視線を向けると、射手はすでに次の矢を番えていた。恐竜は迷わず体を反転させて草むらに飛び込む。


『馬一頭、最低限の目的は達成した。あれは危険だ。死の匂いが体を駆け巡った。これ以上留まれば命はない』


 恐竜は野生の勘でアリオンの力を見抜いていた。


『一見脆弱そうに見える人間は、やはり最初に感じた通り自分にとって間違いなく危険な存在だった。あの人間は自分に警告を与えたのだ。彼は自分が矢に気づいて動きを止めることまで読んでいたのだろう。恐ろしい。


 本当に自分を殺すつもりなら最初の一撃で目を射抜かれるか、あるいは自分が射手の姿を見る前に二の矢が飛んできたはずである。あの人間にはその程度のこと造作もないはずだ。


 馬一頭はくれてやる。だからこのまま去れということか』


 恐竜は草むらの中を猛スピードで駆け抜けてその場から消えた。


「やはり知恵がまわるヤツだったな」

「殿下、わざと外しましたね」

「いや、ちゃんと狙ったぞ」


 ニヤニヤしながら肘で脇腹を突いてくるライオスに彼は何食わぬ表情で返した。


「しかしあれほどの巨大な獣、おそらくは……」

「ああ、かなり知能が高いはずた。次に出会うことがあれば頭をなでさせてくれるかも知れんな」


 知能が高い獣が自ら頭をなでさせる行為は人間への服従を意味している。百年以上を生きた獣は時に高い知能を持ち、言葉を交わすことは出来ないが服従した獣は従順で、主と認めた者を命にかえても守ろうとするのだ。


 ただし、普通の人間では知能を持った獣に太刀打ちなど出来ない。また、それ以前にそんな獣に出会うことすら奇跡に近かった。


「本当なら殿下をお諌めするところですが、今回ばかりはそうもいきますまい。あの獣を逃がしたことをお咎めするつもりはございません」

「うむ、今日の狩りは中止だ。今回のことを父上に報告せねばならん。可哀想なことをしたがやられた馬はヤツにくれてやろう」


 そこでアリオンは放心している少女のことを思い出した。


「おい娘、お前は我らの食料を盗もうとしていたな」


 同じタイミングでライオスも彼女のことを思い出したらしい。少女の前に仁王立ちし問い詰めようとしていた。


 放心状態からゆっくりと顔を上げた少女は、自分が置かれた状況を理解したようだ。目を大きく見開いてガタガタと震えながら口をパクパクさせている。しかし言葉どころか声も出せていない。そして少女は慌てるように背中に落ちていたフードを被った。


「こちらのお方はコルスタイン王国王太子、アリオン・ド・コルスタイン殿下である。殿下のお召し上がりになるものを盗むなど王家に背くと同罪ぞ!」


 震えていた少女がさらに恐怖を浮かべた。王家に背く、つまり反逆罪である。反逆罪は一族全て死罪とされていた。


「ライオス、脅かすのはその辺にしてやれ。我が国に食料を盗まねばならないほど困窮している者がいるとすれば、それは政治が悪いのだ。盗みは罪だが幸いにして我らはこの食料を費やす暇もなく帰るところだろう? 捨てるくらいならこの娘に与えてやってもいいのではないか?」


 ライオスはやれやれ、という表情を隠さなかった。この殿下はとにかく慈悲が深過ぎるのだ。民には身分を問わずとことん優しい。民はそんな彼の性格を知っていて、親しみをこめてぼっちゃん殿下などと呼んでいる。


 確かにまだ十五歳の少年だが、ぼっちゃん殿下はあまりに無礼だ。しかし当の本人が咎めないのだからどうしようもない。そんなことを考えながら足元でまだ震えている少女を見る。


「娘よ、聞いた通りだ。慈悲深い殿下に礼を述べよ」


 だが、こちらの声が聞こえているのかいないのか、少女はうわごとのように何やらずっとつぶやいていた。


「どうした娘、先ほどから何をぶつくさと……」


 ぎゅっとフードをおさえながら何かをつぶやいている少女に、ライオスは仕方なく屈んでその声を聞こうとした。


「お許し下さい、お許し下さい、お許し下さい……」


 少女の顔を見たライオスは信じられないというようにその目を見開く。


「き、貴様っ!!」


 ライオスは必死にフードをおさえる少女の襟首を掴んで引き倒した。


「どうした、ライオス。乱暴はやめてや……れ……」


 ライオスの非道を止めようとしたアリオンだが、仰向けに倒された少女の顔を見て愕然とする。何故なら顔の幅の半分くらいの長さの中途半端に長い尖った耳が見えていたからだ。


「いやぁぁぁぁっ!!」


 耳を見られたことを知った少女は大声で叫び声を上げ、両手で覆って耳を隠そうと必死だった。


「貴様、ハーフエルフだな」


 ライオスが言うと少女は立ち上がって逃げようとした。だがまたもや首根っこをライオスに掴まれ、うつぶせに組み敷かれてしまう。


 泣き叫びながらなおも全身をジタバタさせて逃れようとしたが、華奢な少女が大男の力で押さえつけられているのだ。逃げられるはずがなかった。


「観念しろ、娘! ハーフエルフの盗みはたとえ未遂でも拷問の上、処刑だ」

「あ、ああ、あああ」


 少女はもがくのをやめ、変わりにその口から絶望が漏れた。しかしアリオンは彼女を見て気になることがあった。


 少女は彼より二つか三つほど年下に見えたが、ハーフエルフである以上は罪を犯せばどんな処遇になるか知らないはずがない。黙っていても虐げられる存在のハーフエルフが罪を犯せば酷いことになるのに、何故この少女は盗みを働こうとしたのか。


 もし運良くこの場を捕まらずに逃げおおせても、奴隷商人などに捕まってしまえば魔法や薬で過去の犯罪を暴き出される。犯罪歴のあるハーフエルフは犯罪歴のないハーフエルフよりも高く売れるのだ。


 何故なら罪を犯したハーフエルフは拷問して殺しても構わないとされているからである。拷問で苦しみ苦痛に顔を歪めるハーフエルフを見て歓喜する貴族もいる。彼らは少しでも長く歪んだ快楽を持続するためなかなかとどめを刺さない。そんな彼らには罪を犯したハーフエルフはかっこうの玩具なのだ。


 奴隷商人には捕まらずとも罪人として逮捕された場合、やはり待っているのは拷問であり最後は処刑だった。


「娘よ、一つ聞きたいが答えてはくれぬか?」


 アリオンは少女を押さえつける手を少しはがり緩めるようにライオスに言い、少女の前に片膝をついて問いかけた。ゆっくりと顔を上げて少女が彼を見る。何か言いたげだったが言葉は発しなかった。


「殿下の問いかけに答えぬかっ!!」


 ライオスは何も答えない少女を緩めた手に再度力をこめて地面に押しつける。苦しそうに手足をばたつかせる少女。


「やめよ。それでは答えたくとも答えられぬ」


 憮然としながらも主の言葉には逆らえない。ライオスは再び少女を押さえつける力を緩めた。


「答えてくれるか?」


 さっきよりもさらに優しげな口調でアリオネルは少女に言った。少女も無言ながらも今度はゆっくりと肯く。


「何故そなたは危険を冒してまで盗みを働こうとしたのだ? 捕まればどのようなことになるか知らぬはずはあるまい?」

「殿下、まさかこの者に聞きたいこととはそんなことですか?」


 信じられないという表情でライオスはアリオンを見た。


「盗みの動機なんて腹が減ってたからに決まってるじゃ……」

「違うっ!!」


 突然大声で少女はライオスの言葉を遮った。


「ライオスよ、私は娘に聞いているのだ。控えよ!」


 十五歳の少年の言葉には、大の大人をも震え上がらせるほどの怒気を含んでいた。


 彼が怒ったのも無理はない。ライオスはこともあろうに主の望んだ会話を遮るばかりか、発した言葉をそんなこと呼ばわりしたのだ。さすがにその場で首を刎ねられても文句を言えない無礼だった。


「はっ! も、申し訳ございません!」


 直立して敬礼した額には冷や汗がにじんでいる。瞬間、ハーフエルフの少女は自由を取り戻した。だが今の今までライオスに押さえつけられていたせいで、すぐに走り出せるほど体を自由に動かせるはずがない。逃げ出そうとした彼女は足がもつれて転んでしまったのである。


 ところがライオスは咎人を自由にしてしまうという失態に青ざめていた。彼女は他の騎士に盾で殴りつけられ、再びアリオネルの前にはじき飛ばされてくる。


「おい! 相手は年端もいかない少女なのだ。あまり手荒に扱うな!」


 アリオンは少女を盾で殴った騎士を窘めた。一方の少女は今度こそ観念したのか両手をついて横座りのような態勢になり、うつむきながらぽろぽろと涙をこぼし始める。


「これ以上手荒に扱われたくなくば素直に答えてくれ。このままお前を逃がしてやることは叶わぬが悪いようにもせん」


 少女の傍らにしゃがみアリオンは優しげな口調で囁いた。ゆっくりと顔を上げる少女。その時、初めて少女とアリオンの目が合った。


 彼は息を飲まずにはいられなかった。今は憂いを帯びているが笑えばおそらく人懐っこそうな、わずかにたれ気味の蒼く澄んだ大きな瞳。長い睫毛は大きな目をさらに愛らしく見せている。


「母が……」


 蚊の鳴くような小さな声で少女が口を開いた。何とも耳に心地のいい澄んだ音色の声だった。


「母が……死にそうなんです。もう……何日も水しか飲んでなくて……」


 少女の瞳は涙であふれていた。


「それで食料を狙ったのか。盗むよりねだることを考えなかったのか?」


 涙で濡れた大きな瞳が彼の言葉にさらに大きく見開かれた。


「ねだる……ねだれば施していただけたのでしょうか……?」


 そこで少女はハッとした。よく見れば馬の装飾品や騎士たちの鎧、その他随所に駆け上がろうと前脚を高く上げる天馬の紋章、王家の紋章があったからだ。王家は毎朝、貧しい民に施しを行っている。


 一人一人にはわずかな量ではあったが、それでも一日を生きるために必要な水と食料は分け与えられていた。そう言えばあの乱暴者の騎士様が、目の前の人は王太子だと言っていた。何故もっと早く気づかなかったのだろうと、少女はひどく後悔した。


「あるいは、な。もっともお前は思慮が浅い上に運もなかったようだ。我らが気づかなければあの巨大な獣に食われていたであろう」


 少女は先ほど目の前で咆哮を轟かせていた恐ろしい恐竜の姿を思い出して身震いした。そして王家の紋章に気づいたとしても自分には運がなかったのだと知らしめられる。


 でも、と少女は考えた。自分はもう捕まってしまった。今は優しそうに語りかけている王太子様も間もなく自分を拷問し殺すはずだ。


 それでも願えば自分はだめでも母のことは救ってくれるかも知れない。ことここに及んでは自分の命を救って欲しいとは思わない。ならばせめて、せめて母を救って欲しい――


「お、お願いです、王太子様……」

「うん?」

「私はどうなっても構いません。ですから母を……母を救ってはいただけないでしょうか!?」


 さすがにその言葉にはライオスも黙ってはいられなかった。このハーフエルフはまず主の食料を奪おうとし、捕らえられれば逃げようとし、今度は母を救って欲しいと言い出したからだ。


 虫がいいにもほどがある。


「娘! 図に乗るな!」


 しかしライオスとは反対に救えるなら彼女の母親を救ってやりたいとアリオンは考えていた。それにはまず居場所を教えてもらわなければならない。


 少女が出てきた方向から考えて草原のどこかであることは間違いないだろう。だとすれば何の備えもなしに捜索を開始するのは危険過ぎる。


 この小さなか細い少女一人なら目立たず草原を抜けられても、鎧を身にまとった騎士たちが動けば、あの恐竜だけでなく他の獣にも察知される危険性がある。さて、どうしたものか。


 考えをめぐらせていたアリオンはしばらく無言だったらしい。その無言を、今度こそライオスは我が意を得たりと解釈した。少女の胸ぐらを掴んで主の前から引き離す。


「殿下の命である。手荒なことはせぬが丁重に扱ってもらえるとも思うなよ!」


 か弱い少女の胸ぐらを掴んでおいて手荒に扱わないなどとどの口が言うのか。思慮顔のアリオンは別として、ライオスを除く騎士たちはそんなことを思って苦笑いしていた。


 だが、この哀れなハーフエルフの少女に同情する者は一人もいない。少女はその後も声を上げて必死に母の救出を懇願していたが、縛りあげられて馬に乗せられ城へと連行されてしまうのだった。

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